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Old Saltの日々雑感

日々雑感的に思うところを小さなウソと大きな誇張でデフォルメして掲載中!

バスオールからユニットバスへ  




バスオールからユニットバスへ




前回つながりで。
「赤ちょうちん」が4畳半フォークだとすれば、「気まぐれ」はワンルームマンションフォークといえようか。フォークという言い方が妥当でないというならJ-POPでもよい。僕はフォークの括りやJ-POPの概念、歌謡曲とJ-POPの違いが分からない。上の2曲は共に自作自演なので、僕の分類箱ではUE歌謡曲系同棲歌の引き出しに入っている。(UEは歌って演じるの略)

音楽通たちのお仲間談義では歌謡曲とポップスは違うとかポップスとJ-POPは違うと定義付けに躍起のようなのだが、定義なんてどうだっていいじゃんという感じだ。JA・JT・JR・Jリーグ・Jビーフ、J沢庵・Jラーメン、何でもJを付ければいいってもんじゃないだろう。ただし、J-POPはジュニアのJ、ガキの歌だと決め付ける団塊世代の評論家たちの言い分には賛同しない。なぜなら「赤赤ちょうちん」だって当時のガキの歌なんだから・・・。

「赤ちょうちん」は昭和49年頃(1974)の世相を映した同棲歌である。「気まぐれ」は平成15年(2003)なのでまさに現在の同棲歌。33年経って、4畳半からワンルームマンションに棲家が変わった。

40年前の住宅事情を知らない人のために少し説明しておこう。あの時代のアパートは木造モルタル二階建てで廊下は土足厳禁。部屋の広さは4畳半か6畳一間。広い部屋の方が人気がありそうに思えるが4畳半の方がニーズが高かった。家具を持たない若者に6畳は広過ぎたのだ。部屋にタイル貼りの小さな流しがあれば上等な部類に入り、窓の外に川が流れ、近くに銭湯があるアパートがトレンディーだったのはいうまでもない。トイレと炊事場は共同というアパートが多かった。むろん内風呂などない。

  愛することに 疲れたみたい
  嫌いになった わけじゃない
  部屋の明かりは つけて行くわ
  鍵はいつもの 下駄箱の中  
 (松山千春「恋」1980年)

靴を脱いで上がるアパートだから下駄箱があり、スペアキーが簡単に作れる時代ではなかったので下駄箱の中に鍵を置いたりしたのである。

そんなアパートだったから、部屋の中では小さな電気コンロで湯を沸かすぐらいしかできなかったし、共同の炊事場があっても調理器具を持たないから小鍋でインスタントラーメンを作るぐらいだったのである。赤ちょうちんの屋台でおでんを食べたり持ち帰って電気コタツのテーブルで向き合って食べたのも、道具に恵まれない貧しい環境だったからだ。

“雨が降ると仕事もせずに”ということは、彼の仕事は土木や運送の肉体労働系だったのだろう。そして正社員ではなくバイトだった。彼はフリーターでもなければプータローでもなく自由業と名乗った。自己を納得させるために駄文を書いては捨てていたからである。世間の目に耐える文章ではなかったので文筆家とは自称できず自由業とした。自由業なので、雨が降るとアパートの管理人室の前の赤電話や黒電話で「ちょっと熱がありまして・・・」と連絡を入れサボる特権を持っていた。

こういう風に書くととても怠惰な人間のように思えるが、反戦運動その他で騒然としていた社会が終焉に向かったことで、彼は行動の方向性を見失ない身動きがとれなくなってしまったのだ。目端の利く連中はさっさと髪を切ったり髭を剃ったりし、イチゴ白書をもう一度を口ずさみながら就職活動に出かけて行くが、学業を中途で放棄したヤツやすでに自由業の道を歩み始めた半社会人は、不可避的に冬眠に入らざるを得なかったのである。

けれども、歳を重ねるにつれて不自由になっていくのが自由業という生き方なのだ。山ほどあったバイトが歳を重ねるごとに減って行くのである。25歳を超えてなおバイトだったりすると仕事が減るだけでなく世間体も悪くなっていく。28歳の自由業者が22歳ぐらいの正社員に顎でこき使われるから、ついついぶん殴って泣かせてしまう。あるいはそいつの彼女を横取りする。なんてたって20年先の人生が見える正社員より、先の見えない自由業の方が女にはもてるのだ。いずれにせよ自由業は組織の下では適応しようにもできない。この世代に起業家が多いのはそういう事情による。

自由業というのは社会的信用が無いから加齢とともに実生活でも不自由になって行く。例えば14インチのカラーテレビを買おうとしてもカードも無ければローンも無い時代なので買えない。まともな会社員でなければ分割払いも不可だったのだ。唯一、丸専手形という個人専用の手形を銀行に振り出してもらい購入する方法があったが、口座が必要だし保証人も必要。自由業の保証人は同業の自由業と相場が決まっていたので、自由業の保証人を何人連ねても信用の担保にならなかったのだった。
そんな現状だから貯金も無いその日暮らしの自由業はテレビもクーラーも買えないわけだ。その代わり今のように借金地獄に落ちることもなかった。
余談になるが、銀行の普通預金の金利が6%や7%という、今では信じられないような時代でもあったのだ。

自由業はあれこれ不自由だったのでキャベツを齧ることも多かったのだが、加齢とともにキャベツばかりを齧っているわけにはいかなくなる。同棲している女にしても、同棲というトレンドの先端を走ってはいても巣作り本能が無くなったわけではないから、キャベツばかりを齧っている彼を見てほほえましいと笑っていられなくなるのである。いつの時代も、男より女の方が目覚めが良くて夢から醒めるのが早いものなのだ。

わき見やよそ見をする道具や遊びが少なかった時代なので、否応なしに互いを見つめ合うことになる。女にとっては彼はたった一つの拠りどころだったわけで、いくら目覚めの早い女でも“生きてることは ただそれだけで 悲しいこと”と知り、公衆電話の箱の中でさめざめと泣くのである。平成の、金髪に汚ギャル化粧でパチンコ屋のワゴンサービス嬢をしている女も秋になると店のネオンを見てセンチになり涙を流す。あれと同じだ。

女はもう一つ、涙とともに過去を流せる特技を持つから、涙の翌日から速攻で新生活に踏み出せるのである。だから公衆電話の箱の中で泣いた女は「明日私は 旅にでます あなたの知らない人と二人で いつかあなたと行くはずだった 春まだ浅い信濃路へ~♪」と旅立って行ったり、ネオンサインに涙したワゴン嬢は「ゥチだけどさぁ、明日さぁ、渋谷にナンパされにイカね?」と携帯ピョコピョコなのだ。

男は寝つきも悪ければ目覚めも悪いからこうはいかない。ぐじぐじと2~3年は赤ちょうちんに通うのである。

  今でもときどき雨の夜 赤ちょうちんも濡れている
  屋台にあなたが いるような気がします


男が作った台詞だから、別れた女はきっとこんな感じで俺のことを懐かしんでいるはずと思っているのである。そして、俺がいるような気がして戻ってくるのではないかと妄想するのだ。ところがどっこいうんとこしょ、女はおでんを買ったことどころか、屋台があったことすら忘れ去っているものなのである。
男は過去を重ね塗りするので4畳半襖の下張りには何層もドラマを潜ませているが、女は不要ファイルを削除するだけでは飽き足らず、リカバリーソフトを実行し初期化して次の人生を始める。だから女のハードディスクや内蔵メモリのどこをどう探しても古いファイルの断片すら残っていないものなのである。

  ちょうどこの寺の山門前で
  きみは突然に泣き出して
  お願いここだけは 止してあなたとの
  糸がもし切れたなら 生きてゆけない
 (縁切寺 さだまさし)

と言ったくせに、誰の子か知らないが背中に一人おぶり、自転車の前後にさらに二人の子供を乗せ町中を疾走するアイツを見るたびにむかっ腹が立つのである。充分に生きとるやないか!と・・・。

さて、「気まぐれ」はどうなのか。
完成度の高い歌詞である。シロップ漬けで大人になった虚無感と社会への倦怠感がよく出ている。覇気の無さでは天下一品の歌詞ではないか。このままもうすこしぬるま湯の滓の流れの中を流れてくれれば革命だ!と叫ぶようになる、そういう歌詞である。
熟し過ぎて退屈な時代になって40年。そろそろシロップ漬けに飽きる頃なのだ。限界が近づいているな、そう感じさせる歌である。

歌に出てくる彼はニートである。親の脛は齧ってもキャベツを齧ることはない。部屋には小さな電気冷蔵庫があって、コンビニで買い込んだ飲み物や食い物が適当に入っているので飢えることもない。色んなものが麻痺していて、その中に食欲も含まれ、赤ちょうちんの時のような食べ物に対する喜びや嬉しさ、財布が軽くなった不安も無いのである。
  
  あとちょっとだけ わがままを
  言える事ぐらい 知っているから


ニートはバカではないから、もう少しぐらいは親の脛を齧るわがままが利くことを知っている。世間と面と向かってコミットしなくてすむという甘い環境を享受する一方でこのままでは終われないという前向きな憂鬱も内包させているのだ。諦めていないのだ。

  この世界の憂鬱に
  垂れ流したヒクツに
  いつか捨てた勇気に
  ぼくらが愛した歌に
  同じ朝が来る・・・


そう、だから朝がくると締めくくっているのだ。

「赤ちょうちん」よりも優れてメッセージ性が高い歌であると、「気まぐれ」を聴いていてそう思う。




見覚えのある レインコート  




見覚えのある レインコート



「AFTER YEARS/駅」
1987年のリリースなので29年も経つが極めて今日的な歌だと思う。恋愛の心模様は不偏のテーマということもあるのだろうが、いま聴いても新鮮である。

歌詞に出てくる駅は渋谷である。渋谷だが、男が佐川急便のサラリーマンで女は「大正食堂」の店員ではないし、出会いがマルハンパチンコ店でもない。この歌を聴いて百人百様の想像をしても、その中に佐川系をイメージする人はいないのである。つまりそれだけ秀逸な歌だということだ。
恋多かった男や女にとって、この歌は切ない歌である。恋少ない男や女にとっても、その切なさを想うことができる歌である。この二人にはどんな経緯があったのかと、あれこれ想像したくなる歌でもある。

僕がこの歌を気に入っている点は、日頃体験している何の変哲もない情景描写の巧さだ。彼女の心の揺れだけでなく、車内や人混みの情景までが目に浮かぶ。
思わぬ邂逅で生じた非日常の心情が彼女の中に数分のドラマを生み、ラッシュの人波にのまれて消えていく彼の後ろ姿を見て幕を閉じ現実に戻るというストーリーだが、現実に戻ると、かき消えていた騒音が再び溢れ耳につき、そこには見慣れたいつもの夕暮れの街がある。そういう情景が切なく浮かぶ歌だ。

この歌は多くの女性の共感を得ているらしいが、それは男にとっても同じだ。違うのは触れる胸の琴線の種類が違うだけ。というのは、彼女は彼を見かけ忘れていた彼とのことを思い出すが、彼は2年間ずっと、なにかにつけ彼女のこと思い出しているからである。

女は一つの恋愛が終わるとパソコンをリカバリーするように保存していたデータ(思い出)も含めて全てを消し去って次の恋愛に向かうが、男は四畳半襖の下張りのように、データの上に新たなデータを重ね塗りするものだから古いデータが消えずに残ってしまうのだ。男はくねくねと平原の直線上を歩くので振り返ると過去が見えるが、女は都会のビルの狭間を歩きすぐに辻の角を曲がってしまうので、角まで戻らないと過去が見えないというのもある。
簡単に書けば、男は過去を引きずるが女は過去をひきずらないということだ。だから、女心を切々と歌っている歌詞のほとんどは男の作詞で、あなた変わりはないですか 胸がシンシンいたみます 着てはもらえぬセーターを 寒さ凌いで編んでますというのは事実でも、「あなた」と別れると、次の「あなた」のセーターを編む事実に男は気づかない。だから、バカにしないでよ!そっちのせいよ!とプレバックⅡで百恵に言わせているのが阿木耀子なら、今の彼に内緒で違う男と8時00分発のあずさ2号で信州方面へ旅に行かせたのが竜真知子のように、サッパリ感のある歌詞はたいていが女の作詞なのである。
男はいつも女に、見果てぬ夢のロンリーチャップリンなので、可哀想なのだ。

ということはさておき、「駅」に登場する男女が佐川系でないなら、どんな人となりなのだろうか。様々な想像や詮索が成り立つ。

レインコートを着ているから季節は秋だ。むろん冬や早春にもレインコートを着るが、この歌は晩秋なのである。冬だと車内と外との寒暖の差が大きいので窓ガラスが曇り隣の車両の中が見えないし、早春だと間近な春の方に気が向いていて彼に気づかないからだ。
僕の勝手な決めつけだって?
そう言うと思って証拠を用意してある。「AFTER YEARS/駅」は1987年11月末にリリースされているのさ!ね、晩秋でしょ。

彼が着ているレインコートはバーバリーのトレンチコートなのだ。見覚えがあるのは、まだ丸善書店日本橋店に輸入元の三陽商会のバーバリーコーナーがある時に彼と一緒に買い求めたからだ。少し高価な買い物だったが、それが二人の記念のように思えて幸せな気分になったのだった。コート姿の彼を見て、その時のことを鮮明に彼女は思い出すのである。
なぜ丸善がでてくるのかというと、僕も丸善京都店3Fにあったバーバリーコーナーでシングルタイプのトレンチコート買ったことがあるからだ。デパートではなく、書店で買う。このことに意味があった。僕の場合は一人で買ったのだけど・・・。

彼はそのコートを今も着ている。これが、別れてまだ2年だから、今も着ている理由を色々と考えさせられるわけで、8年目の邂逅ならコートはヨレヨレで、彼女の目に映る彼は刑事コロンボのはずなのだ。
2年という、冷めているけど冷め切っていない期間だからいいのだ。2年だから変わったのは彼の眼差しと彼女の髪型程度ですむが、8年だと互いに体型も含め色々と変わるわけで、その全部を歌詞に盛り込むと、詩ではなく近況報告になってしまう。しかも降車駅の渋谷を通り越してしまう。2年。竹内まりやはこのあたりの設定が実に上手い。

駅は渋谷と書いた。実際に渋谷をイメージして歌詞を書いたと夫の山下達郎が言っている。
渋谷は、東急東横線・東急田園都市線・東京メトロ銀座線・山手線・京王井の頭線が交わる都会の大ターミナル、ハブ駅だ。人々のスクランブル交差点でもある。この設定もいい。
これが郊外の町の一つしかない電車の駅だったら2年間に何度も出会ってしまうから「おうっ!」と手をあげ「元気ぃ♪」で終わってしまう。仕事や家族構成も知っているし、共通の友人知人も少なくないからドラマになりにくい。僕のような田舎住まいだと余韻に浸るような恋愛は難しいのだ。

