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Old Saltの日々雑感

日々雑感的に思うところを小さなウソと大きな誇張でデフォルメして掲載中!

ダルニーの名の向こうに  


ダルニーの名の向こうに




『かつての日本の植民地の中でおそらく最も美しい都会であったにちがいない大連を、もう一度見たいかと尋ねられたら、彼は長い間ためらったあとで、首を静かに横に振るだろう。見たくないのではない。見ることが不安なのである。もしもう一度、あの懐かしい通りの中に立ったら、おろおろして歩くことさえできなくなるのではないかと、密かに自分を怖れるのだ。』

この書き出しで始まる「アカシアの大連」(清岡卓行:1969年芥川賞受賞)は、故郷の大連で出会った亡き妻との思い出を綴った私小説風の作品である。

アカシアの大連というタイトルと、この書き出しの文章だけで、見も知らない大連の情景が目に浮かぶ気になってしまうのは僕だけではないと思う。そして、情景だけでなくその心情にすら同化してしまうのではないだろうか。

想い出は年月とともに不純物が除かれ純化していく。遠い記憶ほど鮮明に覚えているのは、純化された記憶は劣化しないからだ。その純化した記憶のままに想い出の地を訪れてみると、大きく様変わりしていたり、記憶違いだったことに気づいたりする。古墳を発掘し陽に晒したのと同じで、純化していた想い出が瞬時に風化し色褪せ、ときには記憶そのものが消え去る。あれほど鮮明に覚えていたものが思い出そうとしても思い出せなくなるのである。思い出しても、はたしてこの記憶は正しいのかと自問してしまう。

“あの懐かしい通りの中に立ったら、おろおろして歩くことさえできなくなるのではないか”というのは、自分の中で純化し鮮明に残っている亡き妻とのあれこれが実際の通りの中に立ったとたんに風化し、記憶そのものが消え去ったらどうしようという不安からなのである。それは彼にとっては何物にも代え難い喪失なわけで、だからこそ彼にとっての大連は、“かつての日本の植民地の中でおそらく最も美しい都会であったにちがいない”ところなのである。

大連は遼寧半島(中国遼寧省・北朝鮮の少し西)の先端にある。大連はロシアがこの地を中国から租借し作った町で、パリの市街地を真似て作られたといわれている。モスクワから遠くアジアの東の端にあるため『ダーリニー・ヴォストーク』と名付けられた。ダーリニーは遠い、ヴォストークは東。極東という意味だ。
やがて日露戦争が勃発。この戦争に勝利した日本がダーリニーの租借権を得る。ダーリニーの中国語の発音に似た漢字を当てはめ「大連」となった。やがて多くの日本人が住むようになる。「アカシアの大連」の作者清岡卓行はそんなこの地で生まれ育った日本人の一人だった。彼は第二次世界大戦の敗戦で故郷を喪失してしまうわけで、加えて大連で出会った妻も亡くすという喪失感も重なりアカシアの花が香る大連の町を昇華させ作品にした。

この本が発刊された当時、多くの読者が大連に思いを馳せた。誰もが行ってみたいと思ったはずだ。日中友好条約が締結されたのは1972年のことなので、この本が発刊された1969年はまだ国交は途絶えていて中国は近くて遠い国だった。行きたくても行けない国だったからなおさら、作者も読者も大連に思いを馳せたのではあるまいか。

大連(ダイレン)は中国語読みだとダルニー。
繋がりましたね。冒頭のカレーの写真と・・・。

僕のカレーの原点である「ダルニー」の店名は「大連」だったのだ。このことを知ったのはごく最近で、カレーに関する何かをネットで調べていて知った。中学生の頃から気になっていた屋号の謎が解けとても感動したのだが、と同時に、これまではカレーの味だけに拘泥していた目が店主の方に向いた。

店主は敗戦で故郷を追われた大連からの引き揚げ者だったに違いない。「アカシアの大連」の作者同様、故郷を失ったがゆえにいっそう故郷に思いを募らせ、店の名をダルニーとしたのだろう。

僕の記憶の中で年月を重ね昇華し続けているダルニーの“純カレー”は、たぶん、大連仕込みの味なのだ。6人しか座れないカウンターだけの狭い店内で、ゆっくり黙々と大鍋を木べらで混ぜていたのは、ルーを焦がさないための所作ではなく、遠い故郷を思い身を焦がしている自分をなだめていたということなのか。半世紀前の阿倍野区晴明通りの、路面電車が走る風景は大連の町の景色と確かに似ている。だから停車場のそばに店を構えたのかと、今振り返ってそう思う。

彼には遠い遠い大連だが、僕も同じで、何度挑戦しても決して行き着けないダルニー(遠い)のカレーなのである。




白酒  




白酒




左が洋河大曲、右が景陽春。酒棚に封印されて5年になる。景陽春は54度。白酒(パイチュウ)の平均的アルコール度数である。洋河大曲も普通は53度なのだが、写真の酒は38度と少し低い。近年、中国も低アルコール度化が進んでいるらしく、これもその流れに沿ったということなのかも知れない。

景陽春は青島で作られた白酒。青島といえばビールの方が有名だから、青島の白酒と聞くと、札幌で芋焼酎を作っているような感じだが、多少雑味が混じるも、白酒独特の癖のある匂いとトロンとした甘い味わいがあって美味しい。
洋河大曲は度数が低いせいか匂いも味も少し軽い。白酒としてはぎりぎり合格点というところだろう。
白酒は独特の強い臭いがある。腐敗臭と言う人もいるがたぶんそれは安物の白酒だ。いずれにせよ、香菜や黒酢がダメという人には苦手な酒かも知れない。

今は改良されていると思うのだが、中国の酒瓶はどれもこれも栓の密封が甘いという欠陥があった。瓶の出来が悪く瓶口が微妙に歪んでいたため、コルク栓でも瓶を横にすると漏れるのである。封を切っていないのに匂っているというのもあった。漏れにくいはずのネジキャップタイプのものも漏れるのだ。だから土産で持ち帰る時は1本づつビニール袋に入れガムテープで厳重に巻き、漏れてもビニール袋の中だけで済むようにしたものだった。

5年前、汾酒(白酒の八大銘酒の一つ)の栓が甘くて蒸発するので炭酸水の瓶に移し替えて冷蔵庫で保管していたら、妻が炭酸水と間違えてゴクゴクと3口ほど飲んでしまい、胸を掻きむしり「なんじゃこりゃぁああ!」と叫んだことがあった。
どういうわけかこれ以降、僕は白酒を封印し飲まなくなったのである。たぶん、妻の形相に恐れをなしたのだと思う。

白酒を初めて飲んだのは40年ほど前になる。内モンゴルのフフホト市で、フフホト大学の教授の家に招かれたときにご馳走になった。中国はまだ慎ましく貧しい時代で、教授は遠来の客を饗すために酒探しに奔走し、友人を頼ってようやく白酒を手に入れてくれたのである。
「最近は美味しい白酒が高くなって、入手も困難になりました」と説明しながら飲ませてくれたのが貴州茅台酒。そしてもう1本あって、それが汾酒。
黒酢や香菜などの中国の匂いにすっかり慣れていた僕は白酒の匂いが気に入り、甘くて深い複雑な味のする酒をとても美味しいと思った。

中国の宴席では文字通り乾杯する。杯を空にして相手に杯の底を見せなければならない。ショットグラスよりも一回りほど大きなグラスに注がれた50度以上の白酒の一気飲みは日本人には辛い。僕は3杯で酔いつぶれてソファに倒れ込んだ。

中国では招かれた先で酔いつぶれるのはマナーが悪いとされるらしいのだが、そういうことを知らなかった僕は、酔いつぶれてソファーに倒れ込みしばし寝込んでしまったのだった。幸い、教授は客が日本人ということで寛大に接してくれたようで、目覚めた僕ににこやかに丁寧に、強い酒の飲み方を伝授してくれたのである。その時初めて、酒が異なると飲み方も異なる事を知ったのだった。中国人と日本人の酒の飲み方は違うのである。おかげで僕は、酒が弱いにもかかわらず、2~3杯の白酒なら飲んでもダウンしなくなったのである。

酔うのはいいが、泥酔はみっともない。昔はよく男友達や女友達と飲み歩いたものだが、相手が男だと泥酔しても道端に放って帰れば済むが、女の場合はそうはいかないので困ったものだった。泥酔した女はすでに女を放棄しているから、厄介なだけのみっともない肉の塊でしかない。そんな肉の塊を抱きかかえて歩くなど真っ当な酒飲みの美学に反するわけで、夜の町角に立って途方に暮れたことが何度かあった。大抵は、近くの交番に「道路で寝ていたので危ないので連れてきました。ええ、アカの他人です」と放り込んだものだ。

先日、友人のヨットで宴会をした時のこと。ふだんあまり酒を飲まない妻が友人と酒を飲み始め、またたく間に2本のワインを空けてしまった。友人はダウンしたのに妻はまったく変わりなし。結婚して20年になるが、このとき初めて妻が酒に強いことを知った。
僕は酒好きだがあまり強くないので、せいぜい夫婦でワイン1本程度だったのだ。妻は酒豪だったのだ。これまでの僕との酒は彼女には唇を湿らす程度のものだったのだろう。長い間僕は妻の楽しみを奪ってきたわけで、申し訳なくて酔いつぶれて寝てしまいたいと思ったのだった。

ということは、あれは、炭酸水の瓶に入った白酒を飲んで叫んだ妻のことだが、よく冷えた白酒のあまりの美味しさに感動した雄叫びだったのかも知れない。だったら、僕はもう、白酒を解禁してもいいかと思っているのだが・・・。


ぷりっぷり!  




ぷりっぷり!


おい、なにプリプリしてんだよ!
プリプリなんかしてないよ
してるよ、プリプリ!

KFCのエビフライのCMだ。

話を前日の夜に遡って、彼と彼女のLINEの中身を覗いてみよう。
彼「明日、ランチしない?」
彼女「いいよ♪」
彼「バイト代入ったからおごるw」
彼「やった!♪」
といった経緯があったのだ。

で、彼女は小洒落たレストランでランチだと思っていたら、連れて行かれたのがKFCで、この時点ですでにちょっと不満だったのだ。

で、彼が勝手に「プリプリ実感パックA」1080円を注文し、「量が多いから二人で食べようと」言ったので「ケチくさっ」と思ったが「ま、いいか」と思い直し、「飲み物は何にする♪」と聞いたら、彼はバックから伊藤園のおーいお茶を出し「これあるから」と見せた時に不満が倍増したのだ。

で、公園のベンチで「プリプリ実感パックA」を食べた時に彼が、彼女の好きな手羽元を食べてしまったで不満が三倍増、冬の公園がとても寒かったの4倍増に。

で、冒頭の「なにプリプリしてんだよ!」となったのだが、4倍増の不満がさらにMAXになる理由が彼女にはあった。

「どこがプリプリ実感エビフライがなのだ!」と叫びたくなるほど不味かったのだ。
しかも、そのエビフライを食べた彼が、「んっまっ!!♪」とビックリマーク2つに音符までつけて称賛したので不満のプリプリ度がMAXに達してしまったのである。

でもね彼女、美味い不味いは千差万別。僕もあのエビフライは超不味いと思っている一人だけど、CMではプリプリを強調していても、美味いとは一言も言ってないからね。それと、君の彼のようにアレを美味いと思うヤツも少なくないんだ。

「あれだけプリプリ感や期間限定を強調しこれでもかというほどCMを流すのを見れば、すごく美味しいに違いないと思うじゃない」だって?
ま、たしかに、鶏フライ屋がエビフライを売りに出せば何かお家の事情があるなとは思うよね。消費者の多くは善人かつアホなので、お家事情を好意的に受け取るよね。ま、そう受け取るから消費者は善人でアホだと僕が言うのだけど・・・。

CMというのはね、あれは売るためのもの、つまりは自社が都合のいいように作ったものだからね。
冷凍エビを使ったエビフライの期間限定って何?と疑問に思わなくっちゃ。冷凍エビに旬など無いわけだから、この場合の期間限定は、期間限定って謳えば喰い付く善人でアホな消費者を釣るエサなのさ。

クリスマスで激増したチキンの売上が激減するのが1月2月。3月からは売上も上向きに転じるわけで、この1・2月の、売上が寒い限定期間をどうカバーするかという意味の期間限定なんだね。作り置きのフライ物の典型的な症状、つまり油ベタベタぐったりのクリスマスセットの余韻がまだ腹の中に残っている時期に、いくら相手が善良でアホな消費者とはいえ、チキンで追い打ちをかけても売れやしない。だから目先を変えてエビフライなんだね。
ま、そういうお家事情はわかるけど、プリプリ怒る彼女に同情しちゃいますね。


紅しょうが天がうまい!♪  




紅しょうが天がうまい!♪


今日は関東煮(かんとうだき)でございました。世間ではおでんと申しますね。おでんと関東煮は本来は異なる食べ物なのですが、一々違いを説明するのも面倒なので、おでんでも関東煮でもどっちでもいいやと、少々投げやりになっております。
その関東煮。かんとうだきって、重箱読みですね。わが家の食卓によく登場します。いつもほぼ同じ具材なの、いまさら写真を撮って載せるのもめんどくさい。
ちゅうことで、以前に書いたもので誤魔化しちゃいます。

ついに「冬の関東煮週間」最終日を迎えました。いよいよ満願成就、マンナンライフの蒟蒻畑でございます。いやぁ、毎日たくさん蒟蒻も食べました。

どのあたりで飽きるのだろうと思っておりましたが、家族全員、食卓の上に関東煮の大鍋があるのが当たり前の状態で、今朝も妻と娘たちは鍋を突付いておりました。
朝はパン食の芳恵はトーストとコーンスープと関東煮でした。
正恵は米飯派なので朝飯は茶漬けと決まっておりますから、ご飯の上に竹輪とごぼう天と牛スジとワサビ少々を乗せて熱々の緑茶をかけて食べておりました。
妻は芳恵と同じトーストと関東煮でした。妻は朝晩の区別がつかない性格なので、朝からチキンラーメンでもモツ煮込みでもステーキでも愛知風ウインナーコーヒー(コーヒーにあずき餡乗せ)や愛知風エスプレッソ(コーヒーの赤味噌仕立)でも、酢豚でもドリアでもなんでもOKなのです。僕は朝晩の区別がつく性格ですが、どの時間帯であっても愛知風のコーヒーは飲みません。

