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Old Saltの日々雑感

日々雑感的に思うところを小さなウソと大きな誇張でデフォルメして掲載中!

じごくのそうべい  




じごくのそうべい


桂米朝さんが亡くなった。89歳だった。洒脱な落語家だった。

約半世紀前、毎週水曜日の夜中に、ラジオ大阪で「題名のない番組」という30分番組があった。それは、落語家の桂米朝とSF作家の小松左京、ラジオ大阪のアナウンサーの菊池美智子の3人の、題名のつけようのない行き当たりばったりのトーク番組だった。
三人のトークと投稿者のコメントを読むという、今のラジオのパーソナリティ番組と同じスタイルなのだが、当時としてはかなりユニークで、猛烈に面白かっただけでなく、今なら放送局が自己規制して絶対に放送しないような政府批判や社会風刺投稿も、笑いの調味料で誤魔化し放送するという、カルチェラタン的な番組だった。
ここでいうカルチェラタンとはパリの5区(だったか?)の学生街のことで、サルトルやニーチェが健在で、哲学や思想がまだ生きていた時代のパリで学生たちが様々な活動をしていたことに刺激され、解放区的な意味合いでカルチェ・ラタンを使った。
どのような番組だっかをイメージしてもらうために一例を紹介しておこう。

ブルー・サトー 〔替え歌:ブルーシャトー〕

無理と歪みに囲まれた 政治屋動かす
ブルー ブルー ブルー サトー
賄賂の来るのを待っている 代議士かかえた
ブルー ブルー ブルー サトー
きっと、あなたは アホな議員の弁解するのが苦しくて
涙をそっと流すでしょう
黒い霧のガウンにつつまれて必死にごまかす
ブルー ブルー ブルー サトー


〔あの子はたあれ〕

あの子はだあれ 誰でしょね
羽田のデモの最中に
カアちゃん連れて外国へ
隣りの栄ちゃんじゃ ないでしょか

※「栄ちゃん」は佐藤栄作。全国ヒットした「栄ちゃんのバラード」は僕たちの作詞作曲。


平バストの平胸か
小松左京のモークモク
奥目やつれてトッキッキ

※これは、ミッチー(菊地美智子)の平らなバスト、チェーンスモーカーだった小松左京(太っていたでモクブタとも呼ばれていた)、奥目は米朝のこと。
こんな投稿もガハハと笑い飛ばしながら採用していた。


〔伊勢物語・第106段 龍田川〕

ちはやぶる
神代もきかず
物価高
豊作なれども
米上がるとは


「東大がダメになったか。君、京大を受けてみないか?」
「いや、京大(兄弟)は、他人の始まりですから」
「じゃ、東北大学は?」
「いや、東北は、鬼門にあたりますから」
「それじゃ、青森大学は?」
「ダメです。ニュートン以来、りんごは、必ず落ちると決っていますから」
「じゃ、長野大学は?」
「いや、うちは信州(真宗)でなく、禅宗ですから」
「それじゃ、一体、どこを受けるつもりだ?」
「先生、長崎大学です」
「長崎? どうして、そんな遠いところへ?」
「江戸の仇を長崎で」


この程度の例ではイメージは伝わらないと思うが、後年(約10年後)小松左京自身が、日本沈没を書くヒントを得たであろう番組だと僕は思っている。同様に米朝もまた、この番組によって芸が磨けたと僕は思っている。そしてもう一人、僕もまた彼らの放送から沢山の刺激を受け多くの“何か”を得た、と思っている。僕や友人たちが、反戦活動や文化活動、路上ライブや対話集会などなどを臆することなくできたのも「題なし」が財産になっていたからだと思っているからだ。

ちょうどこの番組が放送されていた頃に、心斎橋の渡辺橋の上で路上で創作落語をやっていたのが米朝の直弟子の桂小米(後の桂枝雀)で、そのハチャメチャぶりがいかにも関西文化という面白さがあった。
ずーと後年。名古屋の専門学校の顧問をしていた僕は英語専門学校の学園祭に枝雀を招聘したことがある。彼に英語落語をやってもらたのだが、これが外人講師たちにバカ受けしたこと、その時に「赤い同盟を覚えてます?」と話しかけ「えっ知ってはんの?」「渡辺橋の時代からのファンです」と、実際に創作落語の「赤い同盟」を2分ほど演じてみせたら感激され昔話に花が咲いたことなどが懐かしい思い出として残っている。

ある日の題名のない番組のテープ興し版。


季節外れに  




季節外れに


季節外れだからこそ、その季節のものが無性に食べたくなることってありませんか。
僕はしょっちゅうあります。
いま、筍の若たけ煮が食べたいなぁと思っております。節外れは重々承知していますが、なぜか無性に筍が食べたいのでございます。それも自らの手で掘り取ったものを・・・。

