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Old Saltの日々雑感

日々雑感的に思うところを小さなウソと大きな誇張でデフォルメして掲載中!

  

Merry Christmas





新年のごあいさつ  




新年ののごあいさつ



明けましておめでとうございます。
今年はオセチの話でスタートです。
わが家のオセチは簡素です。30年以上作り続けていますが食材はほとんど変わりません。大根・金時人参・里芋・蓮根・牛蒡・干し椎茸・黒豆・田作り・伊達巻き・卵焼き・八幡巻き・ニシンの昆布巻き・棒鱈・筍・数の子・なます・千枚漬け。そして、栗きんとん。

栗といえば妻ですね。重箱の一角に妻が栗きんとんを詰め込むようになって15年になります。結婚した最初の年は猫の皮を5枚ぐらい被っていたので品目にはありませんでした。2年目に長女を出産したとたん、1枚づつにすればいいのに5枚一度に脱いで猫からヒョウに豹変し僕を驚かせてくれたのでした。うひょう~!

毎年晦日に夫婦で食材が揃う遠くのスーパーまで買い出しに行きますが、今年も買い物カートの中に猪の一番に入ったのが真っ赤なパッケージの天津甘栗でした。日本のスーパーは華僑資本ではないのに、どうしてどこも入り口の目立つところに天津甘栗を置くのでしょう。スーパー七不思議の一つです。残る6つはアレとアレですよね。
黒豆を上手に煮ることができますが時間がかかりすぎるので既製品を買います。棒鱈や八幡巻きやニシンの昆布巻きなども既製品。その他のものは昆布と鰹でとった出汁で一品づつ素材の味を損なわないように薄味で煮染めます。

いま、箱根駅伝の5区が中継されていて、妻は剥いた栗の皮を山にしながら観戦中です。
そんな、今年38歳になる可愛い妻を僕はときどき振り返り、栗を喉に詰めて苦しんでいないか確かめながらこの文章を書いています。のどかな正月の光景ですね。

突然ですが、僕は母30歳のときの子で、母は僕が20歳の時に亡くなりました。母一人子一人、親戚もどこにいるやらという生活だったので天涯孤独の身に。通夜と葬式は昨年末に亡くなった友人と現在カナダに住む友人、もう一人音信不通になっているWの4人で済ませました。
母が一人で住んでいた3畳一間のアパートに遺体を寝かせると空きスペースはわずか。部屋の寒さに耐えかねて、僕たちは遺体が眠る布団の中に足を突っ込み暖とし、壁にもたれて仮眠をとりながら夜を明かしました。母を亡くし激しく落ち込んでいた僕は友人たちのおかげで持ち堪えたのでした。

どうやら今年も相変わらずの脱線模様です。駅伝のタスキのように起承転結で繋げません。オセチに話が戻るかどうかですが、しばらく脱線を続けます。

音信不通のWのことを少し。葬式(とはいっても斎場への手配ですが)はWの母がやってくれました。この頃僕はW母親の店(食料品店)を手伝っていたからなのです。
Wも中学の頃の友人だったのですが、Wの家に遊びに行ったところら、店の外に黒塗りの車がズラリと並んでいる現場に遭遇してしまったのです。ヤクザや町金の追い込みの車でした。10台ぐらいはいました。店の奥の居間に怖そうな連中がWの母親を取り囲み激しく罵倒していました。Wの父親が放蕩し金を借りまくって焦げ付かせたのが原因ですが親父はトンズラして不在、母親が吊し上げを食らっていたわけです。そんなところに行ってしまったのでした。
店の隅に立って状況を眺めていたら、母親が「ちょっとトイレに行かせて」と席を立ちWと僕に目で合図を送って来ました。家の裏に回ってみると母親がいて、「どこでもええからアパートを借りて倉庫の金目のモン(商品)を隠して。悪いけどタカさんも手伝ってくれる?」と言われたのです。僕、19歳の春のことでございました。
アパートを手配したのは僕でした。そしてWと二人で金目のものどころか、ほとんど全ての商品を持ち出し隠したのです。

