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Old Saltの日々雑感

日々雑感的に思うところを小さなウソと大きな誇張でデフォルメして掲載中!

やっと一息  




やっと一息




久しぶりの更新です。体調不良のせいもありましたが、韓国語講座の予習復習に追われたことやヨットを譲り受けたことがブログ更新が滞った原因です。



8月末に妻と、念願だった別府葉子さんの名古屋ライブに行きました。とても良かったです。
別府葉子さんは写真写りが良くない人でした。生の別府葉子は綺麗な女性でした。隣の僕も写真写りが良くありません。実際はもっとシュッとしたハンサムです。
歌い方や表情が良かったです。音楽をしっかり掴んでいる歌い方で、それが表情に出ていて“力”を感じました。歌唱力の力ではなく、自信による力とでも言いますか、良質の品格を感じました。
帰宅したらブログにと思っていたのですが、ライブに満足して自己完結してしまい、書くのが面倒になったのでした。もっと色々書きたいことはありますが、助さん角さん、もういいでしょう。
ミニライブツアーの名古屋の次の場所は信州でした。
ということで皆さん、
シンシュウシャンソンショー シンシュウシャンソンショーって3回言えます?



9月10日に韓国語講座が終わりました。最終回の宿題は韓国語で作文を書いて持参することでした。ご存じのように僕の文章は長いです。「マックへ行きました。チーズバーガーを食べました。美味しかったです」と3行で済ます人もいたのに、僕はA43枚の長文でした。しかも韓国語。文章はネットの翻訳を利用すればなんとかなります。問題は作文を読むこと。これに苦労しました。ブログの更新をしている場合ではなかたのでした。



次にヨット。突然、ヨットを譲り受けたのです。無料で。
21フィート(約7m)の小さなヨットですがコンパクトながら定員は10名。ギャレー(炊事)もメインテーブルもトイレも付いたクルーザーです。


妻と回航


ただ、舵が折れていて、エンジンが掛からず、バッテリーも死んでいました。その他もろもろ。そのメンテナンスや名義変更手続き、新たな係留場所への回航などに忙殺されました。船外機を外す作業の中で肋骨を骨折するアクシデントも。
でも、まさか再びヨットを持つことになるとは思ってもいませんでしたから、骨折り損のくたびれ儲けではありません。

色んなことが重なった8月9月でしたが、ようやく全てが落ち着き、一息ついたところです。
これからまた、更新を重ねていきたいと思っています。


コニャエットの風に吹かれて  




コニャエットの風に吹かれて


再び肋骨にヒビがはいりました。自然治癒を待つしかないと放っていたら悪化しているのか痛みが増してきました。

通っている韓国語講座も8回目が終わり、かなり流暢に韓国語が話せている夢を見るようになりました。これって成果ですよね。
目が覚めなければ幸せなのに、激しい恋愛もいつかは熱が冷めるように、夢も覚めます。見果てぬ夢のロンリーチャップリンなのでございます。

昨夜は、講座のLINE仲間のオバサマたちと、どういうわけか、ドライブをしている夢を見ました。
最初は楽しく走っていたのにいつの間にか景色は山道に変っておりました。突然意表を突く暗転。よくある夢の展開ですね。
急な山道を下っているのです。下りなので猛烈な加速なのにブレーキが効きません。すごく焦っていて、なぜか韓国語で月火水木金土日と叫んでいるのです。ふつう、こういう場合は南無阿弥陀仏とか、韓国なら南無観世音菩薩ではないのかと、妙に冷静に考えつつもハンドル操作に必死なのです。

前方に急カーブが見えています。うわーとか思うわけですが曲がれるはずがありません。そのまま土手に激突しました。運が良いのか悪いのか、人は時々そう言うけれど、忍のぶ忍ばず無縁坂~♪なのでしょう、どういうわけか土手は柔らかい砂地で即死はまぬがれるのです。でも激しい衝突だったので皆さん各自、思い思いの方角に吹っ飛んじゃいました。

この夢、振り返って見ると、昨日の講座やLINEのコメントのごちゃ混ぜで構成されておりました。膝の骨折から復帰した人が1名、肋骨にヒビが2名、昨日の講座は日時や曜日などなどでしたから・・・。
車にKさんともう一人のKさんが乗っていないことに気づきました。この二人、韓国語ができるのです。
ということは出来の悪い僕たちだけが下り坂を転げ落ちて土手に激突し木っ端微塵になったということなの?そうなの?そういう夢なの?僕たちって下るだけ?

リアルな肋骨の痛みで目が覚めてしまいました。えーと現在、夜中の3時20分ですね。
することもないので復習でもと思い、テキストを開いて、夢の元凶の月火水木金土日を10回ほど復唱してみましたが、夜中に月火水はなんか空しいのでやめました。

肋骨にヒビが入ったのは2度目です。たしかその時のブログがあったはず。探してみました。以下はその時のものです。


シーズンですね。
シーズンというのはヨットのこと。本当はヨットにシーズンなどございません。冬の方が腰の強い安定した風が吹きセーリングに向いているのです。向いていますが、でもぉ、寒いじゃないですか。寒いので、冬場はキャビンの中に籠もって鍋をつつくのがヨット乗りの正しい作法なのです。



近くの港には友人ヨットが係留してあってクルージングや宴会はこれを借用しますが、水遊びは妻のディンギー(上の写真)を使います。ディンギーは簡単にチン(転覆)しますし、ハイクアウト(船の傾きを押さえるために身体を船外に反らせること)でスプレー(飛沫)を浴びるので濡れます。冬のディンギーは、一層寒いじゃないですか。冬に短パンTシャツでディンギーに乗るのは、ただのアホです。心あるディンギー乗りはドライスーツを着ますが、心ないディンギー乗りの妻や僕や娘たちはドライスーツどころかウエットスーツすら持ちません。
そのようなわけで、たかのつめ家は、これから秋までがシーズンなのでございます。




ディンギーはハードな水遊びなので、悍馬を乗りこなす体力の無さを心配しております。筋肉が溶けて贅肉化し、それに脂肪が層をなしています。世間では何というのでしたっけ。メタボ?

特に腹周りが情けないです。緑色のクレヨンで縞を描けば、西瓜やないか!
というようなことは、僕を渡辺謙と信じて疑わない人たちの夢を壊してしまいますから書けません。

この体型は狭いディンギーのコクピットで激しく動き回る動作にはまったく不向きです。
というか、動き回れません。2年前にチンした時に這い上がれず次女に手助けしてもらったのはいいけれど肋骨を折りました。
もう少し体力をつけねばなりません。ただ、肺の持病がありますから身体を鍛えるような運動はできません。せめて体重を落として身軽になるぐらいです。つまりダイエット。
でも僕は貧乏人です。ネット販売のダイエット器具や食品をマウスで気軽にポチッとするわけには参りません。

そこで考えたのがコンニャク・ダイエットです。略してコニャエット。
なんとなくウォシュレットに似た感じで間違いそうですが、イタメシ屋でカルボナーラを注文するのボラギノールください!と言ってしまうよりはマシではないでしょうか。



ダイエットに使用するコンニャクは当然、由緒正しい群馬産です。
どうですこのサイズ。きつねどん兵衛と比べてください。なんと大きなことか。デカビタならぬデカコンでございます。

この大きさで、驚くなかれ200円。なんとたったの200円なのです。これのほんの一握りの量をジュース味にした満願成就のコンニャク草原のアレの原価は、とてもとても安いということですねー。

群馬の女性が他府県の女性に比べて圧倒的にスレンダー美人が多いのは、このデカコンのおかげなのです。
しかもこのデカコン、単にダイエットだけではございません。夏は冷やして安眠枕に、冬は暖めて湯たんぽになるのです。さらに、煮込めばなんと、オデンの具にもなるという優れものなのです。

今年のお中元にいかがでしょう。先様に喜んでいただけると思いますが・・・。


今年も泳ぐぞ  




今年も泳ぐぞ・・




妻が突然、突発性難聴になり一週間点滴を続けていました。
「突然って、突然だから突発と言うのじゃないの。」と思われる方がいるかもしれません。ま、そうなのですが、病名に「突発性」が付くと原因不明という意味になります。原因不明なので確固たる治療法や薬がない難しい病気だから難病といいます。
突発性難聴も“突発性”がつきますから難病です。難病なので特効薬はありません。どの難病も主にステロイド系の薬に頼っているように、突発性難聴もステロイド剤やビタミンや血流改善剤、代謝促進剤などの溶液の点滴が治療手段になります。ステロイド剤は強い副作用が出ることがありますから通院点滴の場合は薄め、入院点滴の場合は通院の倍以上の濃度の点滴をします。

僕が5年前に突発性難聴になったときは即入院でした。起きてから寝るまで終日薬漬けで、ナースのお尻をナデナデしたくなるという強い副作用が出て、利き手の右手を左手で必死に押さえる日々でした。
ただ、ちょっと不思議だったのは、ナデナデ副作用が出るのは25歳~37、38歳ぐらいまでの妙齢のナースだけで、それ以外のナースには出なかったことです。このナデナデ病はアタマに突発性がつきませんから難病ではありません。そう、お尻をナデナデすると症状が収まるのです。解決法が分かっていますが行使できない。それがナデナデ病なのです。

僕は平均寿命5年、上手につきあえば8年という突発性間質性肺炎を持ちますが、この病気と相性がいいのか、単に僕がしぶといだけなのか、10年も生きながらえて今に至っています。
罹患したときの担当医がいい医者だったのでインフォームド・コンセントもきちんとできていて、上記の、難病は確固たる治療法や薬はないといった説明は、この医師から受けたのでした。薬が効く場合もあるし効かないかもしれない。効かなければ5年、効けば8年ぐらい。「タカノツメさんの場合は5年より短いということはないと思う」という診断でした。そして、治療薬はありませんから現状維持、結果延命になるかも知れないということでステロイド系の飲み薬や気管支を広げる噴霧薬などを山ほど処方されたのでした。

バケツ一杯ほどの薬を前にして思ったのは「面倒くさい」でした。これから先何年も食後や食間の決まった時間に薬を飲み、日に数回スプレーで気管支に粉を噴霧するといった病人みたいな、って病人ですが、そんなことを続けるのは煩わし過ぎます。1年も服用を続ければ吐き気や目眩や頭痛といった副作用が出るはずで、その吐き気や目眩や頭痛を抑える薬も増えます。病人の負のスパイラルです。

吐き気や目眩や頭痛に悩まされながら5年生き、運良く薬が効いてさらに3年生き長らえたとすれば、運悪く副作用も3年延長になります。
薬を服用し3年間延命出来る方に賭けるか、副作用回避のために薬を服用せず5年できっぱり人生にオサラバするかの二者択一。僕は者を選択したのでした。この薬断ちが良かったのでしょう。そして何度も書いている伊勢神宮での奇跡もあり、5年でオサラバせずに8年の満期を超え10年も生きております。ここまで生き延びてくると、仮に来年死んだとしても、死因が突発性間質性肺炎だったのか老衰だったのかの判別に迷っちゃますね、お客人。