妻の実家の近くに小さな竹林があって数年前まではそこで筍を掘らせてもらっていたのですが、用水路の拡張工事で竹林が無くなってしまったのでした。これがとても無念なのです。
というのも、三河地方で筍がスーパーで売られるようになるのは4月下旬から5月と遅いため育ちすぎてとても立派だからなのです。岡崎朋美のフトモモのようなと申しましょうか、それはそれはカチンコチンに太い筍なのでございます。ええもちろん、岡崎朋美のフトモモを触ったり齧りついたわけではありません。ですので、例話として合っているかどうかは保障の限りではございません。だから清水宏保のフトモモでもよろしいのですが、どうせ嫌々齧るなら清水よりも岡崎かと、かように思うのでありますね。いずれにしましても、こういう筍は京都や大阪だと食材市場ではなく材木売り場に並べられます。

竹林が無くなってしまったので、土の中から掘り出した小振りの柔らかい筍を食べる機会を失ってしまったのですが、そうなると、余計に筍が食べたくなるのでありますね。
そんな中、ふらふらとネットで筍を探しておりましたら女性不動産屋さんの面白い日記に出会いました。ご本人には事後承諾をとるとして、全文を掲載させていただきます。

私の春の楽しみと言えば、「竹の子掘り」なのです。
実は、竹林(←不動産価値0円)を所有しておりまして、毎年春に
なると仕事の合間を見てジャージ姿にスコップをもって出かけます。
ある日、いつもに増して大量に取って車へと向かっていると、
ビニール袋が破け竹の子さんたちが目の前を転がって行きました。
あまりの絶望感で立ち上がれなくなって
「お~~かみよぉ~われをたすけたもぉ~~」と空を見上げていると
人の気配がしました。
おじさん 「どうしたの?こんなとこで」
女不動産屋 「実は袋が破けて~」
おじさん 「そんなスーパーの袋じゃねぇ。とろこで誰?」
女不動産屋 「ここの所有者です」
おじさん 「えっ。実は私は泥棒です」
女不動産屋 「全然いいんですよ。どんどん生えるから竹になる前に
取って下さい」
おじさん 「ありがとね。ねーちゃん」
おじさん 「お~い。ここにねーちゃんが座りこんでるぞぉ~」
女不動産屋 (仲間がいるのか?)
仲間 「そんな袋じゃダメ」
彼らはスーパーのカゴを持っていました。←初犯じゃねぇ~な。
そして袋を頂きました。
女不動産屋 「どんどん取って下さい。竹になっても仕方ないから。
上にはまだたくさんありますよ」
竹の子泥棒 「ありがとうよ。上に行こうぜ」
女不動産屋 「よその敷地に入らないように気をつけて~」
竹の子泥棒 「・・・」←聞いちゃあいねぇ~
女不動産屋は竹の子泥棒さんを大募集しています。


楽しいですね。面白いですね。こういうブログに出会うと幸せな気分になります。事実をありのままに書いているように見えて、多少デフォルメされているといってよろしいでしょう。書き手の気分が陽の方に向いているから陽の方へ創作の筆が向いています。これが陰なら、また違う文章になって、筍泥棒に怒りまくったり、つまずいて足を挫いたとか虫に刺されたとか、読み手の気持ちも陰気にさせる方向で書かれてしまうわけです。

その時の情景が目に浮かびます。僕はとても妄想家なので、こんな楽しい文書を読むと余韻の想像が膨らんでしかたがありません。

話の続編を創作してみましょう。

竹林から出てきた女不動産屋は年の頃なら28~29歳の妙齢の女性です。
女不動産屋は泥棒さんのスーパーのカゴを見て、カゴも失敬してきたと思ったわけですが、実はそうではありません。県下に16店舗のチェーン展開をしているスーパーのオーナー石松源之助(73)だったのでした。オーイと呼びつけたのは専務の石松源治(58)。源之助は長男、源治は7人兄弟の末っ子です。カゴは自分たちの店のものでした。
この二人は地方の大手スーパーの経営者たちだったにもかかわず、どういうわけか筍堀が趣味だったのです。むろん採って自分の店で売ろうといった姑息な目的はありません。純粋に筍掘りが好きだということなのです。
そんな地方の名士だったのですが、そんなことは女不動産屋には分かりません。ただ、どことなく気品を感じたのは確かで、だからこそ泥棒と聞いても驚きも怒りも感じなかったのでした。

話は3ヵ月後に飛びます。
女不動産屋が通りがかりのスーパーに立ち寄りました。MARUGEN(丸源)宗像支店です。
その店内で「かぐや姫さん!」と声を掛けられたのでした。声がした方を見ると、あの時の泥棒さんがいるではないですか。泥棒・・・と言いかけて、とっさに「竹取物語の」と応えたのでした。下の句の問いに上の句で応える。この、機微に富んだ応答ぶりに源之助は思わず嬉しくなってしまったのでした。そして「その節はありがとう」と名刺を出したのでした。
女不動産屋(以後、吉行怜子とします)は、そこで初めて筍泥棒氏の正体を知ったのでした。