僕と娘たちは1日2食の関東煮でしたが、妻は昼の弁当も関東煮だったので21回連続関東煮という快挙を成し遂げたことになります。昨夜は職場の同僚の送別会だったため外食。記録は途絶えるかと思ったら、夜中に韓ドラ「ドクターチャンプ」第11話を観ながら食べたと申しておりました。

関東煮の煮汁は毎日出汁を継ぎ足していても日々混沌の度合いを深めて参ります。その色合いが濃くなるにつれ、色んなものを入れたくなってしまうのです。アレを入れたらどんな味になるのだろう、コレはどうだろうと、気が狂わんばかりに鍋底に思いを馳せてしまうのでした。
例えばキリタンポなんかは美味しそうです。けれども、一切れのキリタンポが混沌煮の鍋の底の玉子とじゃがいもの間にひっそりと隠れて見つけられなかったら、翌日の鍋はドロドロになってしまいます。それを思うとキリタンポを入れる勇気がわいてこないのです。あるいはまた、ウニを殻付きのまま3日間ほど煮込んでからおもむろに殻を割ってスプーンで食べるとどうなんだろう、いや、きっと生のままの方が美味しいだろうな、と悩み葛藤するわけでありますね。

新しい具材を入れたその時は楽しめても、もしかしたらせっかくのスープが死んでしまうかも知れません。一時の、一夜の快楽に身をまかせてしまったために人生を狂わすというのは男がよく辿る道程です。朝目覚めたら隣に見知らぬ女が額と頬につけマツゲを片方づつ貼り付けて涎を垂らして寝ているのを見るという、なんとも情けない体験、愚挙を、関東煮で繰り返しては学習機能が働いていないと物笑いのタネにされてしまいます。

ま、とにかく、日々出汁を足し具材を補給し、ミリ単位のコンロの火加減にエネルギーを傾注していると、まさに“混沌だき→こんとだき→かんとだき→関東煮”であると強く認識するのでありました。
また、関東煮日記によって“ちくわぶ”という得体の知れない具材があることを知らせてくれた方もおりました。この方、コンニャクは白いので糸コンニャクを白糸の滝をイメージしてシラタキと言い、普通の板コンニャクはナイヤガラノタキと言うと思っていたらしいです。アホですね。
また、翌日のクタクタに煮込まれて崩れかけたそれを、自分のクタクタな人生、崩れかけた体型にオーバーラップさせ好物とおっしゃる方もいらっしゃいました。自虐的ですねー。どうやら関東方面の方たちは松茸や岩牡蠣や蟹や飛騨牛よりも“ちくわぶ”の方が美味しいらしいのです。

その“ちくわぶ”、僕は食べたことはありません。ありませんが、甘くない“ういろう”のようなものなのでしょう。原料も製法も同じですもん。
僕はういろうが嫌いなので、もし関東方面へ旅行し、上に紹介した方たちの家に招待され「ちくわぶと松茸の土瓶蒸しのどちらを召し上がる?」と尋ねられたら、迷わず土瓶蒸しを選ばせていただく自信があります。

「冬の関東煮週間」が無事最終日を迎えたのは慶賀の至りでございます。家族の誰からも一言の文句も出ないだけでなく、積極的に嬉しそうに食べ続けた一週間でございました。その光景を見て僕は思わず、

「いつも食卓の片隅に関東煮の鍋がある、そんな家庭を築きたいね♪」

と言ったら、厚揚げを箸で切ろうとしていた妻の手がハン?と止まり、大根を摘む芳恵の手がナンジャ?と止まり、玉子を突いていた正恵の手がハタ!と止まり、

「・・・・・・・」

と、僕の顔を見たのでした。

彼女たちのかつてない侮蔑の表情を見て僕は、女ばかりの中で孤立無援の男の悲哀を感じるとともに、「あっ、つまらぬことを言ってしまった」と激しく後悔したのでした。そして、ルパン三世の五右衛門が「またつまらぬものを切ってしまった」という嘆きの心情を理解したのです。
彼は剣豪、僕は文豪。豪と呼ばれる者は日々切磋琢磨し余人には無理な高きを求めてストイックに生きているのでストレスが溜まります。だから時々、つまらぬ言や動でガス抜きをしてやらねばならないのです。つまらぬものを切るのが剣豪の悲しい性なら、つまらぬことを言うのは文豪の悲しい業なのでありますね。

僕の一言で凍りついた食卓のしじまを破り、正恵が聡明な凛とした目でしっかりと僕を直視し、

「おとうさん。くだらないことを言ってしまったと、とぼけるのは勝手だけど、食事中にガス抜きしないで!」

と言ったのでありました。

父「あれぇ、臭う?」

妻「臭いわよ。セリフもガスも」

父「屁~そうか♪」

妻「実家へ帰らせていただきます」

娘たち「父を変えさせていただきます」

妻「あっ、そっちの方がいいかも♪」


鍋焼きうどん秘話  




鍋焼きうどん秘話



大阪人の最も好きな食べ物はお好み焼やタコ焼だと他府県の人は思うようですが、それは大いなる間違いです。外国人が今も、日本はフジヤマと芸者とスキヤキの国で、ちょん髷で背広を着て新幹線に乗っている猿だと思っているのと同じです。



大阪人の一番好きな食べ物は“うどん”なのです。大阪のうどんは美味しいという評判は耳にしているでしょうが、まさかうどんが一番好きな食べ物だったとはご存知なかったと思うのですね。実は大阪人も気づいていません。大阪人にとってのうどんは空気のようなものなので存在していることすら忘れているのですね。

ちょっと違う例で説明いたしましょう。
烏賊(いか)と蛸(たこ)がおりますね。日本では昔から馴染みのある食べ物です。この烏賊と蛸。蛸の方は全国に色々と民話その他で残っていたり神体として祭られたりしているのですが、烏賊の方はほとんど活躍した話が残っておりません。
唯一ともいえる例が隠岐の島の神社に残された民話。この民話はどういうものかというと、隠岐の島のある小さな湾の浜辺で女の神様が水浴びをしていたところ、その神様のナニに烏賊が飛び込んでしまったのでした。女神様は激怒なさったのです。そして烏賊の代表を呼びつけ、無礼を償うために今後は毎年全員で神社参りをするようにと申しつけたのです。それ以降この湾には毎年大量の烏賊が押し寄せ、島民たちはバケツで掬ってとるような有様になったといいます。この話の背景にあるのは、日本沿岸には掃いて捨てるほど烏賊がいたということなのですね。

※乱獲でさすがに毎年というのはなくなったものの、今も数年に一度はイカの大群が押し寄せるそうです。


世界で一番烏賊を食べるのは日本人です。烏賊の加工品を含めると年間一人当たり何匹だったか、詳細な数字は忘れましたが世界の漁獲量の60%を日本人が消費しています。
それほどまでの烏賊好きなのには理由があります。先に書いたように日本には烏賊が溢れていたからです。どこででも烏賊が取れたので当たり前のように烏賊を食べていたのですね。日本各地に貝塚があります。大阪にはズバリ、貝塚という地名があります。鬼の大松率いる女子バレーが金メダルを取った日紡貝塚(日本紡績貝塚工場)があるところですね。
貝殻でできた山を貝塚といいますが、それほど貝を食べていたという証です。日本人は潮干狩りが好きなのも。遠い昔に好き放題に獲れた貝への憧憬がDNA を刺激しての行為なのです。貝と烏賊は全国どこででも掃いて捨てるほど獲れたので有り難味がありません。民話にすらならない存在だったわけですね。

大阪人のうどんは、日本人と烏賊の関係と同じなのです。大阪人には当り前の食べ物なので誰もが一位とは思わずに日々うどんを食べているということなのです。



そのうどんですが、うどんそのものの味を楽しむのは讃岐(香川県)です。腰や喉ごしなど麺の美味しさを味わいます。だから釜揚げなどのシンプルな食べ方が主流。
大阪のうどんは麺ではなくくトッピングや出汁など、食べ方のバリエーションを楽しみます。うどんは一度茹でて冷やしたうどん玉を再度暖めて使います。ベトナムやタイの米粉やホーの食べ方と親戚関係にあります。
ほ~と感心しないように!

きつねどん兵衛の東西版の違いが出汁であるように、大阪のうどんは出汁が決め手になります。いかに美味しい出汁でうどんを食べるかがポイントなのです。昆布と鰹節と鯖節、この3つのブレンドが決め手になります。鰯やハゼ、アゴ(飛魚)、秋刀魚などの干物をブレンドすることはありません。この干物出汁を混ぜたラーメンが節系などといってもてはされていますが、魚臭いあれを美味いと思うのは名古屋以東の、ジャンクフードで舌のミライが麻痺してしまった人たちだけです。

大阪のうどんの基本は出汁にありますから、うどん屋の良し悪しは素うどんで見極めます。素うどんの美味いうどん屋は他のものも美味しいのです。薄味の中にコクと風味がある出汁で食べますから腰が強くて出汁がからみにくい讃岐系のうどんだと麺が勝ってしまうのです。茹でて作り置いた個性のないうどんの方が合うのですね。

関東方面では“かけ”と、汁をかけただけだかんね!一番安い喰い物だかんね!と馬鹿にした扱いをしますが、大阪では“素うどん”または“すうどん”と堂々とメニューに記されます。「出汁の美味しさを素のうどんのシンプルな食べ方で検証してくれ!」といううどん屋のおっさんの心意気が素うどんなのです。大阪のうどん屋でメニューに素うどんが載っていない店は不味いと思えばいいでしょう。

関東方面では一杯のかけ蕎麦を家族で食べるのは貧乏人の象徴とされていますが、大阪では、真逆の金持ちの食べ方なのです。
京都在住の元華族や元貴族、神戸芦屋のセレブ、大手洋酒メーカーや製薬会社の経営者などがうどん屋に入ると、まずは家族で一杯の素うどんを分けあって食べて薀蓄を傾けるのです。素うどんは高級ワインのテスティと同じなわけですね。素うどんで出汁を確かめてから、「父上はキツネにしよう」「母はオカメにしまっさ」「麻呂は鍋焼き食べちゃうもんねー♪」というように注文するのです。

大阪人にとってのうどんはそういう存在なので、大阪人の誰もが、うどんに関する思い出を1つや2つぐらいは持ちます。当然、元大阪人の僕も例外ではありません。

僕の場合、すうどんと聞くと、新聞配達が思い出されます。
小学3年生ぐらいの時でしたか、新聞配達のアルバイトをしておりました。時々電車道をマンモスが歩くという、冬は今よりももっと寒かった時代で、早朝に店に行くのが辛くて週末は店に泊り込むのが通例になっておりました。そんな夜に、屋台のうどんを食べに行ったものでした。むろんすうどんです。大阪のすうどんは素とはいっても、素っ気無いの素(す)ではありません。薄い蒲鉾1枚、刻みネギ、おぼろ昆布や刻んだ薄揚げの一つまみぐらいはトッピングされていたのです。その熱々をずずっとすすりながら食べるのでありますね。寒さと空腹で縮んだ胃に出汁がガツンとキックして、それはもう至福でございました。

そんな大阪のうどんで、もっとも高級なのは“うどんすき”です。これは美々卯という店の登録商標なので一般的には使えませんが、つまりはうどんの鍋です。これは確かに美味しい。わが家では僕が味を再現しておりますからよく食卓に登場します。

次いで高級なのが鍋焼きうどんです。これも大好物です。鍋焼きうどんは子供の頃から好物でしたが、子供の小遣いだとすうどんかせいぜいキツネうどん。値の張る鍋焼きうどんは高嶺の花でした。
母と行った時はいつも“あんかけ”でした。出汁にトロミをつけておろしショウガを乗せたあれです。風邪を引くと母親にうどん屋に連れていかれるのです。当時のうどん屋には富山の置き薬の頓服薬もあって、あんかけを食べてからバラ売りで買った頓服を飲んで帰って布団を被って寝るのでした。そうすると汗が目茶目茶出て、2~3回着替えをすると翌朝には学校へ行けるほど回復したのでした。インフルエンザがまだ登場していないのんびりした時代だったのです。

鍋焼きうどんの思い出となると、玲子さんでしょうか。
小学4年生の頃でした。当時母は遊郭で仕事をしていて、その遊郭の玲子という名のこいさんと僕が同級生だったのです。母はシングルマザーだったので子連れで働くのは何かと大変ということもあり、これも縁と、僕は奈良の大和郡山にある彼女の実家に預けられたのでした。女衒のような風体の怪しいオジサンに連れられて天王寺駅から関西線の汽車に乗りました。D51 。蒸気機関車が当たり前の時代でした。
こいさんの実家に着いて驚きました。大屋敷でした。部屋数が幾つあったのか。裏庭の先には延々とブドウ畑が続いているという、地元では大富豪のお屋敷だったのです。その家から地元の小学校に通いました。どういうわけか、こいさんも転校してきて同じ小学校に通ったのです。まるで伊藤左千夫の野菊の墓のようですね。

楼閣の主は僕を娘の遊び相手か付き人にでもということだったのかも知れません。僕たちは仲が良かったのも事実だし・・・。
セレブなお嬢さんというのは綺麗な人というのが常識です。これは着飾れるし洗練されるから当然です。当時の世間はセピア色。その風景の中にこいさんだけが総天然色ですから綺麗で当たり前です。そんなお嬢さんと一緒に生活ができて、僕も幸せだったのでありますね。

