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Old Saltの日々雑感

日々雑感的に思うところを小さなウソと大きな誇張でデフォルメして掲載中!

コーヒーで語るアメリカ文化  




コーヒーで語るアメリカ文化


「貰ったコーヒー豆、飲んでみた? 」
「ん? ああ、オートバックスね」
「オートバックスは飲めないでしょ」
「ごめん スターバックスだった」
という頓珍漢なやりとりがありました。
アメリカから帰国した人にスターバックスのコーヒー豆を貰ったのです。封を切ると強めの焙煎の豆でした。まあまあ香りもいいです。僕は濃いコーヒーが好きなので、いつものようにカップ1杯のコーヒーに2匙の豆の配分で作ってみました。
不味い!
ものすごく不味い!
色はしっかりついているのですが味がしません。香りも消えています。ただの色つきの湯です。淹れ方に失敗したのかと思い作り直してみましたが同じです。ブレンディの「お得!500g+50gで480円」の豆から下がること数十段という不味さです。

昔のアメリカンは味も色も薄かったものですが、最近は色が濃くて味がないのがアメリカンのようです。アメリカの不味いコーヒーにも流行があるようです。こんなコーヒーを美味いと思って飲んでるなんて、ニューヨーカーもヤッピーも文化教養のレベルは低いです。これに比べるとブラショで買ったブラジルコーヒーはどうだ!くらくらするほど濃いぞ!腹の中の回虫が大忙しでケツの穴から飛び出して逃げて行くほど苦いぞ!なのであります。

なんでもかでもケチャップをかけて美味いという国はダメですね。その単純な文化を世界に押しつける国民性は許せません。そもそもアメリカ人の味覚は舌ではなく脳味噌にあります。頭が考えて身体に良いと判断したものが美味で、身体に悪いものが不味いものなのです。
例えば、20年前のアメリカ人は味噌汁と納豆の匂いを嗅いで、「日本人はクソを喰う世界一の野蛮人」と言い放ったのです。牛蒡(ごぼう)を食べると木を喰うサルと言いやがったのです。クソも味噌も一緒に論じたのでした。
それが今では「納豆って美味しい♪」と、醤油をかけるでも玉子をいれるでもなく、そのまま“金の粒たべよ~♪”なのです。今の彼らには豆腐なんて世界一美味しい食べ物だからね。ゴボウサラダなんて脳味噌が溶けるほど美味しいらしいです。
これはなぜかというと、健康食品だから。健康=美味と頭で味わっているからですね。
逆に煙草は不健康だからアメリカから国外退去させられているでしょ。でもその煙草を外国に売るのはOKなんだよね。自分勝手な国です。彼らにゼラチンとコラーゲンの塊だと言ってやったらナマコを生きたまま丸かじりするね。まっ違いない!

彼らが舌先で判別できる唯一の旨味はケチャップだけなのです。
そんな彼らがアタマではなく、舌先で美味いと感じる日本の食べ物はお好み焼きと焼きそばです。アメリカ人を家に招いたらこの2つを食べさせておけば他には何もいりません。松阪牛ですき焼きなんてことは舌がないのでご馳走するだけ無駄です。寿司も天ぷらも出す必要はありません。北京へ行ったら北京ダッグ、ハワイへ行ったらマカデミアナッツ、アメリカへ行ったらTボーンステーキというのと同じです。日本へ行ったら天ぷら、寿司、すき焼き、つまり話のネタです。北京ダッグやマカデミアナッツやTボーンステーキがそうであるように、美味い不味いとは関係ないのです。水くさいのが好みなので、ビールもバドのように度数が低くてコクのないものを。無ければ国産のビールをピッチャーに移して水で薄めておけばよろしい。ワインも水増ししておく方が喜ばれます。
大抵のアメリカ人は焼きそばを食べると「OH!ジャパニーズ・ピザとかスパゲティ!」と言います。そう言うときは「あほ!や・き・そ・ば、と言うんじゃ!!」とアタマを1発ぶん殴ってやりましょう。日本文化をアタマに教えるのではなく身体に教えるのです。でないと彼らの思い込みの激しさと横暴さは治りませんから…。