この出会いがきっかけで、吉行怜子はMARUGENの不動産関係の仕事を請けるようになり、源治の長男とも出会うといった新たな展開を見せます。

つづく

※「つづく」と書きましたが続きません。続きはみなさんでお好きにどうそ。


けったいな人の話  




けったいな人の話


2年前のこと。嫁の知人の婿が体調を壊したらしかった。その子は一言で言うとけったいな子だった。友達というのがもうよくもまあそこまで集めましたねと感心してしまいそうなけったいな人の博物館状態だった。
そのけったいな子の奥さんは知る範囲では普通の人だった。その彼女が嫁に言うには彼が体調崩していると。病院に行っても原因が特定できずに精密検査の結果待ちだということだった。

ある人のブログの文章の一部だ。とても面白いと思った。よくもまあ、無意識にこんなにも難しい文章が書けるものだと感心した。ちょっと分解してみよう。

2年前に、嫁の知人の婿が体調を崩したのだ。「らしい」とあるから確かではないぞ、ということなのだと思う。何しろ2年前だからね。記憶も曖昧なの。

嫁の知人の婿。さらっと読み進めてしまいそうだが、ちょっと待っていただきたい。
嫁というのはこの文章を書いた人(Aさんとしておく)の奥さんのことだ。Aさんの奥さんの知人がらみの話なのだ。

通常、親友・友人・知人の順で交友の深さが測れると思う。で、ちょっと質問してみますが、あなたの奥さんもしくは夫の友人のダンナもしくは嫁の名前を知っています?
親友の夫や嫁なら知っているだろうが、友人関係まで広げると知らない人の方が多い。ましてや知人である。知人は守備範囲が広い。子供のソフトボールの父兄で顔を知っているという知人もいれば、話したことはないがマンションの3つ隣の部屋の人という知人もいる。スーパーのレジのお姉さんも知人といえば知人だ。こうした知人は、単に顔を知っているだけなのだが、例えば電車で同じ車両に乗り合わせた時に、見たことある人だがと4駅ほど記憶を辿った末に、「ああ子供のソフトの」や「ああスーパーの」と思い出したとたんに、ただの顔見知り以上の存在になっているでしょ。
知人の範囲はかくも広いのである。

Aさんの奥さんの知人ならだまだしも、その先の、知人の婿なのである。これはものすごく遠いぞ。水・金・地・火・木・土・天・海・冥の、天ほども遠い。
田舎の小さな村の子供御輿を仕切っている爺さんが、役員の若い衆に「オレはよ、こうみえても若い頃はそのスジだったのよ」と言っているに等しい遠さである。
若い衆は「何十年前の、どのスジだったのだろう」と悩むのだ。爺さんのいうスジとはヤクザ系のことで、つまり若い頃は肩で風切って歩いてたということなのかも知れないし、やんちゃだったと言いたいのかも知れないし、53年前に駅前の喫茶店でチンピラに絡まれたということだったのかも知れないのだが、とにかく、正体不明のスジなのだ。

Aさんの奥さんの、親友でも友人でもない知人の、しかも婿の話だ。ちなみにAさんはアメリカ在住なので、その知人の女性が日本人なのか外国人なのかは不明。当然、その婿が日本人なのか外国人なのかも不明だ。

ものすごく遠い関係である知人の婿が体調を崩した。しかも“らしい”のだ。靴の上から靴下を履いて掻いているような手応えのない茫洋さである。あまりにも茫洋とした“関係スジ”のことなので、どう体調を崩したのかは書かれていない。というか、Aさんも分からないのだ。いやAさんの奥さんも確かなことは知らないのだ。その奥さんから聞いた話なのでAさんも知らない。

その子は一言で言うとけったいな子だった。
なるほど。でも、個人的なお願いとしては、一言で言わないで欲しかった。なぜなら関西弁の「けったい」の守備範囲が広いからだ。奇人・変人・偉人・異人・非常識・変・蛮行・奇行などなどの全てが含まれてしまう言葉だからである。
それでなくても実像が結べない嫁の知人の婿の話なのだ。その婿の人物像を「けったいな子」と一言で言われてしまうと、どっち方面で想像していいかいいか読者は困ってしまうではないか。

しかもである。「婿」が、突然「その子」になってしまった。な、なんだ、なぜだ。一瞬、婿の子供の話なのかと思ってしまった。でも「その子」は婿のことなのだ。

友達というのがもうよくもまあそこまで集めましたねと感心してしまいそうなけったいな人の博物館状態だった。と話は続く。「友達」というのは“その子”の友達だと思うから、嫁の知人の婿の友達のことである。
格助詞や動詞や名詞が省かれて修飾語仕様の「その子」や「友達」なので、読者は「えーと誰?」と考えさせられてしまうのである。
婿はけったいな子なのに、その婿の友達は“けったいな子たち”ではなく、“けったいな人たち”である。この、“子”と“人”の違いについても考えさせられてしまう。
Aさんは嫁の知人の婿を「その子」と表現した。おそらく相手がかなり年下だからなのだと思う。ならば「その子」の友達も同年配と推測できるから、「その子たち」でいいと思うのだが、「人」なのだ。
どうです、それほど難しい漢字が散りばめられた文章でもないのに難解でしょ。