玲子さんはお嬢さんにしては性格の優しい人でした。女の子の方がおませなので、僕に友達以上の好意を抱いていたと思うし、使用人の子という同情心もあったのでしょう。同じ年なのになにかとよく面倒をみてくれたのです。
そんな彼女に、大和郡山の駅前の小さなうどん屋で週に2度はご馳走になったのが鍋焼きうどんでした。自分の分も含めて2杯注文するときもありましたが、たいていは僕の分だけでした。僕が食べるのをじっと、嬉しそう眺めている彼女の表情が今も思い出されます。

そんな、僕にとっては異邦人的な生活もちょっとしたことで壊れてしまいます。

夏休みのある登校日。いつも二人一緒に家を出るのにその日に限って僕が先に登校したのでした。学校へ着いてからその日が登校日でなかったことを知ったのです。Uターンした帰り道で彼女と出会いました。
「どうしたん?」という問いに、なぜか、
「忘れ物をした」と答えてしまったのでした。イジワルをしようという気で言ったのではなかったのですが、そう答えてしまったのでした。

その夜、ご主人に大広間に呼びつけられ、正座させられ激しく叱責されました。そして「そんな嘘つきは家には置けん!」と通告されたのです。
翌日僕は大阪に戻され、元の小学校に戻りました。なぜか、しばらくして彼女も再び転校してしてきて同じクラスになったのでした。
「ごめんね。告げ口でいったんと違うんよ。こんなことになるとは思えへんかってん」と泣きながら僕に詫びたのでした。
元はといえば僕の潜在的な悪意というか金持ちへの嫉妬が原因。だから自業自得なのになぜか、この時から彼女が疎ましくなったのでした。それから中学の3年生までずっと彼女と同じクラスでした。クラス替えしてもいつも同じクラスというのが意図的なのか運命なのかの区別はつきませんでしたが、いつも彼女の柔らかい視線が注がれていたのは感じていました。



そのこいさんが後の大女優の大原麗子だと言っても誰も信じないことでしょう。



そしてこれが唯一残っている若い頃の僕たち二人の写真だと言っても誰も信じないでしょね。

トリガイとタラの芽  




トリガイとタラの芽




寿司が好きでトリガイが好きという方には垂涎ものの写真ではないでしょうか。
寿司が好きでトリガイが好きで麻雀も好きという方なら、この写真を見てこういうでしょう。

「トリガイの清一色(チンイーソー)だ!」と。

いまや寿司の高級食材のトリガイですが、太平洋側だと今の季節が旬。日本海側だと夏ですね。したがって春から夏までが生鮮ものが寿司屋のネタケースに並びます。それ以外の季節だと冷凍保存したものを解凍して並べていると思っていいでしょう。
旬のトリガイは、それはもう美味いです。切り分けて2貫握れるほどの大ぶりで肉厚なトリガイの旨味は半端ではありません。

写真が、寿司好きでトリガイ好きな方にとって贅沢の極みの1枚なのは、有るようで無い光景だからです。
寿司屋でひたすらトリガイだけを注文できます?ひたすらトリガイだけを食べることができますか。そうしたくても出来ない写真なのです。

友人からの頂き物で130枚ほどありました。その内の90個をにぎりにしました。これまでも何度か頂いたことがあって、その都度、写真のようなトリガイのにぎりオンリーでした。



北海道からの頂き物のタラ芽とトリガイのパスタです。旬の食材のパスタ。贅沢な一品です。
タラの芽は1分ほど茹で、オリーブオイル細かく刻みニンニク、アンチョビソースで軽く炒めトリガイを入れて火が通り過ぎない程度、20秒ほど味をからませ決め塩で味を調え
たところに茹でだマスタ。まっこと、美味しゅうございました。



新聞に包まれたタラの芽に乾杯  




新聞に包まれたタラの芽に乾杯




タラの芽と行者ニンニクです。
北海道のなおっちさんからの贈り物です。今年で7回目ぐらいになります。交友が始まった正確な時期は忘れましたが、2006年頃からだと思うので9年。そのうちの7回ですから、ほぼ毎年送ってくれているわけです。
季節感、あるいは土の匂いが希薄になりつつ中で、こうした贈り物は送り主が思っている以上に送られた方は感激し嬉しく思っているのですが、そんな男心を女はわからないのさ、って、話はどっちの方向に向かうの?

湿らせた新聞、十勝毎日に包まれ亀田の柿の種の、なぜかワサビ味の箱に入れられ届きました。数年前までは靴箱に入れられて届いていたのですが、いつも大きめの靴箱だったので、「なおっちさんって足が大きいんだね」とコメントしたら、以後、靴箱で届くことがなくりました。「亀田の柿の種のワサビ味は鼻に抜ける辛さだけど」なんてコメントをすれば次回はどんな箱で届くのだろうと思ったりします。



こういう採り立て状態で届きます。北海道から2日かかりますので保冷便で送ってくれても鮮度が落ちていきます。芸能人は歯が命、山菜は鮮度が命です。少しでも新鮮さを保つために採り立てのままを送ってくれているのです。



袴を掃除してやるとこういう状態になります。瑞々しいでしょう。
面倒な作業なのですが、一つ一つ根気よく掃除してあげるこの面倒さが楽しいのです。
これを薄衣で揚げて熱々を食べます。
わが家の家訓は一点突破全面展開。ライフスタイルは一点豪華主義。
ひたすらタラの芽と行者ニンニクの天ぷらを食べます。
ひたすら、ね。

毎朝PCの前に座っていますが、更新があまり進んでいません。このところ文章を書く根気が著しく低下しているせいです。書き始めては途中放棄、そんなファイルが貯まっています。
なおっちさんにお礼のメールを書こうとしたのですが、それすら面倒で文章が繋がらないのです。で、思ったのです。

電話しよう、と。

長い親交があるのに、一度も会ったことも直接話をしたこともありませんでした。
ネットつながりのベールに包まれた関係ですから、そのベールをはがすことに躊躇があったのでした。
でもなぜか今回は、なんの衒いもなく素直に電話をかけていました。昔ならさしずめダイヤルを回したと書くところです。

電話がつながり受話器をとった相手がなおっちさんご本人でした。
電話がとても近かったです。同じ町内同士で話しているような近さでした。
互いに違和感なく会話に入れたことが一層近さを感じさせたのでしょう。
滑舌がよく声質も良くて、聞き心地良い話し方をされる人で、いつまでも話していたいと感じさせる人でした。

もっと早く電話すればよかった。
そう思わせてくれる女性でした。






れんこんの餃子  




れんこんの餃子




写真は静岡の国道筋の蕎麦屋の桜海老のかき揚げ天ぷら蕎麦。かき揚げ天の量が半端でなく、蕎麦の量も2人前は入っているという気前の良さだった。しかも値段は600円と格安。味はですね、普通でした。味が普通だったので、蕎麦について語ろうということではありません。



これです。この混沌としたやつ。静岡おでんです。どこに静岡の証があるのかというと、元は真っ白なのに茶色に染まってしまった溝のある練り物、そう、鍋の中に点在する鳴門(なると)に見てとれます。

やたら串だらけとは思わないでいただきたい。領収書は1円からという当たり前のことに議員連中が抵抗する風潮が庶民にも伝わり、食べたおでんの個数を自己申告する際に数を誤魔化す輩が増えてしまったのです。そこで店側は具材の一つ一つを串に刺すことで、客の自己申告よりも串の本数を数えることにしたのである。議員のせいで、おでんが串だらけになったというわけ。ま、串も一緒に食べてしまえば数が誤魔化せる余地は残されているので、歯と胃の丈夫な人は一度挑戦されたし。

このおでん、僕にはとても懐かしい香りがしていました。牛筋出汁の匂いなのです。真っ黒な出汁に牛筋の香り。これぞかつての大阪の関東煮(かんとうだき)。混沌・広東(かんとん)・関東煮なのです。



写真は数日前のわがやのおでん。
知人のブログにおでんが載っていたので、おでんが食べた~い♪となりました。僕のブログにはおでんの写真がよく載ります。「この味がいいね と君が言ったから9月6日~13日までは おでん記念日」と銘打ったおでん週間も過去にはありました。
そういうことなので、長年付き合いのある方は写真の鍋の中に何が入っているかよーくご存知のはずです。

写真には大根や各種練製品しか見えませんが、これは税務署をあざむく仮の姿。鍋の底には定番の牛筋を始め、松茸の松坂牛巻きや雲丹団子、鯨のさえずり、ねぎとら(トラフグのねぎま)ぐじ(あま鯛)の生湯葉包みなどの高級具材が沈んでいるのである。でも見せてあげない。



これは何かというと、お馴染みのキャベツと肉団子のブロバンス風トマトの煮込み料理。単にキャベツと肉団子のトマト煮ではいかにも素材が安っぽそうなのでブロバンス風としただけ。その日の気分でアルル風になったりします。ただし、南仏の海岸近くになると魚介のイメージが強くなるので少し内陸に入った地名がよろしい。とにかく、“風”にしておくのが賢明です。本味醂と味醂風味とは違うもーん、ということね。

突然この鍋が登場したのは、先週はキャベツばかり食べていたからなのです。
いつだったかバラエティ番組の中で「赤ちょうちん」の“キャベツばかりを齧ってた♪”のフレーズを何度もリプレイさせ志村けんと優香が卓袱台の前でひたすらキャベツを齧っているシーンがあって家族全員で抱腹絶倒したことがあり、その時にブロバンス風を作ろうと思ったのでした。

わが家は僕だけでなく娘たちもフォークと阿久悠に強く、赤ちょうちんは耳にタコが出来るほど聞いて(聞かされて)育ちました。正恵が歌う石川さゆりの暖流はカラオケで97点を叩き出すのです。JUJUの「Hold me, Hold you」は87点しか出ないから、そのすごさが分かろうというもの。しかし正恵よ。ギャップを埋めないと同世代の話題について行けなくなるぞ。

このブロバンス風はいつも大量に作るので半分ぐらいは友人たちに配るのを常としていますが、この時はキャベツばかりを齧ってた~♪のフレーズがアタマから去らず、自分たちで完食しようとしたのでした。



日曜の昼から食べ始め、翌月曜は娘たちが休みだったので朝・昼・夜。朝は餅入りで、昼はフランスパンと、夜はたっぷりチーズを乗せジャガイモのニョッキでグラタン風に仕立てて食べました。
むろん合間合間にキャベツばかりを齧ってた~♪の合唱を入れて・・・。

火曜日の朝は全員で食べ、他に妻は弁当に、昼は餅入りを僕だけが食べ、ようやく鍋の底が見え、キャベツ3個、合挽き1.5kg、トマトのホール缶6個、赤ワイン2本、セロリ4本がようやく中鉢1杯にまでになったのでした。〆のその日の夕食は、この残りと、山盛りキャベツの焼きそばという組み合わせ。最後の最後までキャベツばかりを齧ったのであした。



こちらも定番の餃子です。いつもと違うのは大根の水餃子ではなく、蓮根の餃子だということ。写真の中段の右のボウルが刻んだ蓮根。左のボウルはキャベツと白菜。皮は強力粉1kgに水500ccと硬め。豚ミンチは1.2kg。中央の小皿は刻み生姜。他におろし生姜の汁も大匙2杯ほど入ります。味付けはオイスターソースと紹興酒と胡麻油と塩胡椒。



写真では分かりにくいですが、1個で普通の焼き餃子の2~3個分のボリュームがあります。今回は家族4人で3蒸篭、47個食べましたが、最後の1個を食べてもなお美味いと溜息がでたから、今回の餃子はかなり出来が良かったといえます。蓮根の歯ごたえの良いこと良いこと♪





最上のしあわせ  




最上のしあわせ




栃木のチャーシューさんからの贈り物です。
チャーシュー。僕が彼女のハンドル名の名付け親なのです。10年前、ブログ黎明期の賑やかで活発だった頃に知り合いました。誰もが渋谷に店を構え、夜な夜なジュリアナ東京のお立ち台で踊り酔いしれているとでもいうか、熱く熱く盛り上がっていて、どの店(ブログ)も繁盛していて日々数百人の訪問者があり互いにコメントの応酬で遊んでいた時代です。

ブログには訪問者数を示すカウンターが貼られていて区切りのいい数字を踏むと、プレゼントを贈るといったことも盛んに行われていました。プレゼントを送り送られするので、当然、住所や名前も知ることになります。
仮名から実名へ。その一歩がさらに関係を親しくしたのでした。その名残が、僕のブログに貼ってあるリンク。今も交流がある当時のメンバーです。

チャーシューさんは思考の切れがいい人です。打てば響くような絶妙のコメント、見事な駄洒落を湯水にように書ける人なのです。
栃木と元大阪人。育まれてきた文化風土が大きく異なりますから異文化理解はかなり難しいはずなのに、僕の冗長な文章のポイントを掴むのがうまく、打てば響くように、言いたかったことや伝えたかったことに反応しコメントをくれた人なのです。
以前、「道具へのこだわり」に次のように書いたことがあります。

100円のフェルトペンでも字は書ける。けれども、分解掃除はできないし、何のイメー ジも湧かない。だから、ぼんやりとペンを眺めながら文章を練る役には立たない。優れた道具は想像力や創作意欲をかきたてたりする。気分を丸くしたり広くしたりする。そうした時に、ポロリと文章が転がり出てくるのである。

その中の一文なのだが、道具をコメントに置き換えることができると思う。100円のフェルトペンで書いたような籾手のべんちゃらだらけの安っぽいコメントなど過剰包装紙でしかないが、優れたコメントは管理人の心を浮き浮きとさせ更新意欲を刺激してくれたり文章ネタを産み出してくれるものなのです。

そんなチャーシューさんからの贈り物でした。彼女とはここ2年ほど音信が途絶えていたのですが、妻が会社の慰安旅行先のハワイで土産で買って帰ったKONAを見て、彼女が好きなコーヒーだったことを懐かしく思い出したのでした。それは、

懐かしさの一歩手前で
こみあげる 苦い思い出に
言葉がとても見つからないの
あなたがいなくても こうして
元気で暮らしていることを
さりげなく伝えたかったのに…

二年の時が 変えたものは
彼のまなざしと 私のこの髪
それぞれに待つ人のもとへ
戻ってゆくのね 気づきもせずに


といった感じだったのです。
竹内まりやの「駅」かいって?
そうやけど、なにか?
歌は自分の中で自由にアレンジするものじゃないの?