翌日も追い込みは続きました。母親は「金返せ!」の渦の中で座っていましたが、数時間ほど辛抱したあとに開き直りました。
「ないもんは払えんやろ。その辺のモンを好きなだけ持っていったらええやん。ウチ(私)は知らん、疲れたから寝る」と押し入れから布団を出しその場で寝てしまったのです。みんな唖然です。
それを見た一人の組幹部風の男が「オバハン、ええ根性してる。よっしゃ分かった、オレまとめたる」と纏め役を買って出たのです。
「どうやみんな。こんなチンケな店の品物を皆で取り合ってもナンボ(幾ら)にもならん。ワシにまかせてくれたら顔が立つ程度のことはさせてもらうけど」と整理話をし始めました。結局それで話がつき、その組幹部風の男を残し、全員帰って行ったのでした。
「オバハン、狸寝入りはもうええで。話を聞いたやろ。起きてオレの話を聞け。明日からワシに毎日2千円づつ、完済するまで払てくれ、ええな」となりました。そして「商売は再会できるよな。倉庫に商品があるやろ。ちょっと確認しとこか」と皆で倉庫に行くはめに。「やばっ!」と思いました。
組幹部風の男はは空っぽの倉庫を見て、数秒黙り込み「オバハン、なかなかやるな」と笑い、僕たちの方をみて「兄ちゃんたちの仕業か。見つかってたら半殺しやったで。若いのに連中の裏かいてええ根性やな。食うに困ったらウチにおいで舎弟にしたる」と言い残して帰っていったのでした。そう、倉庫と行っても壁一枚隣の部屋だったのです。入り口は裏でしたが・・・。
この日から僕はWの店が軌道に乗るまで住み込みで手伝ったのです。頼られるとイヤと言えない性格なのです。だからみなさん、僕に頼らないでね。

店が落ち着くと父親が戻ってきました。この人、濡れ手に粟的に儲けたことがあり、そのせいで真面目な商売が苦手な人でした。濡れ手に粟というのは、空襲の焼け跡から拾って来た廃品で大儲けしたことです。
戦争が終わった後の大阪の町は一面焼け野原、大阪駅から難波まで見透せたそうです。その焼け野原にポツンポツン箱らしいものが有るのを不思議に思い調べてみると焼け焦げた金庫でした。父親はそれを拾ってきてリペアし売ったのです。戦後の混沌期、犯罪多発の時期でしたから飛ぶように売れたそうです。元手はタダ同然、ボロ儲けだったのです。それが忘れられず、濡れ手に泡を追い続け母親の店の儲けを食いつぶしたのでした。

食料品店の手伝いをしつつWと僕は父親の手伝いをしたこともありました。金庫の夢の延長なのか事務器機のセールスでした。親父は事務器機販売店など持っていません。僕たちは商品パンフと名刺を持ってセールスに行かされました。

『大和金庫 工業株式会社』。名刺に刷られた社名です。むろん株式会社はウソです。名刺の右肩に大きめの字で大和金庫、その下に小さく工業株式会社と印刷された名刺でした。
この名刺を持ち「こんにちは、大和金庫と申します」と訪問するわけですが、10軒訪問すると10軒全てで応接室に通されました。そして、責任者が「お待たせしました」と低姿勢でやって来て、まじまじと名刺を見て「なんや、銀行と違うんか」となるわけですね。大和銀行か信用金庫と思ったわけです。僕たちはその勘違いが狙い。事務員相手に正直に事務器機のセールスだと名乗っても門前払いがおち。一歩奥に入ることができればチャンスが増えます。応接室や会議室まで辿り着けば、まだ可能性はあるというわけです。
事務器機の営業と分かると50軒中48軒ぐらいから「アホか」とか「アホくさ」と言われ追い出されます。でも、あとの2軒は笑いながら事務器機を注文してくれるのです。