そのけったいな子の奥さんは知る範囲では普通の人だった。
これがまたどう受け取るか難しい文章である。「嫁の知人は普通の人だった」ではなく、「そのけったいな子の奥さんは」である。読み手の頭の中がこんがらがってくるではないか。
知人のことを「けったいな子の奥さん」と書いていただかなくても、けったいな子は知人の婿なんだから、おのずと知人はその奥さんでしょ、と突っ込みを入れたくなってしまうではないか。

「知る範囲では普通の人だった」というのは、知らない範囲では普通の人ではないかも知れないぞと言っているのだ。なにしろ知人は「けったいな人博物館」の館長なのだ。普通でない可能性が極めて高いと、Aさんは推測したのだろうと思う。

そのけったいな子の奥さんは知る範囲では普通の人だった。その彼女が嫁に言うには彼が体調崩していると。

知人 → けったいな子の奥さん → 彼女。
婿 → けったいな子 → 彼。

Aさんの奥さんの知人夫婦をAさんは、かくも扱いを変化させた。2年の月日の間にというか、2年前のウロ覚えの出来事を思い出す道中で、Aさんの中にどのような変化をもたらしたのか。真相は太平洋の彼方である。と書くと文学的だが、たぶん、思い出しているうちに、件の若夫婦に親近感を抱くようになってしまったのである。なにしろ関西人は「けったいな人」が好きだからね。

『2年前のこと。嫁の知人の婿が体調を壊したらしかった。彼は一言で言うとけったいな子だった。彼の友達というのも、よくもまあそこまで集めましたねと感心してしまうような人たちで、彼の家はけったいな人の博物館状態だった。
けれども、知人は知る範囲では普通の人だった。その彼女が嫁に言うには彼が体調を崩していると。病院に行っても原因が特定できずに精密検査の結果待ちだということだった。』

こういうふうに書くとなんとなく、2年の歳月と太平洋を挟んだ日・米の距離間は埋まるのではないだろうか。

この話は、奇人変人たちの館に奇人変人の一人が腐ったような肉を持参し、奇人の嫁以外の奇人変人たちが食べ食中毒になった話なのだ。そしてその食中毒が、エルシニアというペストの親戚のような菌によるもので、ペストの死亡率は100%に近い感染症なのでといった恐い話に続くのである。ま、結果としては、奇人変人たちは七転八倒したり平気だったりだったのだが、幸い誰一人命を落とした人はいなかったそうだ。
Aさんは、このあたりの顛末を思い出すにつれ、しぶとく生き残ったけったいな連中に親近感を抱くようになったのではないだろうか。だから婿が彼に変化したと・・・。

Aさんは、奥さんに「しばらく接触したらあかんで」と言ったところで文章は終わっている。
それは、エルシニアに感染するのを恐れてのことなのか、奇人変人ぶりが伝染するのを恐れててもことなのか、真相は太平洋の彼方なのだ。

どっちなんでしょうね、Aさん。


肩すかし  




肩すかし


知人のブログにクレームをつけたら居直られてしまったのである。
「3月になりましたので是非“日々雑感”のブログ更新もお願いいたします。(笑)」と。
日々雑感なのに、日々更新されていないぞ!ということなのだ。
ふーんだ。日々雑感とあるが、日々更新するとはどこにも書いてないぞ。
知人のブログにどんなクレームをつけたのか。

どうも。
2月も今日でお終わり。(お終わり は原文のまま。きっと、オシマイにするか終わりにするか迷ったのです♪)
あっという間に、1年の1/6が過ぎちゃいましたよ。
三流亭まん丸でございます。
競泳五輪金メダリストの北島康介選手なら、きっとこう言うんでしょうねぇ。
「く~っ、何もしてねっ」


この文章にクレームをつけたのである。
北島選手の「何もしてねっ」は、自分も何をすることもなく早や2ヶ月を過ごしてしまったということを言いたいのである。
何をたわけたことを、と思うのである。この2ヶ月、インフルエンザでダウンした時以外は毎朝5時から番組が終了する深夜までNHKの女子アナの追っかけをやっていたではないか。ずーーーーと、ソチ五輪を見ていたではないか。つまりすべきことをサボっていたのだ。
どうせ北島を出すなら浅田真央も登場させるべきである。そして、
ソチ五輪フィギュアスケートの浅田真央選手なら、きっとこう言うんでしょうねぇ。
「森さんも今は発言を後悔してるんじゃないかな」
んー、関係ないか。ま、この部分はよろしい。

以下に、クレームの全文を掲載する。

日本一年の会四季部愛知県支部長のタカノツメと申します。
ひとつ疑問がありますので、お答え願いたい。

貴殿は一年を6等分されましたが、その根拠をお示し願いたい。
なぜなら日本一年の会は、1年を12分することで成り立っているからであります。分割する場合は4つが決まりです。春夏秋冬であります。したがって我が会では、2月が過ぎることを「もう一年の4分の一の三分の2が過ぎました」と申します。
なぜ、意味なく六等分するのじゃ!