ということだったので2袋の内の1つを彼女に贈ったのです。冒頭の写真はそのお返しなのです。気遣い無用と念を押しておいたのに、何か贈らなければと思ったのでしょう。欲しかったのはモノではなくコメントで、その方が数倍も値打ちがあるという自分の魅力を彼女自身気づいていないわけで、独身なのも頷けます。

あの娘はまつ毛が自慢の娘で
瞬きしながら人を見るのさ
比べてみたって仕方ないよなんて
独りで勝手に決めていたっけ
あたしって本当に愚図なお人好し

と歌っていた研ナオコの心境なのかも知れません。
でも研ナオコですら結婚して子供もいるんだけどね。



というようなことを前提に、届いた贈り物を紹介させていただきます。
左から「文豪夏目漱石の公式ガイドブック」「ゆず商品の詰め合わせ」「ゆずしぼり」「餃子カシュー」「里にいちごのかりんとう」です。



なぜ「文豪夏目漱石の公式ガイドブック」なのか。僕が夏目漱石を偉大な作家と評価していることや作品のほとんどを読破していることを彼女は覚えていて、そして、僕が文豪を気取っているものだから、真の文豪になるための参考にどうぞということなのだと思う。したがって、夏目漱石は栃木とは何の関係もございません。ですが、資料や写真が多用されていて面白そうな内容です。慎んで拝読させていただきたいと思います。



あとの贈り物は全て栃木関連です。
「ゆずの詰め合わせ」はどの瓶ににも左に「創業160年の伝統と技」、右肩に「創業嘉永二年」とあります。マークは山に○なのですが、この○は星らしいです。
屋号の「やまぼし」のマークなんですね。でも遠目には猫の足跡に見えます。
個人的な感想としては、全体があまりにも格調高く堅苦しいので、猫の足跡の方が息抜き感があって可愛いくていいなと思いました。これは元CI開発(CIAではありません)のプロの目線での感想です。
ちなみに嘉永二年は葛飾北斎が亡くなった年です。翌三年は高野長英と国定忠治が亡くなっていますね。国定忠治は栃木の隣の群馬出身でしたっけ。

瓶には他に、「香り一品 老舗の技」の封紙も貼られいます。
左から「ゆずぽん酢」「ゆず味噌」「ゆずジャム」です。箱の右にあるのが「ゆずしぼり」なのです。
このあたりがチャーシューのチャーシューたるところなのかも知れません。詰め合わせは三種セット。老舗感覚として四種セットは贈答品としてはゲンが悪い数字だったのです。だから詰め合わせは三種の次は五種なのです。(と思う)
五種だと箱が大きくなり他のものを詰めて送れないとチャーシューさんは思いました。宅配用の箱を大きくすればいいと思うでしょうが、ダメです。それでなくても五種の詰め合わせで予算がオーバーしているのに箱が大きくなると配送費も高くなります。
なあんて理由ではなく、他に理由があるのです。それは後述します。

とにかく、どうしても「ゆずしぼり」も送りたかったのでしょうね。
どれも格調が高すぎて封を切っていいの?という感じなのです。 浴室で沐浴をしてからトーストにジャムを塗らなくっちゃという気分です。
ゆずぽん酢はスーパーの特価の豚こまの水炊きではなく鹿児島産黒豚の1枚1枚ラップで包まれた肉でなければ使ってはならぬ言っているように思えます。



「餃子カシュー」とは何なのか。ラベルからはみ出すように「うつのみや ご当地限定 餃子味の皮でくるんだカシューナッツ」とあります。餃子の皮とナッツなのに何故か魚のイラストも描かれています。餃子の皮は栃木製造ですが、カシューナッツはインド産とありました。なんだか笑えた。



中には4個入りの小袋が入っていました。ゆずの「やまぼし」のゲンを鼻で笑うような、4個入りです。右肩に「伝説のナッツ」とあります。その伝説の内容説明はありません。地元限定品らしいので、地元の人たちは説明がなくても餃子カシューにどんな伝説が秘められているか知っているのでしょう。

餃子の味がする皮。この一文にひっかかります。餃子の皮って味がしたっけ。あれは小麦粉を練っただけのもののはず。
ゆず商品は恐れ多くて封がきれませんが、こちらは簡単に封が切れました。つまり味見してみました。

これはね、ものすごく不味いです。
たしかに餃子の味がする皮でした。具体的にはですね、食べ残した餃子の具を捨て、残った皮にカシューナッツを包み油で揚げたものとでも言いましょうか。ニンニクやらキャベツのカケラやらの味だけが小麦粉に染みついた代物で、ニンニク臭がかなり強く残る後味の悪い食べ物でした。
この伝説のナッツは、きっと、チャーシューさん本人は食べていません。ラベルが面白いので同封したと、断言させていただきます。



毒を食らわば皿まで(ん?)の決心で「里のいちごのかりんとう」も試食してみました。
ご存じ栃木はイチゴの「とちおとめ」が有名です。だからこんなかりんとうがあるのも頷けます。袋には「サックサク、あまずっぱい香りのいちごのかりんとう」とありました。

袋を開封したと瞬間、イチゴの香りがパーと広がりました。頭を過ぎったのは洗濯洗剤ボールドのCM、「となりに来たヤマダです」、「タッチでPON!」でした。

肝心のお味は。
これも微妙に不味かった。二商品とも長女と僕の二人で味見をしましたが、イチゴ好きの長女が笑いながら「めっちゃ不味い」と申しておりました。先ほど妻と次女が帰宅したので試食させてみたところ、かりんとうは生のとちおとめの方がいいと、当たり前の感想を述べておりました。
餃子の皮カシュー二人とも「美味しい」と家族で評価が二分しました。でも一分後、後味のニンニクに気づき「不味い」に変更されていました。
頂き物を食さないわけには参りません。全員に均等に分配し何年かかろうと完食を目指すつもりです。

チャーシューさん、いくら栃木ネタで攻めたかったとしても、味見せずに送るのはやめてください。もしかしたら、かりんとうの方は味見済み?



チャーシューさんが最もこだわったのは贈答品ではなく、この箱だったのです。通販会社のフェリシモの宅配用の箱です。かつてフェリシモを利用されていたことがあって、当時の箱を大切に二つ保存していて、その内の一つを使って送ってくれたのでした。二袋のKONAの一袋を送った意気に意気で返してくれたわけです。
しかも、この箱にはもう一つの懐かしい思い出も込められているのです。

フェリシモ。かつてはハイセンスという社名でした。CIを導入し社名をフェリシモに変更したのでした。その業務を委託されたのが僕の会社で、フェリシモは僕が名付け親なのです。ロゴ・マークはNYの有名なデザイン会社との共同開発でした。NYでのあれこれが懐かしい思い出として残っています。
CI開発業務を終えた後も外部顧問として商品開発の企画アドバイザーや新入社員研修を6年ほど続けました。フェリシモの社員は80%ほどが女性。僕は男よりも女性の方が好きなので、社員たちとの商品開発会議や研修は楽しいものでした。
そんなある日、新入社員時代から今も親しくしている僕のブログに「嵐を呼ぶ女」で登場する女性との企画ミーティングの時に、「せんせ、後輩です」と連れてきたのが今の妻なのです。

ね、この箱一つに、ずいぶん色んなものが詰まっているでしょう。

10年前のブログに色々と書いたそんなそんなあれこれをチャーシューさんは今も覚えてくれていて、大切に保存してきた箱を僕のために使ってくれたわけです。

チャーシューがただの焼豚ではなく、神戸南京町堂記號の焼豚のような味わいのある人なのです。

食べたいなぁ♪

いえ、チャーシューさんじゃなく、堂記號の焼豚ね。


道具へのこだわりはhttp://blogtakanotume.blog98.fc2.com/blog-entry-462.html"style="text-decoration: none">こちらです。


嵐を呼ぶ女はこちらでどうぞ。

『FELISSIMO(フェリシモ)』は、ラテン語の「FELICITY(至福)」と、強調を表す接尾語の「SSIMO」を融合させた造語で、「最大級・最上級のしあわせ」という意味です。


一枚の写真から  




一枚の写真から


友人のブログに掲載された写真を見ていて、その中にロバート・キャパの写真を思い出させるような一枚があった。ジャンルも被写体もまったく違うのになぜそう思ったのか少し考えてみたのだが、自分を納得させる答えは見つからなかった。あえていえば、被写体に対する思い入れだ。レンズの向こうの家族全員の我を忘れた表情、関西圏の表現でいうところのアホ面に、彼の思いの丈が重なったのである。
いい写真は、レンズを意識した被写体よりも意識していない被写体の方が圧倒的に出来がいい。

以前、彼の写真に「最近は考え過ぎていないか」と言ったことがあった。彼も、「そうかも知れない」と答えていたのだが、なぜそんなことを質問したのかというと、被写体がレンズを意識していたからである。草花だって長くレンズを向けられていると意識するのである。それは無機質な対象物も同じだ。被写体がカメラのレンズを意識する直前の、「あっ見られてる!」と感じたときというのは、それはすなわちカメラマンの思いが重なった時で、その、「見られてる!」と意識する寸前にシャッターは押されていなければならないのだ。
簡単に言えば、それがシャッターチャンスちゅうことやね。
補足すると、カメラマンの心のシャッターチャンスね。

彼は高級一眼レフデジカメを手に入れ、出張費を水増ししたり安ホテルを使ったりコンビニ弁当で腹を満たすといった節約をして買い込んだレンズやフィルターなどの道具に慣れてきて、出来上がりが想像できるレベル、換言すれば道具に使われるのではなく道具を使いこなせるようになってきたのである。そうなると“無心”が少なくなる。画を作ろうと考えるのだ。
彼はかなりいい写真を撮るようになったけれど、まだまだ心のシャッターチャンスとのタイムラグが有るのだ。先に述べた家族の写真の時は、偶然にもタイムラグがほとんどなく、彼の思いが家族の“意識がカメラ目線”になる直前にシャッターが切られたのである。
ま、下手な鉄砲とカメラは数打ちゃ当たるということですね。

キャパが出てくると、日本だったら誰だろうかなどと、いつもの僕の連想が始まる。そいう連想をさせてくれるブログはいいなと思う。

報道カメラマンとなると、澤田教一や岡村昭彦、石川文洋といった名が出てくるだろうが、僕の場合は秋元啓一だ。それは開高健を通じてということなのである。
僕は開高健の作品が好きで、その作品のほとんどを読んでいるつもりなのだが、彼がベトナム戦争時に報道特派員として米軍に従軍し戦地を駆け巡った時に同行したカメラマンが秋元啓一だったのである。


マジェスティックホテル(サイゴン)


取材で米軍と共に移動中、Dゾーンというところで200人の部隊のうち17人しか生還できなかったという猛烈な攻撃を受けるのだが、二人とも奇跡的にその生き残りの17人の中にいたのである。また、サイゴンでのジャーナリストたちの常宿だったマジェスティホテルの自分たちの部屋の隣に砲弾が打ち込まれるなど、何度も死地を潜り抜けて生き延びてきたのだった。


(左)開高健 (右)秋元啓一

生還を果たしたときに互いに1枚づつ写真を撮り合う



日本へ帰国した二人は年に一度、山ほどの酒をホテルの一室に持ち込んで朝まで浴びるように飲んだという。それは秋元が死ぬ1979年まで欠かすことなく続けられた。その開高健が亡くなるのは10年後の1989年。59歳だった。

1989年頃の僕はというと、大阪守口市にある公団住宅に住んでいた。彼が亡くなったその日(確か12月だったと思う)は月曜日だったような気がする。というのも週末にハーバーで足首を捻挫して当時付き合っていた彼女の運転で病院へ行き、今まさに団地の駐車場に入ろうとした時に、カーラジオのニュースで訃報を聞いたからである。
その訃報は、母親、無二の親友の死に次ぐ大きな衝撃だった。

彼の死後1ヵ月後ぐらいだったか、開高健を偲ぶ3時間の特集番組がテレビ放映される。スポンサーはサントリー。彼はかつて洋酒の壽屋(後のサントリー)広報部に席を置いていて、「人間らしくやりたいナ」や「何も足さない何も引かない」などのキャッチコピーを生み出した。サントリーの佐治敬三会長とはその時からの付き合いで、彼が作家になった後も公私両面で長くて深い親交があった。
3時間の特集番組は、放映中、唯の一度もCMが流されることが無かったのである。CMを流させなかった佐治に、彼の、開高健に先立たれた深い悲しみ、彼に対する最大級の敬意を感じてならなかった。
その佐治敬三氏は、奇縁というか、やはり10年後の1999年に彼岸の人となるのである。

佐治敬三という人は、財界人というよりは洒脱な趣味人で、豊かな感性と教養と舌を持っていた。二人の大阪弁での対談などを読んでいると、語られる内容のレベルの高さに驚くだけでなく、いたるところに上質な笑いが散りばめられていてシンフォニーであったりハーモニーであったりと、読者を魅了するのである。そんな関係であったからこそ、3時間の特番を、佐治敬三は開高健との最後の語らいとしたのだと思う。

これから先は余談になるのだが、二人は欧州へビールを飲む旅に出たことがある。色んなビールを飲み続け帰国し、成田空港で無事の帰国を祝ってまずは一献と国産ビールを飲み、国産ビールの不味さに気づくのである。開高健に「これななんですな。不味いですな」の言葉に頷いた佐治は美味いビールを作る決心をする。
1986年。米やトウモロコシやコーンスターチや大麦等の副材料を一切使わず麦芽100%のビールを生み出す。サントリーモルツである。モルツは、二人の舌にかなったビールであった。

なあんて書くとビールのCM?と思われてしまいそうだが、どう受け取ろうとアナタの自由です。

1987年春。世界で唯一の太平洋縦断(横断は存在する)ヨットレース、「メルボルン~大阪ダブルハンドヨットレース」のウエルカム事務局長を担当した僕は、海の男女に欠かせない酒、特にビールで歓待しよう思った。思ったけれど予算がない。そこでサントリーにサプライヤーのお願いに行ったのである。サントリーの広報担当者は「ああ、いいですよ」と二つ返事でOK。あまりの軽さに10ケースほどだろうなと思いハーバーへ戻った。数日後、クラブハウスの前にトラックが横付けされ、なんとスコッチウイスキー50ケース(90本)、サントリーモルツが500ケース(6000缶)も届けられたのである。
その多さにサントリーの好意を素直に喜べず、売れてなくて在庫を抱えていると穿った見方をしてしまったほどだった。
飲んでみて驚いた。サントリーはビールは専門外と思っていたからこれまで飲んだことがなかったのだが、予想外の美味さだった。外国のヨット乗りたちにもとても好評だった。事務局を担当した2ヶ月間で一人で500缶は飲んだと思う。

モルツが、前述したような佐治敬三と開高健の思い入れのこもったビールであったことを知るのはずっとあと、開高健が亡くなる前年の1988年のことなのである。


冬眠中じゃないの?  