最近は残虐な犯罪や凶暴な暴力が多発です。元を辿ると発祥地はたいていアメリカです。自分の息子(娘)をつかまえて「パパとお前は友達だろ?」という、自信のない教育が生み出した歪みです。アホか、友達の前に親子だろ!親子という上下関係があって、その上下関係を息子や娘が乗り越えて行くことで新たな文化が生まれるのです。4歳や5歳児と友達つき合いしてどうするのよ。
ものすごくアメリカナイズされてしまった日本は、ライフスタイルだけでなく、思考も「パパとお前は友達だろ?」的になってしまいました。だから犯罪までもアメリカナイズされてしまったのです。
アメリカ人に、心は身体のどこにあると思うかと尋ねると、10人中10人までがアタマを指さします。日本人に同じ質問をするとたいていの人は胸のあたりを、指でさし示すのではなく、掌をかざして示します。この違いです。
「Hey, you!」と指さす文化と、「もしもし貴方!」と掌全体で呼びかける文化の相違。あなたはどちらを是とするでしょうか。

不味いコーヒー1杯で、アメリカ合衆国とアメリカ国民を全否定しました。きっと僕はCIAのブラックリストに載せられてしまうことでしょう。いいのです。食い物の恨みはそれほどまでに偏見を生む恐ろしいものだということなのです。
ケチャップの味を損なう濃い味のコーヒーはダメということなんだよね…って、まだ言うか。

美味しい珈琲はこちらです。

行列を見ると  



行列を見ると

店の味は行列の長さに反比例する。
先日の旅行の広島でのこと。ネットの口コミ情報にあった『八昌』という広島焼きの人気店に行った。店の前は長蛇の列だった。カップルや小さな子供連れや幼児を抱いた夫婦などその数80~100人。列の長さは30mほどもある。漂わせている雰囲気から、ほとんどが旅行客や一見客ではなかったか。
冒頭に書いたように、店の味は行列の長さに反比例する。碌な店ではないと判断し僕たちは並ばなかった。

列を通り過ぎる時にチラッと店内を見たところ席数はざっと20ほど。(実際は奥にも少し席があって全部で25席:ネット調べ)
通常、お好み焼き屋の焼き手は一人である。多くても二人。1度で焼ける枚数は6~7枚程度のはず。この有名店の場合7枚だった。(ネットの口コミ情報)
お好み焼きは焼き上がるのに10分~20分ぐらい必要だ。広島焼きはソバをパリパリに焼く傾向があるから20分、食べるのにも同程度の時間を必要とするから注文して食べ終わるまでに40分以上かかる計算になる。

ただし、これは先客がいない場合。すでに満席なら自分の順番が来るのは25枚目以降。一度で7枚焼かれるとすれば3クール目以降になる。最短でも60分後でないと焼き上がらない。店内の席に座ってこれ。外の行列での待ち時間を加えると1枚のお好み焼きのためにどれだけの時間を無駄に消費するのか。
この行列を見たのが7時30分。店のガラス戸には祝日の営業時間は9時30分と貼られていた。2時間後には閉店なのだ。なのに100人もの行列。まったくもってバカな客たちである。

碌な店ではないと判断した理由は他にもある。店は風俗店が軒を並べているエリアのど真ん中にあるのだ。しかも、露骨に下半身専門のネオンや電球を飾り立てた風俗店密集地なのである。周りがそんな環境でも平気で営業できるという店の感覚が理解できない。そんな無感覚さで美味い料理が作れるはずがないと思うのである。
並ぶ方も同じだ。ケバケバしいネオンが眩しい下品な風俗店密集地に小さな子や幼児を連れて並ぶ親の心理が理解できない。