一年を6等分する意味を尋ねたのである。皆さんも僕と同じ疑問を持たれたはずだ。なぜ6分割しなければならないのかと。
もう2ヶ月が過ぎたや、半年が過ぎたというのなら分かる。半年が過ぎたことを一年の半分が過ぎたというのも分かる。1月が終わり「もう12分の一が過ぎた」というのも、1年が12分割されているから、あえて分かりたいとは思わないが、まあ、分かる。

しかーし、である。
彼女とコーヒーを飲んでいたとしよう。彼女が、
「晴男さん。もうコーヒーを半分も飲んでしまったの♪」というのは、初々しい恋人同士という感じで恋人の優しい目線を感じる。
だが、
「晴男さん。もうコーヒーを6分の一飲んだのね♪」と言ったら、♪をちぎり取って床で踏みにじってしまいた衝動を覚えるでしょ。なぜキミは、6分の一の時点でチェックをいれるのかと。次は5分の三飲んだと言うのかと。

僕の質問に対し先ほど返答がありました。

質問の解答と解説です。
 2÷12=1/6   答 1/6
別解です。四半期の2/3ですから
 1/4×2/3=1/6 答 1/6 
ということで、1/6 なのです(笑)


それは、それは! それは!! 約分の説明でしょうがっ!!!
解説はどこに書いてあるのじゃ!!!!

本官は、なぜ約分するのか、
その理由を聞いているのだぁぁぁあああ。


以上を、本日の更新とさせていだだきます。(笑)


満月ポン!  




満月ポンッ!




バウムクーヘンです。2ホールあります。
妻と次女がギター教室に通っておりまして、先生から少し早めのクリスマスプレゼントとして頂きました。
クリスマスになぜバウムクーヘンなのか疑問ですが、来年はバウムでクーヘンな年にしましょうということなのでしょう。優しい先生ですね。
そのバウムクーヘン、片方はすでに4分の1未満ほど欠けております。
僕が食べちゃいました。

今日は妻にメールを送りました。
  体調が悪いので食事の用意が億劫。
  今日の夕食は昨日の残りの粕汁と玉子かけご飯ぐらいでもいいかな。
  体調が悪いので頂き物のバウムクーヘンを食べてもいいかな。

妻から返信がありました。
  夕食は別にいいですが、
  バウムクーヘンは駄目と言っても食べるでしょ?

さすが長年苦楽を共にしてきた夫婦、夫のことをよく分かっていらっしゃる。
僕はどういうわけか、綺麗な女性と美味しいスイーツはダメと言われても手を出してしまうのです。

  おいら岬の灯台守は
  妻と二人で 沖行く船の
  無事を祈って 灯をかざす 灯をかざす

映画 「喜びも悲しみも幾歳月」の主題歌ですね。
木下恵介監督・ 佐田啓二・高峰秀子主演の名画でしたね。えっ、ご存じない。佐田啓二も高峰秀子もご存じない? 
そうなんでしょうね。だってね、“さたけいじ”と入力し変換したら沙汰掲示と出るんだもの。ほんと、幾歳月でございます。
この映画、封切りで見てます。銭湯にポスターが貼ってあったのを覚えてます。小学1年生でした。当時は内風呂がある家はほとんどなくて、みんな銭湯でした。町内のみんなと裸と裸の付き合いでした。女湯の方々と裸の付き合いと思ったときはすでに中学生。居もしないのに「お母ちゃーん」と言いながら女湯へ潜り込む技を使う時期を逸しておりました。遊郭に住んでましたので綺麗なお姉さんが多かったのに・・・。

えーと、、、
今の灯台は無人で、定期的に巡回してメンテナンスをし、沖行く船の安全を守っておりますが、昔は灯台のそばに官舎があり職員が家族で住み込み維持管理していたのです。「灯台守」といいました。

灯台。観光地の飾りではなく、とても重要な役割を担っているのです。今はGPSがあって船のナビをしてくれますが、GPSが無い時代は海図(チャート)とコンパスと時計を頼りの航海でした。海図は海底の状態や暗礁や沈船などの障害物や海流も書き込まれた精密なのもので、船乗りたちは海図と三角航法という自船の位置と速度を出す計算をしながら航海しました。僕は本船乗りではなくヨット乗りですが、航海の方法は同じなので海図とコンパスと時計があれば暗闇の中でも船を目的地に着ける技倆は持っています。