先日、EGO-WRAPPINの名古屋ライブのときのこと。往路は階段、帰路はエレベーターという会場で、客の列に押されながら階段を5階まで駆け上がらされてしまい、激しい呼吸困難に陥り動けなくなったのでした。典型的な突発性間質性肺炎が原因の酸素不足。老衰よりも突発性間質性肺炎の方が健在であることを意識朦朧の中で認識したのでした。

で、冒頭の写真は何かと言いますと、いつも乗せて貰っているメーヴェからクルージングの誘いがあったのですが、妻が突発性難聴で僕も体調が戻っていないので慎重を期して乗るのは見送り、差し入れを持って見送りに行ったのでした。写真はそのときのもの。
7~8月は海に出る機会が増えます。妻のディンギーも出さないとと思っていて、気分はすっかり海の上なのです。

僕の場合、来年も夏が来るのかどうか分からないですからね。

ぶらり散歩に  




ぶらり散歩に




ハンサム以外に何の取り柄もない僕が、そのハンサムにも陰りが出て、今はただの何の取り柄もない男になっちまっているのでございます。
そんな僕ですが、一滴の水も飲まずにフランスパンを1本食べ切ることができます。妻も娘たちも感心しきりなのですが、でも、これって取り柄の範疇に含まれませんよね。ただただ、水を飲まずにフランスパンを食べきれるだけのことかと。

あえて言えば、アメフトを知らないアメリカ人をアメリカ人と言わないように、フランス語が話せても水無しでフランスパンを食べることが出来ないフランス人をフランス人と言わないので、僕はフランス人なんですね、ボンジュール。

一滴の水も飲まずにフランスパンを1本食べ切ることが、何か一つぐらい役立つことがあると思うのです。例えば、僕はフランスの貨物機のパイロットで、フランスパンをナイジェリアへ空輸途中に故障でサハラ砂漠に不時着離陸した場合の時などですね。
不運にも機内には水は500mlのペットボトル1本だけ。幸いにも食料のフランスパンは飛行機に積むほどあります。僕は水無しでフランスパンを食べることができますが、コーパイ(副操縦士)はイタリア人なので水無しでパスタ食べることは出来ますが水無でフランスパンを食べることができませんからペットボトルは彼にあげるわけです。
不幸にも無線機は壊れGPSも機能せず携帯は圏外、救助隊がきません。3日後の夕方、ペットボトルの水を飲みきってしまったコーパイが水無でフランスパンを食べようとしてパンを喉に詰め窒息死しました。僕は水無で食べることができますから更に3日間持ちこたえることができました。4日目の昼ごろ、飛行機の飛ぶ音が聞こえるではないですか。空を見上げるとゴマ粒のような点が近づいてきました。やがてはっきりと視認できる大きさになりました。。まっすぐこちらに向けってきます。ついに救助されると歓喜しました。が、飛行機は頭上を飛び去って行きました。人生ってそういうものですよね。
翌日の朝、日差しを避け機体の影でフランスパンを齧っていた僕は、不覚にもサソリに刺されて死にました。
コーパイよりも5日間長く生きることができましたが、それがどうしたと思いましたさ。なによりも切望しました。水が飲みたいと・・・。

なあんてことを考えながらヨットでフランスパンを齧っているのが冒頭の写真です。



片瀬那奈と井上陽水ではなく、妻とオーナーのokapi君。
お元気ですかぁ♪





ホームポートから2時間航程の渡船港。



岸壁に舫ったヨットからこういう景色を見るのが好きです。何時間眺めていても飽きないのは、先の時間よりも、振り返る時間の方が長いから。
5月なのに海が眩しすぎるのは白内障のせいではなく、振り返る人生が身を焦がすほど眩しいからと思いたい。

出航前の慌ただしの中で  




出航前の慌ただしの中で


かつて所属していたヨットクラブの初代会長の松本さんのことを少し。
ダブルエンダーでロングキールのタシバ36というクラシカルなヨットに乗っておられた。デッキはオールチーク張り。キャビンもチークやマホガニーがふんだんに使われていて、とてもゴージャーズなヨットだった。
このタイプのヨットの難点は鈍重なことだ。36フィートで12トンも重量があるのだ。同サイズの軽いヨットだと5トン程度のものもあるから、12トンはいかにも重い。

鈍重なので少々の風ではぴくりともしないから安心だ。いや、安心してはダメだった。風が吹いてもぴくりともしないのは困る。ヨットは風で走る乗り物だもの。
このヨットは風速10m~12mという、ちょっとした嵐程度の風でようやく目を醒ますのである。海上で風が強いということは波もかなりあるということだが、そんな状況をものともせず走る船らしい。

らしいと書いたのは、賢明なヨット乗りはそういう荒れた海へ出て行かないから松本さんのヨットがすいすいと走っているのを見たことがないからである。
だから僕たちは会長の、「僕の船はね。吹いたら走るんですよ♪」という言葉を信じるしかなかったのである。
楽しいことに「僕の船はね。吹いたら走るんですよ♪」を聞くときはいつも荒れた天候で出られなくて会長のヨットのキャビンでワインを飲んでいる時なのである。
「じゃあ会長、出しましょうか」というと、船の自慢はしても腕の自慢をしない方なので、「このあとね、白を飲む予定だから、船を出すのは次の機会にしましょう」という返事が返ってきて、僕たちは2本目のワインにありつけるのだった。



松本会長の船の名は「ベラドンナ」といった。美しい人、あるいは美しい貴婦人という意味だ。イタリア語である。
何店かの薬局を経営されていた。薬局と聞くとマツモトキヨシが思い浮かぶが、キヨシは弟さんである。(ウソです)
ちなみにベラドンナはナス科の植物で学名「アトロパ・ベラドンナ」。アトロパは運命の三女神の一人の、運命を断ち切る美人女神アトロポスのことでもある。つまり猛毒を持つ植物なのだ。薬学系の方の船にふさわしい命名ではないか。ワインをご馳走になるためには、こうした難しい講釈を拝聴せねばならなかったのである。

松本さんにヨットクラブの初代会長になっていただいたのだが、この人以外に会長はいない、といえるほど会長っぽい方だった。
まず、会長という名にふさわしい格調高いヨットの所有者であったこと。いつもマドロスパイプを咥えていたこと。白髪で温厚だったこと。帽子はキャップではなく船長帽だったこと。Pコートを着こなしていたこと。つまり、16世紀あたりの大帆船時代から抜け出てきたような人だったのである。
ちょっとPコートの説明をしておこう。Pコートという名のコートをご存じの方もいらっしゃると思う。左前右前のどちらでも閉じられるダブルのコートのことだ。パイロットコート。操船時に着る。右からの風が左に変わったりその逆になったりする。その時に右前だったのを左前に変えて風の進入を防ぐのである。

さて、松本会長は腰も低く言葉遣いも丁寧でとても上品な方であった。唯一僕だけにはちょっと乱暴に「あんた、それちゃいまっせ♪」と大阪の商売人言葉を使った。僕には気を許してもいいという部分をお持ちだったようなのである。

ある年の夏。クラブの役員をしていた僕は夏休みの長期クルージングに徳島の阿波踊りレース&阿波踊りを踊るという企画を立て参加者を募った。すると、「タカさん。僕も参加したい」と会長が言い出したのである。
「レースにも出るんですか」
「もちろん!僕の船は吹くと走るからね♪」
「会長の船が走り出すような天気だとレースは中止になると思いますが」
「・・・。」
「それと、普通の風だと、いつゴールするか分からない会長を待つ本部艇が気の毒だし、レース後の表彰式や夜の阿波踊りの練習などのタイムスケジュールが押してしまいます。」
「・・・。」

そんな説得も空しく、会長もクルージングに参加したのである。
夏の海は風が無い。有っても風に腰が無いからヨットの速度は上がらない。だから機帆走(メインセールだけを揚げてエンジンで走る)で目的地へ向かうことになる。
ベラドンナはこの機帆走が早かった。船のサイズが大きいのと馬力のあるエンジンを積んでいたからだ。それがよほど嬉しかったようで、「タカさん、あんたの船遅いねー♪」と無線で呼びかけてくるのである。

レース当日の風は微風で、ベラドンナはスタートラインを50mほど過ぎたあたりに停ったまま微動だにしない。
「会長、そこにじっとしていると帰りのコースの邪魔になりますけど♪」と無線を飛ばすと、しばらく沈黙の後、「先に帰って待ってるね」とリタイアしてくれたのだった。人格者である。

阿波踊りレースは120隻以上のヨットが参加する大きなイベントで、主催者の徳島ヨットクラブは県庁前の川がホームポート。その両岸に他府県からの参加艇が係留するのだが、真夏の、広くもない川の上は風が通らず暑くて、コクピットやデッキに座って冷えたビールを飲んでいても流れる汗が止まらない。右も左も対岸のヨットも団扇パタパタ、ビールぐいぐい、汗たらたらなのだ。ところがベラドンナだけは、閉め切ったキャビンの中で妙齢の美女と食事をしているのである。エアコンをかけているのだ。そしてナイフとフォークを使ってステーキを食べているのである。ワインも飲んでいたのだった。
ベラドンナの隣に係留していた僕はキャビンの中のそんな光景を眺めていたら、会長がそっとナプキンで口を拭って立ち上がり、コンパニオンウエイから顔を出して、

「どや、参ったか!♪」

と言ったのである。

あの時の会長は65歳かもう少し上だったと思うから今はすでに80歳を超えられたはずだ。はたしてご健在なのだろうかとか、もう船を降りられたのだろうかと思うと、ちょっと切ない。



オールドソルトたちは、ボートのように白いペンキを塗り重ねて生きながらえるが、それでもいつかは陸(おか)にあがって朽ち果てざるをえない。



と、出航前の船の上で、なんだか寂寥感に包まれてしまった。

赤いキャンディ包んでくれたのは  




赤いキャンディ包んでくれたのは


ちょっと体調がよろしくない。
毎朝5時過ぎにはPCの前に座りブログを更新しようとするのだが気が乗らない。そういう日が続いている。レコードをPCに取り込む作業も休んでいる。これは体調のせいではなく、残りが30枚ほどなので急いでやると早朝にJazzを聴きながらダビングする楽しみが無くなってしまうから。

年に何度か体調不良になる症状が9年ほどになることを過去のブログを読み返して知った。突発性間質性肺炎を発病した頃からなのだ。
不調になる度に自覚できるのは、一歩ずつ階段を下りているということ。僕の場合は天使にも神様にもなれないと思うから、天国への階段を上がるのではなく下りる方の階段。底にというか、そこに待っているのは血の池と針の山の地獄と思うでしょうが皆さん、酒池肉林の極楽が待っている可能性もある、かも知れないでしょ。
8年前の体調不良の時は、次のような文章を書いいました。

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体調が良くない。それでも土・日は近くのハーバー詣でを繰り返した。天気が崩れるという予報だったので浜名湖を断念したのだが、ところがどっこい、土曜日は年に何度もない絶好のヨット日和りになった。