人で溢れかえる都会といえども通勤や通学で毎日同じ電車に乗るなら、習慣として乗る車両も同じになりがちだから一度すれ違うと出会う機会はめったにない。思いもかけない邂逅になったのは、二人のどちらかが日頃と違う行動をとったからだ。
二人は幾つもある電車のどの路線で乗り合わせたのだろうか。その電車によっては仕事も違ってくるだろうし、恋人同士だった時代背景も変わってくる。
夕方のラッシュだから、二人とも勤め帰りだ。彼はバーバリーのレインコート姿なのでその下はスーツのはずである。地下鉄半蔵門線だったなら、彼は青山学院の職員か教員なのかも知れない。彼女は丸の内辺りに勤めていて、表参道で乗り換え渋谷に来たのかも知れない。教員や霞ヶ関の公務員といった推測をしてしまうのは、丸善でレインコートを買っているからだ。ジュンク堂になってからはただの大型書店に成り下がってしまったが、昔の丸善は本以外の夢を売っていたのである。

プラットホームで彼を見かけた彼女は思わず声をかけようとした一歩手前で動きを止めてしまう。苦い思い出が蘇ったのだ。それはもちろん別れることになった原因や別れた日のことなどである。原因が彼女の方にあるなら忸怩たる思いが胸の中に広がり声がかけられず、原因が彼の方にあったのなら、今さら声をかけるのはすがっているようで惨めだという思いが生じ声がかけられない。
元気でいることを、ただそれだけのことを伝えたいだけなのに・・・。

一つ隣の車両に乗ったのは、同じ車両はなんとなく気まずかったから。でも、彼が見える位置に立ちチラチラ彼を見る。彼に気づいて欲しいという気持ちと、気づいたらどうしようと気持ちで心の中は緊張で一杯になり、その心の揺れに、元気でいると伝えたかった感情以上のものがあることに気づく。今の私には、たぶん彼にも互いに待つ人がいるはずなのにこの心の揺れは何?と思い、もしかして今の私は幸せじゃないのと思ったりする。そんなあれこれが胸の中をよぎり、彼の横顔を見ていて激しい喪失感に涙があふれてきそうになるのだ。

優れた文芸評論家だった江藤淳は自著の『成熟と喪失』で、次のようなことを書いている。(原文通りではありません)
成熟は一方で、大切だったものを喪失すると・・・。
例えば、子供の頃に食べたカレーライスやアイスクリームやチョコは最高の美味しい食べ物として記憶の中に残っている。大人になるにつれ、色々な味に慣れ親しみ舌が肥えてくると、つまり成熟すると、茶碗蒸に乗った一辺の柚子の香りを味わえるようになる一方で、子供の頃のカレーやチョコのような、ある種の純な味を失っていく、喪失する。
この成熟と喪失は食べ物だけに限ったものではなく、生活様式や文化などの様々なことにもあてはまる。

唯一あてはまらないものがある。恋愛である。(たかのつめ説)
恋愛だけは何度体験しても成熟しない。喪失はあっても成熟しない。だから同じことを繰り返してしまう。清少納言の時代から今日まで、そして明日も、その先も、愛や恋がテーマの物語が連綿と続くのは、恋愛だけは何度体験しても決して成熟しないからなのである。
だから余計に喪失感が強い。その喪失感を埋める方法はたった一つ。
深いため息をつく、ことだ。

改札口を出る頃には雨もやみかけたこの街に向かい、
ふうと、深いため息をついて、
いつものありふれた町に一歩踏み出すしかないのである。


バラ  




The Rose





別府葉子の「The Rose 」は彼女の魅力が横溢された一曲である。
初めて彼女の存在を知ったときに、このブログでその魅力を紹介したいと思い、YouTubeにアップロードされている楽曲の中から悩みに悩んだ末に選んだのがこの「The Rose 」だった。2014年正月のことだ。
この一年で何度もこの歌を聴き返しているが、何度聞いてもその歌唱力や魅せられる声質に聞き惚れてしまう。

だが実は、聴く度に不満も併せて味わっている。歌に圧倒されて看過しがちなのだが、歌詞が気に入っていない。こんな訳し方はないだろうと思うところが多々あるのだ。

別府葉子はシャンソンはフランス語で歌う。シャンソン(歌)の魅力をあますことなく表現できると思ってのことだろうし、彼女のフランス語はフランス人よりも綺麗だ。ただ、言葉が綺麗から、流暢だからといって会話の中身があると限らない。

シャンソンをフランス語で歌うのなら「The Rose」も英語で歌えばいいのと思う。なぜなら「The Rose」は英語で聴くのが一番いいから。

Some say love it is a river
That drowns the tender reed
Some say love it is a razor
That leaves your soul to bleed
Some say love it is a hunger
And endless aching need
I say love it is a flower
And you its only seed

It's the heart, afraid of breaking
That never learns to dance
It's the dream, afraid of waking
That never takes the chance
It's the one who won't be taken
Who cannot seem to give
And the soul, afraid of dying
That never learns to live

When the night has been too lonely
And the road has been too long
And you think that love is only
For the lucky and the strong
Just remember in the winter
Far beneath the bitter snows
Lies the seed that with the sun's love
In the spring becomes the rose


この歌詞を別府葉子は次のように歌っている。

誰かがいうの愛は
おだやかに流れるカワ(川・河のどちらかは不明)
また別の誰かがいう 
愛は心を切り裂くナイフ
そして別の誰かは果てない欲望と
私は思うの 愛は花で人はその種だと

心に深い傷を負い
踊ることも忘れた
踏み出す勇気もなく
夢の(を?)扉閉ざした
死ぬことが怖くて
与え合うことも
奪うこともできないまま
いまを 生きてる

真夜中一人きり
目の前に続く道を
泣きそうに見つめている幸せ願いながら
そう今こそそ思い出して
真っ白い雪の下から
愛が今雪解けに
花開く あなたの・・
(最後が聞き取れていない)

※耳コピーなので一部聞き取れていない箇所があります

Some say love it is a river That drowns the tender reed
誰かがいうの愛は おだやかに流れるカワ

飲み込む、あるいは包み込むのが河で流されるのが川だとすれば、「穏やかに流れる」という表現は河の方なのだと思う。
河と訳すか川にするかで、おのずと続く歌詞の訳し方も異なってくる。

Some say love it is a razor That leaves your soul to bleed
また別の誰かがいう 愛は心を切り裂くナイフ

Some say love it is a hunger And endless aching need
そして別の誰かは果てない欲望と

味気ない訳である。

Some say love it is a razor That leaves your soul to bleed
愛は鋭い刃物だという人がいる 魂から血を奪い去る刃物だと

あるいは、

それをカミソリに喩えるわ 油断すると心が傷つく

Some say love it is a hunger And endless aching need
愛は飢えだという人がいる 満たされることのない渇望だと

あるいは、

それを飢えに喩えるわ 油断するとつい手が出るものよ

といった訳の方がカミソリや飢えに喩えたことの意味を持つ。

It's the heart, afraid of breaking
That never learns to dance
It's the dream, afraid of waking
That never takes the chance
It's the one who won't be taken
Who cannot seem to give
And the soul, afraid of dying
That never learns to live


心に深い傷を負い
踊ることも忘れた
踏み出す勇気もなく
夢の(を?)扉閉ざした
死ぬことが怖くて
与え合うことも
奪うこともできないまま
いまを 生きてる


ただの直訳だ。伝わって来るものがない。

傷つくことを恐れている心
そんな心では楽しく踊ることができない
目覚めることを恐れている夢
そんな夢ではチャンスはつかめない

あるいは、

挫けるのを恐れて
躍らないきみのこころ
醒めるのを恐れて
チャンス逃がす君の夢


あるいは、

いま 私の心は
傷つき張り裂けそう
踊ることすら出来ないの
いま 私は夢から
目覚めるのを恐れて
チャンス逃しているのかもね


こうした訳の方が味わいが深い。

When the night has been too lonely
And the road has been too long
And you think that love is only
For the lucky and the strong


真夜中一人きり
目の前に続く道を
泣きそうに見つめている 
幸せ願いながら


塾帰りの少女か、といいたくなる訳だ。

一人の夜が 時には寂しく
辿る道のりが 長く感じても 

や、

夜がせつなく寂しくなったとき
そして道があまりにも長すぎると感じたとき
また愛は幸運で強い人間にしか
やってこないと思ったとき


といった訳の方が眺めている情景が深い。

塾帰りの少女にしてしまうから

Just remember in the winter
Far beneath the bitter snows
Lies the seed that with the sun's love
In the spring becomes the rose


この部分を

そう今こそそ思い出して
真っ白い雪の下から
愛が今雪解けに
花開く あなたの・・
(最後は聞き取れていない)

と訳してしまうのである。

この部分のポイントは乙女チックに修飾した真っ白い「snows」にあるのではなく、
深い雪の下、「Far beneath 」の種にある。 So! far beneath...
雪が解けてぱっと花が開くのではなく、雪が溶け、種が芽吹き成長し花を咲かせるのだから、現状に諦めちゃ駄目、腐っちゃだめ、あなたもきっと花開くから、なのだ。


酷評になってしまったが、歌唱力や表現力がありすぎ声質も良く聴き手を酔わせるものだから、そして本人もそんな自分に酔っている部分があって、無意識のうちに歌詞をおろそかにしていると思えるのである。
好例が「The Rose」。歌詞を聞き流して聴くと唸ってしまうほど迫って来るものがる。彼女は歌がうますぎるのだ。

彼女に欠けているものがるとすれば“狂気”である。
YouTubeに数多くアップロードされたコンサートやライブ映像の中で、時折狂気っぽい部分を見せることや気分が乗っていない表情の時があるが、それは一瞬で、概ね、優等生的で健康的な別府葉子の姿が舞台にある。
彼女のファンのほとんどがコンサバティブなミドルクラスの中年~高年者がほとんど(推測)のなのは、彼女がシャンソン歌手だから(それも含まれるが)だけではなく、優等生で健康な彼女の歌だから安心して酔え満足し、鑑賞を終えると平穏な元の日常に戻れるからだ。
だが、若者にとってそれは、退屈以外のなにものでもない。
老いてはいるがアグレッシブでありたいと思う僕は、コンサバ加齢臭集団の中に身を置くことを是とできないから、彼女のファンでありながら、コンサートにもライブにもいかない。




宵闇せまれば 悩みは涯なし
みだるる心に うつるは誰(た)が影
君恋し 唇あせねど
涙はあふれて 今宵も更け行く

唄声すぎゆき 足音ひびけど
いずこにたずねん こころの面影
君恋し おもいはみだれて
苦しき幾夜を 誰がため忍ばん


1923年に作られた歌なのに、この今日的な歌詞はどうだ。
日本の歌謡曲だが、これは、別府葉子がいうシャンソンだと僕は思う。
こんな歌もさらりと歌える歌手であって欲しいと思っている。


最後に、
「The Rose」は英語で聴くのが一番。そんな一曲を載せておこう。
Bette Midler とWynonna JuddのThe Rose。
カントリーミュージシャンのワイノナ・ジャッドとロックミュージシャン、ブルース・スプリングスティーンが重なるのは僕だけだろうか。





あなたのキスを数えましょう  




あなたのキスを数えましょう


加齢のせいか体調のせいか、根気や集中力が衰え思うように文章が書けません。1日1冊のペースで読んでいた本もペースが落ち今年になって読んだのは3冊だけ。文章も読書も目の調子がよくないからですが、読書の方はここ10年ほどは書店では買わず図書館で借りた本を読んでいて、利用している3つの図書館のめぼしい本は読み尽くしてしまい借りたい本が無いせいもあります。

書けないし読めない。そんな自分に苛ついていて、ワーと大声を張り上げながら田園のあぜ道を疾走したい気分ですが、突発性間質性肺炎持ちなので、10mも全力疾走すればワーがヮ-すら出ずに息切れし悶絶するのは必定。そういう自分を想像して苛つきはさらに増すという負のスパイラルな日々なのです。
しかし長年の習慣で、起床するといの一番にPCを立ち上げ、コーヒーをいれるわけですが、「いれる」と書いてみて、漢字だと入れる・淹れる・煎れるのどれだろうと、思考が脱線してしまうのです。
入れるは、コーヒーをカップに入れるというイメージだし、煎じ薬のようなイメージなのでパーコレーターなどでエスプレッソという感じ、僕はドリップで飲んでいるので淹れるなのかなと、いま、Hawaiiのkonaを飲みつつ思考にふけっているのです。

でも結局のところ文章が完結することなく途中で放棄となるのです。そんな書き散らかした文章が何本も溜まっている、はずが溜まっておりません。なぜなら、PCのリカバリーを繰り返しているから。PCが突然動かなくなってしまうので文章のバックアップをしていませんから、きれいさっぱり無くなります。ま、ゴミのようなものばかりなので消えてもいいのですが、何を書いていたのかが僕の記憶から消えてしまうのが痛い。



そんな日々なので昔の文章の再掲載でお茶を濁しているわけですが、もう一つ、PCで音楽を聴いていることも多いです。その時に必要なのがイヤフォンもしくはヘッドフォン。写真のヘッドフォンは安っぽいですが、実際に安物ですが、音はかなりいいです。開放型なので音漏れはしますが一人で室内で聴いていますから何ら問題はありません。軽いので
長時間の装着も負担になりません。

ということで、画像に写っている音楽をどうぞ。♪
二胡は賈鵬芳です。


こんな夜は  




こんな夜は


風が冷たくなって冬の匂いがしてきました。
そろそろこの町に君と近づける季節がくるのだなぁと。

でもぉ、風が冷たいどころか、台風並やないですか。
東北や北海道は大荒れのようですが、
わが町も15~20mの風が間断なく吹き続けております。
海まで徒歩2分の至近距離だけに風は内陸部より2~3は強いです。
その北西の強風に洗濯物が飛び散って
困っちゃうなぁデートに誘われて。

そのようなわけで、今年最初の初雪でした。
って、最初だから初雪なんでしょ。
こういう場合は、今年最初の雪の華と言った方がポエムでっす。

通常は、二人寄り添って眺めているこの瞬間にも
幸せがあふれ出すわけですが、
次女を学校へ送るべくエブリー(スズキの軽)を走らせているこのときはですね、
ヒーターの効きがが悪くて寒く、
二人寄り添って 粕汁が食べたいね、なんてポエムしていたのでした。
甘えとか弱さじゃない、
ただ粕汁が食べたいと 心からそう思った
もし君が二杯目を食べたなら
僕は星になって君を照らすだろう
笑顔も涙に濡れてる夜もいつもいつも粕汁を食べようと、