帰宅後、ネットの口コミ情報で知ったのだが、この店は責任者を除く全員が中国人らしくて、「雑巾で鉄板を拭かないで。鉄板用を使えと言ったでしょ」といった責任者の言葉が店内に飛び交っているのだという。
広島焼きは、広島県民が焼くから広島焼きなのである。もんじゃ焼きは関東人が焼くからもんじゃ焼きなのであって、関西人が焼けば嘔吐物になってしまう。
広島県民以外の人間が広島焼きを焼いてはダメだとは言わない。外国人が焼いてもかまわない。だが広島県民以上に流ちょうに広島弁が喋れるとか、赤い色に異常に激しく反応してしまう者でないといけない。つまり、己の血肉にその地の土着性を染みつかせているかどうかということだ。雑巾と布巾の区別もつかない者が作る食い物など、国籍を云々する以前にすでに料理ではない。

この店は単に人件費が安いという理由だけで外国人を使っているにすぎない。どうせ客は観光客や一見客だから味なんて適当でいい。そういう感覚で焼いているのである。

そもそもお好み焼き屋やラーメン屋、洋食屋などは半径500m圏内の住民が相手。いわば家庭の味の外食版的性質のものだ。「ハレ」ではなく「ケ」の極小の地域食文化でもある。派手には儲からないが普通に生活するだけの稼ぎはあり、周りの店主たちと喜怒哀楽を共友しながら地域に生きているのがこの手の店だ。

それが、碌な舌も持たないB級グルメオタクがネットに美味い店などと自慢げにコメントを書き込み、それを読んだ同類が同じようなベタ褒めのコメントを書き連ねることで全国区的有名店に仕立て上げられ、さらにそれを読んだグルメオタクや他力本願な旅行客が押し寄せ、行列という手法で店を潰してしまうわけである。そして客に並ばれた店の8割ぐらいは、自分はとてつもなく立派な食べ物を提供していると錯覚し増長し、地域との共存共栄の輪を崩し質を落とし自滅していくのである。

僕たちは『八昌』から徒歩7~8分ほど離れた繁華街にあった店で広島焼きを食べた。若いスタッフばかりの店だったが、大して期待もせずに入ったせいか、ごく普通の広島焼きをごく普通程度に美味しいと思いながら食べた。ただ、店内にはやたらとおたふくソースが目立っていて、これにはちょっとうんざりした。
お好み焼きも焼きそばもソースが重要だが、あくまでも脇役であって主役を張ってはいけない。こ洒落たレストランのテーブルの上に半分ほど減ったカゴメケチャップ500g入りチューブが置かれていたら、あなたはオムライスを注文します?それとも「急用を思い出した」と席を立ちます?

広島には、美味い!と声に出して言いたくなるような広島焼きを食べさせる店が沢山あるはずだ。当然それは近辺の住民で賑わう店である。店主と常連客の関係が調味料になっている店でもある。おたふくソースで焼いている店もあるだろうし、そうでない店もあるはずだ。そういう店に「部外者ですが、ちょっとだけお邪魔させてくださいな」と頭を低くして訪れたかったのだが、秋吉台から厳島神社、広島市内で夕食のあと宿泊は福山市という強行軍であったため市中を走り回りそういう店を見つける時間がなく無念の思いでこの地を去った。

行列は貧しさの象徴である。
かつて僕は中国やモンゴルで列の中に身を置いたことがある。そして共産主義が共産でも平等でもないことを身を持って知った。裕福に過ごす党幹部やその家族親戚などの特権階級と人民の二極分化がそこにはあった。当然のこととして人民は貧しい。

そうした国の人民は列を目にすれば列の先に何があるかを確かめずに列に並ぶ。その先にあるものを確かめに行くことで並ぶ順番が遅れモノが手に入らなくなるからだ。盲目的に並ぶわけだが、不要なものを手にすることはない。なぜなら全てが生活必需品だからである。品不足。貧しいがゆえに行列ができる。そんな行列の原因は国策がなってないからである。