注文が取れると事務器機のバッタ屋(現:リサイクルショップ)に行き、注文の事務器機と同じ商品のリサイクル品を新品と偽って納品するのです。ヤクザな商売でした。でも、何でも商売の種になることをこの時知ったのでした。この経験が後に生きます。
ちなみに食料品店の方は2千円づつという微々たる返済を続け、やがて支払い額を増やし完済しています。組幹部風の男も母親も大したものでした。

大和金庫的商売の経験が後に生きたと書きました。それが賃貸専門業。
アパマンショップ的な賃貸アパート専門会社がありますね。あの手法を開発したのは、たぶん僕が最初のはずなのです。
賃貸専門業が登場する前の賃貸物件は町の不動産屋の親父の小遣い稼ぎ程度の扱いで、賃貸物件だけで事業になると気づいた不動産はいませんでした。

あるときのこと、住んでいた京都の町を車で走りながら周りのマンションやアパートを見ることもなく見ていて、ふと、Wの父親が見た焼け野原の中の金庫と景色が重なったのです。
「賃貸マンション専門業が商売になる」と思ったのですね。
僕は何度も引っ越しを繰り返していましたので多少は賃貸の仕組みを知っています。家賃の1ヶ月分が不動産屋のに支払われる手数料です。原資は他人の持ち物のアパートやマンション。空き室に客に紹介すれば1ヶ月分の手数料が入ります。仲介手数料は家主か借り手のどちらか一方からしか取れません。両方からとると違法。けれども新聞広告などを打って広告料名目で家主からも手数料をとれば両手の手数料になります。ただ間に立って仲介するだけで、まさに両手に泡ではありませんか。

町の不動産屋の受け身の物件仲介ではなく、宣伝広告を出す攻めの賃貸仲介。必ずビジネスになろと思い某不動産の社長に提案してみたのです。社長は面白がり賃貸部作り僕を専務で採用しました。
新たに賃貸部の社員を雇い営業を開始。午前中は輪番で物件調査に当てました。これはなにかというと、マンションやアパートの空き室探しのことです。マンションやアパートを訪問し住んでいる部屋をノックし「部屋を探しているのですが空き室がありますか」と尋ね、空室が有っても無くても家主の連絡先を聞き出します。そして家主に電話をし「○○不動産と申します。家主さんのアパートに住みたいというお客さんがいるのですが紹介させていただけませんか」とセールスするわけです。むろん客などいません。大抵の家主は管理をまかせている不動産を持ちますが、自分のマンションやアパートが満室になるなら誰の紹介でもいいのです。不動産屋と固い絆のように見えて固くないのが不動産屋と家主や地主の関係です。
その間隙を突いての客紹介ですから二つ返事でOKです。間取りや条件等を詳細に聞き出しデータをファイリング。そして翌日あたりに再度電話。
「紹介させていただく予定のお客さんですが転勤が取りやめになったそうです。またすぐに次のお客様を紹介させていただきますので今後も引き続きよろしくお願いします」
これで管理物件が1軒確保。これを繰り返して物件ファイルを増やすわけです。そして適宜電話を入れて空き部屋確認をするわけです。

営業マンの給料は基本給と歩合給の二本立てです。歩合率などを細かくシステム化するだけでなく新聞広告の原案サンプル作りもしました。今は誇大広告で載せることはできませんが「北野白梅町徒歩6分。バストイレ・6・4.5DK美築:賃4.5万」といった行広告を窓枠で載せたものです。この方法が大ヒット。
現在の賃貸専門会社は当時の生き残りです。営業システムもほぼ同じです。支店を7軒ほどに増やした辺りでこの仕事から足を洗いました。試行錯誤しながらモノを作り上げることが好きな性格ですが、軌道に乗ると飽きが来る性格なのです。

話が脱線しすぎて結末が見えません。

母が再婚し親子で生活するようになってから(小学2年生まで転々と他人に預けられ親と住んでいない)母のことが少しは分かるようになりました。夜の町で生活していた割には料理ができました。オセチも自分で作っていました。カチカチに乾燥した棒鱈を水を張ったブリキのバケツに入れ2~3日放置し戻した鱈で煮染めを作るなど、本格的なものでした。
棒鱈から、そのことを思い出したのが母のことを書着始めたきっかけです。Wの話はその延長話し。賃貸業の話も続きなのでした。
延長戦はこの辺で止めてオセチに戻りましょう。