で、関西で粕汁というと具は鮭に決まっていますが、
関東ではやっぱり豚なんでしょうか。

この町に降り積もっていく雪の華から
粕汁を想ったのは僕だけじゃないと
心からそう思った のですが・・・。





カラオケ  




カラオケ


長女と二人でカラオケに行きました。
朝10時から午後1時までの3時間パック。一人90分の持ち時間。長女はRADWIMPSや野田洋二郎の楽曲をメインに歌うはずなので、対抗して何を歌おうかと思案するも、気分はまだ歌いたいモードに入っておらず、もう秋なので、とりあえずサザンの「夏をあきらめて」を歌い始めとした。
2曲目に中島みゆきの「海鳴り」を予約したときに、フト思った。
「中島みゆきで90分間歌いきれるか」と。
で、チャレンジしてみましたさ。

海鳴り
忘れられるものならば
ホームにて
世情
時は流れて
店の名はライフ
まつりばやし
ミルク32
アザミ嬢のララバイ
かもめはかもめ
スズメ
時代
怜子
わかれうた
化粧
おまえの家
狼になりたい
宙船
この空を飛べたら
雨が空を捨てる日は


105分(追加15分)で20曲だった。
ホームにて、世情、狼になりたい、海鳴りの4曲以外は初挑戦。別府葉子さんから「素人が90分で20曲は無理でしょ。二枚舌の巻き舌を持つプロの私でも無理だもの。高松に忘れてきた携帯どうしょう?」と言われそうだが、歌ってみて、サビの部分しか知らなかった歌が4~5曲あり、それを途中で断念したので曲数だけは20曲になった。

で、感想?
カラオケを楽しんだという心境にはほど遠く、苦行でした。
軟式野球のゼロ行進。どこで止まるかという、あの心境。
しかも、歌い始めて2時間ほど経ったときに、伝票の記載ミスで3時間が8時間の歌いたい放題になっていると店が謝罪に来て、お詫びにと30分延長してくれたのでありますね。
でもね、今日はね、今はね、そんなんいらんて。3時間だけでええって。
歌えそうな歌が少なくて完走できるかどうかなのに・・・。

22日は恒例の「秋期・12時間カラオケ駅伝だ」だ。勢いで恒例と書いたが、初めての試み。秋期と書いたが春期も夏期もやったことはない。おでん週間とか鍋週間とか、銘打つのが好きなだけだ。
家族4人で12時間だから持ち時間が一人3時間もある。なぜこんなアホらしいことをするのかというと、12時間歌いたい放題がファミリー割引だと2千円だからなのだ。いまどき、家族4人が2千円で遊べる遊びなど他にはないでしょ。

今度はバラエティー豊かな阿久悠を追ってみようかと思っている。


そんな時代もあったねと  




そんな時代もあったねと


妻は秦基博のファンで一人でコンサートに行ったりしている。6月に名古屋でコンサートがあるようでピアでチケットを取り寄せていた。イケメンとはほど遠い眠そうな表情の、どこにでもいそうな若者といった感じのどこがいいのだろうと思うのだが、妻の心のどこかに彼の歌が響くのだろう。

僕は別府葉子のファンである。コンサートやライブに行ったことはない。スーパーで魚を物色していたら隣で鯖の切り身を買っていそうな、体脂肪がゆるめのオバサンというのが彼女のイメージだ。つまり美人ではない。もっと体脂肪を増やすとシャンソン界の天童よしみになれちゃう。海がわれるのよ~♪ 道ができるのよ~♪
彼女(別府も天童も)の歌は、僕の胸琴を鳴らす。




これまで何曲かブログに載せてきたが、この歌はいつものシャンソン歌手別府葉子の歌い方とは少し違う。雰囲気も歌い方も洗練されていない小汚たなさがある。ペドロ&カプリシャス時代の高橋まり(のちの高橋真梨子)も小汚なかったが、その時代の歌手たちとイメージがダブった。
別府葉子のファンのなので彼女の歌をいつも絶賛しているが苦言も書いてきた。共に同質かつ等質の愛情表現だからである。今回の「時代」も胸琴を鳴らしてくれた歌であった。二つのことを除き・・・。

聞いていただけたなら分かるが、決して上手には歌ってはいない。いつもと違いキーを低くして歌っているようで、その苦しさからか、それともJAZZバーでのライブゆえワインを飲み過ぎてしまったのか、音響がよくないのか、声が割れたりマイクに息継ぎ音が入ったりする。
だが、「時代」がリリースされた時代の歌の歌い方だった。彼女は何を噛みしめて歌っているのか、何に想いを馳せて歌っているのだろうかと思わずにはいられない表情がいい。その表情は鯖の切り身を買うオバサンではなく、18歳や二十歳そこそこの別府葉子の表情だと思った。二十歳の頃の彼女は、こんな感じで歌にのめりこんでいたのかもしれないと思った。

二つのことを除きと書いた。一つは、挿入されているイメージ画像である。彼女の歌の動画には必ずといっていいほどイメージ画像が挿入されていて、それが歌をよりよく聴かせる効果をもたらせていることが多いが、逆のケースもある。今回はその逆のケースで、イメージ画像は不要だった。歌い出しから歌い終えるまで、二十歳の別府葉子のライブ画像だけでよかった。その方が聴き手は、路上の吟遊詩人の歌に足を止めて聴き入るような感じで、それぞれが自分史の“時代”をイメージできたと思うからである。
そもそもなぜ鶴が飛ぶのだ。なぜ富士山なのか。見上げるビル群もビッグウエーブも手垢にまみれた定番画像で歌とまったくマッチしていない。
時代は1970年代なのである。その片鱗すらイメージできないクサイ画像のオンパレードだった。挿入するならもっと別の画像があったろうに。

もう一つはラストの部分。感極まったのか、わざと原曲をアレンジして熱唱している。しかも投げキスまでやっちゃってるのである。その、はにかんだ仕草は二十歳の娘のようで可愛いが、「時代」は、投げキスをするような歌かい?

彼女はシャンソンを、できるだけ原曲どおりに忠実に歌うように心がけているという。その意見に僕も賛成なのだが、それはシャンソンだけに限ったことではないと思う。日本の歌も原曲に忠実であるべきだと思う。

原曲に忠実というのは、その歌が持つ時代背景を忠実に後世に語り継ぐということである。別府葉子は今日的なシャンソンも歌うが、百万本のバラやリリー・マルレーン、枯葉など古いシャンソンも多く歌う。それぞれに時代背景がある。世相を歌っているといっていいだろう。リリー・マルレーンは僕すら生まれていない時代に生まれた歌だ。原曲に忠実ということは、第二次ではなく、第一次大戦時のヨーロッパ時代のリリー・マルレーンを歌っているということだ。僕たちリスナーは、別府葉子の歌を通して、かつてのヨーロッパに触れているということだ。

「時代」がリリースされたのは1975年。1965年からの十数年は日本の激動期といってよく、幾つもの発明と様々なイノベーションの時代であった。未知の新体験が溢れ始めた時代で、未知、未体験ゆえ、一方で大いなる不安を抱えていた時代でもあった。そんな中で、時の流れに敏感な若者は思い悩み膝を抱えて動けなかったり、試行錯誤の行動に突っ走っていた時代だったのである。
そいう時代背景の中で「時代」が生まれた。だから当時の若者たちの心を揺すりヒットした。40歳ならともかく、二十歳の別府葉子なら、同じ不安を抱えた若者の一人として、この歌を、まるで人生を謳歌しているように熱唱して歌ってはいけないのだ。以前、コム・ダビチュードでも書いたが、彼女はときどき歌心を履き違える。

  いつも心配かけてばかり
  いけない息子の僕でした
  今はできないことだけど
  叱ってほしいよ もう一度
 
「おふくろさん」にこの歌詞と音曲を冒頭に加えて歌った森進一に川内康範が激怒したのは、「おふくろさん」がメガヒットした背景を森進一は分かっていないからである。
この歌は、集団就職列車で都会に働きに出た中卒の若者たちが故郷や母を思う歌なのだ。都会で今は死語になっている労働者やブルーカラー族として働き、田舎に仕送りなどをする孝行息子や孝行娘の歌なのである。その歌を、“いつも心配かけてばかりのいけない息子”の歌にしてしまうとぐうたらな放蕩息子の歌になる。しかも今はできないことと、おふくろまで死なせてしまっては、本来の歌の意味を無くす。放蕩息子が改心しまともな大人になりましたと言っているわけで、小金ができて生活も安定したので、ちょっと昔を情念たっぷりに振り返ってみました、という「おふくろさん」になり下げている。
歌手デビューした森進一は歌手として生きて行けるかどうか不安な時期であった。集団就職列車で都会に働きに出た若者と同じスタンスだったのである。それが有名になり大御所になったがゆえの傲慢さが新たな歌詞を加えて歌う行動になったわけで、だから、川内康範が激怒したと、僕は推測している。

鶴や富士山や原曲を変えて熱唱するのはいただけないが、僕は別府葉子の「時代」にとても感動した。中島みゆきは寒冷地の北海道で長年チルド保存されてきたので年齢不詳の容姿だが、「時代」をリリースした頃の中島みゆきは間違いなく20歳過ぎぐらいのはず。松山千春の髪もふさふさだった遠い遠い時代のことである。

『私の声が聞こえますか』・『みんな去ってしまった』・『あ・り・が・と・う』・『愛していると云ってくれ』の第1作から4作までのベストアルバムは、レコードがすり減るほど聴いた。それだけ時間を持て余していた。当時の多くの若者が学生運動や反戦運動や市民運動に荷担していて、僕もその一人で時代とコミットし時に主役を張ったこともあった。運動はやがて終焉し、仲間たちは髪を切り髭を剃った。髪を切り損ねた連中は、キャベツばかりを囓る生活を続けたものだ。僕はキャベツ組の一人で、糊口を凌ぐバイトをする以外は部屋の中で未来に絶望し無聊を託つ日々を重ねた。数年後に再び目を外に向けるようになるのだが、その経緯を書くと長くなりすぎるので割愛するが、別府葉子の「時代」を聴いていて、40年前の髪が肩まであった時代に戻っていたのだった。同志社だったか京大キャンパスだったか、別府葉子のような娘がギターを弾き反戦歌を歌っていたことも思いだした。彼女も倒れた旅人の一人になってしまったはずで、再び立ち上がって、いま、どこをどう旅しているのだろかと思う。
「時代」が心に染みたのではなく、別府葉子の歌い方に感じ入った。

  シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
  変わらない夢を 流れに求めて
  時の流れを止めて かわらない夢を
  見たがる者たちと 戦うため

たしか4作目のアルバムに収録されていたと思うのだが、「世情」の歌詞も思い出したのだった。

見覚えのある レインコート  




見覚えのある レインコート




見覚えのある レインコート
黄昏の駅で 胸が震えた
はやい足どり まぎれもなく
昔愛してた あの人なのね
懐かしさの一歩手前で
こみあげる 苦い思い出に
言葉がとても見つからないわ
あなたがいなくても こうして
元気で暮らしていることを
さり気なく 告げたかったのに

二年の時が 変えたものは
彼のまなざしと 私のこの髪
それぞれに待つ人のもとへ
戻ってゆくのね 気づきもせずに
ひとつ隣の車両に乗り
うつむく横顔 見ていたら
思わず涙 あふれてきそう
今になってあなたの気持ち
初めてわかるの 痛いほど
私だけ 愛してたことも

ラッシュの人波にのまれて
消えてゆく 後ろ姿が
やけに哀しく 心に残る
改札口を出る頃には
雨もやみかけた この街に
ありふれた夜がやって来る


「AFTER YEARS/駅」
1987年のリリースなので27年も経つが極めて今日的な歌だと思う。恋愛の心模様は不偏のテーマということもあるのだろうが、いま聴いても新鮮である。

歌詞に出てくる駅は渋谷である。渋谷だが、男が佐川急便のサラリーマンで女は「大正食堂」の店員ではないし、出会いがマルハンパチンコ店でもない。この歌を聴いて百人百様の想像をしても、その中に佐川系をイメージする人はいないのである。つまりそれだけ秀逸な歌だということだ。
恋多かった男や女にとって、この歌は切ない歌である。恋少ない男や女だとしても、その切なさを想うことができる歌である。この二人にはどんな経緯があったのかと、あれこれ想像したくなる歌でもある。

僕がこの歌を気に入っている点は、日頃体験している何の変哲もない情景描写の巧さだ。彼女の心の揺れだけでなく、車内や人混みの情景まで目に浮かぶ。
思わぬ邂逅で生じた非日常の心情が彼女の中に数分のドラマを生み、ラッシュの人波にのまれて消えていく彼の後ろ姿を見て幕を閉じ現実に戻るというストーリーだが、現実に戻ると、かき消えていた騒音が再び溢れ耳につき、そこには見慣れたいつもの夕暮れの街がある。そういう情景が切なく浮かぶ歌だ。

この歌は多くの女性の共感を得ているらしいが、それは男にとっても同じだ。違うのは触れる胸の琴線の種類が違うだけ。というのは、彼女は彼を見かけて忘れていた彼とのことを思い出すが、彼は2年間ずっと、なにかにつけて彼女のこと思い出していたからである。

女は一つの恋愛が終わるとパソコンをリカバリーするように保存していたデータ(思い出)も含めて全てを消し去って次の恋愛に向かうが、男は四畳半襖の下張りのように、データの上に新たなデータを重ね塗りするものだから古いデータが消えずに残ってしまうのだ。男はくねくねと直線上を歩くので振り返ると過去が見えるが、女はすぐに道の角を曲がってしまうので、角まで戻らないと過去が見えないというのもある。
簡単に書けば、男は過去を引きずるが女は過去をひきずらないということだ。だから、女心を切々と歌っている歌詞のほとんどは男の作詞で、「あなた変わりはないですが 胸がシンシンいたみます 着てはもらえぬセーターを寒さ凌いで編んでます」というのは事実なのだが、「あなた」と別れると、次の「あなた」のセーターを編むのを知っていても歌詞には書かないのである。
だから、バカにしないでよ!そっちのせいでしょ!とプレバックⅡで百恵に言わせているのが阿木耀子なら、今の彼に内緒で違う男とあずさ2号で旅行に行かせたのが竜真知子のように、サッパリ感のある歌詞はたいていが女の作詞なのである。
男はいつも女に、見果てぬ夢のロンリーチャップリンなので、可哀想なのだ。