ハーバーを覗いてみるとBさんがいて、「体調はどお」と気遣ってくれる。ハーバー仲間ではBさんだけが僕のブログの存在を知っていて、時々覗いてくれているのである。先日の体調不良の日記を読んで心配してくれたわけだ。
「どういう時が良くないの」と尋ねるので「ヨットに乗っているとき以外」と答えたら大笑いになってしまった。
「つまり、マイペースでできること以外はダメ」だと説明すると「のんびりのヨットはOK でも、レースでバリバリのクルーというのはダメなわけね」とちゃんと僕の症状を把握してくれたのである。

とにかく、ハーバーに来て、岸壁や船のデッキに座っていると調子がいいのだ。というか、不調を忘れるのだ。そして、「じゃあ、帰ります」といってハーバーに背を向けると、とたんに身体がふらつくのである。



この症状、おそらく僕だけではないはずだ。Bさんにしても9時の予約の散髪帰りにハーバーに来てすでに3時間が経つ。建築屋のOさんは一人でディンギーを海へ下ろせるように仕掛けを作ってきて国有財産の堤防にボルトを打ち込み、「こんなところに穴が空いていたのでボルトで閉じておいた」などという。そしてああでもこうでもないと話をしているところへ海苔屋のオヤジがポロシャツに紺のズボンに革靴という、およそハーバーに似つかわしくない恰好で登場して会話に加わる。そんなところへ1週間前にヨットを購入したばかりの高校教師のOP君がニヤニヤ笑いながらやってくるのである。このニヤニヤは自分の船が持てて嬉しくて嬉しくて自然にこぼれる笑みである。



ヨットキャリア1年の彼は、我らオールドソルトの目には初々しく眩しく写るとともに、かっこうの餌食でもあって、あれこれとヨットの蘊蓄を垂れるのである。ただし、僕たちオールドソルトは彼よりもたかだか30年ほど経験が長いだけでしかないから、偉そうに彼の私生活や人格にまで踏み込むような説教は垂れない。
世の中には、経験が3年古いというだけで、飯の食い方からライフスタイルまで干渉する先輩や、上司や経営者というだけで部下に人生訓を垂れたり人格評価までする驕った連中が多いが、僕たちは上質のミネラルたっぷりの天然塩なので、そういうバカな振る舞いはしないのである。

ま、そんなことはどうでもいい。
僕同様Bさんたちも、夕方になってハーバーに背を向けたとき、きっと身体がふらつく感覚に見舞われると思う。今日という日を閉じてしまいたくなくて、身体が揺れ、後ろ髪が引かれるのである。



友よ 潮風に吹かれて  




友よ 潮風に吹かれて


友人から「ヨットを回航します。乗りませんか」と電話が。船底掃除のための回航なのですが、ビール片手に四方山話ならぬ四方海話に興じながらのセーリングです。
友人のヨットの名は「メーヴェ」、ドイツ語でカモメです。フランス語だとムエッティ、ロシア語ならチャイカ、スペイン語ではガビオッタ。では問題、モンゴル語ではなんというでしょう。



写真はその友人と彼の姪っ子。
彼女とは初対面。初ヨットらしいです。今年から中学校の教師になったそうで、昨年、母校での教育実習で僕の長女を教えたかも知れないとのことでした。
妻と友人夫妻は同じ高校で妻は夫妻の後輩になります。わが家の長女も次女も同じ高校。さらに彼の姪も加わったわけで、海は広いのに世間は狭いです。



ついでに載せておきます。こちらも友人です。紅の豚ではありません。地元の有名海苔店の社長なのです。世間は狭いですがこの友人の顔はでかいです。地元の名士なので、顔はでかいだけでなく広くもあります。

今日の海は天気晴朗なれど波高し。ということは風も強い。少し厳しい波風なのでヨット初体験だと10人中9人は酔います。酔った9人中8人までが懲りて一生船に乗りません。車酔いなら車外へ出れば酔いは消えます。船も同じですが陸が遠い。着岸までの数時間が永遠の長さ。もう二度と乗りたくなくなります。
かくして8人が船と無縁の人生を送るわけですが、残る一人はバカなので懲りずに再挑戦するのです。すると、不思議なことに今度はあまり酔わないのです。そして風だけで走るヨットの魅力の虜になってしまうわけですね。

回航先のヨットハーバーは風向きによって3時間から5時間の距離。この所要時間の差は向かい風か追い風かで生じます。目的地は東、風は南東なのでほぼ向かい風。5時間はかかりそうです。
友人の姪っ子が5時間も耐えれるか心配したのですが船酔いに強い娘でした。舵を持たせると真っ直ぐ船を走らせました。なかなかセンスがあります。荒れた海を怖がらないし身が投げ出されるようなヒール(船が傾くこと)も平気でした。こういうタイプは少ないのでなにがなんでもクルーにせよと友人に厳命したのでした。



わが町一色町には佐久島という小さな島があります。無人の砂浜があって、夏はその沖にアンカリングして遊びます。
人ごみも喧騒もなく、海を渡る風に吹かれ、暑くなれば海に飛び込み、食べて飲み、そして昼寝。東にトップレスで泳ぐお姉さんがいたらピーピーと口笛を吹き、西にビキニのお姉さんが泳いでいれば人魚みたいと声をかけ、北に溺れている兄ちゃんがいたら無視し、真夏の海はこうでなくっちゃと一人ごちるのですね。



まったくもってヨットは贅沢な遊びです。ですが金持ちの遊びではありません。ボートと違いヨットは金のかからない遊びなのです。中古なら30フィート(全長約9m)サイズでも国産乗用車の新車よりも安く買うことができます。風で走るので燃料費もわずか。
渡船なら25分で行ける島までヨットなら2時間。今回の回航先のマリーナまで陸なら車で40分の距離。それを5時間かけて行くのです。めまぐるしく移り変わる忙しい世の中で潤沢に時間をかけてセーリング。これほどの贅沢がありましょうか・・・。


回航先のヨットハーバー


写真をクリックすると大きなサイズになります。

きらきら輝いた海が夏らしいでしょ。



回航する  




回航する


3年ぶりに妻と二人だけのヨットでした。
友人のヨットの船底掃除のために、上架ができるマリーナへの回航です。



結婚して20年になりますが二人だけのヨットは数えるほどしかありません。結婚した翌年には長女が生まれ、ゼロ歳児の長女を車のチャイルドシートに縛り付け船に乗せていましたから親子ヨット。その後もいつも誰かが便乗していましたし・・・。



久しぶりの妻とのダブルハンドはヨット三昧だった頃の日々を思い出させてくれました。目的地の名鉄西浦マリーナは車だと約40分の距離。それをヨットだと4時間半。なんとも悠長なことですが、このローテクがよいのです。遠くの景色を愛で、あるいは遠い昔のあれこれを想いつつ、潮の話や風の話をしながらのクルージング。

旅は、急いではなりません。





マリッジする  




マリッジする




知人のブログに掲載されていた画像。おそらくカティサーク号じゃないかと思う。
カティサークはクリッパーだ。クリッパーとは高速帆船のことで、カティサークは香港から紅茶を運ぶ目的で造船されたのでティークリッパーと呼ばれた。
一匹のマグロに数千万円の値を付ける馬鹿な買い手がいるように、初競りは異常な高値がつく。それは洋の東西、古今を問わず同じで、紅茶も初競りで高値が付いたから、物流業者は目の色を変えて新茶を運ぼうとした。おのずとティーレースになった。

カティサークは有名なティークリッパーだが、一度も一番でイギリスに到着していない。
新造されたその年だったか、他の帆船を引き離しぶっちぎりで航海していたのだが、舵が故障し漂流、修理してホームポートを目指すが一番では着けなかった。(昔読んだ文献の記憶なので間違っているかも知れない)



カティサークといえば酒好きにはこちらの方が馴染みがあると思う。いやむしろ、このスコッチウイスキーのおかげでカティサークの名が有名になったといえるかも知れない。
ああ、でも酔っ払いは、ラベルに描かれた帆船の名がカティサークだとは知らず、ウイスキーの名と思って飲んでいたかも知れない。

ラベルにはBLENDEDとある。カティサークは複数のモルトツがブレンドされたウイスキーなのである。シングルモルトのウイスキーはキック力がありピュアーなガツンとした飲み心地があるが、ブレンドウイスキーはシンフォニーのような味わいがある。とはいえ、シングルモルトもブレンディングウイスキーもブレンダーの腕と感性が左右する。何十万もあるモルト原酒のどれとどれを、どれとどれとどれとを、どれとどれとどれとどれとを、どの程度の配分でブレンドするかで何千万もの異なったブレンドウイスキーが生まれる。
そうしてブレンドし生み出すことを、マリッジするというのだそうだ。

人のマリッジも同じだと思う。異なる気候風土や文化で育まれた男と女が生活を共にするわけで、その婚姻が見合いなら仲人というブレンダーの、恋愛なら両人の直感や感性で合わされたものだから、それが結婚として成熟するかどうかは、さらに長い年月が必要となる。それが結実するか失敗するかはさておき、異なる気候風土や文化で育まれた者同士のブレンドの方が面白いと思えるのである。

えっ、あなたはシングルモルト(独身)派なんですか。
それは、自らの意志で?


ちょっと海辺を  




ちょっと海辺を



画像をクリックすると・・・


今日は、全国的な大雪予想ではなかったか。それが一転、食材を買うために家を出ると、外は雲一つ無く春の陽気。その空の色に誘われて、まっすぐスーパーに行くのが惜しくなり海岸沿いを走ってみた。

五月晴れような陽気とはいえまだ二月、春霞はまだまだ先のことなので遠くの景色も見渡せた。窓を開けると南東の少し暖かい風が車内を通り抜けた。
海の中に黒っぽく見えるのは海底の海藻。透明度が高いのです。

湾内の島や知多半島の先の眺めつつ堤防を5分ほど走り、島への渡船乗り場を過ぎると娘たちが通った中学校。海辺の学校だから校舎のベランダの先に海が広がる。長女も次女も、ベランダに立ち、亜麻色の髪をなびかせて、何度も海を眺めたはずである。

次女「お父さん」
父 「なに?」
次女「私も姉も短めの髪にポニーテールだけど・・」
父 「うるせぇ!」

長女「お父さん」
父 「なに?」
長女「私はあなた譲りの黒髪ですけど・・」
父 「うるせぇ!」

妻 「・・・」
父 「うるせぇ!」
妻 「なんも言ってないでしょ!!!
父 「m(*- -*)mス・スイマセーン」

海が近いって、こういう会話ができていいものですよ、みなさん。

Sailingとなるとロット・スチュワートが定番でしょうが、ケルティック・ウーマンのSailingもいいかなと。ヘッドフォン着用・全画面表示でどうぞ。





久々の大漁旗  




久々の大漁旗




栄生港に久しぶりの新造船の姿をみました。北風にはためく大漁旗がとても色鮮やかで綺麗でした。大漁旗を作ったのは近くの前田染色さん。長女は中学生の2度の体験学習を2度とも前田さんで染色を学びました。
「君が染めた旗もあるかも知れないね」と言うと、
「たぶんね」と懐かしげに眺めておりました。