だからかどうか、僕は棒鱈の煮染めが好物なのです。妻は僕の好みをよく知っていて、自分の天津甘栗を買った後は棒鱈探しをしてくれます。けれども西三河地方は棒鱈を食べる習慣がありませんから、見つけるのに苦労するのです。いつも3~4軒回ってようやく手に入れています。

雑煮は丸餅の白味噌仕立て。金時人参・雑煮大根・鶏肉・かまぼこ・里芋・水菜が入ります。柚子で風味づけ。
母が作る雑煮は澄まし仕立てでした。切り餅を使った澄まし仕立ての雑煮は関東から以東の雑煮ですが、わが家は丸餅の澄まし雑煮でした。だから僕が作る雑煮も澄まし仕立てでした。ところが周りは白味噌仕立ての雑煮ばかり。やがて澄ましと白味噌の両方で雑煮を作るようになりました。あとで知るのですが、母の出身地の大分県の雑煮が澄まし仕立てだったのです。母は故郷の雑煮を作っていたのでした。

結婚当初は澄まし仕立ての雑煮でしたが、大阪を離れてから白味噌仕立てになりました。郷愁なのでしょうか。ここ西三河は切り餅入りの澄まし雑煮らしいです。具はこの時期だけ雑煮菜と源氏名を使う小松菜のみ。上にかつおぶしをかけただけのシンプルなもの。
ちなみに年越しそばも変わっています。大晦日にすき焼きを食べ、最後に蕎麦をいれて食べるのが年越し蕎麦とか。理解できん。

いま、箱根駅伝の復路の8区の中継中です。妻は今日も剥いた栗の皮を山にしながら観戦中です。
そんな、今年38歳になる可愛い妻を僕はときどき振り返り、栗を喉に詰めて苦しんでいないか確かめながら、二日がかりで長い文章を書いています。のどかな正月の光景ですね。


長い文章を最後まで読んでいただいてありがとうございました。
かなり辟易とされたことでしょう。でも、それも愛これも愛、私は愛の水中花でございます。ハンサム以外に何の取り柄もございませんが、飽きず懲りず、今年もお付き合いくださいませ。

今年もどうぞよろしく。



年納めのごあいさつ  




年納めのごあいさつ


明日は大晦日。1年が過ぎました。僕の場合は今年も生き延びたということになるのでしょうか。たた息をしているだけの生き方を是としない人生を歩んできましたので、フウフウ言いながらも賑やかに今年1年を過ごしました。

今年最大の出来事は家族で北京旅行をしたことに尽きます。初めて家族での海外旅行でした。おそらく妻は、今行っておかないと悔いを残すと思っていたのでしょう。経済的や時間的な事情から遠くは無理。僅かばかりの知恵を絞りに絞り、最後の一滴まで絞りきった結果北京に決めたのだと思います。チケット予約をしたその夜、知恵熱を出し寝込んでいましたから・・・。
はたして、家族全員での最初で最後の海外旅行になるのか、それとも次があるのか。セニョリータ・セニョール、ケセラセラでございます。

いま、大鍋に水を張りたっぷりの出汁昆布を沈めたところです。明日の朝には水出し昆布出汁ができ上がっています。その出汁にさらに鰹やさば節を加え煮物や年越しそばや雑煮の出汁を作ります。わが家のおせちは僕が作りますので明日は大忙しです。

ということで年内の更新は今日が最後とさせていただきます。
今年一年の交友、ありがとうございました。ハンサム以外に何の取り柄もない僕ですが、来年もよろしくお願いいたします。

よいお年を!♪


Merry Christmas  





Merry Christmas






  

今年1年、ありがとうございました。

来年もよろしくおねがいします。

よいお年を。


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