ということはさておき、「駅」に登場する男女が佐川系でないなら、どんな人となりなのだろうか。色んな想像や詮索が成り立つ。

レインコートを着ているから季節は秋だ。むろん冬や早春にもレインコートを着るが、この歌は晩秋なのである。冬だと車内と外との寒暖の差が大きいので窓ガラスが曇り隣の車両の中が見えないし、早春だと間近な春の方に気が向いていて彼に気づかないからだ。
僕の勝手な決めつけだって?
そう言うと思って証拠を用意してある。「AFTER YEARS/駅」は1987年の11月末にリリースされているのさ!ね、晩秋でしょ。

彼が着ているレインコートはバーバリーのトレンチコートなのだ。見覚えがあるのは、まだ丸善書店日本橋店に輸入元の三陽商会のバーバリーコーナーがある時に彼と一緒に買い求めたからだ。少し高価な買い物だったが、それが二人の記念のように思えて幸せな気分になったのだった。コート姿の彼を見て、その時のことを鮮明に彼女は思い出すのである。
なぜ丸善がでてくるのかというと、僕も丸善京都店3Fにあったバーバリーコーナーでシングルタイプのトレンチコート買ったことがあるからだ。デパートではなく、書店で買う。このことに意味があった。僕の場合は一人で買ったのだけど・・・。

彼はそのコートを今も着ている。これが、別れてまだ2年だから、今も着ている理由を色々と考えさせられるわけで、8年目の邂逅ならコートはヨレヨレで、彼女の目に彼は、刑事コロンボにしか見えないと思う。
2年という、冷めているけど冷め切っていない期間だからいいのだ。2年だから変わったのは彼の眼差しと彼女の髪型程度ですむが、8年だと体型も含め色々と変わるわけで、その全部を歌詞に盛り込むと、詩ではなく近況報告になってしまう。しかも降車駅の渋谷を通り越してしまう。2年。竹内まりやはこのあたりの設定が実に上手い。

駅は渋谷と書いた。実際に渋谷をイメージして歌詞を書いたと夫の山下達郎が言っている。
渋谷は、東急東横線・東急田園都市線・東京メトロ銀座線・山手線・京王井の頭線が交わる都会の大ターミナル、ハブ駅だ。人々のスクランブル交差点でもある。この設定もいい。
これが郊外の町の一つしかない電車の駅だったら2年間に何度も出会ってしまうから「おうっ」と手をあげ「元気ぃ」で終わってしまう。仕事や家族構成も知っているし、共通の友人知人も少なくないからドラマになりにくい。僕のような田舎住まいだと余韻に浸るような恋愛は難しいのだ。

人で溢れかえる都会といえども通勤や通学で毎日同じ電車に乗るなら、習慣として乗る車両も同じになりがちだから再会する機会もあり得る。都会のハブ駅だからこそ、思いもかけない邂逅になった。二人のどちらかが日頃と違う行動をとったことで同じ電車に乗り合わせ、共に渋谷で下車したのである。
二人は幾つもある電車のどれに乗り合わせたのだろうか。その電車によって仕事も違ってくるだろうし、恋人同士だった時代背景も変わってくる。
夕方のラッシュだから、二人とも勤め帰りだ。彼はバーバリーのレインコート姿なのでその下はスーツのはずである。地下鉄半蔵門線だったなら、彼は青山学院の職員か教員なのかも知れない。彼女は丸の内辺りに勤めていて、表参道で乗り換え渋谷に来たのかも知れない。教員や霞ヶ関の公務員といった推測をしてしまうのは、丸善でレインコートを買っているからだ。ジュンク堂になってからはただの大型書店に成り下がってしまったが、昔の丸善は本以外の夢を売っていたのである。

プラットホームで彼を見かけた彼女は思わず声をかけようとした一歩手前で動きを止めてしまう。苦い思い出が蘇ったのだ。それはもちろん別れることになった原因や別れた日のことなどである。原因が彼女の方にあるなら忸怩たる思いが胸の中に広がり声がかけられず、原因が彼の方にあったのなら、今さら声をかけるのはすがっているようで惨めだという思いが生じ声がかけられない。
元気でいることを、ただそれだけのことを伝えたいだけなのに・・・。

一つ隣の車両に乗ったのは、同じ車両はなんとなく気まずかったから。でも、彼が見える位置に立ちチラチラ彼を見る。彼に気づいて欲しいという気持ちと、気づいたらどうしようと気持ちで心の中は緊張で一杯になり、その心の揺れに、元気でいると伝えたかった感情以上のものがあることに気づく。今の私には、たぶん彼にも互いに待つ人がいるはずなのにこの心の揺れは何?と思い、もしかして今の私は幸せじゃないのと思ったりする。そんなあれこれが胸の中をよぎり、彼の横顔を見ていて激しい喪失感に涙があふれてきそうになるのだ。

優れた文芸評論家だった江藤淳は自著の『成熟と喪失』で、次のようなことを書いている。(原文通りではありません)
成熟は一方で、大切だったものを喪失すると・・・。
例えば、子供の頃に食べたカレーライスやアイスクリームやチョコは最高の美味しい食べ物として記憶の中に残っている。大人になるにつれ、色々な味に慣れ親しみ舌が肥えてくると、成熟すると、茶碗蒸に乗った一辺の柚子の香りを味わえるようになる一方で、子供の頃のカレーやチョコの味を失っていく、喪失する。
この成熟と喪失は食べ物だけに限ったものではなく、生活様式や文化などの様々なことにもあてはまる。

唯一あてはまらないものがある。恋愛である。(僕の説)
恋愛だけは何度体験しても成熟しない。喪失はあっても成熟しない。だから同じことを繰り返してしまう。清少納言の時代から今日まで、そして明日も、その先も、愛や恋がテーマの物語が連綿と続くのは、恋愛だけは何度体験しても決して成熟しないからなのである。
だから余計に喪失感が強い。その喪失感を埋める方法はたった一つ。
深いため息をつく、ことだ。
改札口を出る頃には雨もやみかけたこの街に向かい、
ふうと、深いため息をついて、
いつものありふれた町に一歩踏み出すしかないのである。


いつものようにマイウエイ(2)  




いつものようにマイウエイ(2)


長谷川君と別府君の違いを見る前に、同棲について考えてみたい。

同棲のための新居探しに二人でアパマンショップを訪れることはまずない。あるとすればW不倫、双方に妻や夫がいる場合だ。ほとんどの同棲は男が女の部屋に転がり込むか、女が男の部屋の転がり込むかのどちらかから始まる。
また同棲は、転がり込んだ方が弱者に見えるが逆で、転がり込んだ方が同棲関係のイニシャティブを握っているものなのだ。

愛することに疲れたみたい
嫌いになったわけじゃない
部屋の灯りはつけてゆくわ
カギはいつもの下駄箱の中
(恋:松山千春)

明日 私は旅に出ます
あなたの知らないひとと二人で
(あずさ2号:狩人)

改札口で君のこと
いつも待ったものでした
電車の中から降りてくる
君を捜すのが好きでした
悲しみの心とざしていたら
花屋の花も変わりました
僕の町でもう一度だけ
熱いコーヒー飲みませんか
あの店で聴かれました
君はどうしているのかと
(私鉄沿線:野口五郎)


こうした歌から伺えるように、同棲し続けるか、もしくは相手の部屋へ通い続けるかは、転がり込む方、通う方の一存で左右される。
“巣”の所有者が巣を捨てて出て行けないからだ。
同棲は、その巣の所有者が戦々恐々な立場に置かれるという前提で成り立っている。
家や親戚、友人知人でがんじがらめに縛り社会的に承認された婚姻形態でも8組に一組は離婚する時代である。二人だけの黙契で成り立っている同棲は婚姻を踏んだ夫婦よりも極めて脆い基盤の上で成り立っている。だから小さな石鹸カタカタ鳴って、ただあなたの優しさが怖かったりするのである。

同居される方が立場が弱くなるのは、最近頻発している子供の虐待事件にも見て取れる。その多くは、子持ち女の部屋に転がり込んだ男が起こしている。女が男の虐待を黙認したり同調してしまうのは男が去っていくことを恐れるからだ。

このような「同棲考」をベースに長谷川君の同棲と別府君の同棲をみてみると、二人とも、男の所に女が転がり込んだとみていいだろう。違う点は、長谷川君たちカップルは多少は結婚願望はあるが、別府君のカップルは、別府君にはあっても彼女の方には無い。なぜそう言えるのか。歌詞がそう語っているからだ。幾つか例をあげよう。

長谷川君も別府君も朝にコーヒーを飲む習慣があるところは同じだ。だが飲み方が違う。長谷川君はパジャマから仕事着に着替えてからコーヒーを飲む。着替える前に洗顔を済ませていると考えていいだろう。歯を磨いた直後に飲むコーヒーは不味いから、コーヒーを楽しむというようりも、習慣化(いつも通り)した朝の儀式なのである。彼女が起きてくればいいと思っているが、切望しているわけではない。
ベッドから起き、背を向けて眠る彼女の肩に毛布をかけ髪をなでるが、他意があってのことではなく、ただの思いやりの動作でしかない。いつも通りに寝室で着替えて部屋を出た時点で仕事モードに気分は切り替わっているのだ。

別府君はというと、肩を出して眠る彼女に毛布をかけてやり、髪をなでると背を向けてしまう。その、背を向ける仕草が彼女の無意識の反応ゆえに別府君はいっそう傷つく。パジャマ姿のままコーヒーを飲むのは、二人だけの黙契で成り立っている同棲は優しささえ怖いのに、無意識に背を向ける優しさとは真逆の拒否の仕草の不安や怖さが半端ではないからだ。だから起きてきて一緒にコーヒーを飲んで欲しいと強く願っている。

そっと家を出る
一日中ふりをして
心を隠して笑顔を作って
何とか生きてるだけ
今日の日をやり過ごす
やっと時は過ぎ 家に帰る いつも通り


長谷川君は仕事やその人間関係にストレスを抱えている。それを隠し笑顔で誤魔化し、その日その日をやり過ごしている。そのストレスを彼女に癒して貰いたいと思ったりしている。

いけないまた遅刻だもう出なきゃ
そっと身支度を ドアを閉めて
一日をお芝居しながら
笑顔で 幸せのふり暮らしてく
やがて日暮れて家に帰り いつものように

 
別府君は仕事や世間のことよりも、四六時中彼女との関係に思い悩んで過ごしている。

長谷川君も別府君も共稼ぎだ。共に彼女は夜の仕事。長谷川君の彼女の帰宅は遅い。遅いがいつもほぼ同じ時刻に帰宅する。長谷川君は彼女に色んな悩みを話したいが、疲れて遅く帰宅する彼女に遠慮し何もいえず、いつも通りにお休みのキスをして眠りにつく。

別府君の彼女も深夜まで仕事をしているが帰宅時間は不規則なのだ。それが仕事でなのか男友だちと遊んだり飲み歩いているのか測りかね、問いただすこともできず悩んでいて、自分だけの女であることを確かめたくて抱き合い愛し合う。

長谷川君の同棲は本人に確かめたわけではないので推測の域を出ないが7年半ぐらいになるようだ。同棲は非日常の関係である。出会い頭の衝突のような激しい男と女の出会いも、これだけの年月を共に過ごすと非日常が日常化し、男と女、恋人同士といった蜜月時代は過ぎてしまい、今は婚期を逸した共同生活者のような感じなのである。

別府君は、これは確かめたので断言できるのだが、一緒に住み始めて4年になる。同棲は2年、長くても3年で破局するか婚姻等の次のステップに進むものなので4年は中途半端な長さといえよう。別府君の彼女は今のマンネリ化しつつある生活に飽き始めている。だが別府君はそうでもないのだ。二人はそいう微妙な時期なのである。

そんな二組の同棲の、この先はどうなっていくのか。興味あります?
僕はありません。

興味がないのに長々と書いてきたのは、別府葉子さんのブログの記事や載せている彼女の歌(コム・ダビチュード)に、「できのいい物語とは思わないとか、こんなダラダラした生活、同棲という緊張感も恋人同士という夢もないわけでさっさと別れて次の男もしくは女を捜さないのかとか、怠惰な日常生活をメリハリつけて情念的に歌っても、ただ綺麗に聞こえるだけのこと、単に綺麗に歌う歌手なら他にも掃いて捨てるほどいるわけで、元歌詞をなぞらず、もっと大胆に意訳して別府葉子らしい歌にして欲しかった」と、嫌みなコメントを書き込んだからだ。周りの絶賛のコメントだけにもイラっとしてしまったというのもある。

その、できのよくない物語とは、フランス語の原曲を聴いたイメージで創作した物語のことだ。

男は物流関係の会社でデスクワークについている会社員、40歳をいくつか過ぎている。
女は30代半ば、いまは友達のブラッスリー(手軽なレストラン)を手伝っている。
知り合ったきっかけは、気乗りのしないイベントに、友人に誘われて参加したもの同士、これいつから面白くなるのかな?と声をかけて笑いあったときから。
パリ郊外のアパートで、一緒に住み始めたのは4年前のことだった。

どこに行くのも、何をするのも、一緒だった2人。
毎日、その日の夕食をどうするか、出がけに相談するのは2人の日課だった。
週末には、友人たちを誘っては一緒に出かけ、夜更けに2人でアパートに戻ってくると、お互いの服を脱がすのももどかしく、ベッドの中で狂おしく愛し合った日々。

そのころ彼女が勤めていたブティックが閉店し、急いで次の仕事を探さないでも、しばらくは家事をしたらと話し合ったときが、今にして思えば転機だったのかもしれない…
彼を送り出した後、コーヒーを飲みながら、その日1日の計画をぼんやりと考え、1日を過ごした後、夕方に彼を迎える日々。
2人だけの夕食、代わり映えのしない光景、やがて2人は、お互いに話し合いたい話題が、ほとんど見つからないことに気がつく。

やがて彼女は、友達に頼まれて、ブラッスリーの仕事を手伝うようになった。
少しずつ、当てにされてブラッスリーの仕事は忙しくなり、彼女の帰りは遅くなる。
彼が、彼女の帰りを待たずに、ベッドに入るようになったのは、いつからだったろうか…
彼女が、彼のために朝食を整えるのを止めたのと、どちらが先だったか、2人とも、もう覚えてはいない。