冬眠中じゃないの?




北海道の帯広在住のなおっちさんから届きました。
届けられたものを見て、妻も僕もちょっと驚いたのでした。
驚いた理由は2つ。
一つは時期。この時期の北海道は熊も人も冬眠のさなか。彼女との交友も10年を超え、この間で何度も色々なものを送っていただきましたが、この時期に送られてきたことは一度もありませんでした。やはり異常気象なんでしょうか、って、彼女は熊なの?

二つ目は立派な箱に入った完成品だったこと。
いつもは靴箱で送られてくるのです。箱の中身はアイヌネギやタラの芽や自家製のイクラの醤油漬けなど。今回のような、ローストビーフにベーコンにサラミの詰め合わせという、贈答品だぞ!というのは初めてのことでした。
妻など、「なおっちさん、どうしちゃったのだろう」と心配さえしておりました。
「冬眠ぼけじゃないか」と言っておきましたけど・・・。

わが町西尾市は抹茶生産量日本一なのです。抹茶を飲むのは日本ぐらいなので、つまりは世界一ということです。抹茶製品に使われている抹茶のほぼすべてが西尾産と思っていただければよろしいでしょう。
先日、わが町の超有名な御茶屋さんでレアな抹茶生チョコを見つけ、味見してみるとこれがとても美味しかったのでした。で、なおっちさんに送ったのでした。でも、宅急便を受け取った娘さんが全部食べてしまったとか。アオイちゃん、あかんでしょ(笑)

今回はそのお返しなのでしょうが、いらぬ出費をさせてしまいました。

なおっちさん。ありがとう。

カストリとバクダン  




カストリとバクダン


昔の酒屋(居酒屋ではなく酒や醤油を売っている店)は店頭にカウンターがあって立ち飲みを奨励しておりました。客はブルーカラーの労働者もしくは肉体派のフリーターたちです。正装はニッカポッカに地下足袋、首のタオルが蝶ネクタイ。作業服に安全靴というカジュアルも許されておりました。
そういう客たちはビールなどは飲みません。電気冷蔵庫が普及していない時代ですから生ぬるいビールなど飲みません。なによりもビールは高いくせに酔えません。

飲ん兵衛たちの人気商品はカストリとバクダンです。
カストリというのは酒粕で作った焼酎。粕から取った(作った)からカストリですね。
バクダンは航空機燃料用のエチルアルコールと水を混ぜたもの。エチルアルコールの代わりに工業用のメチルアルコールを混ぜたものもあって、死んだり失明したりと、酒飲みは命がけでした。スタンドと言った一杯飲み屋では日本酒も飲めましたが特級のラベルが貼ってある瓶には一級酒、一級酒のラベルの瓶には二級酒、二級のラベルの酒は別名、金魚酒といい金魚を泳がせても大丈夫というほど薄かったのです。当時僕は小学生でしたが大阪では最もデンジャラスな町だった西成の飛田遊郭に住んでいて家業が寿司屋ということもあり、こうした業界事情に精通していたのです。えーと、なんとかいいますでしょ。遊郭の小僧習わぬ姉ちゃんの尻をなでる、じゃなかった、門前の小僧習わぬ経を詠むですね。

カストリもバクダンもドカーンと酔えましたが味が今一つ。そこで登場したのが赤玉割。コップにカストリやバクダンを3分の2ほど入れ赤玉ポートワインでブレンドするのです。これが元祖チューハイ。1杯20円か30円。(ではなかったか)

粕取り焼酎だからカストリ。単純明快なネーミングです。カストリといえばホルモン。捨てる(ホオルもしくはホル)物だからホルモン。これも簡潔なネーミングであります。粕もホルモンもいわば捨てていたもの。原価は限りなくタダに近いです。カストリを飲みながらホルモン焼を食べる。究極のタダ食いでありますね。

路上の適当なところに七輪を置いて焼肉。路上のバーベキュー、宴会、パーティーであります。ブリキのバケツに入れられた、生前は老いか若いかオスかメスかの判別もつかない血まみれの内臓のアレコレの混沌やカオスを金挟みで金網に乗せて焼いて食べたものでした。当たり前ですが炭焼きです。練炭や豆炭ではコールタール臭くて食えません。炭は紀州備長炭。昔は備長炭は硬過ぎたので炭の中で一番安かったのです。最高級の炭は桐の木で作った桐炭でした。桐灰化学という会社をご存じでしょ。貼るカイロを販売している会社です。金持ちも貧乏人も焼いてしまえばただの灰だから、備長炭も桐炭も灰になれば同じはずなのにあえて社名を桐灰化学にしたところに、桐炭がいかに高級だったか推測できますでしょ。
ちなみに貼るカイロ以前は、炭の粉末を固めて薄い和紙に巻いてウインナー型の棒状にしたものに火を点け石綿が詰まったメガネケースのような容器に入れたものが携帯カイロだったのです。

なにが言いたいのかというと、桐炭を知っている僕は、「最高級紀州の備長炭の遠赤外線で焼いたうんぬん」といった宣伝文を目にすると、アホクサと思ってしまうのでありますね。備長炭が火持ちが良く安かったから使っているのであって、あんなトゲの立った炎の備長炭よりも桐炭の柔らかい炎で焼く方がどれだけ美味く仕上がることか。

日々、薄暗い路上で焼肉パーティーが開催されるわけですが、隣のバケツから混沌やカオスを失敬する奴も出てきます。「こらぁ盗人(ぬすっと)、ホルモンにするど!」といった罵声が飛びます。有言実行。年に2~3人は本当にホルモンにされるヤツがでてきます。
このときは路上は大賑わいです。なんせ、肉はタダだしタレは店のサービス。1人前というか一人分というか、人一人分はかなりの量がありますから、多くの人が舌鼓をうつことができました。

懐かしい、昭和30年代の話です。鍋底の生活を知っている者は、鍋の縁で踊っている連中をみると、つい鼻で笑ってしまうのであります。だってね、踊り疲れていつか転がり落ちてくるのが見えているから。

明日は投票日。どうします?


ニシン蕎麦  




ニシン蕎麦


春から夏休み前まで、長女宛に頻繁に自動車教習所のDMが届きました。勧誘の訪問もありました。今は着物のDM や電話勧誘がかなりの頻度であります。1年以上も先の成人式を狙ってのことです。個人情報が漏れてるわけですね。
攻勢をかけられる側は迷惑ですが、かける方はメクラ打ちよりもターゲットを絞った勧誘の方が投資効率が高いです。そして、同じ個人情報でも、例えば、ゴルフ道具や洋品を売りたいなら、スポーツ店の個人情報より、ゴルフクラブ会員情報の方が売れる率がいいです。

訪問勧誘も効率の悪い無差別訪問よりも個人データを利用したピンポイント訪問の方が成功率が高いです。そのせいか、最近は無差別ではなく絞り込んで来ているなと思うような訪問が多いです。ま、高度情報社会ですもんね。

アナタがもし、えーと、例えばレンタルDVD会社の社員で、ネットレンタルの訪問営業をしたとします。その場合、他社の顧客データを利用し自社に勧誘するのがベストです。客の利用データを分析すれば客の好みが分かります。その好みに合うようなセールストークをすれば成功率が高まるというものです。

一時ほどのブームは去りましたが、韓流ブームは今も根強いです。特に韓ドラのブームは衰えておらず、レンタル店に占める韓国ドラマのスペースは半端ではありません。しかも韓国ドラマは最低でも5巻、10巻、多い物だと膳30巻、40巻と長編ですから長期利用が期待できます。
競合他社の韓ドラ客をどう自社の顧客に取り込むか。当然ですが、入手した他社の顧客データを分析し韓ドラ好きな相手に訪問営業をかける方が成功率は高いです。韓ドラファンは、その話題を出すだけで目の色を変えますからね。

さあ、アナタはレンタル会社の社員です。手持ちの僕のデータによると契約社員ですね、アナタは。ま、いいです。絞り込んだデータファイルを持って、韓ドラファン宅へ営業をかけに行きましょう。そのためのセールストークが必要です。
ピンポーン♪と玄関をチャイムを鳴らし、韓ドラファンなら誰もが知っているあの一言から始めましょう。

ピンポーン♪

ガチャ!

「こんにちは、冬の・・・」

この「冬の」だけで、韓ドラファンは、いや韓ドラファンでなくても、10人中9人は同じ事を言うはずです。僕は年間数百時間も韓ドラを観てますから、その9人の内の一人です。
ではここでクイズです。
「冬の」と言ったら相手はどう言ったでしょうか。

答えは最後まで読んでいただいた方だけにお教えしますね。



ニシンそばです。
9個あります。9個って中途半端だと思うでしょうね。写真を撮る前は11個あったのです。11個でも中途半端ですが・・・。
3度買いなのです。1度目は1個。2度目は5個、3度目は6個。1度目の1個は試食用です。



なんだかとても切ない気持ちにさせられる小さなニシンですが、小さくてもレトルトパックされた本物のニシンが付いているのです。
このカップ麺のデザイン担当者もニシンのサイズを見て切なく思ったのでしょう、せめて看板だけでも大きくと、ドンと「にしん」を大書きし、「そば」を小さく表記したに違いありません。そのせいでしょうか、小さなニシンがいっそう切ない気持ちにさせたのでした。

いつもなら「看板に偽りありだろ」と声を高くするところですが、98円なんですね、1個が。希望小売価格が170円なので70円も安い。小さいとはいえニシンも付いているわけで、これで味が良ければ文句のつけようがありません。
その肝心の味はどうかというと、9個も買いだめしたように美味しいのです。ニシンのクセが若干ありますが、とても美味い。
98円なら納得の味。近年、まるちゃんは「まるちゃん正麺」で名を馳せたように麺でも頑張ってますから、インスタントを感じさせないそばの食感もありました。

1個買って試食し、これはと、翌日速攻で買いに行ったのです。平積みの特売品だしカップ麺の新製品はすぐに製造中止になりますからね。
カップ麺や菓子パン、ビールなどは、例え不味くても、新製品を出すと一定数の売り上げが見込めるのです。だからメーカーは次から次と新製品を出します。
チキンラーメン、焼きそばUFO、明星チャルメラ、サッポロ一番味噌ラーメン、何十年も前から現在まで生き残っているインスタントラーメンは僅かなものです。30年ほど前に激辛カップ麺ブームがありました。かなり美味しいラーメンが何種類かあったのですが絶滅です。あのラーメンをもう一度食べたいと思っても、二度と食べることはできないのです。書店の平積本以上に消えるのが早いです。
そういうマーケティング事情を熟知していますから、速攻で買いに行ったのです。5個買いました。数日して、まだ売れ残っていたのを発見。残りの6個を買い占めたのです。で、撮影するまでに2個食べてしまったので9個なんですね。

関西以外ではニシンそばをあまり食べないようで、愛知もニシンそばをメニューに載せている店は少ないです。そば専門店そのものが少ない。スーパーで甘露煮されたニシンを見ることもありません。わが家の年越し蕎麦はニシン蕎麦なので、これがとても困るのです。
毎年、年越し蕎麦用のニシンとおせち用の棒鱈探しに県内を走り回っているのです。関西圏にお住まいのみなさーん、送ってください。ちゃんと代金は払いますから・・・。

ニシンそばが一番美味しいのは京都です。これは断言できます。京料理とか京懐石などといいますが、京都で一番美味しいのは乾物モノです。例えばグジ(甘鯛)の干物。その大振りサイズを炭火でじっくり焼いた、皮はパリッと身は柔らかく、優しい優しい焼き魚の匂いに包まれた舌を焦がしそうな熱々の、その、なんと美味なことか。
あるいは「芋棒」(いもぼう)。海老芋と棒鱈の煮物はまさに京都ならではの逸品です。
海から遠い都でしたから、干物を上手に作る、乾物を上手に戻して料理する、あるいは漬物を漬ける、その技に長けているのです。

僕が始めてニシン蕎麦を食べたのは京都南座西隣の「松葉」でした。何も知らずにふらっと入いり、他にもメニューがあったのに、なんとなくニシン蕎麦を注文したのです。
僕は幸運でした。あとで知ることになるのですが、「松葉」はニシン蕎麦を生んだ店だったのです。肉厚な大振りのニシンが乗った蕎麦がものすごく美味しかったのでした。松葉のニシン蕎麦は1200円もしますが、あのニシンは他店では味わえません。京都に行かれたら是非ご賞味ください。

さてと。
ではクイズの解答です。
「冬の」と言うと、10人中9人が次のように言いました。


「ドナタ?」



これは・・・!!  




これは・・・!!


ハマグリを食べたことがありますか。
そこのあなた、調子合わせて「あるある」なんて言わないで。ウソつくと、強がり云っても茅ヶ崎女 ボードにかくれて本当は泣いた アアア ハマグリが そんな女を笑うでしょう うふふ うふふ うふふ♪しますからね。
この歌のタイトルは『私・湘南マタンゴ娘』と申します。これ、歌える人が少ないです。歌えます?