灯台は海図航行に不可欠な存在なのです。灯台の灯りはどれも同じで定期的に光っているように見えますが、同じ海域に同じサイクルで光る灯台は1つだけ。回る速度や閃光の間隔やフラッシュであったり点滅であったりと灯台毎に特徴があります。その特徴が海図に示されていて、それと照合しながら「あれは日御碕の灯台だ」というふうに判断するわけです。

なあんて話はこれぐらいにして、メールの続きです。
妻は夫のことをよく分かっていらっしゃいますが、夫だって妻のことをよく分かっていらっしゃいます。
バウムクーヘンが2ホールあるからといって不用意に食べると妻は黙っておりません。後の、僕への分配に差が出るのです。冒頭で食べたのは4分の1ではなく4分の1未満と書いています。4等分せず気持ち少なめにすることで、誠意を示しているのです。小さな誠意だとお笑いください。器の小さな男だと笑ってやってくださいお客人。どうせ一天地六の賽の目暮らし。背なで泣いてる唐獅子牡丹じゃござんせんか。

バウムクーヘンの許可が出たので、もう1本、メールを出しました。
  医者が、バウムクーヘンと、とろーりプリン・カスタード風味を
  一緒に食べると効果があると言ってるのでプリンも食べていいかな。

妻から返事がきました。
  効果?何の?
  診断書のコピーを添付して送ってくれる?

手強い妻なのです。


うなぎ日本一の町  




うなぎ日本一の町


本日は昔の日記の再掲載です。

昨日は久しぶりの晴天でした。しかも土曜日。正恵の同級生のお母さんたちとバーベキューをすることになりました。
そのBBQの話は一旦保留とさせていただきます。

以前の日記にも書きましたが、わが町一色町には日本一が3つあります。海老せんべいとカーネーションと鰻です。本当はもう一つ、大提灯というのがあります。高さ10m幅6.5mの提灯なのです。大提灯祭りは8月末にありますから興味のある方は観光にお越しください。わが家でよければ1泊2食付3千円ぐらいでお泊りいただけます。
露天風呂(庭にビニールプール)で温泉はつむら順天堂濁り湯百選の中から選べます。妙齢の美女限定で僕のかけ流しサービス&マッサージ付きです。
この大提灯をなぜ日本一に入れなかったかというと、こんな何の役にも立たない提灯を作る国など他にはありませんから、日本一ということは世界一だからなのですね。

さて、これも以前の日記に書いた記憶があるのですが、わが町は夏の土用の丑(土用の丑は年に数回ある)の日には役場から“うなぎ券”というのが配られます。
今も鰻は浜松が日本一と信じて疑わない人が多いと思いますが、浜松がその座をわが町に譲ってずいぶん経つのです。
“うなぎ券”は一色町が日本一になった記念行事として始まったのでした。世界最大のヨットレースの『アメリカスカップ』で240年間もカップを防衛し続けたアメリカを初めて破ったオーストラリアが、あまりの嬉しさにその日を祝日にしてしまったのと同じです。スケールがちょっとローカルですが・・・。

ちゅうことで、土用の丑の日は町民は誰も鰻を買いません。役場に行って券を貰い、その足で鰻組合店に行って白焼きと交換してもらうのです。一人一匹なのでわが家だと4匹です。タレはついてません。

あまり知られていませんがこの日に一色町に来られた他府県の方は、役場の観光課に行けば“うなぎ券”がプレゼントされます。先着2千名まで。他府県人の証明(免許証等)証が必要です。県内の市町村ではダメであくまでも他府県人が対象です。観光推進のためということなのですね。でも、わが町には大提灯と養鰻池見学と佐久島(渡船で30分の小島)ぐらいしか観光スポットがないのですが・・・。



とにかくわが町は鰻日本一町で、しかもオランダのように標高0m地帯でもあるのです。ご覧のように標高0.5m。金網に穴が開き消化器が傾いているのがオシャレでしょ。
この標高とカーネーション日本一に関係があるのです。

43年前の村長と村会議員が、当時地方自治体で流行していた視察名目の観光旅行の便乗してヨーロッパに行き、乗り継ぎ待ちでアムステルダムで4時間ほど市内観光をした時にチューリップ畑を見て帰ったのがヒントになっているのです。
オランダも一色町も標高0m地帯。だったらわが町もチューリップを栽培しようと、機内でタダ酒を飲んで酔っぱらった面々が思ったのです。これで視察の名目が立ったと・・。ところが議員たちは酔っていたのでチューリップをカーネーションと勘違いしたのですね。けれども柔よく豪を制すといいますか、さすが酔拳というべきか。うーんと、例がちょっと違いますがまあいいでしょう。結果オーライ。カーネーション日本一になったのでした。