Comme D'habitude いつものように…

とても通俗的な物語ではないか。大抵の恋愛はこんな感じの出会いだし、その勢いで同棲するものだ。つまり、どこにでも転がっている男と女の恋の物語であり、どの男も女も通らざるを得ない日常を描いているにすぎない。
物流関係の40歳の男と、4~ 5歳下のブラッスリーに勤める彼女という設定はオブラートに包まれすぎている。もう少し具体的に設定すれば、できの悪い物語であることが判明する。

男は佐川急便の集配伝票のデスクワークをしていて、女は以前は渋谷109の3Fのブティックのハウスマヌカンで、いまは東中野の深夜2時まで営業している居酒屋「大正食堂」の店員なのである。出会いはマルハン渋谷店(パチンコ屋)だった。たまたま隣同士に座り玉の貸し借りをしたのが交際のきっかけだ。男は佐川急便小金井支店近くの2DKのマンションに住んでいて、やがてそこに女が転がり込み同棲が始まった。

というふうに書くと、あえて物語にする必要もない、隣近所にどこにでもある男と女の話である。どうせ物語を創作するなら、別府君はアランドロンで彼女はジョアンナ・シムカス、そこに友人のリノ・ヴァンチュラが絡み、同じマンションに3人が共同生活していてアランドロンとジョアンナ・シムカスは恋人同士。ジョアンナ・シムカスはリノ・ヴァンチュラもちょっと好きなのだ。リノ・ヴァンチュラはというと、ジョアンナ・シムカスが好きなように見えるのだが、実はアラン・ドロンが好きなのだ。そういう微妙な関係なのに3人が一つマンションの中で信頼し合って生活できているのは共通する夢があるからなのだ。その夢については、話が長くなるので割愛する。
なんて話をデッチあげてくれれば、面白かったと思うのである。

別府葉子はなぜ通俗的な物語を創作してしまったのか。創作センスがないからではない。なぜなら、心模様を見事に表現できる歌手だからである。聴き手に様々なイメージを彷彿とさせる歌手ということは、それはつまり、創造的であればこそ。むろん歌がうまいから文章も上手とは限らないが、彼女の「シャンソン考」を読めば分かるが、含蓄のある良質の文章が書ける。にもかかわらずできの悪い物語を書いてしまった原因は、偏に原曲の歌詞にあるのだ。原曲の歌詞は聴き手の想像力を掻き立てるものではなかったのである。
フランスやフランス語に精通している彼女自身が、フランスの歌に誤魔化されてしまったのである。

「別府の考え シャンソンとは(その4)」で彼女は次のように書いている。

別府の考えによれば、それは日本に輸入されてきたシャンソンが、曲自体、元の曲とは少し違ったものになってしまったからです。
日本で紹介されてきたシャンソンは、その多くが、日本語詞(または日本語訳詞)を付けて歌われました。
フランス語のままでは、馴染みにくいですからね。
ですから原曲と、歌詞が変わっているのは当然なのですが、変わるのは、実は歌詞だけではありません。
テンポ、リズム、メロディーまでが変わっているのです。

演奏者の好みによるアレンジという部分はあるでしょう。
ただ別府には、それよりも、もっと本質的な理由から、リズムやメロディーが変わっているように思えます。

外国語の原曲に、日本語詞をつける場合、どう歌うかを示すために、音符に日本語詞を割り振る作業をします。
この作業、実はなかなか難しいのです。
日本語の歌というのは、基本的には、1つの音符に、1つの音(文字)が割り振られています。

これに対してヨーロッパ言語の歌は、1つの音符には、1つの単語または音節が割り振られるのが基本です。

したがってヨーロッパ言語の歌は、日本語の歌よりも言葉数が多くなりますし、特にフランス語の歌では、その傾向が強いように感じます。
曲が饒舌とでも申しましょうか。
ですからフランス語をそのまま日本語に直すと、音符が全然足りない(笑)

もちろん問題はそれだけではありません。
文章の構造、子音と母音の種類、発音の仕方、アクセントの付け方等々、日本語とフランス語は、まったく異質と言ってよい言語です。
そのため、もともとフランス語で作られた曲に日本語詞を付けると…
歌詞がフランス語から日本語に置き換わっただけで、曲自体が別のものになってしまうのです。
日本語を付けたシャンソンを、その原曲と同じように歌うことの方がむしろ難しくなってしまう。逆に日本語に合うように、テンポ、リズム、メロディーを変えて歌う方が、むしろ自然だと言えるかもしれません。
昭和の時代に日本に輸入されてきたシャンソンが、原曲とは、大きく異なるアレンジで歌われた最大の理由は、これだと思います。

僕が最も感銘を受けたのがこの4で開陳されていた内容だったのだが、中でも、ヨーロッパ言語の歌は、1つの音符には、1つの単語または音節が割り振られるのが基本でり、したがってヨーロッパ言語の歌は日本語の歌よりも言葉数が多くなること、特にフランス語は饒舌だからフランス語をそのまま日本語に直すと音符が全然足りないという説明にはくすぶり続けていた疑問が解けたような納得感を持った。
フランス語は饒舌。これはまさに正鵠を射た表現であると思う。彼女は触れていないが、饒舌だけでなくフランス人独特のジェスチャーも入る。フランス情緒が溢れるのである。

シャンソンのComme D'habitudeは、これまで書いてきたように、佐川急便で伝票整理をしている男と居酒屋「大正食堂」の仲居の同棲物語でしかない。そんな歌でも、饒舌にジェスチャーを交え歌われると、なんだかとっても心地良い気持ちにさせられてしまう。だから、ADS社(フランスの物流会社)は佐川のように褌ではないんだ、と思ってしまうのである。そういう魅力がフランス語やシャンソンにある。フレンチ・マジーという。(言ったのはタカノツメ)

次の歌をお聴きいただきたい。



何も考えず聴くと聞き惚れてしまうはずだ。だがこの歌は、歌っている歌手自身がイメージしているように、物流会社のサラリーマンと居酒屋の店員の同棲生活の歌なのである。貧困な物語しかイメージできない歌詞、つまりメッセージ性を持たないわけで、こんなにも熱唱するような歌ではないはずなのだ。しかも歌詞と楽曲のメロディーやリズムとマッチしていない。

別府葉子は優れた歌心が表現できる優れた歌唱力を持つが、だからといって何でも歌えばいいというものではない。聞き惚れてしまいそうになるほど見事に歌っているが、金子由香利の、私はシャンソン歌手よ、どうよ!的な臭いがするのである。
高級料理店の料理長がきつねどん兵衛を20~30万もするような器で出し「私が作るとインスタントもこうなる」と言っているのと同じで、それは自分の歌唱力や料理の腕に自己陶酔しているにすぎない。
別府葉子には他のシャンソン歌手にないアイデンティティがあるわけで、僕が彼女に魅せられているのもそこにあるわけで、メッセージ性のない歌を自己陶酔するために歌われると、ファンであるがゆえに反発したくなるのである。

別府葉子は日本語歌詞では原曲を表現するのが難しいシャンソンを、できるだけ原曲を歪めずに歌うようにしているそうで、それは僕も賛成だが、あくまでも原曲の歌詞と楽曲がマッチしている歌に限定される。
Comme D'habitudeよりもマイウエイの方が世界的なヒットになったのは、マイウエイの歌詞の方が楽曲に合っているからに他ならない。そのことを無視し原曲にこだわっても「ご存じ?マイウエイの原曲はこっちなのよ」と物知り顔をしたところで詮ないことなのだ。
出された料理を客はなんでも美味いと絶賛するからといっていい気になっては、ただの、歌の上手なオバサンに成り下がってしまう。
男女の心模様というなら、メッセージ性をもたない歌よりも、次のような歌をそのギターと歌心でカヴァーして欲しいと、自称、舌の確かなファンは思うのである。





いつものようにマイウエイ  




いつものようにマイウエイ


この文章を読まれているあなた、フランス語はできませんよね。それが前提です。
まずは、次の曲を聴いてください。10秒か15秒でいいです。



聴きました?
マイウエイのフランス語バージョンと思ったでしょ。
いいえ、マイウエイではありません。フランスの歌手クロード・フランソワが歌ったComme D'habitude(コム・ダビチュード)という曲なのです。
この曲にポール・アンカが、原曲の歌詞とまったく異なる英語の歌詞をつけフランク・シナトラに提供したのがマイウエイなのです。ということを、僕も最近知りました。(笑)

幾つかあるComme D'habitude(コム・ダビチュード)の日本語歌詞の中で、直訳的なのは次の歌詞かと思います。

僕は起きて君をつっつく
でも君は目覚めない いつものように
シーツを君にかけなおす
君が風邪をひきはしないか心配になる
いつものように
僕の手が君の髪の毛をなでる
ほとんど心とは裏腹ながら いつものように
だが君は寝返って僕に背を向ける
いつものように
それから大急ぎで服を着る
寝室を出る いつものように
ひとりでコーヒーを飲む
時間より遅れてしまう いつものように
音を立てず家を出る
外は灰色一色だ いつものように
寒くて、僕は襟を立てる
いつものように
いつものように、一日中
そんなふりを演じよう
いつものように微笑もう
いつものように笑いさえしよう
いつものように、つまりは生きよう
いつものように

そうして一日が過ぎるのさ
僕は帰るだろう いつものように
君のほうは出かけてしまっていて
まだ帰っていないだろう いつものように
たったひとりで寝に行くだろう
大きな冷たいベッドに いつものように
流す涙、それは隠すさ 
いつものように
いつものように、夜だって
僕はそんなふりを演じよう
いつものように 君は帰ってくるだろう
いつものように 僕は君を待つだろう
いつものように 君は僕に微笑むだろう
いつものように

いつものように 君は服を脱ぐだろう
いつものように 君は身を横たえるだろう
いつものように 二人は互いにキスするだろう
いつものように
いつものように 僕たちはそんなふりをするだろう
いつものように 僕たちは愛し合うだろう
いつものように 僕たちはそんなふりをするだろう

フランス語が出来ない方は、この歌詞の歌をマイウエイのフランス語バージョンだと思い聴いたわけです。



下が、フランク・シナトラのマイウエイの日本語歌詞です。

そして今、終わりが近づき
そして終幕に直面している
友よ、これだけはハッキリ言える
私の事を確信をもって
私は波乱の人生を送ってきた
困難にもでくわしたけれども
全ての道を旅してきた
普通の旅ではない 自分の信ずるままに

後悔も少しはあった
しかし、再び言及することはほとんどない
やるべきことはやったし、免除してもらうこともなかった
全て慎重に道に沿って設計をたて
ただの設計ではない 自分の信ずるままに

たしかに君が知っているように
自分がこなせる以上のものを抱え込んだときもあった
しかし疑問に思ったときは
立ち止まり、引き返した
私は全てに堂々と立ち向かった 自分の信ずるままに

愛し、笑い、涙したこともあった
欲しいものを手に入れ、敗北も味わった
そして今、涙が途切れ
わたしは何もかも楽しかったと気づいた
私のしてきたことを考えると
私は恥ずべきやり方ではなかったと言える
いや、いや、私は違うのだ 自分の信ずるままに

人はその人なりに得たものがある
自分を偽る者は
自分の本当の気持ちも祈りの言葉も口にできないのです
記録は私が戦ってきたことを示している 自分の信ずるままに


結婚式やカラオケで耳にしたマイウエイと違うと思ったあなた、そう、違うのです。

今 船出が 近づくこの時に
ふとたたずみ 私は振りかえる
遠く旅して 歩いた若い日を
すべては心の 決めたままに

愛と涙と ほほえみにあふれ
今思えば 楽しい想い出よ
君につげよう まよわずに行くことを
君の心の 決めたままに
私には愛する歌があるから
信じたこの道を私は行くだけ
すべては心の決めたままに

愛と涙と ほほえみにあふれ
今思えば 楽しい想い出よ
君につげよう まよわずに行くことを
君の心の 決めたままに
私には愛する歌があるから
信じたこの道を私は行くだけ
すべては心の決めたままに

私には愛する歌があるから
信じたこの道を私は行くだけ
すべては心の決めたままに

すべては心の決めたままに


この、布施明バージョンが、結婚式やカラオケで歌われるマイウエイなのです。
原曲のフランス語版のComme D'habitude(いつものように)は同棲している男女のすれ違いを歌った歌、英語版のマイウエイは臨終を迎えあの世に旅立つ男の歌なので、いくらなんでも結婚式に使えません。

ということなので、これから結婚しようとしているあなた、結婚式でマイウエイを流すのはやめましょうね。2度目、3度目、4度目を目論んでいるアナタは、ゴッドファーザー愛のテーマにしたほうがよろしいかと・・・。

尾崎紀世彦のマイウエイもヒットしました。“聴かせる”という点ではこっち、歌詞は英語バージョンに近いです。

やがて私も この世を去るだろう
長い年月 私は幸せに
この旅路を 今日まで歩いて来た
いつも 私のやり方で

こころ残りも 少しはあるけれど
人間がしなければ
ならないことならば
出来る限りの力を出して来た
いつも 私のやり方で
あなたも見てきた
私がしたことを
嵐も恐れず ひたすら歩いた
いつも 私のやり方で

人を愛して なやんだこともある
若い頃には 激しい恋もした
だけど私は 一度もしてはいない
ただ 卑怯な 真似だけは
人間はみな
いつかはこの世を去るだろう
誰でも自由な心で暮そう
私は 私の道を行く



原曲のComme D'habitudeの歌詞と、フランク・シナトラのマイウエイの日本語歌詞、布施明や尾崎紀世彦のマイウエイの日本語歌詞を聴き比べて(布施と尾崎の歌い方はシナトラと同じと思っていいでしょう)みて、どちらがこの楽曲のメロディーやリズムに合うと感じたでしょうか。

マイウエイではなく、原曲のComme D'habitudeを歌っている歌手が二人います。一人は僕の好きな別府葉子、もう一人は長谷川きよしです。

『Comme D'habitude(いつものように)』訳詞・歌:別府葉子

朝目覚めていつものように
眠る君にそっと毛布をかける いつものように
思わずその髪をやさしくなでる いつものように
君は寝返りうち背をむける
僕は一人起きてコーヒーを いつものように
いけないまた遅刻だもう出なきゃ いつものように
そっと身支度を ドアを閉めて いつものように
コートの襟を立てて灰色の朝に
Comme D'habitude 一日をお芝居しながら
Comme D'habitude 笑顔で
Comme D'habitude 幸せのふり
Comme D'habitude 暮らしてく
Comme D'habitude