『マタンゴ』ってなんだと思いませんか。日本の特撮ホラー映画、変身人間シリーズ番外編のタイトルです。映画のあらすじを書いておきましょう。

ある日、豪華なヨットで海に繰り出した7人の若い男女が遭難し無人島に漂着した。そこは、カビと不気味なキノコに覆われた孤島であった。唯一見つかった難破船には、少数の食料が残されていたものの生存者はおらず、「船員が日々消えていく」といった内容の日誌と「キノコを食べるな」という旨の警告が残っていた。やがて、7人が食料と女性を奪い合い対立する。飢餓と不和の極限状態が訪れると共に、島の奥からは不気味な怪物が出没し始める。そして1人、また1人と禁断のキノコに手を出していく。

ね、怖いでしょ。「1人、また1人と禁断のキノコに手を出していく」のですよ、怖いじゃないですか。特撮の監督があの円谷英二ですからね。怖さの中にもマガイモノ的な匂いを感じますでしょ。カビとキノコ。親戚のようなライバルのような。カビの中にキノコが生えているのか、キノコがカビで覆われているのか、どっちと思います?
マタンゴ娘は、そういう生い立ちを持つ禁断のキノコ娘なのです。
源氏物語の昔から、男は禁断の娘や女に弱いです。男はふらふらっと禁断のマタンゴ娘に言い寄ります。そして、白癬菌に冒され水虫になるか妖怪になってしまうのです。

そんなマタンゴ娘に魅せられた湘南方面の有名歌手がおります。ああ、あの人と思いました?
ピンポーン!正解です。サザンの桑田ですね。湘南や江ノ島や烏帽子岩やパシフィックホテルだけで数百億も稼いだ人は他にいませんもんね。二匹目のドジョウを狙ったTUBEも桑田には勝てず今は野球場巡りライブでしょ。TUBEの前田、なぜ飯島直子と離婚しちゃったんだろう。ま、いいけど。




桑田ですが、最近、ゲゲゲの鬼太郎の子泣き爺に似てきていません? 腰をかがめる様も顔も似ているでしょ。マタンゴ娘に魅せられた影響なのです。

えーと、そんなオンナを笑うハマグリの話でしたね。
食べたことあります?マタンゴ娘じゃなくハマグリの方ね。
「あるある」ですか。これだけ『マタンゴ』の恐怖を説明したのに、まだ「あるある」というのですね。見栄もほどほどに。おぅ、ハマグリは三重の特産品(師匠タッチ)でした。
昔は「その手は桑名の焼きハマグリよ」と言われたほど桑名のハマグリは有名でした。今は中国産がほとんどで、桑名産どころか国産のハマグリがスーパーに並ぶことすら珍しくなりました。

ハマグリ。きっとアナタは食べたことがないと思います。



あります?
手のひらサイズのハマグリです。国産です。10月に「ディンギーを乗り倒す会」を行った川の河口付近で採れたものです。アサリ漁師の友人が届けてくれました。
デカイでしょ。自慢したくなるでしょ。この写真のためにマタンゴや桑田の話でここまで引っ張った気持が分かっていただけますよね。
「大きなハマグリです」の一行だけのブログじゃもったいないと、アナタもそう思ってくれるでしょ。トレイに並んだハマグリもほぼ同サイズ。写真上のリンゴと比べても大きいのがわかるかと思います。

いやぁ。美味しかったです。






腹蔵のある物語  




腹蔵のある物語


前回のホルモンつながりで・・・。



(株)ヒラサワ臓器。なんともすごい社名である。ヒラサワではなくて臓器の方ね。キャッチコピーが「フレッシュ食品」とあるから、この会社が扱っているのは食品としての臓器に違いない。福助が足袋以外にパンストも売っているように、臓器屋さんであっても豚足やアヒルの水掻きを扱っているぐらいの脱線はあるだろう。けれどもメインはあくまでも社名にあるように臓器である。

まあそれにしても、こうも堂々と(株)ヒラサワ臓器と明記されると、牛や馬や豚や羊や鳥だけでなく、裏でこっそり人間の新鮮臓器も取り扱っていそうな感じさえするではないか。フレッシュな各種臓器。フレッシュな部位あれこれ。

他の表現だとどうなのか。「(株)ヒラサワ臓物」はどうだ。〈信頼されて50年。フレッシュ臓物のヒラサワです。〉ちょっと不気味です。血まみれで湯気が立っているフレッシュさは買えるが度が過ぎるか。じゃあ「(株)ヒラサワ内臓」。前の2つに比べると穏やかなイメージだが、逆にインパクトに欠けてフレッシュ感が薄くなる。ネーミングは難しいです。

この会社の社長のヒラサワ(たぶん)さんも、起業の時にきっと悩んだのだ。社長は平沢ではなくて平澤なんだね。平澤幸多郎といいます。難しい方の漢字だったから社名をカタカナのヒラサワにしたのだ。(おそらく)

平澤社長は一本気で真っ正直な性格なのだ。だから社名を、業種が判りやすいストレートなものにしたかった。「フレッシュ食品のヒラサワ臓器」。なんと判りやすい表現であることか…と社長はがってんしたわけだ。専務で弟の幸次郎は「兄さん、ヒラサワホルモンとかヒラサワミートの方が良くないか」と反対したのだが、
「お前、自分が扱っている商品をホルモン(捨てるもの)扱いにするのか。うちは臓器専門会社だぞ。湯気が立つほど新鮮で美味い臓器を売れといった親父の遺言を忘れたのか。何がミートだ!」
「でも兄さん、まだ湯気が立つトレトレの臓器は確かに美味いけど、それを美味いと思うのは俺たち兄弟ぐらいじゃないのか」
「弟よ、心配するな。日本人はヒクヒク動く魚の活け造りを嬉々として食べる民族だぞ。きっと分かってくれるさ」
といった経緯があったのである。

平澤社長に断固とした態度でそういうふうに言われると、(株)ヒラサワ臓器という社名はなるほどこれ以外は無いと思えるほど真っ当な感じがする。
けれどもトラックに書かれた社名を初めて見た時には違和感を持った。それはたぶん、直裁的な言い方に慣れていないせいなのだ。

日本人の多くは臓器や臓物、内臓といった表現に免疫がない。アメリカだと身体の内部疾患を診る部署を臓器科とか内臓科というが日本では内科と表記するように、臓器や内臓という表現に嫌悪感を持つのである。日本以外の世界中の魚屋は魚を丸ごとかぶつ切りで売るだけ(つまり買った者が調理する)で済むが、日本の魚屋は3枚に下ろしたり刺身にする技を持っていないと魚屋になれない。なぜなら、日本人は血みどろの内臓の塊が苦手で魚が捌けないからである。

魚ですらこうだから、肉を扱う業種すべてで臓器や臓物といった言葉を使うのを避ける。店頭で肝臓や腸や心臓を売っていても屋号は「○○精肉店」なのだ。焼き肉屋はあっても焼き臓器店や焼き臓物屋はない。品書きは「メニュー」や「MENU」ばかり。「とれとれ臓器リスト」とか「新鮮臓物価格表」なんてのはむろん無いのである。今や世界一の焼肉好き民族が、臓器や臓物という言葉にかくも弱いのである。

写真のトラックの運転手に尋ねたところ、納品先の焼き肉屋やレストランから「営業時間中に配達に来るな」とか「トラックを50メートル先に停めて運んで」と言われているという。臓器と書いたトラックを見ると客が寄りつかないからだそうだ。「でもこのトラックに乗っているとやくざの車も道を譲ってくれる」というメリットもあるらしい。やくざですら臓器や内臓という言葉に弱いのである。

こうしてみると日本人はなんと繊細でココロ優しい民族かと思いたくなるが、そうとは思えないことも多々ある。

臓器はダメだが、大人も子供もまぐろの解体ショーは大好き。まだヒクヒク動いている活けづくりの刺身も平気。ホタルイカや白魚を生きたまま食べるのも大丈夫。伊勢エビが炭火の上で焼かれてのたうち回っているのを残酷と感じないばかりか涎を流すのだ。

だったら牛の解体ショーが有ってもいいじゃないかとか、まだコココッと泣いている活け作りの鳥のササミの“鳥の巣盛り”なんてのも受けそうに思えるのだがダメなのである。“子豚の鉄板踊り焼き”に至っては、吐き気はしても涎は出ないという。そして「なんて残酷な!」とのたまう。

まったくもって、変な民族である。

ホルモン文化考  




ホルモン文化考


生レバーを食べる夢をみていた。舌鼓を打っていた。だが、突然騒がしくなり目が醒めた。
台風の強風で目が醒めてしまったのだ。時計を見ると午前4時。
ベッドの中でゆめうつつし、

  傷ついて初めて
  本当の恋だとわかる
  傷がつかなくて
  初めて本物のカミソリだと気づく

なんて、どうでもいいキャッチコピーを思い出し、生レバーと何の関係があるのか思い悩む。傷つかない本当の恋もあるだろうし、本物のカミソリでも傷つくだろうと思ったりする。こういう雑念が次から次へと思い浮かぶと寝られなくなる。
起きてPCの電源を入れ、以前書いたはずの生レバーの記事を探す。見つけましたよ。



美味しそうでしょ。
2kg以上あります。以前は年に2度ばかりこの塊をいただいてました。新鮮なので小分にしても一滴の血も出ません。むろん生食が一番。当然ですがすごく美味しいです。

牛に限らず動物の肝は例外なく美味しい。アンコウやハゲなど魚の肝も美味しい。小魚の肝は量を集めるのが大変だが小さくても濃厚な肝の味は同じだ。
素っ裸になって頭からごま油を被りアンデスの塩を全身にまぶして、白ナガス鯨の2~3トンはあろうかという巨大なレバーにダイブしかぶりつくのが僕の夢なのである。壮大でしょ。
いつか実現できレバーいいなと思っているのだが・・・。

そんな生レバーの生食が7月1日(2012年)から禁止になった。違反すると2年以下の懲役、200万円以下の罰金という厳しい処分が科せられる。
けれども焼き肉店はしぶとい。ユッケは軽く火で炙ってタタキ、生レバーは“生”を外した単なるレバーとして出すという裏技で法の目をかいくぐろうとしている。生レバーを焼き肉用として出し、焼くか生で食べるかは客の自由、店は関知していないということらしい。脱法ハーブと同じ手法である。
タタキや焼きレバーで出だせば合法と言いたいのだろうが、それで罰則を免れても、食中毒を起こせば店は終わりということを忘れている。客も同じ。違法食ではないと舌鼓を打っても、七転八倒の苦しみの末に頓死するのは自分なのである。なぜ厳しい罰則を設けたのか、その真意を店も客も少しは考えた方がいい。

多くの焼き肉店で、食品管理や調理がなってないのだ。肉は誤魔化しやすい食材だからこれまでも色々と事件を起こしている。牛肉偽装や産地偽装や消費期限の付け替えは当たり前で、それでも傷んでしまったらミンチにしてコロッケに入れたりミートボールにしたりとやりたい放題。そういう体質に陥りやすい業界なのである。
しかも、高級ステーキ店やグルメと称する連中が、肉は腐る少し前がアミノ酸が増えて最も美味しい状態になるからギリギリまで冷蔵庫で寝かすなどとTVのグルメ番組で流したりするから、牛肉は少々古くても大丈夫なんだと庶民は思い込んでしまう。

1枚150gの肉を焼いて2万円もぼったくる高級店の肉と、一皿300円や500円で提供する焼肉チェーン店の肉は鮮度も管理状態も違って当たり前なのだ。
150g2万円もぼったくる店の肉はブロックのままガーゼで巻き冷蔵庫で保存する。2週間以上冷蔵保存された肉を嗅ぐと腐敗臭がする。表面は腐っているのだ。その部分を厚くばっさりと切り捨て残った部分を出すのである。塊の5分の1ぐらいは捨てられるから150g2万円は当然ということなのだろうが、原価はせいぜい100g3千円程度。捨てる部分があるといっても2万円は高すぎるのだ。そもそも、あえて腐らせて捨てるという思想が間違っている。消費ではなく冗費だからである。

ピンは松坂牛や飛騨牛からキリは老衰や病死牛(伝染病死を除く)まで色んな肉が市場に出回っている。一皿250円や300円の焼肉店の肉はキリの方の肉だと思えばほぼ間違いない。少々の傷みはタレで誤魔化せる。そんな肉を出す店は料理人もバイトが主体と思うべし。フリーターや高校生が肉を切りタレをまぶし皿に盛って出しているわけで、キリのクズ肉を衛生も安全も関知しない素人厨房員の焼き肉店で事故が起きない方がおかしい。
焼けば消毒という安易な考えがルーズな焼肉商法流行の背景にあるのだ。

大手ファミレスは食中毒の怖さを知っていて、メニューのほとんどを衛生管理の行き届いた工場で作り冷凍保存したものを店で解凍加熱する方法で出している。包丁すら置いていないチェーン店もあるのは、調理や衛生管理のノウハウを持たないフリーターやバイトに生ものを極力さわらせないことで食中毒の危険性を減らそうとしているからだ。こうした大手ファミレスの厨房に比べると、安い焼肉店や安さが売りの焼肉チェーン店の厨房はお粗末すぎるのである。
農水省が厳しい罰則を定めたのは、やりたい放題の精肉業界や焼き肉店の実態を知っていて、それに歯止めをかけるのが目的なである。

調理師免許を持った料理人と衛生管理者がいて、鮮度が保たれた健康な肉を扱っている焼き肉店ばかりなら絶対と言っていいほど生食でも食中毒を起こすことはない。だが、そういう良心的な店が少ないというのが現状だ。良心的な店は厳しい罰則に忸怩たる思いだろうが、だからといって、脱法ハーブ的な売り方だけはして欲しくない。それが優良店の矜持というものだから・・・。