ご存じの方はご存じでしょう。長女は第1回答志島レースで優勝したヨット、ルナチャンのスキッパーです。「碧南高校のヨット部に入ったらディンギーをプレゼントする」と言った海苔屋の親父が操船したMIKAWAを叩きのめしたあの娘です。碧南高校へは進学せず、ディンギーを買わずにすみ海苔屋の親父をほっとさせたあの娘です。
凛々しく才色兼備な娘でしたが、このところ身体が緩む一方で、先日はこたつに潜り込んで寝ておりまして、思わず、見たまま、感じたままに、
「遠赤外線仕上げの上等なチャーシューになるぞ!」と言ってしまいました。

こんな、なにげない一言から、親子の断絶が始まるのでしょうね。


色々あって面白い  




色々あって面白い




どうだろうかこの一枚。
うら寂しい光景に見えるだろうか、それとも・・・。

漁港の低い防波堤を越えた隣の、幅100mもないプライベートビーチともいえる砂浜だ。そこにテントを張り「ディンギーを乗り倒す会」のバナーを立て、会の一応の体裁を整えたのである。
整えたのはマリンクラブの会長と元副会長の二人で、僕は岸壁の日陰に座り地元の漁師と語らいながら二人の働きぶりを監視していた。

僕はこの二人やもう一人いる副会長をとても評価している。というのは、よく仕事をするからだ。通常、こうしたクラブの会長や副会長は名誉職だと勘違いし仕事は委員や会員にまかせ何もしないものだが、わがクラブに限っては自ら率先して仕事をしているからだ。

親睦クラブに限らず企業でもそうで、役職者たちは自分は三角形のヒエラルキーの上部にいると思い、さらに上を目指すことに躍起になり下を見ない者が多い。勘違いなのだ。その三角形は逆三角形だと思わねばならないのだ。頂点付近にいるのではなく、逆三角形の下部にいて、下から上の会員や社員を支えているセクレタリーだと思わねばならないのだ。そういうクラブの役員や経営者こそ人徳のある人物といえる。その点では、わがクラブの会長や副会長には人徳がある。
というふうにクラブのホームページで褒めておいたので、これからもクラブのためにしっかり働いてくれるに違いない。

設営を終えた彼らがディンギーで海に出ていったのを見て、クルマからディレクターチェアーを持ち出しテント下の日陰に。傍らに冷えた飲み物を入れたアイスボックスを置き、しばしの惰眠を楽しんだのさ。
なにしろ知多半島と渥美半島に囲まれた国定公園三河湾の先は太平洋で、その向こうはアメリカ大陸だからね。そんな絶好のプライベートもどきの浜で惰眠をむさぼることこそ至福のひとときではないか。ビールやドライマティニを飲みながらが本来の姿だがクルマだから飲酒は厳禁。ま、グラスが無くてもグラスの向こうに想いを馳せる術は持っている。



話は前後するが前日の土曜日は花火大会だった。以前のブログでも書いたが、船上で観る花火は壮観だ。三尺玉や四尺玉が頭上で炸裂したときは海面が波打つほどの衝撃波が走る。壮観であるがゆえに、うたかたの夢のように消える花火は心の中に大きな余韻の大輪を咲かす。その、さざなみ立つ心の余韻を鎮めるのに苦労する。

デッキのマスト付近に座り妻やオーナー夫人と話を弾ませながらの花火鑑賞は頭上の大輪と夫人たちという、両手に花だった。なにしろ夫人は某年のミスN高生、妻も数年後のミスN高生だったのだ。さすがに寄る年波で二人に陰りは見え始めているものの、そこはそれ海上は闇、頭上から花火の照明を受け往年の美貌を彷彿とさせたのだった。夜目遠目傘の内とは誰が言ったのか、けだし名言である。

昨年は海上に設営された船台から打ち上げられたが、今年は打ち上げ場所が変わり、陸と船台の2カ所から打ち上げられた。
「なぜ2カ所なんでしょうね」と夫人が不思議がるから、「今回の陸の打ち上げ場所が狭いからでしょう」と言おうと思ったが、それだとなんだが身も蓋もない説明なので、「花火師がね、船酔いするんです」と説明してあげたら、ははは、と楽しそうに笑っていただけた。

今回は打ち上げ場所から少し離れたところにアンカリングしたので昨年のような迫力には欠けたが、それでも充分に花火が堪能できた。

夫人と妻は同じ高校の先輩後輩。右手に寿司、左手にサンドイッチを持ち花火を観賞している長女も、唐揚げを頬張っている次女も後輩なのである。ついでに書いて置くと、オーナーも妻や娘たちの先輩なのだ。
オーナーのokapi君と夫人は高校の入学式で出会ったというから大したものだ。何が大したものなのかというと、今も仲むつまじく新婚夫婦のように見えるからである。もちろん、夜陰に紛れてのことで、海上は闇、頭上から花火の照明を受け初々しい新婚夫婦に見えたということだ。夜目遠目傘の内とは誰が言ったのか、けだし名言である。
わはは。



有朋自遠方来 不亦楽
月曜日。カナダから帰国した友人が来てくれた。写真は幾つか持参してくれた土産の一つだ。本人も自慢していたが、これは僕もとても嬉しかった。Old salt。まさに僕のために作られたようなキャップである。
何か土産をとバンクーバーの船具店を覗き見つけたのだという。ブログ名を覚えてくれていて、コレだと思ったそうだ。土産物や贈り物は適当だと簡単に見つかるが、本気で選ぼうとすると誰もが苦労する。だから本気の捜し物を見つけたら嬉しいものである。
土産のキャップをテーブルの上に置いて友人は開口一番こう言った。

「安かってん」

これぞ、大阪人の最上級の自慢言葉である。何十年も前に日本を出て外国に住んでいるのに、大阪気質はまったく抜けていない。
「安かってん」は単に安物という意味ではない。自分にとって値打ちがあるものが、その値打ちに相当するはずの価格よりも遙かに安く手に入った時に使用する。だってね、ただ価格が高いモノなら金さえあれば誰でも買えるから何の自慢にもならないではないか。
「安かった」は、“安物”なのではなく自分にとって“割安感”のあるもののことだ。
だらといって、自分の妻や恋人が素敵すぎて、大いなる割安感を持ったとしても、「安かってん」と言ってはなりません。この使い分けができないとネイティブな大阪人とは認められないのです。

そういえば20年前の新婚時に、ものすごく大きなダイヤの指輪を妻に贈ったことがある。
「安かってん」と・・・。
その指輪は今はない。というか、とっくの昔に捨てられた。妻は大阪人ではなく三河の土着の百姓の娘だったことを失念していたのだ。
大阪以外では「安かってん」は、値引き商品という意味意外の意味を持たない。だから妻は、「安かった」と正直に言う夫を誠実な人と思いつつも、「ガラスの指輪かい!」と思ったのである。で、捨てられた。



ま、たしかに安っぽいか・・・。

もう一つのキャップはskipperとある。小型船の船長、主将、舵を取る人といった意味だ。
ヨットの場合、舵を持つのは必ずしもオーナーとは限らない。操船の下手なオーナーが船をジグザグに走らせクルーやゲストを船酔いさせるよりは、操船の上手なクルーに舵をまかせる方が賢明だ。そういうことから、誰が舵をとろうと、その人をスキッパーと呼ぶ。
船は船長免許といって、誰か一人が免許を持っていれば、無免許で操船してもいいのである。
skipperのキャップは妻にと思い買ったのだという。妻は小さいながらも自分のヨットを持っているからこのキャップが似合うと思うが、skipperのキャップを観た時に真っ先に思ったのは、いつも世話になっているヨットオーナーのokapi君だった。彼にプレゼントしたいと思ったのだ。

そういう思いもあってカナダから友人が来ているので遊びに来ないかと誘ったのだが無下に断ってきたのである。携帯に電話をしても出ないから自宅に電話をしたら、居留守をつかったのだろう、夫人が出て「いつもはヒマなのにこのところ忙しいみいたです。ははは」と笑っていた。ウソがつけない夫人なのである。
遊びに来たらサプライズで喜ばせてやろうと思ったのだが肩すかしを食った。ヨットのオーナーはokapi君だが、okapi家を切り盛りしているスキッパーは夫人なので、夫人に贈る方適切かとも思ったのだが、ハンサムな僕が夫人に贈り物をすると彼は嫉妬するに違いないから断念し、キャップは妻が使うことにした。

もっとも、okapi君はいつもクラッシャータイプのハットを被っていて、キャップを被っているのを見たことがない。たぶん、クラッシャータイプのハットにこだわりがあるのだと思う。事実、似合っている。彼に習い妻もこのタイプのハットを買った。ディンギーに乗るときに使えばいいのに、なぜか町内寄り合いの溝掃除などの時に使っている。20年一緒にいるが、僕と妻の間には考えの相違というか、深い溝があるようだ。

okapi君は高校の国語の教師で、自ら国文学者であると豪語しているから、クラッシャーハットで世界を飛び回っていた文豪の開高健を自分のイメージに重ねているのかも知れない。ま、ずんぐりな体型は似ている。酒好きのところも・・・。

カナダに住む友人は日本に帰国すると必ずわが家に寄ってくれる。30年以上、これは変わらない。彼のことは以前にも書いているのでそちらを読んでもらえれば人となりが分かるのだが、どこに書いたか探せなかったのでリンクを貼れなかった。

もう一度簡単に説明しておくと、若い頃、まだ1ドルが360円の固定レートの時代に、海外旅行者への外貨割り当て限度額の500ドルを持って勇躍世界一周の旅に出た。
交通はシベリア鉄道。ウラジオストックからモスクワまで7泊8日。そしてヨーロッパのコペンハーゲン(だと思う)へ向かった。
シベリア鉄道というとこの路線という思い込みがあるが、北京~ウランバートル~ウラン・ウデ~モスクワ間のルートもある。こちらは6泊7日。僕はこのルートの列車で北京からモンゴルへ旅した。

以前のブログで彼のことを次のように書いたはずだ。
彼はスエーデン滞在中にKFCでアルバイトをしていたのだが、カナダ大使館が移民を募集していることを知り応募する。移民は誰でもOKということではなく、何らかの技術を持っていることが条件だった。で、面接官に言った。「僕はコックである」と。実際は金網に鶏肉を入れ油の中に沈めていただけなのだが、それでも合格した。

彼は僕に次のような話も聞かせてくれた。面接官は彼の日本での行動をかなり詳しく調べ上げていたのだという。「あなた、某月某日の○○時にアベノというところの地下街で反戦トークをしていましたね、とか、御堂筋でデモをしていましたね」と言われたそうだ。それは驚くほど詳細だったという。
情報源は日本の公安警察である。僕たちは自分たちで立ちあげた運動団体の中心メンバーだったが、市民運動の反戦活動で過激な団体ではなかった。なのに、分単位で行動がチェックされていたのである。