やがて日暮れて家に帰り いつものように
君は出かけてもどらない いつものように
広く冷たいこのベッドで いつものように
一人涙隠す いつものように
Comme D'habitude 夜にも幸せなふりで
Comme D'habitude 君の帰りを
Comme D'habitude 待ち続けよう
Comme D'habitude 微笑む君を
Comme D'habitude  
Comme D'habitude きっと君は
このベッドに潜り込んで キスをして いつものように
Comme D'habitude 
Comme D'habitude 抱き合って
Comme D'habitude 愛し合って
Comme D'habitude いつものように
Comme D'habitude
Comme D'habitude


『コムダビチュード(いつもの通り)』訳詞・歌:長谷川きよし

そっと揺すってみる
眠ったまま いつも通り
寒くないように
肩にモーフ かけ直す
そんな気もないのに
君の髪を撫でるけど
背を向けたまま いつも通り

だから急いで
着替えて部屋を出る
一人飲むカフェ
遅れそうだ いつも通り
そっと家を出る
冷たい風 暗い空
でも襟を立て いつも通り

一日中ふりをして
心を隠して
笑顔を作って
何とか生きてるだけ
今日の日をやり過ごす いつも通り

やっと時は過ぎ
家に帰る コムダビチュード
君は今日もまだ
帰っていない コムダビチュード
僕は一人きりで
冷たくて広いベッド
涙隠して コムダビチュード

コムダビチュード 夜でも
心を隠して
何事もないように
夜更けに帰る君
コムダビチュード 待ってる僕
微笑む君

何事もないように
隣に滑り込む
コムダビチュード 交わすキスも
コムダビチュード

何事もないように
隣に滑り込む
コムダビチュード 交わすキスも
コムダビチュード


訳し方がずいぶん違います。それはタイトルの『いつものように』と『いつも通り』の違いに象徴的に現れていているように思えます。
長谷川君は可視的な行動規範とでもいいましょうか。『いつものように』は漢字で書くと『いつもの様に』。模様の“よう”、別府君は心模様なんですね。
具体的にどう違うか。長くなりましたので、話の続きは次回ということで・・・。


加減乗除  




加減乗除


妻の長所は計算高くないところだ。
もし妻が計算高い女だったなら、いくら惚れた相手とは言え、あれこれ計算し、歳が25も離れた男と結婚しょうとは思わなかっただろう。
計算高くない妻だったからこそ、19年間大きな波風が立つこともなく過ごせてこれたと思っている。計算高くないということは、裏表がないということでもあるから、一緒に生活をしていて気が楽なのだ。いい妻である。

妻の最大の短所は、計算ができないことだ。
三角形の2辺の和は他の一辺の長さよりも長い。小学生でも知っているこの公式というか、常識を妻は理解できないのである。
自宅をA、目的地をBとした時、AからBへ行くのに必ずCを経由するのである。つまり三角形の2辺を通ってBに行く。
「遠回りだろ」というと、
「私が運転しているんだから、いいじゃない」と言うのだ。
もう何百回もこのやりとりをしている。
確かに僕が運転しているわけじゃない。でもね、助手席に座っている僕や後部座席に座る娘たちの人生をいたずらに消費していることを気づきなさい。1回5分の遠回りとして往復で10分、500回だと5000分。足し算ができない君は当然割り算もできないだろうが、時間に換算すると83時間だ。割り算ができないから掛け算もダメだと思うが、僕と娘たちを合わせると249.9時間も家族の時間を無駄に消費しているのだ。
娘や僕の貴重な時間、少し大袈裟に書くと人生を奪っておいて、よくもまあ、「寸暇を惜しんで勉強しなさい」とか、「あなた、長生きしてね」と言えたものだと思うのだが、計算できない妻であり母なので、僕たちは優しくあなたを見守っているのです。
僕は紆余曲折、アップダウンの多い人生を歩んできたので、せめて昼飯に丸亀製麺にうどんを食べに行く時ぐらいは目的地まで一直線に行きたいと思うのだけれど、それは贅沢な願いなのだろうか、と思いつつ午前3時にこの文章を書いている。

さて、
別府葉子さんの「シャンソン考」が15話で終了した。
二日に一度の更新の大変さ、言いたいことをまとめる作業の難しさ、深く書こうとすればするほど好ましくないシャンソン界の現状に触れざるを得ない憂鬱感などが理由だという。
そうだろうと思う。ブログの更新だけでなくフェイスブックに料理を載せたりシャンソン教室を開催していたり歌やギターの練習もある。そして本業の演奏活動。かなり忙しい日々だろうから「シャンソン考」の更新はきつかったに違いないと思う。

その最終章で「何も変わらなければ、シャンソン界は、このままゆっくりと沈んでいくでしょう。そして別府は、今その船に乗っているのです。」と書き、タイタニック号のイラストを載せている。
そして、〆の動画に「バラ色の人生(La Vie en Rose)」を載せた。
この二つは、何とも意味深長なチョイスである。だってね、ゆっくりと沈んでいくどころか、タイタニックはとっくの昔に沈んでしまっているのだから。

「バラ色の人生」。僕の世代はフランス語ができなくても「ランビアンローズ」という言葉を知っているほど、「バラ色の人生」を耳にしている。日本の歴史の中で、たった一度、フランス映画や文学、詩、ファッション、料理がもてはやされた時代があり、多くのフランスの楽曲を耳にしていたからだ。
あなたの燃える手で あたしを抱きしめて♪と、 エディット・ピアフの「愛の賛歌」を、越路吹雪バージョンで口ずさんでいたのだ、小学生だった僕が。サントワマミーを歌っていたのは学級委員長だった西川惠子だった、と思う。

そんな、フランス文化が溢れていた時代の、高島屋がテーマ曲に使っていたのが「バラ色の人生」だったのである。デパートの顔である包装紙もバラのデザインだった。老舗デパートの企業イメージに合う曲として「バラ色の人生」を使ったわけで、ラジオのスポンサー番組の冒頭で毎回この曲が流れたのである。リスナーはこの曲(歌無し)の優しい音色の向こうにフランス文化の匂いをかぎ、思いを馳せ、自分の未来に「バラ色の人生」を夢見たのである。

別府葉子さんは、かつて日本にそういう時代があったことを懐かしんで「シャンソン考」の最後にこの曲を載せたのか、あるいは再び「バラ色の人生」をとの強い思いからなのか、それとも、そのどちらでも無い理由からなのか、それを知る術はすでにない、って、彼女はまだ健在ですけどね。
ま、とにかく、シャンソン考の〆として、タイタニックといい、バラ色の人生といい、色々と含みがあるように感じてならないのである。

「シャンソン考」で知ったこと、感じたこと、思い出したことが山ほどあって、書き貯めた文章は原稿用紙換算で100枚ぐらいある。正鵠を射た内容で書けていると思うのも多々ある。だかまとまらないのだ。何よりも書くタッチが気に入らない。サラッとまとめられなくて、自分の文章力の無さにウンザリなのである。とうぜん反論や批判的内容も含まれる。その反論や批判が知的ボクシングだと分かって貰えるような書き方ができず試行錯誤の毎日なのである。単なる想像に過ぎないが、彼女も計算高くない女性だと思うのである。だから妻は五分の一ほどしか理解できない僕の画数の多い字を使った難しい論旨を、彼女も半分ほどしか理解できないと思うのである。誤解を招く部分もあるかも知れない。ファンとしては、それは避けたい。

で、まとめる努力をやめました。書くのをやめました。
彼女が音楽評論家から歌手に戻ったように、僕も一ファンに戻ります。
ということで、シャンソン考に関連した「歌は世に連れ」は、これにて完結です。
一旦、別府葉子から離れ、いずれ、歌は世に連れ的なことは書いてみようと思っている。

歌は世に連れ(1)  




歌は世に連れ(1)


別府葉子さんの『別府の考え シャンソンとは』について書こうと思い日々呻吟しているのだが考えがまとまらない。この調子だと書くことを断念しそうなので、起承転結や時系列を無視し、思いついたことから適当に書いてみることにした。とりあえずは第1回なのだが、2回目はないかも知れない。

まずは別府葉子さん(以下敬称略)の『別府の考え シャンソンとは』  を読んでいただきたいのである。読みやすく面白いので一気に読めるはずだ。歌の動画も掲載されているのでそれも観賞してもらえば、別府葉子の人となり、その才色兼備ぶりが分かるはずだ。断って置くが才色の色は見た目の容姿のことではない。まあ、見た目の容姿は普通だと思う。すれ違った時に思わず振り返ってしまう、というタイプの人ではない。(僕の個人的感想)
だが歌う表情や、肝心の歌に色艶がある。そこが美人なのである。
文章や歌でその人となりが立体的に分かれば、彼女の場合はプロの歌手だから、彼女の歌心もこちらに伝わってくる。だから、ぜひ『別府の考え シャンソンとは』を読んで頂きたいのである。

僕はシャンソン通でもファンでもないので、シャンソンについて書きたいわけではない。
書きたいと思ったのはシャンソンが流行っていた時代背景なのだ。
歌は世に連れ世は歌に連れはけだし名言である。流行歌(はやりうた)には必ず時代がついて回る。逆に言えば、時代背景を看過して歌は語れない。『別府の考え シャンソンとは』を読んで、脳裏に蘇ったのは半世紀前の日本の情景であった。

シャンソン。
まず、皆さんはシャンソンをご存じだろうか。難しい意味ではなく、シャンソンというジャンルの歌を知っているかという質問。具体的には「枯葉」だとか「愛の賛歌」だとか「サン・トワ・マミー」といった曲。あるいは石井好子、越路吹雪や丸山明宏や岸洋子やエディット・ピアフ、イヴェット・ジロー、イブモンタン、別府葉子、金子由香利といった歌手たちのこと。
たぶん、50代以上の方なら多少はご存じだと思う。だが驚くことに、10代はシャンソンを知らないのである。18歳の長女にシャンソンを知っているかと聞いてみたら、知らないと答えた。シャンソン歌手という言葉は知っているが、何をしている人かは知らないと言う。16歳の次女も同じ答えだった。長女はピアノ、次女はギターが趣味なのにである。
別府葉子自身もシャンソンの認知度について次のように書いている。

「日本のシャンソンには、昭和の頃からのファンだという方々がたくさんいらっしゃいます。でも逆に、若い方でシャンソン好きという方には、あまりお目にかかりません。
シャンソンのコンサート会場でお客様の大半が60歳代~80歳代(そして9割が女性)という光景は当たり前です」


彼女はプロのシャンソン歌手なので、これはファンを気遣っての控えめな書き方だと思う。歌手でもシャンソンファンでもない僕が書けば、「日本のシャンソンは、昭和の20~30年頃からのファンしかいない。コンサートホールの客の大半が60~80歳代なのはそのためだ」と書いてしまう。

「若い方でシャンソン好きという方には、あまりお目にかかりません。」というのも控えめな書き方で、「シャンソン好きどころか、シャンソンを知っている若者はほとんどいない」のが現状なのである。
コンサートホールの9割を占める60歳~80歳代の女性のほとんどは経済的にゆとりがある層の人たちと断定できるはずである。実はこの60歳~という部分に大きな意味があるのだが、それについては後述したいと思う。

いずれにせよ、平成のシャンソンは“今”とコミットしていないということだ。歌は世に連れの“平成時代の背景”がないわけで、小金持ちの高齢女性たちのノスタルジーを満足させる役割でしかないのである。
このことを最も強く感じているのが他ならぬ別府葉子その人だと思う。そして彼女はその原因の大半は越路吹雪にあると想定し論を展開する一方で、原因の一端はシャンソン歌手を生業としている自分にもあると忸怩たる思いなのである。そうでなければ『別府の考え シャンソンとは』を書いたりはしないだろうと思う。

別府葉子はコンサートホール以外に、ライブハウスや屋外の会場、商業施設の特設会場などでも歌っていると思う。屋外や商業施設内のコンサートはオープンで無料のはずだから、そこでの客には若い通行人も含まれると考えられる。それがインドアの有料になると客層が一変するということなのだろう。同じ有料でもたぶん、ライブハウスでは若干年齢層が若くなり、彼女が歌う楽曲の何曲かは今風の歌が含まれるのではないだろうか。

この文章を書くにあたり、『別府の考え シャンソンとは』を何度も読み返しているが、未だにフランス音楽のどこまでをシャンソンというのかよく分かっていない。
愛の賛歌・枯葉・バラ色の人生 :サン・トワ・マミー・ さくらんぼの実る頃・ろくでなしなどはなどは歌詞が自然に口を突いて出てくるし、これらの楽曲がシャンソンだと知っているが、シャンソンという意識はあまりない、という禅問答のような感じなのである。

次女に越路吹雪の「愛の賛歌」、金子由香利の「聞かせてよ愛の言葉を」、別府葉子の「ケ・サラ」を聞かせて感想を聞いてみた。越路吹雪は怖い、金子由香利は気持ちが悪い、別府葉子は違和感はない嫌いじゃないと言った。実はこれ、僕も同じ感想なのである。シャンソンの楽曲は嫌いではないのだが、昔から越路吹雪の歌い方は好きではなかった。金子由香利は脂ぎったオバハンの「どうよ」的な歌い方が気持ちが悪いのだ。別府葉子は、シャンソンがどうのこうのではなく、聴いていて心地良いのである。

この心地良さを半世紀ほど遡行してみよう。
日本ではかつて、シャンソンが心地良い楽曲としてもてはやされていた時期があった。日本人の誰もがシャンソン漬けだった。今の60歳~80歳代がごく普通に愛の賛歌やサン・トワ・マミーを口ずさむことができるのは、日に何十回となくラジオからシャンソンが聞こえていたし、TVの歌謡ショーで嫌と言うほど耳にしていたからだ。シャンソンのスピードラーニング状態だったのである。
そのころは、シャンソンだけでなく、週替わりでフランス映画が上映され、町には多くのフランス料理店があった。フランス料理はホテルの核的存在で、当時の日本人はハレの祝いごととして、ホテルのフランス料理店で食事をすることが憧れだったのだ。
映画は大衆娯楽の主役だったが、ジョン・ウエインの西部劇がアメリカ版のチャンバラ映画であるのに対し、フランス映画は文化の香りのする文芸作品という感じだった。当時の日本は思想や哲学を重んじた時代でもあったから、自称他称と問わず文化人や知識人や学生はサルトルやカミユボーヴォワールやリルケに傾倒し、芸術を目指す者はパリこそ芸術の都だったのである。
憧れの都パリ。それが当時の日本人の上昇志向のゴールだったから、シャンソンは、映画でしか知らないフランスの町を想像させうっとりさせる音楽だったのである。
日本でシャンソンが流行ったのは短い期間でしかなかったが、日本の歴史の中で、フランスが最も身近な存在だった時代であった。
(つづく)