今の日本は物質不足ではない。モノが溢れ何種類にも分別しなければならないほどゴミを出す国だ。元は食料であった生ゴミは日々膨大な量になる。貧しくはないどころか裕福すぎる。なのになぜに行列ができるのか。
その行列の先にあるのはブランド品のバーゲンであったりラーメン屋であったりお好み焼き屋であったりスイーツ屋であったりだ。そのどれもが、何が何でも手に入れなければならない物でもなければ食べ物でもない。

行列は貧しさの象徴である。豊かな日本の行列も貧しさの象徴であることに変わりはない。貧しいのである。精神が。そしてこっちの行列の方が卑しく貧しいといえようか。
行列には並ばない。その程度の矜恃を持つだけでも、モノの見え方が変わってくるはずである。



行列を見ると  



行列を見ると

店の味は行列の長さに反比例する。
先日の旅行の広島でのこと。ネットの口コミ情報にあった『八昌』という広島焼きの人気店に行った。店の前は長蛇の列だった。カップルや小さな子供連れや幼児を抱いた夫婦などその数80~100人。列の長さは30mほどもある。漂わせている雰囲気から、ほとんどが旅行客や一見客ではなかったか。
冒頭に書いたように、店の味は行列の長さに反比例する。碌な店ではないと判断し僕たちは並ばなかった。

列を通り過ぎる時にチラッと店内を見たところ席数はざっと20ほど。(実際は奥にも少し席があって全部で25席:ネット調べ)
通常、お好み焼き屋の焼き手は一人である。多くても二人。1度で焼ける枚数は6~7枚程度のはず。この有名店の場合7枚だった。(ネットの口コミ情報)
お好み焼きは焼き上がるのに10分~20分ぐらい必要だ。広島焼きはソバをパリパリに焼く傾向があるから20分、食べるのにも同程度の時間を必要とするから注文して食べ終わるまでに40分以上かかる計算になる。

ただし、これは先客がいない場合。すでに満席なら自分の順番が来るのは25枚目以降。一度で7枚焼かれるとすれば3クール目以降になる。最短でも60分後でないと焼き上がらない。店内の席に座ってこれ。外の行列での待ち時間を加えると1枚のお好み焼きのためにどれだけの時間を無駄に消費するのか。
この行列を見たのが7時30分。店のガラス戸には祝日の営業時間は9時30分と貼られていた。2時間後には閉店なのだ。なのに100人もの行列。まったくもってバカな客たちである。

碌な店ではないと判断した理由は他にもある。店は風俗店が軒を並べているエリアのど真ん中にあるのだ。しかも、露骨に下半身専門のネオンや電球を飾り立てた風俗店密集地なのである。周りがそんな環境でも平気で営業できるという店の感覚が理解できない。そんな無感覚さで美味い料理が作れるはずがないと思うのである。
並ぶ方も同じだ。ケバケバしいネオンが眩しい下品な風俗店密集地に小さな子や幼児を連れて並ぶ親の心理が理解できない。

帰宅後、ネットの口コミ情報で知ったのだが、この店は責任者を除く全員が中国人らしくて、「雑巾で鉄板を拭かないで。鉄板用を使えと言ったでしょ」といった責任者の言葉が店内に飛び交っているのだという。
広島焼きは、広島県民が焼くから広島焼きなのである。もんじゃ焼きは関東人が焼くからもんじゃ焼きなのであって、関西人が焼けば嘔吐物になってしまう。
広島県民以外の人間が広島焼きを焼いてはダメだとは言わない。外国人が焼いてもかまわない。だが広島県民以上に流ちょうに広島弁が喋れるとか、赤い色に異常に激しく反応してしまう者でないといけない。つまり、己の血肉にその地の土着性を染みつかせているかどうかということだ。雑巾と布巾の区別もつかない者が作る食い物など、国籍を云々する以前にすでに料理ではない。