僕にも同じような経験があって、運動を止めて十数年後に、当時住んでいた京都のアパートの自転車置き場にバイクを置こうとしたときに、さりげない調子で「たかのつめ君」と声をかけられたのである。当然振り向く。すると声音が変わり「たかのつめさんですね、警察ですが」となったのである。名前を呼んで本人かどうか確認したのである。
僕は反戦運動の中で、よど号を乗っ取ったメンバーの某とお茶を飲んだことがある。ただそれだけ、町ですれ違う程度の出来事だったのだが、それも含めてマークされていたのだ。警官の質問は「最近、某から連絡はありませんか」というものだった。最近どころか茶を飲んだ以外に何の関係も続いていない。

日本の公安警察は執拗で事細かに調べ上げる。今なら、原発反対のデモに参加した人々が該当する。例外なく全員マークされ政治思想犯(犯人扱いなのだ)のリストに載せられているはずだ。ネットも同じで反政府・反権力的なことを書いているブログもマークされているはずだ。一度リストに載ると生涯削除されることはない。なので、一朝あれば命をかけて権力と戦ってやるという強い意志がないなら、軽々に反権力、反保守的なことをブログに書かない方がよいというとだ。

カナダは懐が深い国で、反戦運動家だった友人に移民権を与えた。日本政府に人物調査をしたぐらいだからストックホルムのKFCケングスガータン店(だったかどうかは知らない)に問い合わせ、彼が鶏肉を油で揚げるだけのバイトであることも調べ上げていたはずだ。もしかしたらカナダは、懐が深いのではなく、すごくアバウトな国なのかも知れない。

料理人で入植すると料理人、大工だと大工の職に就かなければならない。彼は日本では服飾学院に勤める一方でエコノミストであったので、コックとは無縁。何の調理技術も持っていなかったのだが、バンクーバーでステーキハウスに職を得て、支配人になるまで勤め上げた。
名前が思い出せないが、彼の友人の造園師にアルバイトをさせてもらったことがあるのだが、日本の庭師的な技術は持っておらず、草刈り機で庭を刈り樹木を剪定というよりは適当に伐採していた。それでもきっと、移民の面接の時に「僕は造園師だ」と言ったに違いないと思う。その自称造園師だった彼は、今は手広く造園業を営んでいるという。

カナダへの移民許可を貰った友人は、想いを寄せていた日本の彼女にスエーデンから国際電話をかけ結婚を申し込んだということも、以前のブログに書いたと思う。
当時の国際電話はダイレクト通話ではなく電話局の交換を通して申し込んだ。繋がるまでに20分も30分もかかったものなのだ。しかも有線の音声は何カ所も増幅器を経由するから音声が劣化し微弱になる。いかにも遠いと感じさせる。

ヨーロッパからそんな国際電話が来たのである。誰だってその気になっちゃうのに、友人は殺し文句を用意していた。
「クイーンエリザベスでアメリカ経由でカナダに行こう」と言ったのだ。
彼女は女王になったと錯覚したのである。すぐに飛行機で彼の元へ飛んだ。そして約束通りクイーンエリザベスで大西洋を渡った。

数年後にカナダの彼の家に泊まったときに彼女は言った。
「あのねタカさん。確かにクイーンエリザベスに乗ったけど、3等だったので船の底の部屋よ。あの大きな船でしょ、アッパーデッキに出るまで20分ぐらいかかるの。海を見たのは一度だけ」と・・・。

友人はきっと、クイーンエリザベス号のチケットの中で、「安かってん」と思うチケットを見つけたのだ。その三等チケットが水面下の部屋であっても、クイーンエリザベスに何の変わりがあるものかと思ったのだ、きっと。
友人はそう思ったとしても、客観的には、豪華客船で大西洋を渡ったというよりも、潜水艦で行ったといえるのではないだろうか。

友人の大抵のことは知っているつもりなのだが、まだまだ知らないことがあるようで、今回も2つ新発見をした。



一つはサンダル。友人は20歳ぐらいの時に東南アジアに旅行したことがあり、土産に写真のようなサンダルを貰ったのである。いまでこそよく目にするタイプのサンダルだが、当時、革製のこんなサンダルは珍しく、貰ってとても嬉しかったのだ。しかも底が丈夫で7~8年は履いたと思う。彼にはこれまで何度もその話をしていたのだが、今回彼は「ああ、あれな。底がタイヤのやつ」と言ったのである。
初めて知ったが、あれは、古タイアを足形に切った上に革を貼って作ったサンダルだったのだ。貰ったサンダルを履きつぶし、同様のサンダルを探しても頑丈そうなものが見つけることができなかったのは、日本製の底革は硬質スポンジで、古タイヤ製などなかったからだったのだ。革製のサンダルの底に古タイヤを使う。日本ではありえない製品だが、当時の東南アジアは皮革よりも化学製品の方が数倍も高価だったから、こういう製品が作られていたのだ。

二つ目は、移民申請時の逸話。「僕はコック」以外にも、意外な物語があることを初めて聞かされたのである。なんと、スエーデンでフジコ・ヘミングと交流があったというのだ。ご存じの方はご存じのように、フジコ・ヘミングは世界的なピアニストである。その彼女と親交があり、とても世話になったのだという。彼の誕生日に家に呼ばれ祝ってもらい、食事だけでなく、ピアノも演奏してくれたという。グランドピアノが飛び跳ねるような激しい弾き方だたっと友人は言った。その演奏を聴き、この人は将来、有名なピアニストになると確信したという。
フジコ・ヘミングが35歳前後の、若かりし頃のことである。

彼女には他にも色々と親身になってもらったようで、カナダ大使館への移民申請の時も「わたし、ドイツ語ができるから通訳で一緒に行ってあげる」と言われ行ったそうだ。このあたりがフジコ・ヘミングなんでしょう。だって、カナダはドイツ語圏ではないから面接官がドイツ語ができなるはずもなく、通訳にならなかったのである。
彼女、35歳前後の、若かりし頃の逸話だ。楽しい人である。

友人はこの話をし終えたあとに、しみじみと、彼女にもう一度会いたいと言った。普段はあまり見せることのない友人の一面だった。
もしかしたら、友人のその表情は、僕にとって、三つ目の新発見といえるのかも知れない。


ヨットとJazz  




ヨットとJazz




ヨットハーバーでJazzライブ。贅沢な時間を過ごしてきました。
友人のヨットが係留しているポンツーンの前がクラブハウス。そのクラブハウスのデッキが演奏会場でした。ヨットに居ながらにして観賞できたわけで、これ以上の贅沢はありません。



サックス奏者の加藤大智さんがメイン。ご覧のように若い。サックスとギターとベースだけなので貧弱な感じがしますが聴かせる音を出していました。ときに、むせび泣いているように、あるいはコルトレーンを聴いているようで、良い感じでした。

曲目はFly Me to the Moon. Days of Wine and Roses. Get Your Kicks On Route 66.  Garota de Ipanema. Take the 'A' Train. などポピュラーなものが中心でした。
途中、ハーバーに遊びに来ていた女性が興にのってボーカルで参加。ルート66とイパネマの娘を歌ったのだが、飛び入り参加とは思えないほどバンドとの息があっていてとても良かった。



演奏が終わってから、なぜか件の女性がわれわれの船へ遊びに来てくれたので、色々と話を聞いてみると、長谷部泰子さん(写真左端)といい、近郊のライブハウスで活動しているジャズミュージシャンだった。ヨットや音楽は予期せぬ邂逅があるから面白い。
右から二番目がオーナー。オジサンたちは他のヨットのオーナー。

Days of Wine and Roses. 誰もが好きな一曲だと思う。酒とバラの日々。その題名から、ハンフリーボガードやフィリップ・マーロが登場するハードボイルド映画をイメージしてしまう。この曲は元は映画なのだが、ハードボイルド的なものではなくて、アルコール依存症夫婦をテーにしたシリアスな映画だった。たしか主役はジャック・レモン。

酒とバラの日々は
遊びに夢中の子供のように
笑いながら走り去ってゆく
草地を通り抜け
閉じかかったドアに向かって
"やり直しは出来ない"と書かれた
見知らぬドアに向かって

孤独な夜が語るのは
ちょうど吹き抜けて行く
そよ風がはこんでくる
輝かしい笑顔の思い出のこと
その笑顔が 
酒とバラの日々と そして あなたへと
私を誘った

ちょうど吹き抜けて行く
そよ風がはこんでくる
輝かしい笑顔の思い出
その笑顔が 
酒とバラの日々と そして あなたへと
私を誘った

ジャズBARやライブハウスで女友と酒を飲みながらこんな歌詞で聞くと、つい酔い痴れてしまう。でしょ、アナタ。

『酒とバラに日々』このタイトルがお洒落です。どんなイメージを抱きます?

アル中夫婦のシリアス映画になぜこんな楽曲なのか。単純に考えると似合わない。アル中生活を美化するために使ったのかと思いますが、「酒とバラの日々」われわれが抱くイメージとは少し違う背景があるのです。
元はイギリスの詩人が書いた詩の一節を使ったようです。その詩でのDays of Wine and Roses.は、酒とバラの花に囲まれた毎日、つまりは社交と快楽に明け暮れた日々という意味が込めてられているという。

映画は酒好きの夫と酒を飲まない新婚夫婦が、やがて妻も酒を飲むようになり夫婦で深刻な依存症になっていくわけで、酒がらみの社交と快楽の日々からこのタイトルになったのでした。故郷の地に戻って来た男の感傷を歌っていいるようなジョーン・バエズのGreen, Green Grass of Homeは、実は、死刑台へ向かう死刑囚が故郷を想う心情を歌った歌だったというのと重なります。
酒とバラに包まれた日々を続けるとアルコール依存症になるよ、と肝に命じましょう。

Route 66は僕には懐かしい曲です。このタイトルのアメリカのTVドラマがありました。中学生の頃に日本で、たぶんNHKだったと思いますが放映されました。毎回完結で100話を超えたと思う。この時期、エリックフレミングや後にスパースターになったクリント・イーストウッドのローハイドも放映されていたはず。前後してリチャード・キンブルの逃亡者も放映されていました。
この三作、すべて移動劇です。白黒テレビに釘付けのわれわれは、アメリカの広さに恐れ入ったのでした。
国道66号線はいまは無くなっているとか。アメリカ人にとってもノスタルジックな国道だったようで、観光用に一部残されているとか。

ヨットのデッキに座り、そんな昔のあれこれを思い出しながらジャズに浸ったわけで、至福の時間でした。ヨットはいいと、つくづく思ったのでした。



okapi先生、誘ってくれてありがとう。妻も娘たちも友人たちもとても喜んでおりました。
写真はオーナーのokapi夫妻。亭主はどうでもよろしいが、可愛い奥様です。

次週は花火です。ヨットで会場へ出かけ、真上に打ち上げられる花火をデッキに寝転んで鑑賞するのは圧巻です。ズシンと爆裂音が身体を震わせる体感花火鑑賞。これがたまりません。これもまた贅沢な時間であるわけで、おそらくまた、ヨットはいいと、つくづく思うのでありましょう。




おやつはカール♪  




おやつはカール♪


今日は海苔屋の親父の話をしたいと思います。
特に理由はありません。あまりにも蒸し暑く、熱射病気味でへばっていてら、ふと彼を思い出したからです。体調不良で新たに書く元気がありませんので、例によって以前の記事を使い回します。