さて、バーベキューの話に戻りましょう。
土用の丑の日の前日はBBQというのが町民の中に定着しているのです。鰻の町ですからね。BBQ当然、鰻のBBQになります。



すごいでしょ。鰻だけ。まずは一度白焼きにします。今日は4家族なので10kg入りケース2箱。約120匹です。一家族30匹見当です。



これを午前中から焼き始めます。
正恵が見学していますが横のオレンジ色服のお母さんが同級生のママです。



焼き上がりは新聞紙の上に並べられます。新聞紙というのがいかにも地元という感じがいたしますでしょ。有田や瀬戸の大皿に並べるなんて大袈裟なことはいたしません。これだけの鰻を前にすれば、器などどうでもいいことが分かります。新聞紙の上に並べられた鰻を見て非衛生と思う方はグルメではありません。美味しそう♪とため息が出て初めて美食家といえるのです。



正恵は発泡ケースの血の海に沈んでいる鰻を見てうっとりしてしております。同級生のノンちゃんの好みは甘タレではなく生醤油ですもんね。讃岐うどんの通と似ております。
そういえば土用の丑に鰻を食べようと発案したのは讃岐の国の平賀源内でしたね。

白焼きが終わるとBBQ開始です。ひたすら鰻を食べます。野菜はありません。ひたすら鰻・ビール・鰻・ワイン・鰻・冷酒・鰻・・鰻。塩パラパラ派もいれば生醤油派、酢橘だけ、甘タレ派など各自好き好き。
120匹だと1匹800円として約10万円になるはずですが、それはわが町から鰻が嫁いでいった先でのお話。町内では生きたままのので1匹50~80円ほどです。しかもノンちゃんのママのご主人は鰻の仲買会社に勤めているので、ロット割れした鰻を1匹30円~40円ほどで買えますから5千円ほどなのですね。

そんな環境なので、町内のアチコチで鰻のBBQ。下手に横を通ろうものなら食べて行け!となりますから迂闊に近寄れません。もし捕まればこれが辛い。というのも切り身ではなく一匹丸ごと出されるからです。
鰻丸ごと一匹を頭と尻尾を持ってかじりつきます。それが招待を受けた者のマナーです。気をつけないといけないのは食べ終えてフゥとか言ってぼんやりしていると、すぐさま次の鰻を渡されてしまうのです。黙っていると追加を要求していることになるのです。
だからこれでご馳走様にしたい時は、食べ残した頭と尻尾を素早くくっつけて「ゴッチンコ!」と言わねばならないのです。

このように、うんざりするほど鰻を食べるのです。
が、本番は今日です。さすがに町民の誰もがもう鰻は見るのもイヤなのです。けれども儀式として食べなければならないのです。正月にお雑煮を食べるのと同じですね。



というような夢を見たと、ポンズが言っておりました。


わが町もウナギが高くなりました。特大サイズでも800円程度だったのが、今は特大(他府県のスーパーでは見かけないはずのサイズです)だと2千円、大で1700円、小(一般的サイズ)でも1400円もします。今はもう、うなぎBBQなど、とてもとても。

昔が懐かしい、ということで再掲載でした。

はひふへほ  



はひふへほ

隣町の市民病院の歯科口腔外科へ親知らずを抜歯するために行ったときの馬鹿話。
午後の手術時間帯なので待合には誰もいない。受付に紹介状と診察券を渡して待つこと10分ほどで「たかのつめさん」とお呼びがかかった。
「はーい」と返事して診察室に入ると、ナースがあっちへと、いくつかあるブースの一つを指さす。パーテーションを回り込んでみると、そこに座っていたのは女医。それが並の女医ではなかった。

傾国の美女という言葉がある。王が美女に現(うつつ)を抜かして政(まつりごと)をおろそかにし国を傾けることだが、まさに傾国ならぬ傾院の美女だった。
ただし、女医に見惚れた男性医師が医療事故を頻発させ賠償金で病院を傾けるからではない。偽患者が待合に詰めかけ本物の患者の治療を邪魔したり、入院患者が仮病を使って退院せずに居座って経営を圧迫するからだ。そのため、病院経営者はとびっきりの美人医師や美人ナースを採用するのを嫌がる傾向がある。

だから、とびっきりの女医やナースに出会うことなどは稀である。病院から中元や歳暮を貰ってもいいほどの僕ですらため息が出るような女医に出会ったことはなく、過去に美人ナースが一人いただけである。彼女は今回とは違う町の市民病院に検査入院していたときの病棟を担当をしていたナースだった。一般病室が満室で僕は老人病棟の空ベッドに入れられていた。老人病棟の入院患者が元気に退院することはまずない。大抵が一旦地下の霊安室へ居を移し病棟の裏口から自宅もしくは葬祭会場へ運ばれて行くのである。それが2日に一人ぐらいの頻度で繰り返される。