ごらんあれが竜飛岬・・・  




ごらんあれが竜飛岬・・・




夜間急行「能登」や寝台特急「北陸」は今は走っていない。
夜行急行や寝台特急と聞くだけでノスタルジックな気分にさせられ、15本は、いや鉄道なので上り下り30本ぐらいは文章が書ける。書ける気分になる。ただ、幾つものジグソーパズルのチップのような記憶が、列車のダイヤグラムのようには正確に刻まれていないため、混線しまくっていて何から手をつけようかという感じなのだ。

「能登」のようなボンネット型車両には暖かい記憶と寒々とした記憶の2つの記憶がある。
たしか、東京のモンゴル大使館へ行った時だったと思うが、行きは長距離夜行バスだったのを帰りは列車で、それも東海道ではなく違うコースで帰阪しようと新宿から中央本線に乗ったのだった。8時丁度のあずさ2号に・・・。
狩人の『あずさ2号』がヒットし始めた頃のことだが、意図的に乗ったのではなく偶然乗ってしまったのだ。



  都会のすみであなたを待って
  私は季節に取り残された
  そんな気持ちの中のあせりが
  私を旅に誘うのでしょうか

と、口ずさみながら列車に揺られていたかどうかの記憶はないが、終着駅の松本か手前の塩尻まで旅した。ちなみにこの「あずさ2号」も今は走っていない。「あずさ」は健在だがだが新宿発松本行き下りの「あずさ2号」はない。ダイヤが変わり、それまでの上りを奇数、下りを偶数は逆の上り便を偶数、下り便を奇数に変わってしまったからだ。

松本か塩尻で直江津方面からの名古屋行き列車に乗り換えたと思う。プラットホームがとてもローカルだったという記憶があるので、松本ではなく塩尻だったのかも知れないと、いま書きながら思っている。
いずれにせよ、春まだ浅い信濃路だったので肌寒く、「能登」と同じボンネット型の列車に乗り込んだ時に、食べ物やタバコの煙の匂いが淀んだ暖房が効いた車内で空席を探している自分の姿が見えるのだ。これが暖かい方の記憶。

寒々とした方の記憶は大阪駅。早朝の始発の特急「飛騨」に乗った時だ。車内は暖房が入れられたばかりで寒く、客もまばらで閑散としていた。「飛騨」はビジネス客よりも観光客向けの列車なのだが、車内には観光列車っぽい喧噪も華やかさもなく、僕と友人たちを除くと、車内は地味なスーツを着た疲れた表情のサラリーマンばかりだった。彼らはまさか飛騨観とは見えなかったから、早朝発の「飛騨」に乗るのは別の目的があってのことだ。彼らは名古屋かその先への出張なのである。支給された新幹線の旅費を在来線に変え差額を浮かすために早朝の列車に乗り込んだのだ。寒々とした光景に見えた。彼らは名古屋で全員下車したから想像は当たっていた。

僕たち貧乏仲間の観光旅行はスタート時から寒々としたものだったのだが、1泊2日の飛騨の旅は旅館の部屋も寒くて狭く食事も不味くて量が少ないという、全てが不完全燃焼でつまらなく終わってしまったのだった。僕は演歌は嫌いではないが、竜鉄也の「奥飛騨慕情」を好きになれないのは、たぶん、この旅行のせいなのだ。

列車世代という言葉があるとすれば僕はその世代である。列車の全盛期を知っている世代であり、映画全盛、歌謡曲全盛時代を知っている世代でもある。恵まれた世代だと思うが、恵まれていただけに喪失感も大きい。だって、今も振り袖姿で歌うこまどり姉妹を見ると、その妖怪ぶりに鳥肌が立ち、その背景に、どう頑張っても決して取り戻せないモノがあることの大きさを知り、ため息が出てしまうもの・・・。
何事も引き際が肝心ということなのだろう。列車も人も、いつかはその人生の幕を閉じる。

と、寂しく終わるのが目的ではないので、列車らしく、しかし危険がない程度に、話を脱線させて走らせることにする。



列車となると、やはり石川さゆりだ。彼女は旅好きなのだ。

  上野発の夜行列車 おりた時から
  青森駅は 雪の中
  北へ帰る人の群れは 誰も無口で
  海鳴りだけを きいている
  私もひとり 連絡船に乗り
  こごえそうな鴎見つめ 泣いていました
  ああ 津軽海峡 冬景色

この歌がヒットする5年前。上野発ではなく大阪発の夜行列車に乗った僕が降り立った青森駅もやはり雪の中にあった。北へ帰る人の群れは誰も無口だったが、それはとても寒かったからだ。僕も連絡船に乗りさらに北へ向かい、凍えそうなカモメ見つめるまでは歌詞通りだったが泣かなかった。泣かなかったが、荒れる海に揺られ船酔いし、誰もいないアッパーデッキで、涙目になり吐いていた。そんな僕が、今は潮気たっぷりのヨット乗りなのだから、人生なんてホタテの貝柱だとつくづく思う。



  夜明け間近か 北の海は波も荒く
  心細い旅の女 泣かせるよう
  ほつれ髪を指に巻いて ためいきつき
  通り過ぎる景色ばかり 見つめていた
  十九なかばの恋知らず
  十九なかばで恋を知り
  あなた あなたたずねて 行く旅は
  夏から秋への 能登半島

津軽の旅のあと、絹代(さゆりの本名)は「能登半島」へ向かったのだ。
この歌が発売される7年前。僕も夜汽車で金沢まで行き、岬巡りのバスに乗って能登半を反時計回りに旅した。夏から秋ではなく、季節は春だった。能登半島の先端、祿剛崎で泊まった民宿は今はない。



  バスの窓にキラリキラリ 波が光り
  岬までの道がつづく うねりながら
  季節はずれ 風がさわぐ海べりを
  私ひとり乗せただけの バスが行く
  これで心が 晴れました
  あなたなしで生きることに 決めました
  かもめつれて西へ走る フェリーボート
  私ぼんやり 南国土佐の昼さがり

「暖流」は石川さゆりの1977年の3部作の最後の曲。場所は四国の土佐。まだ四国への橋が出来ていないから、山陽本線経由で岡山からフェリーで四国へ渡ったか、大阪の天保山か神戸三宮から船で徳島へ渡ったのだろう。そして土讃線で高知へ向かい土佐の某港まで国鉄バスの客になった。なぜ国鉄バスかというと、国営だから乗客が一人でも走ったからだ。

この歌が発売される6年前に僕は、明石からフェリーで淡路島へ渡りバスで南端の南淡まで行き、赤玉蒸気船で鳴門へ渡り土讃線に乗り継ぎ土佐へ行った。土佐まで1泊2日の行程。土佐はとても遠かった。

このように、19歳の石川さゆりの1997年は、恋を追い列車やバスや連絡線で東奔西走していたのである。僕の場合は、何を追っていたのだろう・・・。



  隠しきれない 移り香が
  いつしかあなたに しみついた
  誰かに盗られる くらいなら
  あなたを殺して いいですか
  寝乱れて 隠れ宿
  九十九折り 浄蓮の滝
  舞い上がり 揺れおちる 肩のむこうに
  あなた…… 山が燃える
  何があっても もういいの
  くらくら燃える 火をくぐり
  あなたと越えたい 天城越え

28歳になったさゆりは、大人の女の激しい恋に燃えるのである。清楚で凛々しいとさえ感じられた彼女も妙齢の色香を漂よわすオンナになったのだ。
この歌から遡ること24、25年。僕は天城峠を徒歩で越えた。むろん伊豆の踊子を追ってである。川端康成と同じコースを歩いたということだ。

2014年。56歳なった石川さゆりは、マウンテンバイクに買い物袋を乗せ、自由が丘近辺を颯爽と走り回っている。


※青函連絡船(1908年~1988年)は鉄道車両も一緒に津軽海峡を渡った。
※青函トンネル(1988年~)開通の年に廃止しされた。


モスバーガーを食べながら  




モスバーガーを食べながら




どこかに故郷の 香りをのせて
入る列車の なつかしさ
上野は俺らの 心の駅だ・・・


この歌を口ずさめる人はもう、そう多くはないだろうと思う。
かつて日本には中卒者が金の卵と言われた時代があって、春先になると集団就職列車が連日のように大阪駅や上野駅に着いたのである。都会が秘める可能性という希望に胸を膨らませる一方で、それを押し潰すような大きな不安も抱えて、彼、彼女たちは都会の駅に降り立ち、中小企業の工場主や商店主に連れられて町中に散って行った。


ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ・・・


この詩を口ずさめる人も、


ふるさとへ向かう最終に 乗れる人は急ぎなさいと
優しい優しい声の駅長が 町中に叫ぶ・・・


この歌を口ずさめる人も少なくなった。

こうした詩や歌に胸がぎゅっと握り絞められるような気持ちになる人なら、それはきっと、ビロードのような心を持った人だから、僕の同胞、親友、恋人である。

「ああ上野駅」を歌った井沢八郎が亡くなって何年経ったのだろう。彼は家出同然に田舎を出奔して東京へ出て歌手になった。その父を、日本一歌の上手な人だったと涙ながらに語った娘の工藤夕貴もまた、単身日本を出奔して国際的な女優になったわけで、こういうのを親子鷹というのだろう。



冒頭の写真と「ああ上野駅」と何の関係があるのかというと、実のところ何の関係も無いに等しい。僕は女優工藤夕貴の退路を断ったような張り詰めた演技が好きであること、彼女の向うに昔歩いた五番街やブロードウエイが思い浮かんだこと、そういうあれやこれやをこのレコードを聴いていて思い出したただけのことである。

ところで、工藤夕貴と妻は共に1971年生まれのB型なのである。だからどうしたと言われたら返答に窮する。ただなんとなく、ちょっと書いてみたかっただけである。

これ以外にあえて共通点を探せば、「ああ上野駅」も写真のレコードも、共に1964年にリリースされたということぐらいだ。むろん僕はまだジャズを聴く年齢に達していないどころか、電信柱に貼られたポールアンカのモノクロポスターに外国の息吹を感じていた程度の少年だった。

授業が半日だった長女を迎えに行った帰りに、久しぶりにモスバーガー店に入った。平日の店内は空いていたので陽当たりのいい窓際に座った。オニオンリングを囓る娘をみていて、以前に書いた井沢八郎父娘のことを思い出したのだった。
井沢八郎は娘から日本一歌の上手な人だったと言われたが、僕には娘から懐かしく振り返ってもらえるものは何もないなと、そう思った。

ハンサム以外に何の取り柄もない男はだめだね。




30年前のあなたは?  




30年前のあなたは?




今日はハリー・ベラフォンテ(Harry Belafonte)から始まり始まりぃ。
ハリー・ベラフォンテと聞くと、僕の世代はバナナボートが耳に蘇ります。とともに、日本でカバーした浜村美智子のバナナボートも・・・。
この書き方は正しくありませんね。浜村美智子がデビューした頃にはまだカバー(cover)という言葉はございませんでした。だってカバーは「覆う」とか「不備・不足などを補うこと」といった意味。当時の日本は本場の洋楽をカバーする腕も機器もありませんでした。カバーではなく、全部パクちゃえ、真似っちゃえの時代。

それから幾星霜。業界はパクリや真似を上手にカバーする言葉を生み出しました。カバーです。カバーと言えば聞こえはいいですが、そして掃いて捨てるほどカバー曲がありますが原曲を真性にカバーしている曲はほとんどありません。美空ひばりを誰がカバーできるっちゅうのよ。カバーの大御所徳永英明なんてアナタ、原曲をほとんどをねちっこいお経もしくは念仏にしちゃってますでしょ。



浜村美智子が着ているのはコーヒー豆の袋。お金が無くて舞台衣装が買えずコーヒー豆のずた袋を自分で裁断縫製して作ったのでした。シミーズ(現スリップ:キャミソールよりも丈が長い下着)を着ていたとはいえ、麻の袋はきっとむず痒い痒い痒いだったことでしょう。歌詞はデ・イデデ・イデデ・イデデなんですけどね。

今日のブログをハリー・ベラフォンテから始めたのは、彼が「USAフォー・アフリカ」の提唱者だったから。「USAフォー・アフリカ」って何?という方もいらっしゃることでしょう。アフリカの飢餓や貧困救済のために設立されたプロジェクトの名称です。1985年のなのでもう28年も前のことでした。救済基金のためにリリースされたのが、「ウィ・アー・ザ・ワールド(We Are The World)」です。この曲を知らない日本人はいないと言っていいほど有名な曲です。

5分ほど脱線させていただいて、ブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen)の 「Born To Run~明日なき暴走」の動画です。



【Born To Run】
Sprung from cages out on highway 9,
Chrome wheeled, fuel injected and steppin' out over the line
Baby this town rips the bones from your back
It's a death trap, it's a suicide rap
We gotta get out while we're young
`Cause tramps like us, baby we were born to run
Wendy let me in I wanna be your friend
I want to guard your dreams and visions
Just wrap your legs round these velvet rims
and strap your hands across my engines
Together we could break this trap
We'll run till we drop, baby we'll never go back
Will you walk with me out on the wire
`Cause baby I'm just a scared and lonely rider
But I gotta find out how it feels
I want to know if love is wild, girl I want to know if love is real

Beyond the Palace hemi-powered drones scream down the boulevard
The girls comb their hair in rearview mirrors
And the boys try to look so hard
The amusement park rises bold and stark
Kids are huddled on the beach in a mist
I wanna die with you Wendy on the streets tonight
In an everlasting kiss

The highway's jammed with broken heroes on a last chance power drive
Everybody's out on the run tonight but there's no place left to hide
Together Wendy we'll live with the sadness
I'll love you with all the madness in my soul
Someday girl I don't know when we're gonna get to that place
Where we really want to go and we'll walk in the sun
But till then tramps like us baby we were born to run

【Born To Run~明日なき暴走】

昼間は街路で、どうしようもないアメリカン・ドリームを待ちわび
夜は 自殺マシーンに乗って栄光の館を走りぬける
クロームのホイールをはき ガソリンをつめ ハイウェイ9でカゴからとび出す
そして ラインを越えて一歩をふみ出し
ベイビー この町はおまえの背骨をはぎ取っちまうぜ
それは死のワナ 自滅のワナだ おれたち 若いうちにぬけ出さないと
おれたちのような放浪者は つっ走るために生まれてきたんだから

ウェンディ、入れてくれ、おまえの友達になりたいんだ
おまえの夢と幻を守ってやりたい
このヴェルベットの縁におまえの足を巻きつけ
おれのエンジンにおまえの手を巻きつけ いっしょにこのワナを突破できるだろう
落ちるまで走るんだ、ベイビー 二度ともどることはない
ワイヤーの上を おれと一緒に歩いてくれるか
俺はこわがりのさみしいライダーだから けど どんな感じかわかるだろうよ
おまえの愛がワイルドかどうか知りたい 愛がリアルかどうか知りたい

宮殿の向こうでなよなよしたのらくら者たちが大通りを叫んでゆく
少女はバックミラーに向かって髪にくしをいれ
少女は必死に見ようとしている 楽しみの駐車場は大胆に赤裸々に生きかえる
こどもたちはもやの中を浜辺につめこまれ
俺は通りで今夜 おまえと死にたい 永遠につづくキッスをしながら

ハイウェイはうちのめされたヒーローで埋まり パワードライブ最後のチャンスに
今夜は誰もが走り出す けど、隠れるような所は何も残っちゃいない
いっしょにさ、ウェンディ、おれたち悲しみを抱いて生きてゆけるぜ
魂の狂気すべてでおまえを愛そう、あそこまでたどり着くんだ
おれたちの本当に行きたい所へ そして太陽のなかを歩くんだ
が それまでは おれたちのような放浪者は
ベイビー 走るために生まれてきたんだ



動画第二弾はボブ・ディラン(Bob Dylan)の練習風景。音が拾えなくておどおどするボブ・ディラン。助け船を出すスピーディー・ワンダー。ライオネル・リッチもヘルプしているし指揮のクインシー・ジョーンズもアドバイスしていたりして、とても暖かな光景が見ていて楽しい動画です。
ボブ・ディランだけでなく、「We Are The World」にボランティア参加したアーチスト全員が個々に同様の練習を行っています。その集大成が次の動画です。

「We Are The World」がリリースされてもう28年も経ちます。登場するアーチストのなんと若いことか。
みなさんも30年前をちょっと振り返ってみませんか?