この方が海苔屋の親父なのでございます。この方が30年のキャリアを持つヨット乗りだとは誰も思わないことでしょう。ヨットの船底についた“ヨット海苔”なら頷けますが・・・。


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ヨットマンどころか、彼が百年の歴史を持つ海苔屋の四代目だとも、とても思えません。この写真を見て誰もがイメージするのは、鍬をかついであぜ道を歩くおやつはカール♪の、あの親父ではないでしょうか。仲間内では、三河湾のスナメリの化身ではないかという噂も出ておりますが・・・。

余談ながらついでに紹介しておきますと、僕たち家族がよくお邪魔しているヨットのMIKAWA3人の共同オーナー艇なのです。一人が写真のカールおじさん。一人が工務店のオーナーのOさん。残る一人が名古屋でサラリーマンをしているBさん。3人に共通しているのは極めつけの甘党という点です。

Oさんはジャムパンを食べ過ぎてジャムパンが嫌いになったという筋金入りの甘党です。工務店のオーナーの100中99人は饅頭よりも酒を選びますから、Oさんは工務店業界の異端児でありますね。饅頭で接待や談合はできませんから、清廉潔白な大工の棟梁と申せましょうか。

Bさんはバブルガム・ブラザーズのブラザートムにソックリな方です。ブラザートムの雰囲気のまま朝食代わりに汁粉を食べてから船に来て紅葉饅頭とバームクーヘンを食べてなお、ビールで口直しして再度紅葉饅頭からもう一周する人なのです。すごいですね。

海苔屋の親父は甘いものなら底なしです。クリームサイダーを飲みながら饅頭とケーキを同時に頬張るという芸達者です。
妙齢の美女がいやん♪などと言いながら饅頭を食べるのならともかく、親父連中が早朝からヨットのコクピットで目の色を変えて甘い物に食いついている様を見ていると、岸壁からまだ船が離れていない時点ですでに、船酔いいたします。

話を海苔に戻しましょう。
人を見た目で判断してはいけません。海苔屋の親父の海苔に対するこだわりは半端ではないのです。
昨年の夏に親父からおにぎり用の焼き海苔を頂いたのでした。浜名湖のヨット教室へ向かう車中で持参したおにぎりに巻いて食べたのです。妻と二人で絶句いたしました。
こんなにも奥行きのある旨味と香り立つ風味を持った海苔に出会ったのは初めてのことだったからです。グルメの僕を唸らせるヤツは只者ではありません。たった1枚の焼き海苔で、僕は彼のファンになりました。いい仕事をしているわけで、信頼の置ける人だとも思ったのでした。類は友を呼ぶといいます。親父の古くからのヨット仲間のOさんやBさんも確かな人たちだと思ったのでした。超甘党というのは想定外でしたが・・・。

彼は若い頃に東京の海苔を一手に扱っている三店の大店の一つで修行をしたといいます。修行を終えて三河に戻って半年で10kgも太った(奥様談)といいますから相当厳しい修行を体験したのでしょう。その修行と三河の老舗海苔店の四代目という自負が、妥協を許さない海苔づくりになっているようなのです。
こういうふうに書くと、販促の提灯記事を書いている三流コピーライターのようですが、皆さんに海苔を売りつけようということではないのです。そもそも親父はこのブログの存在を知らないので、皆さんが買ってくれたからといって僕にキックバックが入ってくるわけでも、賞味期限が切れて売り物にならなくなった海苔が届けられるということもないのです。

何度も書きますが僕はグルメです。舌の肥えた僕は大抵のことには唸りません。絶句もしません。その僕が彼の海苔には驚かされたのでした。
彼の説明によると、扱っている海苔は初摘みの海苔だけらしいのです。よくは分かりませんが、初摘みの海苔が最も美味しいらしいのです。彼はその初摘み海苔をさらに厳選して、上質のものだけを取り出して乾燥海苔を作っているのです。極上の海苔なのですね。

僕は時々彼の店にお邪魔して奥の事務所でコーヒーなどをご馳走になるのですが、出てくるコーヒーが不味いのです。お茶も不味い。これはコーヒー豆や茶葉が安物ということではなくて、店内に馥郁たる海苔の香りが満ちていてコーヒーもお茶も匂い負けしているからなのです。イノダの豆であろうと宇治の金玉露であろうと太刀打ちできない海苔の香りなのですね。

海苔の香りと書くと磯の匂いをイメージします。磯の強い香りと書くと漁港の魚臭い臭いが混じった磯臭さを連想するかも知れませんが、まったく別物です。そんな澱んだ空気や雑味の臭いが混ざらないピュアな海苔の香りなのです。
とにかく、店内に漂う海苔の香りを嗅ぐだけで扱っている海苔の確かさが推測できる、というような感じ、海苔の香りでアロマテラピーができる、そんな感じでもあるのです。

僕が嬉しいのは、こんな上質の海苔を扱う職人肌を持った方が、ハンサム以外になんの取り柄もない僕を友人として扱ってくれていることです。
質の高い人と交友を結ぶというのはとても大切なことです。上質の道具や食材に出会うというのも大切なことです。いい影響を受けるからです。朱に染まれば赤くなると言いますが、どんな朱に染まるかで仕事も遊びも生活も変わります。ただし良質の出会いは少ないので、その出会いを大切にしたいと思うのですね。地球に60億の人間がいても出会う人はわずかなんですから・・・。

MIKAWAのオーナーたちはヨット暦30年です。僕も彼らに負けないだけのキャリアを持っていますが、彼らの知識や技量やパッションに嫉妬を覚えることが多々あります。そういう時の僕は井上陽水なので、「海の向うは上海~♪」とシュールに歌いながら彼らへのジェラシーを自分の向上心に変えるのです。それが楽しいのですね。

羨ましいでしょ。いえ、カール親父やブラザートムでなく、海苔ね。
僕が絶賛するぐらいだからすごい海苔だと思うでしょ。食べてみたいと思ったでしょ。でも連絡先は教えません。どうしても言う方は自分で探してみてください。
探す努力の向うに極上の海苔が待っていますからねー♪

連絡先が分かって電話をかけるのなら、カール親父を指名しましょう。
そしてタカノツメから聞いて電話をかけたと一言いってください。

きっと親父は、

「あぁ、そうですか」と言ってくれることでしょう。


履きなれたデッキシューズⅡ  




履きなれたデッキシューズⅡ


友人から電話があった。ジャズを聴きに来ないかという。
彼がヨットを係留しているハーバーのディンギーヤードで演奏会があるのだそうだ。演奏会は夕方からなので少し早めに来て近くをセーリングしないかとも言った。
ヨットハーバーで土曜の夕べのジャズ。いいじゃないですか。

「最近僕の船は速くなりました」と言う。レースでの話なのだと思う。レース成績が上がったと自慢しているのである。
「君の船が速くなったのではなく、周りの船が遅くなったのでは」と返答した。
ヨットの上で慢心すると事故になるからね♪

「ジェネカーが壊れまして、スピンを買いました♪」と嬉しそうだった。スピネーカーの方が風を多く受けるからスピードも上がる。それが嬉しいのだ。だが肝心のスピン操作は大丈夫?と思ったところを、「スピンって人手がいるでしょう」と、カマをかけてきた。

ジェネカーなら二人でも扱えるがスピネーカーは扱いが厄介なので最低でも3人は手が欲しい。彼のヨットはクルージング仕様なのでフラクショナルリグではなくマストトップリグなのでフォアステイがある。ジェネカーなら邪魔にならないフォア-ステイも、スピンポールを使うスピネーカーだとジャイビング時の操作を難しくするからだ。

彼のヨットだとスピネーカーの大きさは畳12枚分を超えるから風圧も大きい。スピンポールはそれを御すためのものだからジャイブ時にポールを外すとヨットはバランスを崩した凧状態になる。そういう状況の中で速やかにスピンポールを付け変えジャイブさせなければならない。パンチングやローリングするデッキの上で脚だけで踏ん張りバランスを取りながら作業をやらなければならないから力もいるし危険でもある。追っ手の帆走はブームも出きっているからジャイブ時の下手なジャイブをするとグースネックを痛める。スキッパーやシートトリマーとの阿吽の呼吸も欠かせない。

「タカさん、ヒマでしょ」という。だから、手が欲しいのである。
「うん。ヒマ。でも体力がない」だから、魂胆が見え見えなの。
「口は達者でしょ」
「口ではヨットは走らんよ」

隣に海苔屋のオヤジがいるのだという。スピネーカーを購入したのはいいが、さてどうしょうと話をしていて、海苔屋のオヤジが「アイツがいるじゃん」ということになったのだと思う。
海苔屋のオヤジはかつてはバリバリのディンギー乗りだった人だ。いわゆるディンギー上がりなのでヨットを速く走らせる技を持っている。一人乗りのディンギーもキャビンのあるクルーザーも風を受けて走る同じヨットだから走らせ方に大きな違いはない。大きな相違点は、ディンギーはハイクアウトして船をヒールさせないように走るが、クルーザーは適当な角度でヒールさせて走ることぐらいである。海苔屋のオヤジはスピンを使わないディンギーに乗っていたからスピネーカー操作に不慣れなのである。高校教師のオーナーの彼はヨット歴も10年とそれなりに経験を重ねてきているがスピネーカーが扱えない。海苔屋のオヤジは還暦前、オーナー50歳。ハーバーのベテランたちにヨット操作のアレコレを尋ねるのが恥ずかしいというお年頃だから、「アイツはどう?」ということになったのだと思う。



麻のジャケットに白のチノパンと白のポロとストローハット。下はチノの短パンでもいいかも知れない。ハーバーでジャズを聴くならこういう服装かなと思った。
この恰好でトランペットでも吹けたら様になると思うのだが、ホラしか吹けないのが情けない。それすら酸欠病になってからスケールが小さくなった。ホラを吹くのも肺活量がいるのだ。

いま悩んでいるのはデッキシューズ。
290円のヒラキと17000円のトップサイダー
うーん、どっちにすべきだろう。

メイストーム  




メイスト-ム


わが家は海まで数分と近い。
これが小高い丘の斜面に建つ家なら、毎日窓の向うに海が眺められてご機嫌なんだろうが、残念ながら海抜0mに建つ家なので海はまったく見えない。

TOYOTAのCMだったか、人生の指針か何かを探すために書架から皮装丁の重厚な雰囲気の本を抜き出し開いて見ると中身は白紙のページ。教授っぽい男がペンを差し出し、人生は好きなように描けるとか描けばいいとか、そういうようなナレーションが入る。
なるほど未来は白紙だから自由に絵が描ける。どうせなら24金のペンで描いてみたいではないか。

かくして僕は、自分ノートの残り少ない白紙のページを埋めるペンを得るためにロト6を買い続けているのだが、たった6個の数字すら思い通りにならないでいる。
これはおそらく、どうせ当たるならキャリーオーバー付きの4億円と、不遜なことを思っているから、ではないぞ。
2億円が当ったにもかかわらず、くそっ、キャリーオーバーで4億円だったら良かったのにと悔しがる自分が想像できるからなのである。そういう欲の塊に女神が微笑むとは思えない。僕が女神なら微笑まない。
多くの女性の微笑みを浴びてきた僕なのに、クジ運の女神だけが微笑んでくれない。もしかして女神の星座は、妻と同じ水瓶座なのだろうか。