ところがだ。僕が入院してた階の爺さんたちはしぶとかった。なかなか成仏しない。担当医からもうダメと連絡を受けた親族が病室に詰めかけているのに、二日も三日も保つのだ。傾院ナースのせいである。最後にもう一度あの美人ナースの顔が見たいと現世にしがみつくのだ。中には一旦事切れたのにハッっと生き返ったりする爺さんもいて、(寿命が尽きて)親族は安堵し、(蘇生して)ガッカリさせられたりするのである。
結局、病院経営や親族の精神衛生上良くないということで、件の美人ナースはICU( 集中治療室)へ転属していったのだった。

えーと、何の話だったっけ?
傾院の女医だったね。過ぎたるは及ばざるが如しというように、ちょっと美人程度がいいわけだ。歯科の美人女医だと、治療台に座る患者に指示をださずとも口をあんぐり開けてくれるというメリットはありますが・・・。

そんな傾院の女医が僕が持参した紹介状を見ながら、親知らずの抜歯手術ですねと、冷たく言い放ったのだ。美人は冷たく言い放つとますますその美が冴えるから不思議だ。特に傾院だからね。「確認のためにレントゲンを撮りに行っていただけますか」と、これもまたにこりともせず言い放ったのである。
で、彼女がメスで歯茎をかっさばいて埋もれている親知らずをこじあげペンチかなにかで強引に引き抜きシーンを思い浮かべた僕は、よーし、治療イスに座る前に亀甲結びで縛り鞭で2発ほどしばいてもらってから抜歯してもらおうと考えながら、長い廊下を左に曲がり右に曲がりしながらレントゲン室へ行ったのだった。そして、びょう~と回る撮影機で頭蓋骨のパノラマ写真を撮った。

再び歯科口腔外科の受付に戻り待つこと15分。「たかのつめさーん」「はーい」と同じ手順で診察室に入ったのだった。そしてナースが「あちらにどうぞ」と、これも同じだ。当然、パーテーションを回り込むとそこには傾院の美女・・・のはずが、普通のおっさんの医師が居たのである。

「えっ。どうして。それはないんじゃないの。」詐欺だと叫びたいのをぐっと我慢して納得がいかないまま診察イスに座ったのだった。そして長い拷問が始まったのだった。
普通なら10分程度ですむ抜歯が、僕の親知らずは横向きに生えていて奥歯の下に潜り込むだけでなく顎の神経とも交差していたのだ。
ブスブスと麻酔注射を打たれメスで歯茎を切開する感じまでは分かった。それから歯をドリルで分割。顎の神経を痛めると顔面に麻痺が残るため慎重の作業は進められているようなのだが、時折「取れないな」とボソリと助手に言ったりするのだ。こういう言葉って患者のココロまでも傷める。
結局、医師の疲れた声の「抜けましたよ」を聞いたのはイスに座って50分後。その間、追加で麻酔を4回も打たれたのだった。もう10分余計にかかっていたら、僕は激痛に耐えられず死んでいたと思う。まあ大変だった。

けれどもだ。僕は大阪生まれである。その悲しい性が、こういう非常事態でも周りの笑いを取ろうとするのだ。
僕 「先生」
医師「はい何でしょう」
僕 「痛みや苦しさに歯を食いしばって耐えるといいますが・・」
医師「・・・」
僕 「口を開けて歯をくいしばれない時は、どう耐えればいいんでしょう」
医師「・・・?」
僕 (話も聞いてくれないのか・・・)

よくよく考えてみると、「痛みや苦しさに耐えて・・・」ときちんと喋っているつもりだったが、麻酔で痺れた舌は「ひたみひゃ ふるひさひゃに はふぉくひひばって・・・」というふうにしか言っていなかったのである。

たしか、以前にもよく似たことがあった。
違う町の大病院で大腸の内視鏡検査を受けたときだった。お尻から内視カメラを入れられ大腸のポリープを切り取って貰ったのだが、その一部始終を僕はモニター画面で見ていた。そして、ポリープがメスで切り取られて医師が「綺麗にとれましたよ♪」と言ってくれた時に、笑いをとろうと言ってしまったのである。

「せんせい。切ったところに赤チンを塗っておいてください」と・・・。

先生はそのジョークにガハハと笑ってくれたのは良かったのだが、内視鏡を保つ手が激しく震えて内視鏡が大腸の壁をアチコチ突いてとても痛い思いをしたのだった。

抜歯して3針か5針ほど縫ったようだった。止血のガーゼを真っ赤に染めて帰宅したら、妻が言う。
妻「F(会社の同僚)さんが言ってたけど、Tバックを噛むと血が止まるらしいよ」
僕「へぇ~。あんなもん噛むと止血効果あるの? で、君、Tバック持ってたっけ?」
妻「・・・あのね」
僕「?」
妻「Tバックじゃなくて、teaパックね」
僕「ほふぇひふぉふぇ」




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