Old Saltyの日々雑感

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ダルニーの名の向こうに  


ダルニーの名の向こうに




『かつての日本の植民地の中でおそらく最も美しい都会であったにちがいない大連を、もう一度見たいかと尋ねられたら、彼は長い間ためらったあとで、首を静かに横に振るだろう。見たくないのではない。見ることが不安なのである。もしもう一度、あの懐かしい通りの中に立ったら、おろおろして歩くことさえできなくなるのではないかと、密かに自分を怖れるのだ。』

この書き出しで始まる「アカシアの大連」(清岡卓行:1969年芥川賞受賞)は、故郷の大連で出会った亡き妻との思い出を綴った私小説風の作品である。

アカシアの大連というタイトルと、この書き出しの文章だけで、見も知らない大連の情景が目に浮かぶ気になってしまうのは僕だけではないと思う。そして、情景だけでなくその心情にすら同化してしまうのではないだろうか。

想い出は年月とともに不純物が除かれ純化していく。遠い記憶ほど鮮明に覚えているのは、純化された記憶は劣化しないからだ。その純化した記憶のままに想い出の地を訪れてみると、大きく様変わりしていたり、記憶違いだったことに気づいたりする。古墳を発掘し陽に晒したのと同じで、純化していた想い出が瞬時に風化し色褪せ、ときには記憶そのものが消え去る。あれほど鮮明に覚えていたものが思い出そうとしても思い出せなくなるのである。思い出しても、はたしてこの記憶は正しいのかと自問してしまう。

“あの懐かしい通りの中に立ったら、おろおろして歩くことさえできなくなるのではないか”というのは、自分の中で純化し鮮明に残っている亡き妻とのあれこれが実際の通りの中に立ったとたんに風化し、記憶そのものが消え去ったらどうしようという不安からなのである。それは彼にとっては何物にも代え難い喪失なわけで、だからこそ彼にとっての大連は、“かつての日本の植民地の中でおそらく最も美しい都会であったにちがいない”ところなのである。

大連は遼寧半島(中国遼寧省・北朝鮮の少し西)の先端にある。大連はロシアがこの地を中国から租借し作った町で、パリの市街地を真似て作られたといわれている。モスクワから遠くアジアの東の端にあるため『ダーリニー・ヴォストーク』と名付けられた。ダーリニーは遠い、ヴォストークは東。極東という意味だ。
やがて日露戦争が勃発。この戦争に勝利した日本がダーリニーの租借権を得る。ダーリニーの中国語の発音に似た漢字を当てはめ「大連」となった。やがて多くの日本人が住むようになる。「アカシアの大連」の作者清岡卓行はそんなこの地で生まれ育った日本人の一人だった。彼は第二次世界大戦の敗戦で故郷を喪失してしまうわけで、加えて大連で出会った妻も亡くすという喪失感も重なりアカシアの花が香る大連の町を昇華させ作品にした。

この本が発刊された当時、多くの読者が大連に思いを馳せた。誰もが行ってみたいと思ったはずだ。日中友好条約が締結されたのは1972年のことなので、この本が発刊された1969年はまだ国交は途絶えていて中国は近くて遠い国だった。行きたくても行けない国だったからなおさら、作者も読者も大連に思いを馳せたのではあるまいか。

大連(ダイレン)は中国語読みだとダルニー。
繋がりましたね。冒頭のカレーの写真と・・・。

僕のカレーの原点である「ダルニー」の店名は「大連」だったのだ。このことを知ったのはごく最近で、カレーに関する何かをネットで調べていて知った。中学生の頃から気になっていた屋号の謎が解けとても感動したのだが、と同時に、これまではカレーの味だけに拘泥していた目が店主の方に向いた。

店主は敗戦で故郷を追われた大連からの引き揚げ者だったに違いない。「アカシアの大連」の作者同様、故郷を失ったがゆえにいっそう故郷に思いを募らせ、店の名をダルニーとしたのだろう。

僕の記憶の中で年月を重ね昇華し続けているダルニーの“純カレー”は、たぶん、大連仕込みの味なのだ。6人しか座れないカウンターだけの狭い店内で、ゆっくり黙々と大鍋を木べらで混ぜていたのは、ルーを焦がさないための所作ではなく、遠い故郷を思い身を焦がしている自分をなだめていたということなのか。半世紀前の阿倍野区晴明通りの、路面電車が走る風景は大連の町の景色と確かに似ている。だから停車場のそばに店を構えたのかと、今振り返ってそう思う。

彼には遠い遠い大連だが、僕も同じで、何度挑戦しても決して行き着けないダルニー(遠い)のカレーなのである。




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