この店は単に人件費が安いという理由だけで外国人を使っているにすぎない。どうせ客は観光客や一見客だから味なんて適当でいい。そういう感覚で焼いているのである。

そもそもお好み焼き屋やラーメン屋、洋食屋などは半径500m圏内の住民が相手。いわば家庭の味の外食版的性質のものだ。「ハレ」ではなく「ケ」の極小の地域食文化でもある。派手には儲からないが普通に生活するだけの稼ぎはあり、周りの店主たちと喜怒哀楽を共友しながら地域に生きているのがこの手の店だ。

それが、碌な舌も持たないB級グルメオタクがネットに美味い店などと自慢げにコメントを書き込み、それを読んだ同類が同じようなベタ褒めのコメントを書き連ねることで全国区的有名店に仕立て上げられ、さらにそれを読んだグルメオタクや他力本願な旅行客が押し寄せ、行列という手法で店を潰してしまうわけである。そして客に並ばれた店の8割ぐらいは、自分はとてつもなく立派な食べ物を提供していると錯覚し増長し、地域との共存共栄の輪を崩し質を落とし自滅していくのである。

僕たちは『八昌』から徒歩7~8分ほど離れた繁華街にあった店で広島焼きを食べた。若いスタッフばかりの店だったが、大して期待もせずに入ったせいか、ごく普通の広島焼きをごく普通程度に美味しいと思いながら食べた。ただ、店内にはやたらとおたふくソースが目立っていて、これにはちょっとうんざりした。
お好み焼きも焼きそばもソースが重要だが、あくまでも脇役であって主役を張ってはいけない。こ洒落たレストランのテーブルの上に半分ほど減ったカゴメケチャップ500g入りチューブが置かれていたら、あなたはオムライスを注文します?それとも「急用を思い出した」と席を立ちます?

広島には、美味い!と声に出して言いたくなるような広島焼きを食べさせる店が沢山あるはずだ。当然それは近辺の住民で賑わう店である。店主と常連客の関係が調味料になっている店でもある。おたふくソースで焼いている店もあるだろうし、そうでない店もあるはずだ。そういう店に「部外者ですが、ちょっとだけお邪魔させてくださいな」と頭を低くして訪れたかったのだが、秋吉台から厳島神社、広島市内で夕食のあと宿泊は福山市という強行軍であったため市中を走り回りそういう店を見つける時間がなく無念の思いでこの地を去った。

行列は貧しさの象徴である。
かつて僕は中国やモンゴルで列の中に身を置いたことがある。そして共産主義が共産でも平等でもないことを身を持って知った。裕福に過ごす党幹部やその家族親戚などの特権階級と人民の二極分化がそこにはあった。当然のこととして人民は貧しい。

そうした国の人民は列を目にすれば列の先に何があるかを確かめずに列に並ぶ。その先にあるものを確かめに行くことで並ぶ順番が遅れモノが手に入らなくなるからだ。盲目的に並ぶわけだが、不要なものを手にすることはない。なぜなら全てが生活必需品だからである。品不足。貧しいがゆえに行列ができる。そんな行列の原因は国策がなってないからである。

今の日本は物質不足ではない。モノが溢れ何種類にも分別しなければならないほどゴミを出す国だ。元は食料であった生ゴミは日々膨大な量になる。貧しくはないどころか裕福すぎる。なのになぜに行列ができるのか。
その行列の先にあるのはブランド品のバーゲンであったりラーメン屋であったりお好み焼き屋であったりスイーツ屋であったりだ。そのどれもが、何が何でも手に入れなければならない物でもなければ食べ物でもない。

行列は貧しさの象徴である。豊かな日本の行列も貧しさの象徴であることに変わりはない。貧しいのである。精神が。そしてこっちの行列の方が卑しく貧しいといえようか。
行列には並ばない。その程度の矜恃を持つだけでも、モノの見え方が変わってくるはずである。



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