現実に戻ろう。
小高い丘の斜面に建つ家ではないので海を見続けているわけではないが、このところ大荒れである。毎日のように強風が吹いている。
メイストームなのである。まだ4月だが5月の嵐。綺麗で柔らかなイメージがするが、性格は厄介なのだ。最大の特徴は快晴だということ。風雨というように、嵐は豪雨も伴うという思い込みがあるので、天候が晴れだと大したことはないと思ってしまうのだ。その油断や誤解が事故を招く。気候の影響に因る海難事故やトラブルの大半が、天気がいいのに強風というのが原因だ。海の上でトラブルが生じたら、まずは冷静にならなければない。

今はバウナツに永住して現地でチャーターヨット業をしている友人がいるのだが、そのクルーに聞いた話だ。
彼が南太平洋に行くために購入した中古ヨットの整備で和歌山へ回航したときのこと。紀伊水道へ抜ける途中の友が島で舵が故障してしまった。同乗していた3人のクルーは全員真っ青になったという。狭い水道でしかも潮流が速い。ヨットはどんどん岩礁に向かって流されて行く。
「ど、どうしましょう、オーナー!」
しばらく考えたオーナーは、

「とりあえず、ビール貰おうか」

この一言でクルーたちは我を取り戻したそうだ。購入したてのヨットなので勝手が分からない。けれどもラット(舵輪)仕様なのでどこかに必ずエマージェンシーティラーが有るはずと冷静に船内を捜して見つけ出し事なきを得たのだという。

先日のMIKAWA(超甘党の3人の共同オーナー艇)の回航時にキャビンの中にいた僕にバラさんが言った。
「ギャレー(台所)のどこかに爪楊枝ないかな?」

MIKAWAのエンジンは冷却水の穴が詰るクセがあるのだ。そういうクセがあるのにバラさんは針金が嫌いか針金で嫌な体験をしたことがあるのか、穴の中で爪楊枝が折れるとエンジンが動かなくなってしまう。そんな重要な箇所をいつ折れるかも知れない爪楊枝で掃除するのである。
「んーと、右の奥のカップ麺の下にコンビニ弁当の箸があると思うんだけど、その箸の中に有りませんかぁ。えーと、あっちがアメリカだな、がはは♪」
もしかして彼は、エンジントラブルをいいことに、アメリカ方面へ漂流したがっているのかも知れない。

もしMIKAWAに爪楊枝が無く、唯一の名誉クルーの僕が、「お、オーナーの皆さん、どうしましょう」と言ったとしよう。しばし考え込んだ3人のオーナーが同時に、

「とりあえず、饅頭貰おうか」

と、答えたとしたら、僕は緊張が溶け過ぎて、人生なんて、もうどうでもいいやという心境になりそうな気がする。

風ばかりのメイストームの後に、雨ばかりのジューンブライド。
この2つの間には溜息が出るような愛と感動の物語があるのだが、その話はまたの機会にするとしよう。

とりあえず今は、濃いお茶を一杯という心境だ。

水遊び  




水遊び




誰もいない砂浜にたヨット。後ろは国定公園の三河湾です。
ちょっといい光景ですね。

わが家から車で2~3分のこの場所で『ディンギーを乗り倒す会』を行いました。
日頃クルーザーに乗っている面々が、たまには水遊びをしようという趣旨の会なのです。クルーザーも水遊びなんですがちょっと違うのです。なんて言えばいいのでしょう。いつもはクルマでドライブだけど今日はバイクで行くか、そんな感じでしょうか。

写真のヨットはNACRA5.2という船種のカタマラン(双胴)ディンギー。強風の中をかっ飛ぶのが持ち味のヨットです。




どうです。水遊びでしょ。



妻のヨットです。シーホーパーという船種のディンギーヨット。





近くの漁港まで引いて行き造船所のスロープを使わせてもらい海に出ます。ちなみに造船所のオーナーの息子とうちの次女は小・中学校の同窓生。




走りはこんな感じです。動画はレーザーという船種のディンギーですが、シーホッパーとほぼ同じサイズでデザインも似ています。



潮水を被ったまま放置しておくと、船体だけでなく艤装品やセールが傷んでしまうので、海から帰ってくると、ご覧のように全てを丁寧に真水で洗います。

2年前、当時中学2年生だった次女とこのヨットに二人乗りした時にチン(転覆)させていまい、僕だけが落水という情けないことに。船に簡単に這い上がれるつもりがダメで次女に手を引っ張ってもらうという体たらく。この時アバラを折ったのでした。
水遊びもままならぬ歳になってきたということですね。えっ、その出っ張った腹をなんとかしろですと。おっしゃるとおりでございます。体力の衰えもさることながら、出っ張った腹が邪魔して船に上がれませんでした。

そんなわけで今回はNACRAに乗っちゃいました。早い!
とても面白うございました。
今日はあれから3日目。未だに身体のアチコチが痛いです。
こいうのを年寄りの冷や水ならぬ、年寄りの潮水と言うのだそうです。


履きなれたデッキシューズ  




履きなれたデッキシューズ




SPERRY TOP-SIDER(スペリー トップサイダー)
ヨットのデッキは濡れていることが多く滑りやすい。そんなデッキ上での作業はとても危険だから滑らない靴、滑りにくい靴の存在は大きい。靴底はラジアルタイヤのようにカットがたくさん入っている方が滑らないと思いがちだが、氷上と同じで、デッキの上では裏のゴツゴツはほとんど効果を発揮しない。濡れた大理石張りの商店街の通路を雨靴で歩いて滑り、怖い思いをされた方もいらっしゃると思う。濡れたヨットのデッキはまさにその状態になる。しかもヨットは風を受け傾いて走っていて、そのヒール(傾き)角度は強風下だと30゜を越えることがしばしばある。滑れば簡単に落水し、落水すればまず助からない。しっかりデッキをホールドしてくれるシューズの存在は大きいのである。
トップサイダーは裏底が平らだ。ツルリとさえしている。ところがソールを反らせると何本もの溝が現れる。この溝こそがトップサイダーの秘密なのである。



1935年の厳寒のアメリカ・コネチカット州のある日のこと。ポール・スペリーは、いつものように愛犬プリンスと散歩に出かけた。そして、プリンスが凍った雪道を滑らずに走り回っている姿を眺めていて思うのである。なぜ滑って転ばないのだと。
セイラーだったポール・スペリーはそのことに強い興味を持ち、愛犬の足の裏を観察して幾つもの小さな隙間があり溝が四方八方へと広がっていることに気づく。ポールは実験的にゴム板にナイフで犬の足裏を真似て切り込みを入れ、普通のスニーカーに貼りって使ってみたのである。これがSPERRY TOP-SIDER誕生の秘話である。というか、Old Saltyなヨット乗りなら秘話でもなんでもなく、よく知られた話なんだけど・・・。



僕が愛用してきたのは一枚皮のこのタイプ。30年間で4足履き継いだ。過酷な使用条件から考えると一足一足がとても長持ちしている。昨年、4足目のデッキシューズをレッコ(捨てる)したが、履けなくなるまで履くならまだ4~5年は履けた。けれども踵がほとんど無くなってしまい、さすがにみっともないシューズになってしまったのだった。

「とうとう捨てたよ」と妻に言ったら、
「あら、あのデッキシューズはアナタのではなくて私のだったのよ」と言うものだから、
「いや、僕のだ!」
「私のだってば!!」
の応酬となり収拾がつかなくなったのである。で、
「君の足って大きかったんだねー」
と言ってやったら、
「勘違いだった。アナタのデッキシューズだったわ♪」
と、ようやく決着をみたのである。



いま履いているのはこのタイプ。ただし貧乏な今はトップサイダーのこのタイプは高価すぎて履けません。



現物です。通販の靴のヒラキで購入。290円。僕が履くとトップサイダーに見えるから不思議です♪

デッキシューズだけでなく、昔は完璧な機能を持ったヨットのアイテムやギアーが少なかった。例えば合羽のことを船ではオイルスキンというのだが、これは帆布に油を沁み込ませることで水を弾かせたから。今は100均のビニールの雨カッパですら水漏れしないが、昔のカッパは数回使うと縫い目から水漏れしたものだ。現在のような一体成形や圧着技術などがなかったから、縫製部分の裏にビニールの帯を接着剤で貼るという防水加工だったのですぐに剥がれ水漏れしたのである。



Pコートという膝丈ほどのボタンがダブルタイプのコートをご存知だと思う。Pコートには馴染みはなくても、ボタンがダブル掛けタイプのブレザーや礼服は見慣れていると思う。だが、ダブル仕立ての理由を知っている人は少ないはずだ。

Pコートやダブルタイプの洋服は、元々は船乗りの軍服が由来なのである。それは遠く帆船時代にまで遡る。帆船はその名の通り風を受けて帆で走る。帆船の舵は下士官以上の高級船員が担当する。高級船員は制服を着る。下級船員はセーラー服である。ちなみに、日本の学生の制服が、男子は士官の制服だった詰め襟、女子が兵卒の制服だったセーラー服になったのは、明治時代の男尊女卑の考えに因る。

舵を持つ者をスキッパーという。(大型船ならパイロットorキャプテン)
帆船は風上に向かって帆走できる。正しくは風上に向かってジグザグに走らせる。左右どちらかから風を受けて走りタック(方向転換)し、今度は左もしくは右からの風を受けて走る。それを繰り返し風上の目的地に向かう。
その帆走時に普通の上着やコートなら、ボタンは左前だから、右側から風を受けて走る時は風やスプレー(波の飛沫)が懐に入ってくる。この対策としてPコートやダブルの服が生まれた。Pコートやダブルの服は左前・右前の切り替えが出来る仕様になっているのである。舵を握り持ち場を離れられないパイロットが風向きに応じて上前を変えれるようにということなのだ。下級船員のセーラ服が頭から被るタイプなのも防風のためで、ボタン仕様でないのは士官の制服よりもコストが格段に安上がりだからである。
もう一つ、セーラー服の襟はなぜあるのか。デッキは風の音などで操船指示の声が届きにくい。襟を立てて音を拾うのである。集音器がわりだったのである。



余談になるが、飛行機のパイロットも帽子とダブルのブレザーを着用している。空港でアテンダントをぞろぞろ引き連れて歩いているカルガモ親子の行列のような奇妙な光景はいつ見ても笑えるが、それはともかくとして、風もなく空調の効いた飛行機のコクピットに帽子やダブルのブレザーなど必要がないのダブルの制服姿なのは、船同様、権威の象徴だからである。アテンダントやカウンター嬢が寒くもないのに揃って首にスカーフを巻いている理由は、僕は知らん。知らんがたぶん、ある種の権威の誇示なのだと思う。