焼肉という言葉を目にすると、ホルモン焼きを思い出す。今はホルモン焼きとはいわずに焼肉といい、ホルモンは焼く肉の1種類としてメニューの中に小さく表示され程度の、相撲番付なら平幕扱いになってしまっている。もはや腸の一部の名称として名をとどめているにすぎない。

しかし、かつてはホルモンこそが焼肉の王道だったのである。京阪神ではそうだったのだ。ホルモン焼きという看板こそが、京阪神ホルモン焼協会が認可していた唯一絶対の看板名称だったのである。万一焼肉などと書いた看板を掲げようものなら、すぐさま官憲(当時は警察のことを官憲と呼んだ)が飛んできて逮捕、禁固3年以下罰金2千円の処罰になった。これほど厳しい処置になったのは、京阪神ホルモン焼協会の理事長席が警察署長の天下りポストであったからだ。

今は文化が混じってしまったが、昔は関東は豚肉文化圏、関西は牛肉文化圏だった。
昭和時代の東京の大ヒット食品をご存じだろうか。カツ丼なのだ。関西は粉文化だが丼物も盛んで親子・玉子・他人・肉・ハイカラ・きつね・木の葉丼と豊富なのに、豚食が定着していなかったのでカツ丼だけが無かったのである。

中学3年の冬休み。友人と自転車で東京まで行ったことがある。5泊6日で踏破した。この記録は松虫中学校(母校)の新記録で今も破られていない。ちゅうか、バカな挑戦をする後輩がいない。
この東京行きの目的は2つあって、同級生の女生徒に友人が密かに想いを寄せていたのだが、牧師だった親の転勤で彼女が神奈川の戸塚引っ越してしまったのである。彼は彼女に一目会って想いを伝え交際を申し込みたいと言ったのである。その情熱に親友の僕が応えないわけがない。
真冬の国道1号線をひた走り友人は彼女に会ったのだが交際を申し込めずに終わった。後日彼女の方から文通したいとの手紙が来たから、女はオトコのプッシュに弱いというのは本当なのだ。

今はカナダに住むもう一人の親友は世界一周無銭旅行の途中、スエーデンのKFCでバイトをしているときにカナダが移民を募集していることを知り応募。ザルに入れた鶏肉を鍋に漬けて揚げるだけだったのに職業はコックだと自己主張し移民権を獲得。彼の地から大阪に住む、これも密かに想いを寄せていた女性に国際電話。一緒にエリザベス号に乗ってアメリカに渡りカナダで住まないかとプロポーズしたのである。
女はプッシュに弱いのに、世界を股にかけたプッシュである。即決でOKだったのはいうまでもない。むろんエリザベス号で海を渡った。
後日。
「タカさん。たしかにエリザベ号に乗ったけど、3等で水面下20mの部屋。アッパーデッキに上がるのに20分もかかって1度しか海を見ていないの。沈んだら間違いなく助からなかったと思う」と言った。
彼らの生活はその15年後に沈没した。

あなたにもし、密かに思いを寄せている女性がいるのなら、どこか外国へ行って、そこから電話をかけてみましょう。携帯のローミングはダメだよ。外国といってもハワイ辺りから「ハロ~♪」なんてのもダメ。局の交換を通した国際電話ね。


えーと、何の話だっけ。東京行きの話ね。
2つめの目的が東京でカツ丼を食べることだったのだ。今と違いネットなどない時代だから情報がなかったのだが、映画のニュース(当時の動画ニュースは映画館の冒頭で放映された)で、日本で一番食べられている丼がカツ丼というのを知り、日本一の丼とはどういうものなのか、どれぐらい美味いものなのかに強烈に興味を抱きぜひ食べて見たいと思ったのだ。この、僕の情熱に親友が応え一緒に東京へ向かったのである。当時の僕は色気よりも食い気だったのだ。20歳を過ぎた辺りから食い気よりも色気が先行し現在に至っている。

東京に着いてしまったので、ホルモンの話に戻す。
ホルモンというのは、捨てるモノという意味だ。関西では捨てることをホル(放る)という。捨てるモノだからホルモノだ。じゃあホルモノ焼きでいいはずだが、モンでないとダメなのだ。

なぜならば、このモンにも関西では深い意味があるからだ。モンとは物とか者のことだが、関西でモンというと、先のホルモン、やくざモン、極道モン、バカモンというふうに使われる。つまり人格物格全否定形嘲笑的表現語なのだ。「ああ、あそこの家のぐうたれモンか」と言えば、穀潰しのバカ息子および娘を指す。人以下のモノ扱いなのである。

肉の場合だと、牛であれ豚であれ、その本体とは離れて、どうしようもないモノ部分がモンなのだ。だから、現在の焼肉とは食べ方も違う。
ブリキのバケツの中に得体の知れない内臓をごちゃ混ぜに放り込んで適当にタレでまぶしておいて、それを炭挟みで七輪の上で焼くのだ。バケツの中は、赤黒く変色した内臓でごてごて状態。見た目にはとても手を出す気にはなれない。混沌、カオスである。

ところがこれが美味かった。ホルモンだから安い。栄養価も高い。貴重な動物性タンパク質でもある。見た目は悪いが内臓はもっとも美味い部位なのだ。
ホルモンや現在の焼肉の日本での歴史は古くない。戦後のまさに混沌期からだ。朝鮮人がもたらした。断っておきますが、朝鮮人という書き方は蔑称でもなんでもありません。日本人、イタリア人というのと同じ民族名。
第二次大戦時に多くの朝鮮人が徴用されました。植民地化していた朝鮮から強制徴用し無理矢理日本へ連れてきて劣悪な条件で働かせたのです。日本の敗戦後、彼らは何の保障もなく放棄される。国に帰るすべを持たない彼らは日本に定住せざるを得ない。それが在日朝鮮人だ。貧困にあえいだ彼らが自国の焼肉文化をアレンジした料理がホルモン焼きなのだ。牛肉文化圏の関西は多くの内臓が出る。この頃の内臓は家畜の餌や肥料。タダ同然だったのだ。彼らはそこに活路を見いだしたのである。ちなみにこの時代はマグロのトロも脂肪分が多いと捨てられていた。

在日朝鮮人たちがもたらしたホルモン焼きは大阪人の舌を唸らせ、たちまちホルモン焼き屋が増えたのだ。そのホルモン隆盛時代もやがて消える。ホルモンの看板が消えていくのである。
理由は幾つもあるが、最大の理由は牛生産者たちの生活が成り立たなくなったからだ。ヘレ肉やロースよりも超格安の内臓の方が美味いから普通の肉が売れない。当たり前だ。食い倒れの大阪人の舌は、100g3千円の松阪ロースも美味いが、1kg300円のアカセンも美味いと感じるバランス感覚を持ちかつ、損得で計算する傾向があるから松阪ロースなんて誰も買わない。
そこで食肉業界は内臓は不衛生、病原菌の巣などのデマゴギーをばらまいた。内臓食から離す作戦にでたのである。日本が経済的に豊かになるにつれ効果が出始め、やがて東京に全日本焼肉協会が設立されることになる。これによってついにホルモン焼きの看板が消えるのである。

この、“東京”というのがくせ者なのだ。“銀座”もそうで全国津々浦々に銀座商店街がある。“東京ドーム”というのもある。東京ドーム何杯分といった使い方をする。地方の人間が東京ドームの大きさを知らないのを知った上で、NHKのアナウンサーが「東京ドーム・・・」と言ったのが最初で、在京の民放のアナウンサーが真似て使うようになり今に至る。マスコミには禁止用語が山ほどあるが、「東京ドーム何杯分」という言い方が地方に対する差別用語であることを分かっていない。

「東京」は、実にいやらしいが効果があるのだ。ビートルズディフィージョンという。その名の通りビートルズにちなんで付けられた。
ビートルズはリバプール出身だが、リバプールから世界のビートルズになったのではない。一旦ロンドンに出てそれからメジャーになった。この現象をビートルズディフィージョンという。地方の流行が一旦首都に上り再度地方に広がる現象のことをいう。メジャーになる商品は全てといっていいほどこの流れを踏む。地方から直接一大メジャーになるケースは少ないのである。

かつてのGパン、今のジーンズもそんな一つだ。日本のジーンズの発祥地は岡山だった。
BIG JOHN が国産初のGパンだっと思う。
日本のGパン文化の始まりは米軍やその家族の放出品から。新古品や中古品だったわけで、今流行の郊外型大規模アウトレット店のルーツなのである。ジェームスディーンが履いていたこともあって、ちょっとやんちゃな若者が買った。ただ、アメリカ人は体躯が大きいから大人用は無理。誰もが小さめの家族用を求めたので常時品不足。買いたくてもなかなか手に入らなかったものだ。
今は昔日の面影の片鱗すらないが、高校生当時の僕は、びっくりするほど腰回りが細かったのでアメリカ人の中学生サイズでも少し緩く、それを何とか誤魔化しながらはいていた。今はもう、ジーンズははけてもGパンははけない。

最初は若者たちの間で密かにブームなったGパンだったがまだまだマイナーな存在だった。岡山発の国産Gパンが一旦東京に出て、名前をジーンズに変え地方に再伝搬させることでメジャーになったのである。Gパンをはいていると不良と言われた時代があったなんて、もはや知ってる人も少ないに違いない。

脱線したが、ホルモン焼きも東上し焼肉と名称を変えた。メインメニューは内臓から赤身肉を中心にしたものに変えられ地方へとシャワーしたのである。今や全国どこに行っても焼肉だ。内臓は主役から脇役になってしまった。

時代の流れかも知れないが、でも、だからといって高い肉に踊らされるのはバカらしいし、安い肉で食中毒になるのはもっと嫌だ。

ホルモンの復活を叫ぼうではないか!立て、ホルモン愛好者!!
我らで、『全日本ホルモン教』を作ろう。そして日曜日に各家庭を回ってホルモン焼きの普及活動をしようではないか、同士諸君!!!

ピンポ~ン。

「お休みのところをすみません。ホルモン教をご存知…」 ガチャン!

だめか。。。

ジーンズははけてもGパンははけないお話はコチラです。


看板に惹かれて  




看板に惹かれて




親父は頑固で、女将は美人なんだそうである。
その上に、手打ちうどんそば処とある。
つまりこうである。

頑固な親父だから、ひたすら粉を打つのである。性格のキツイ嫁が擦る大根下ろしが 辛いように、頑固な親父が打つ麺は腰が強いのである。
黙々と、ぶすっとした顔でひたすら麺を打つ親父。そんな店を美人の女将が切り盛りするのである。
頑固な親父に美人の女将だからうまくいくのである。ハンサムで脚の長い僕のような親父と妻のような美人の女将だと、うどん屋ではなくナイトクラブになってしまうのだ。サザンの匂艶 THE NIGHT CLUBね♪ そんな店は親父と女将がいちゃいちゃしているからうどんやそばに腰がないのだ。そういうものなのである。
だが頑固親父と美人女将のうどん・そばの看板なら違う。美味いはずだから食べてみたいという気になるし、頑固な親父と美人女将を一目見ようと思ったりする。

入ってみましたさ。



上の写真は店内のメニューの表紙に書かれた文句である。
看板では女将は美人であった。
けれどもメニューの表紙では“女房一筋”になっている。
んんん、これは一体どういうことだ。
看板を見て、店の暖簾を潜って席に着くまでの間に、親父と女将の間に何があったというのだ。

まず、女将の文字が女房に変わった。年月が経ったのだ。美人の女将もよる歳波に勝てなかったのだ。店で接客している若い娘たちは従業員のはずだから彼女の誰かが女将ではないだろう。だとすれば、厨房の奥でスリムトップス・ミックスタイプつぶつぶストロベリーを飲んでいる太り気味のオバサンこそが、かつての美人女将のはずである。

美人女将が美人から遠のき始めた8年前、親父はつい他の女性に目がくらんでしまったのである。死ぬの生きるのと大騒動になってしまったのだ。頑固親父はひたすら謝ったのだ。そして、誓いを立てさせられたのである。「なにがなんでもアナタ一筋です」と。
志というのは、なかなか貫きにくいものだ。誓いというのはつい忘れてしまうものである。
そこで、頑固親父は、女房一筋と、メニューの表紙に印刷してしまったのである。

けれどもだ、ここまでやってしまうことを、世間では公私混同というのである。
なんで、客がうどんを注文するのに親父の決意表明を読まなければならないのか。 頑固親父が女房一筋であるのとカレーうどんは、どのような相関関係で結ばれているというのか。七味と書かれている容器になぜ一味唐辛子が入っているのか。謎が謎を呼ぶのである。
ここで僕はハタと気づいたのだ。
もうすでに頑固親父と美人女将の店ではないことに…。

だから、うどん味がどうだったかは、もはや書くまでもないだろう。

金、、、返せ・・・。

ハリハリ鍋が食べたい  




ハリハリ鍋が食べたい




朝晩めっきり涼しくなりました。これからは色々と鍋の季節ですね。鍋好きなわが家は色々な鍋を食べますが、ベスト5に入る鍋の一つがハリハリ鍋。
ああ、ハリハリが食べたい!