機長や副機長が船と同じタイプの制服を着るのは飛行機は空を飛ぶ船だからである。船が空を飛んだというべきか。したがって用語なども船と同じだ。キャプテンをはじめ、パイロット、クルー、コクピット、キャビン、ギャレー(台所)、ヘッド(トイレ)、ハッチなどなど、これらはすべて船用語なのである。また左翼側をポートサイド、右翼側をスタボードサイドというが、これも船からきている。ほとんどの旅客機の乗降口は左側にあるはずだ。これは船が左舷側を岸壁に着けたから。だから左側をポート(港)サイド、右側をスターボード(星座表側)と言った。
なぜ右側をシー(sea)サイドではなくスタボードサイドと呼んだのか。それは、シーサイドにすると、

  踊りに行こうよ青い海のもとへ
  二人で唄おう明るい恋のリズム
  でっかい太陽が恋の女神なのさ

と、ザ・タイガースのシーサイドバウンドを歌ってしまうからである。

なんてのはむろん冗談で、ちょっと想像逞しくして、マゼランなどの冒険家が旅した大航海時代やカティーサークなどの高速帆船が香港~英国間の紅茶レースを行っていた大帆船時代の港の景色を想像してみて欲しい。夜の港は暗い。明かりはせいぜいオイルランプかアセチレン灯ぐらいのものだ。もっと昔だと松明(たいまつ)。
岸壁に横付けされた船の向うの海側に見えるのは水平線から天空まで覆い尽くす圧倒される数の星が見えたのである。だからスタボードサイドと名付けられた。バイキングの時代から、船乗りはロマンチストだったのさ。

海の上は想像以上に過酷で、陸だと十分に通用するアイテムでも海の上ではまったく通用しない。だからこそ、優れたデッキシューズやオイルスキンやブーツやグローブが必要だったし、ヨット乗りの愛しい宝ものだったのである。
ヘリーハンセン。マリンウエアのブランドといえよう。昔は、HHマークのヘリーハンセンも良質の海のマリン衣料メーカーだった。けれども海の人口などしれているわけで経営が青色吐息。そこで販売戦略を陸にシフトさせ、マリンウエアのブランドイメージを陸で展開させた。具体的には頑丈で長持ちという機能優先から見た目のデザイン優先に変えた。海から目線だと堕落以外のなにものでもないが、これが効を奏してヘリーハンセンは業績を伸ばしたのである。
かくして小洒落たレストランやバーで、海とは無縁のカップルが風も無いのにHHロゴ入りのポロの襟を立てて、靴下を履いてデッキシューズもどきのモカシンというスタイルで飯を食ったり酒を飲む姿を嫌というほど目にするようになる。そんな光景を見てオールドソルトのおじさんは何度、後ろからハリセン(大きな音がでる扇)でヘリハン頭をぶん殴ってやろうと思ったことか・・・。
今なんかアナタ、街頭でタバコの販促宣伝するお姉ちゃんがミニスカにヘリハンにハイヒール。田植えの親父までがヤンマーの帽子にヘリハンのウインドブレーカーである。

だから、オールドソルトのおじさんは、ハリセン持って右往左往なのだ。

さてさて、



SPERRY TOP-SIDER。色はネイビー。
妻から僕への誕生日プレゼントでした。7年ぶりのトップサイダー。もう履くことはないとあきらめていたデッキシューズです。
体調不良でヨットも卒業かと思っているこの時期になぜデッキシューズのプレゼントなのか。20年も夫婦を続けてきた今も、妻の心情がさっぱり分かりません。死ぬまでにもう一度履かせてあげよとういう思いやりなのかも知れません。
ん?僕は死期が近いのか。
ネズミやゴキブリは船が沈没するまでに脱出するといいます。もしかしたら、妻は僕の死期を予感しているのかも知れません。
って、妻は前世はネズミだったのか、ゴキブリだったのか。どっちだ!

いつもクロッカスもどき、料理でいえば何々“風”のサンダルなので、久々のシューズは窮屈な感じでした。少しサイズが小さいかもと思いつつも履いて(当然素足)出かけてみたのですが、半日で、もう何年も履いていたように足に馴染みました。そう、トップサイダーの履き心地の良さはこれなのです。堅すぎず、かといって柔らかすぎない皮が素足を包み込み一体化し、まるで自分の足そのものような履き心地です。
本来はデッキ履くものだからデッキシューズ。初めてこのシュースを買った頃は船専用で履いていました。でも履き心地が良いもので、そしてその都度履き替えるのが面倒だったので、いつの間にか陸でも履くようになっておりました。だからヨットを卒業したとしても履けるシューズではあるのですが、でも、ヨットと無縁のデッキシューズというのもなんだか変。だからこそ、なぜ今になってトップサイダーのプレゼントなのかと思うのですね。

思い返せば誕生日の頃になると毎年のように妻がトップサイダーのことをチラッと言っていた記憶があります。贅沢だからいいと断っていた記憶も。
ここだけの話ですが、妻は美人でスタイルはいいですが、感性に欠けます。言葉や文章の表現力もつたないです。でも優れたアスリートの素養があって足腰や腕力の強さは半端ではありません。例えば妻が親指と人差し指の二本だけで閉めた海苔の佃煮の蓋を妻に次いで力の強い長女が五指全部を使っても空けらないほど妻の握力は強いです。リンゴを握り潰すことぐらいは朝飯前。リンゴはともかく、空き缶を握り潰して貰えるのは助かります。テニスなら恐らくシャラポアの上をいくはずです。「ポォォォウ!」の声量なら・・・。
そんな妻なのでレスリングならメダルを取れるほどの恵まれた体躯を持つのですが、いかんせん感性が乏しい。スポーツは体躯だけでなく感性やリズム感が欠かせません。あの金メダリストが「1・2・3・4アルソック」と体操をやっているのをみると、とても感性やリズム感があるとは思えませんが、ま、何事にも例外はあります。妻も恵まれた体躯と体力を持つのにアスリートとして大成できなかったのは、例外になれなかったからに他ありません。

そんな妻なので、何を考え何をどう感じているのか、20年も一緒にいて未だに僕はその心情をよくわかっておりません。
ただ、妻もトップサイダーには強い思い入れがあるのだろうと思います。前述したようにかつては妻もトップサイダーを履いていた時期がありました。僕の3足目がダメになり買い換えた時に一緒に買ったのです。結婚する前の年で妻が初めてヨットに乗った頃でもありました。その後の1年ほどは妻もヨット漬けの日々で、ヨットに乗るだけでなくメジャーなヨットレースの事務局の仕事もするなど、妻は日本語が下手なので多くは語りませんが、履きなれたデッキシューズの思い出として、今も眩しく強く鮮明に記憶に残っているのでしょう。その想いが、僕へのデッキシューズのプレゼントになったと、自分に都合のいいような解釈をしているのですが、妻が亡き今となっては真実は闇の彼方です。って、頑丈な妻は今、新聞を読みながら朝からちらし寿司を食べてますけどね。

ま、動機がどうであれ、会心の一撃的な、僕にはとても嬉しいプレゼントでした。

初乗り♪  




初乗り♪




今年最初のヨットレース、ボヘミアンカップ。
昨年、このレースに参加したのですが無風でノーレースに。今年は前夜から雨、しかも強風。乗船を予定していたヨット初体験の次女のクラスメートには条件が過酷ということで、レース参加を断念したのでした。
レース当日、朝には雨が上がって快晴になりましたが海上は15mを超える強風が吹き荒れたとか。35艇が参加し15艇が途中でリタイア。友人okapi君のヨットは完走。だがジャイブ(風下走行の方向転換。強風時は極めて危険)の時にブームバンクを支えてるシャックルが吹き飛んだそうです。

僕と次女、次女のクラスメートがアフターパーティに参加すべくハーバーに着いたのが丁度レースを終え帰航した少し後でした。分厚いオイルスキン(カッパ)を着込んだ友人たちは全身に潮を被っていて顔やサングラスは乾いた塩がこびりついておりました。相当スプレーを被ったようで過酷なレースだったことが伺えました。成績は下位だったらしいですが、荒れた海の中を走りきった満足感が身体から溢れておりました。

なんというか、このレース後の開放感漂う桟橋の光景が好きです。かつて僕も、何回も、何十回も何百回も同じ光景の中の一人として身を置いていたのでした。今はとても軟弱になって、荒れると分かっている海に出るのは嫌だと逃げている自分がちょっと情けないと思うのでありますね。でも寒いし冷たいのは嫌だもん。カッパを着たまま揺れる船内のトイレでおしっこするのは大変なんだぜ。トイレが寒いと近くなるじゃん。

ボヘミアンカップレースは、単独世界一周を果たしたヨットボヘンミアン号を記念して行われているレースです。冒頭のヨットハーバーに後継艇が係留されています。オーナーも健在で、むしろオーナーが私財を出してレースを開催しているといっていいでしょう。

蒲郡市にはエリカカップというレースがあります。 このレースは親子3人で世界一周をしたヨットを記念して開催されているレースで今年で27年目になります。エリカは出発時4歳だった娘の絵梨佳ちゃんの名前。世界一周し5年後に帰国しています。
第1回エリカカップに僕は参加しています。当時僕は大阪に住んでいたのですが、名古屋の某大手予備校の顧問をしていて、予備校の理事がヨットを持っていてそのヨットで参戦したのでした。200艇を超える参加艇の中で2位。僕の長いヨットレース歴の中で奇跡的な好成績でした。いやぁ懐かしい。
まさか、大阪からこの地へ移り住み、三河湾で遊ぶ日々を過ごすことになるとはあの時は思ってもみませんでした。27年前、妻はまだ14歳だったわけで、人との出会いって不思議ですね。



娘たちの髪を見れば風の強さが分かるかと思います。この日は終日強風が吹き荒れました。
でもヨットで寛いでいると、ほんと、幸せな気分に浸れます。

ちょっと海辺を  




ちょっと海辺を



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食材を買うために家を出ると、外は雲一つ無い五月晴れ。その空の色に誘われて、まっすぐスーパーに行くのが惜しくなり海岸沿いを走ってみた。

五月晴れとはいえまだ三月、春霞の一歩手前なので遠くの景色も見渡せた。窓を開けると昨日の春一番の残り風か、南東の少し暖かい風が車内を通り抜けた。
海の中に黒っぽく見えるのは海底の海藻。透明度が高いのです。

湾内の島や知多半島の先の島を眺めつつ堤防を5分ほど走り、島への渡船乗り場を過ぎると娘が通う中学校。校舎のベランダの先に海が広がる。長女も、まもなく卒業する次女も、ベランダに立ち、亜麻色の髪をなびかせて、何度も海を眺めたはずである。

次女「お父さん」
父 「なに?」
次女「私も姉も短めの髪にポニーテールだけど・・」
父 「うるせぇ!」

長女「お父さん」
父 「なに?」
長女「私はあなた譲りの黒髪ですけど・・」
父 「うるせぇ!」

妻 「・・・」
父 「うるせぇ!」
妻 「なんも言ってないでしょ!!!
父 「m(*- -*)mス・スイマセーン」

海が近いって、こういう会話ができていいものですよ、みなさん。


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