6~7年前から水菜を作ってもらってます。最初の頃は一度に一畝の3分の一ぐらいを抜いて持ち帰ったら義父から「やい!採りすぎだろ、まぁいいや」と怒られ、義母からは「こういっちゃなんだけど、根こそぎじゃなく5センチほど残して採るとまた生えてくるんだわ」と、やんわり小言を頂戴したのでした。
義父の「まぁいいや」と義母の「こういっちゃなんだけど」は口癖なのです。どう口癖なのかはこちらの記事をお読みください。両親の性格が顕著に見て取れるはずです。

水菜。スーパーではほんの一握りの束が150円ほどで売られていますが、あれは高すぎます。サラダに使うならともかく、ハリハリ鍋だと水菜だけで数千円が飛びます。関西なら大きな株でも一株500円程度ではないでしょうか。
「やい採りすぎだろう。まぁいいや」と言った義父も、最近は「もっと持って行け。まぁいいや」に変わりました。当初は義姉や義妹のことも考えてのことだったのでしょうが、三河地方では水菜のハリハリ鍋を食べる習慣がありません。せいぜいサラダに使う程度なので1株あれば1週間ほど使えるわけで、わが家がごっそり持って帰らねば畑の水菜は減りません。義母も「こういっちゃなんだけど、5センチほど残して採ればまた生える」と言わなくなりました。再び生えて雑草になると困っちゃうわけですね。
ちなみに義姉は自分たち三姉妹のことを三河のチャーリー・エンゼルスと言っておりますが、たぶんチャーリー浜の間違いだと思います。

根こそぎ抜く方にも言い分があるのです。持ち帰った水菜は掃除をしてやらねばなりません。切ってバラバラ状態だと実に厄介なのです。冒頭の写真の量だと雑草や土や籾殻などを洗い取る作業で1時間以上かかります。

と、ここまで書いて気づきました。毎年、何度も水菜のハリハリ鍋を食べていますから、ブログにも載せているじゃあ、あ~りませんか。
書くのが面倒なので、それを載せちゃいます。


今日も鍋だぜハリハリだぜぃ♪





今日は豚バラ肉のハリハリ鍋である。



正恵「え~~」



芳恵・・寝たふり・寝たふり・・・。



妻 「ちょっとお出かけしてくるワ♪」



父 「お出かけはいいけど、あんたは誰じゃ!」

訪問者たち 「キミたちねー!」


今年最初のハリハリ鍋♪


昨夜はハリハリ鍋でございました。
実家の畑に野菜を貰いに行くと水菜が一畝、わさわさと成長しているではないですか。おもわず夫婦で「おぉおー♪」と声をあげてしまいました。
愛知ではまともな水菜が売られておりません。少しはスーパーに並んでいますがサラダ用らしく一握りで150円ほどします。一握りの水菜など煮れば一口です。値段が高いだけでなくコワイのです。葉も茎も強い。どうやら水菜を鍋などで食べる風習がないようで、丈が長くなるまで成長させています。ハリハリ鍋というのは水菜を噛むとハリハリと繊細な音がするから名づけられたのであって、丈が長くて強い水菜だとハリハリではなくバリバリ鍋じゃござんせんか。
そんなわけで、数年前から義母に水菜を育ててくれるように頼んでいるのです。植える時に気分が良かったのか、種が余ったのか、昨年は半畝だったのが今年は一畝に増えておりました。

お義母さん。植えていただいて文句をつけるのもなんですが、植えりゃあいいというものではございませんですよー。
水菜は成長半ばで摘まないと強いです。ちゅうことは今現在か、遅くとも1週間以内が食べごろちゅうことですね。一畝でざっと15mですね。サラダの量に換算すると2千人分ぐらい有りません?
わが家の大量消費型ハリハリ鍋に換算しても30回分ぐらいはあります。今が旬でしょ。だったら30日後の水菜はただの雑草ではありませんの?

お義母さん。今、テレビでバレーボールの世界選手権が放映されているのをご存知でしょうか。見たことないですか。一度見て欲しいです。
バレーには時間差攻撃というのがあるのです。水菜もですね、時間差攻撃で植えて欲しいです。週に2度程度のローテーションでハリハリ鍋が食べれればわが家は充分なのでございます。どうか来年は、面倒でしょうが畝に区切りの札を立てて、週に2度の収穫になるようなプランニングをお願いいたします。

そのようなわけで、わが家はハリハリ鍋が大好物なのでございます。
子供の頃の忘れがたい食べ物の1つなのです。子供の頃に美味しいと感じた食べ物は大人になっても美味しいと感じるものです。
僕の子供の頃の食材はどれもとても新鮮でした。流通が発達していなかったし、冷凍や冷蔵で保存する技術もまだまだでした。遠方の海産物は塩乾物しかありません。つまり否応なしに食材は新鮮だったと申せましょう。
だから例えば、ホルモンだって新鮮でした。小屋で頭叩き割った牛の、まだ湯気の立つ内臓を七輪で炭火焼きするのですから不味いはずがありません。両手に余るでかい生レバーにかぶりつけばライオンになった気分です。ガオー!



今回の鍋の量です。水菜の量を比較するためにミカンを置いてみました。
今日は鴨のハリハリ鍋です。鯨の尾の身やコロのハリハリが最上ですが、上質の鯨肉もコロも手に入りません。ホエールウオッチングが流行しておりますが、みなさんどんな思いでウオッチングされいるのでしょう。僕なんか、プリプリの女性のお尻や鯨の尻尾を見るとガブリとかぶりつきたくなりますが・・・。

最近オープンした2つ向こうの町の大型スーパーに切り身ですが合鴨が売られていたのです。これはとても珍しいことなのです。愛知ではほとんど鴨が売られておりません。ずいぶん探し回りましたが無いのです。名古屋のデパートですら売られておりません。名古屋コーチンがあるので鴨は食べないということなのでしょうか。
そのせいか、獲られて食べられる心配の無い鴨はのんびりと川遊びをしています。僕たちが近づいても逃げようとしません。カモンと言うとついてくるアホな鴨がいて、まさにカモです。時々、そんな鴨でハリハリ鍋をするのですが、これは密猟らしいので大っぴらには鴨にカモンと言えません。
うちの近辺では合鴨が安いよという方がいらっしゃったら、冷凍モノでも結構です、送っていただけるか購入先を教えていただければ幸いです。

今年最初のハリハリ鍋。とても美味しかったです。薄揚げを数切れ残しただけで完食しました。正恵は僕と同じオンザライスで食べております。これが由緒正しいハリハリ鍋の食べ方です。適度に汁が染みたご飯は、もう絶品でございます。
今朝は残った汁に薄揚げと水菜を足して玉子でとじ、水菜丼で食べました。飽きません。今週はハリハリ鍋週間にしようかと思うぐらいです。けれども大根やほうれん草や小松菜などの、他の野菜も沢山貰ってきているのです。悩むなぁ♪

水菜は繊維質の多い野菜です。これをわが家のように山ほど食べるとどうなるか。繊維質の塊は柔らかいタワシのようなもの。これが腸へと下って行きます。腸壁に残った未消化の食べ物屑や宿便を擦り落としてくれるのです。水菜に磨かれて、やがて腸壁はピッカピッカのピンク色。ホルモンでいう上ミノ、シマチョウですね腸壁は痔や腸ガンの防止にもなります。



ということで皆さん、水菜をわっさわっさと食べましょうね♪



おでん  




おでん


先週は4日間おでんでした。これぐらいはわが家にとって屁でもありません。
いつだったか、「冬の関東煮週間」と銘打っておでんを食べ続けたことがございます。

以下はその時の文章。

最終日を迎えました。いよいよ満願成就、マンナンライフの蒟蒻畑でございます。いやぁ、毎日たくさん蒟蒻も食べました。

どのあたりで飽きるのだろうと思っておりましたが、家族全員、食卓の上に関東煮の大鍋があるのが当たり前の状態で、今朝も妻と娘たちは鍋を突付いておりました。
朝はパン食の芳恵はトーストとコーンスープと関東煮でした。
正恵は米飯派、茶漬け好きなのでご飯の上に竹輪とごぼう天と牛スジとワサビ少々を乗せて熱々の緑茶をかけて食べておりました。
妻は芳恵と同じトーストと関東煮でした。妻は朝晩の区別がつかない性格なので、朝からチキンラーメンでもモツ煮込みでもステーキでも愛知風ウインナーコーヒー(コーヒーにあずき餡乗せ)や愛知風エスプレッソ(コーヒーの赤味噌仕立)でも、酢豚でもドリアでもなんでもOKなのです。僕は朝晩の区別がつく性格ですが、どの時間帯であっても愛知風のコーヒーは飲みません。

僕と娘たちは1日2食の関東煮でしたが、妻は昼の弁当も関東煮だったので21回連続関東煮という快挙を成し遂げたことになります。昨夜は職場の同僚の送別会だったため外食。記録が途絶えるかと思ったら、夜中にチャングムの誓い34話を観ながら食べたと申しておりました。

関東煮の煮汁は毎日出汁を継ぎ足していても日々混沌の度合いを深めて参ります。その色合いが濃くなるにつれ、色んなものを入れたくなってしまうのです。アレを入れたらどんな味になるのだろう、コレはどうだろうと気が狂わんばかりに鍋底に思いを馳せてしまうのでした。
例えばキリタンポなんかは美味しそうです。けれども、一切れのキリタンポが混沌煮の鍋の底の玉子とじゃがいもの間にひっそりと隠れて見つけられなかったら、翌日の鍋はドロドロになってしまいます。それを思うとキリタンポを入れる勇気がわいてこないのです。あるいはまた、ウニを殻付きのまま3日間ほど煮込んでからおもむろに殻を割ってスプーンで食べるとどうなんだろうと思ったりします。でもきっと、生のままの方が美味しいに違いないと悩み葛藤するわけでありますね。

新しいネタを入れたその時は楽しめても、それでせっかくのスープが死んでしまうかも知れません。一時の、一夜の快楽に身をまかせてしまったために人生を狂わすというのは男がよく辿る道程です。朝目覚めたら隣に見知らぬ女が額と頬につけマツゲを片方づつ貼り付けて涎を垂らして寝ているのを見るという、なんとも情けない体験、愚挙を、関東煮で繰り返しては学習機能が働いていないと物笑いのタネにされてしまいます。

ま、とにかく、日々出汁を足し具材を補給し、ミリ単位でコンロの火加減にエネルギーを傾注していると、まさに“混沌だき→こんとだき→かんとだき→関東煮”であると強く認識するのでありました。
また、関東煮日記によって“ちくわぶ”という得体の知れない具材があることを知らせてくれた方もいました。翌日のクタクタに煮込まれて崩れかけたそれを、自分のクタクタな人生、崩れかけた体型にオーバーラップさせ好物とおっしゃる方もいらっしゃいました。自虐的ですねー。
どうやら関東方面の方たちは、松茸や岩牡蠣や蟹や飛騨牛よりも“ちくわぶ”の方が美味しいらしいのです。

その“ちくわぶ”、僕は食べたことはありません。ありませんが、甘くない“ういろう”のようなものなのでしょう。原料も製法も同じですもん。
僕はういろうが嫌いなので、もし関東方面へ旅行し、上に紹介した方たちの家に招待され「ちくわぶと松茸の土瓶蒸しのどちらを召し上がる?」と尋ねられたら、迷わず土瓶蒸しを選ばせていただく自信があります。

「冬の関東煮週間」が無事最終日を迎えたのは慶賀の至りでございます。家族の誰からも一言の文句も出ないだけでなく、積極的に嬉しそうに食べ続けた一週間でございました。その光景を見て僕は思わず、

「いつも食卓の片隅に関東煮の鍋がある、そんな家庭を築きたいね♪」

と言ったら、厚揚げを箸で切ろうとしていた妻の手がハン?と止まり、大根を摘む芳恵の手がナンジャ?と止まり、玉子を突いていた正恵の手がハタ!と止まり、

「・・・・・・・」

と、僕の顔を見たのでした。

彼女たちのかつてない侮蔑の表情を見て僕は、女ばかりの中で孤立無援の男の悲哀を感じるとともに、「あっ、つまらぬことを言ってしまった」と激しく後悔したのでした。そして、ルパン三世の五右衛門が「またつまらぬものを切ってしまった」という嘆きの心情を理解したのです。
彼は剣豪、僕は文豪。豪と呼ばれる者は日々切磋琢磨し余人には無理な高きを求めてストイックに生きているのでストレスが溜まります。だから時々、つまらぬ言や動でガス抜きをしてやらねばならないのです。つまらぬものを切るのが剣豪の悲しい性なら、つまらぬことを言うのは文豪の悲しい業なのでありますね。つまらぬ駄洒落を書き散らかしているブログ友がおりますが、お笑い系は豪ではなく匠なのはなぜでしょう。匠なので、匠の悲しい技とか言うのでしょうか。
先日は、「お手手のフシとフシを合わせて、ふしあわせ♪」なんて言っておりましたが、なるほど、お笑い系匠のアホらしい技でありますね。


僕の一言で凍りついた食卓のしじまを破り、正恵が聡明な凛とした目でしっかりと僕を直視し、

「おとうさん。くだらないことを言ってしまったと、とぼけるのは勝手だけど、食事中にガス抜きしないで!」と言ったのでありました。

父「あれぇ~、臭う?」

妻「臭いわよ。セリフもガスも」

父「屁~そうか♪」

妻「実家へ帰らせていただきます」

娘たち「父を変えさせていただきます」

妻「あっ、そっちの方がいいかも♪」


炊いてみました  




炊いてみました




前回の「たいたん」がらみで、今日は「炊いたん」を。


鯖の炊いたん



高野豆腐の炊いたん



厚揚げと小松菜の炊いたん



干しエビと茄子の炊いたん



牛筋とコンニャクの炊いたん



生姜のかやくご飯



今夜は花火大会。先週に続き友人のヨットにお邪魔する。
前回のJazzでは大量の唐揚げの三種盛りと黒糖で作ったサータアンダギーを持参したが、今回は世界のリエちゃんと一色のタカちゃん、天神祭屋台の売れ残り焼きそば、裏町でボンソワールなどを持参しようと思っている。
世界のエリちゃんというのは妻が作る世界の山ちゃん(手羽先料理)である。タカちゃんとは僕が作る手羽元料理。昨日は大阪の天神祭。焼きそばは作って持参するので冷めると天神祭の喧噪のあとの売れ残りっぽい感じかなと。裏町でボンソワールはフランスパンにこれでもかというほどプレスハムを詰めたもの。あと、前回好評だったぬか漬けも持参しようと思っている。

6時過ぎにヨットを出して花火会場の船台近く、火の粉が降り注ぐほどのところにアンカリングし頭上に上がる花火を堪能する。暑さと混雑と人いきれの中で観る花火と違い混雑も埃もない涼しい海上での、まさに納涼花火。贅沢の極みだ。

明日はディンギーを乗り倒す会。日長一日ヨットと水遊び。青年は子供にかえり、僕のように齢を重ねた者は青年にかえる日だ。




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