【We are the world】
There comes a time when we heed a certain call
When the world must come together as one
There are people dying
and its time to lend a hand to life
There greatest gift of all

We cant go on pretending day by day
That someone, somewhere will soon make a change
We are all a part of Gods great big family
And the truth, you know,
Love is all we need

We are the world, we are the children
We are the ones who make a brighter day
So let's start giving
There's a choice we're making
We're saving out own lives
It's true we'll make a better day
Just you and me

Send them your heart so they'll know that someone cares
And their lives will be stronger and free
As God has shown us by turning stones to brend
So we all must lend a helping hand

We are the world, we are the children
We are the ones who make a brighter day
So let's start giving
There's a choice we're making
We're saving out own lives
It's true we'll make a better day
Just you and me

When you're down and out, there seems no hope at all
But if you just believe there's no way we can fall
Let us realize that a change can only come
When we stand together as one

We are the world, we are the children
We are the ones who make a brighter day
So let's start giving
There's a choice we're making
We're saving out own lives
It's true we'll make a better day
Just you and me
「Michael Jackson ・Lionel Richie共作」
  

【ウィ・アー・ザ・ワールド】

今こそあの声に耳を傾けるとき
今こそ世界がひとつとなるとき
人々が死んでゆく
いのちのために手を貸すとき
それはあらゆるものの中ですばらしい贈り物

これ以上知らない振りはできない
誰かがどこかで変化を起こさなければ
僕らはすべて神のもと、大きな家族の一員 本当さ
愛はすべての人に必要

僕らは仲間 僕らは地球の子供たち
明るい明日を作るのは僕らの仕事
さあ始めよう
選ぶのは君だ
それは僕らのいのちを救うこと
本当さ よりすばらしい世界を作るのさ
君と僕で

心が届けば支えになってあげられる
そうすれば彼らも強さと自由が手に入る
神が石をパンに変えて示したように
そう僕らも救いの手をさしのべるべきなんだ

僕らは仲間 僕らは地球の子供たち
明るい明日を作るのは僕らの仕事
さあ始めよう
選ぶのは君だ
それは僕らのいのちを救うこと
本当さ よりすばらしい世界を作るのさ
君と僕で

見放されたら何の希望もない
負けたりしないと信じることが大切
変化はきっと起きると確信しよう
僕らがひとつになって一緒に立ちあがるとき

僕らは仲間 僕らは地球の子供たち
明るい明日を作るのは僕らの仕事
さあ始めよう
選ぶのは君だ
それは僕らのいのちを救うこと
本当さ よりすばらしい世界を作るのさ
君と僕で

町一番だったそうじゃない  




町一番だったそうじゃない


土曜日は次女の中学校の文化祭でした。冒頭の写真は職員室の前にデンと飾られた次女の作品。某デザイン学校のファッションコンクールにデザイン画を応募し優秀賞を受賞したのです。受賞作は学校の生徒が実際に作品化し表彰式でファッションショーを行ったらしいです。その後、次女の学校に届けられたのでした。応募総数は772通。優秀作は5点というから大したもんだと思っているのですが・・・。
今週末は長女の表彰式。これは名古屋の某学園のコンクールの漫画部門の応募し特別審査委員賞を受賞したのです。応募数が不明ですが何人の応募であれ特別審査委員賞の受賞者は一人なので、これも大したものではないかと思っております。

昨日は次女の学校が文化祭の代休日でした。わが町の平日はカラオケが安いのです。終日歌っても1500円。次女と二人カラオケでした。
午前10時から午後3時までの5時間で次女33曲、僕32曲の計65曲でした。

僕の成績を載せておきます。
32曲のうち、全国20位以内が12曲でした。最も悪かったのはエバンゲリオン「残酷な天使のテーゼ」の3180位でした。この曲を除けば13曲以下31曲まで、それほど悪い成績ではありませんでした。

ご覧のように「小心者」は全国1位でした。カラオケに行くのは年に1度か2度ですが、行けば1曲は必ず全国1位を獲ります。

1 位 小心者 (梓みちよ)
3位 コイン ランドリィ ブルース (柳ジョージ)
4位 TAKAKO (上田正樹)
5位 サライ (加山雄三/谷村新司)
6位 池上線 (チェウニ)
8位 愛のくらし (加藤登紀子)
9位 新しいラプソディー (井上陽水)
10位 ダンスはうまく踊れない (井上陽水)
11位 すずめの涙  (桂銀淑)
12位 帰らざる日々 (アリス)
18位 大阪暮色 (桂銀淑)
20位 珍島物語 (天童よしみ)
3180位 残酷な天使のテーゼ(高橋洋子)

歌い過ぎて喉の調子が悪いので今日はこれでおしましです。

今日載せる曲は当然、全国1位を獲った「小心者」でしょう。




スインギーに  




スインギーに


ネットで調べ物をしていて、2007年に店を閉じた横浜のジャズ喫茶「ちぐさ」(1913~2007)が今年3月に復活していたのを知った。閉店を惜しんだ人たちの手で再興されたようなのだ。いいニュースを目にして気分はスインギー。
2007年の閉店当時に「ちぐさ」について書いている。今日はそれを再掲載させていただく。



今日はこのレコードを聴きながら日記を書いている。
先日、横浜のジャズ喫茶「ちぐさ」が、その73年の歴史を閉じた。最終日は閉店を惜しむ常連客や、かつて常連客だった人たちが最期を見届けようと全国から集まったようだ。閉店時間がきて、店の6千枚の中から選ばれターンテーブルに乗せられた最後の1枚が写真の、Kenny drewのレコードだったのである。

このレコードのA面の1曲目はcaravan。ジャズに興味のない人でも一度は耳にしたことがある曲のはずだ。そしてB面ラストがit's only paper moon。ナッキンコール(Nat King Cole)の歌で有名だが、彼の歌とは一味違うスインギーな演奏になっている。この2曲を含め、収められた8曲の全てがテレビCMや映画のBGMなどで聴いたことがある曲ばかりなのである。

「ちぐさ」が最後の1枚にマニアックなものを選ばずKenny drewのレコードを選んだのはなんとなく分かるような気がする。最後の1枚は、店に集まった全ての人たちの中にあまねく沁みるものでありたいわけで、それにはポピュラーな作品こそがふさわしいと思ったのではあるまいか。


かつてはたくさんのジャズ喫茶があったが、僕は苦手であまり行っていない。陰鬱な表情のしたり顔でジャズを聴いている客の雰囲気が嫌いだったからだ。名曲喫茶というのもあって、なぜかそれはクラシック音楽を聞かせる店で、クラシックを名曲と言ってはばからない傲慢さがジャズ喫茶以上に嫌いだった。

いつだったか、日米安保条約の更新を阻止するため新宿御苑付近で無届けデモを敢行したことがある。投石と放水で騒然とする中で僕たちの正義は国の正義に見事に打ち砕かれて散会したあと、ヘルメットを小脇に抱えて仲間たちと喫茶店に飛び込んだらそこは名曲喫茶だった。中に居た客たちは借りてきた猫のように大人しくかつ瞑想状態で、ドカドカと入り込んで来た僕たちを見て露骨に嫌な顔をしたのである。彼らにとって僕たちは場違いな存在だったろうが、僕たちにとっても彼らは異常なものに見えた。

  あなたの周りをご覧なさい
  あたりの河は水かさを増して
  あなたは河底に沈められ 押し流され行く
  溺れる前に泳ぎ始めよう
  時代は変わって行く

ボブ・ディランのこんなメッセージソングとは無縁な彼らは、“今”という世間とコミットすることなく“200年前の名曲”に浸っているわけで、「こいつらは国家権力よりも手強い」と痛切に思ったものである。
マニアックなジャズファンや名曲ファンに反吐が出る思いがするのは、このフレーズが、ここのところのテンポがと、木を見て森を見ない瑣末で矮小な薀蓄を語る評論家的なのがあまりにも多いからだ。自分が演奏家ならともかく、普通のリスナーならそんな瑣末なことはどうだっていいはずである。彼らは音楽を楽しんでいるのではなく薀蓄を語ることが高尚だと思い、その優越感を楽しんでいるだけでしかない。こういう輩をエセ・インテリという。

僕も喫茶店でよくジャズを聴いた一人だが、そこはジャズ喫茶ではなくジャズを流している喫茶店だったからにすぎない。BGMとしての聞き流しだから、マスターと音楽談義をする一方で友人たちと駄弁ったり女友だちとコーヒーを啜ったりした。そういう客がほとんどだったから、「皆静かに。新譜入荷だから。これ良いから。聴いてくれー!」とマスターが声高に言わなければ、誰も真面目にスピーカーに耳を傾けなかったものだ。音楽とはそういうものだと思う。息の長いまともなライブハウスほど喧騒で溢れ返っているものである。

そんなある日のこと、その店に突然、ガロの「学生街の喫茶店」が流れたのである。瞬時にして店内は静まり返ったのはいうまでもない。

  君とよくこの店に 来たものさ
  訳もなくお茶を飲み 話したよ
  学生でにぎやかな この店の
  片隅で聞いていた ボブ・ディラン
  あの時の歌は 聞こえない
  人の姿も変わったよ
  時は流れた
  あの頃は愛だとは 知らないで
  サヨナラも言わないで 別れたよ
  君と

「・・・・」
「どうしたん、マスター?」
「うちの店のために作られた歌のようではないか」
「ボブ・ディランがかかったことがあったっけ?」
「・・・そんな瑣末なことはよろしい」
「で、どうしたん、マスター」
「本日をもって店を閉めることになりました」
「・・・」
「生でデイビスやコルトレーンを聴きたいので向うへ行くことにした」
「閉めなくても、留守中は誰かに店を預けて行けばええやん」
「そうしたい。けど渡航費と滞在資金が無い。だから店を売った」

かくして突然、惜しむ暇もなく、店は無くなった。

半年後、その店はノーパン喫茶になって新規開店したのだった。

そのことをNYに滞在していたマスターに手紙で知らせると、
「わはは。帰国したら一緒に行こう」と返事をくれたのだが、
結局、五番街のマリーと一緒になって未だに帰国していないのだ。

ガロの「学生街の喫茶店」を耳にすると、
ジャズを流した喫茶店よりも、なぜか、
行けずじまいだったノーパン喫茶の方を思い出してしまうのである。



肴はあぶったイカがいい  




肴はあぶったイカがいい


長女は自転車通学。高校までは45~50分ほどかかる。女の子には辛い距離なので雨やテストの日には車で送迎している。
今日は体育祭。いつもより早い時間の登校なので送ることにした。可愛い次女は助手席に乗るのだが、可愛くない長女は後部座席に乗る。次女には愛されているが長女には愛されていないのである。妻は助手席に乗る。が、いつもドアの窓の向こうを眺めているから、愛されているかどうか不明だ。

長女を乗せてなにげにCDをONにしたら『舟歌』が流れ出した。早朝の田園の中の演歌。
まるで『その朝のジャズ』ではないか。(※末尾に掲載)

舟歌。宇宙人トミー・リー・ジョーンズに「この惑星の八代亜紀は泣ける」と言わしめたあの舟歌である。


   お酒はぬるめの 燗がいい
   肴はあぶった イカでいい
   女は無口な ひとがいい
   灯りはぼんやり ともりゃいい
   しみじみ飲めば しみじみと
   想い出だけが 行き過ぎる
   涙がポロリと こぼれたら
   歌いだすのさ 舟唄を

   沖の鴎に 深酒させてヨ
   いとしあの娘とヨ 朝寝する
   ダンチョネ


この歌のいいところは自分で自分のストーリーが創造できるところにある。
僕の場合だと次のようなストーリーが・・・。

僕は高倉健か渡辺謙的な漁師なのである。ケンはケンでも松平健や志村ケンなどの殿様系ではない。阿波踊りは踊っても、パチンコ屋の宣伝のようなマツケンサンバなど踊りたくはない。
今回は、寡黙で渋さが売りの高倉方面のケンとしておこう。
場所は漁港なのだが北の国であって鹿児島や沖縄ではない。なぜなら芋焼酎のロックやシークワーサーのチューハイね♪では高倉健や渡辺健にアロハシャツを着せたくなってしまうからだ。



北海道である。本格的な冬一歩手前の北海道。宗谷本線の南稚内で降りて宗谷国道を東へ10分ほど。声間郵便局が見えたらその次の信号を左折したドン突きの漁港のすぐそばの、木造モルタル二階建ての2階の窓に朽ち落ちそうな手すりのある飲み屋がその場所だ。看板には「菊子」とある。

季節的にもう寒いのだが、店にはストーブが焚かれているので熱燗よりはぬるめの燗がいいわけだ。むろん肴はあぶったイカである。あぶったイカというのはスルメのことではないぞ。ケンさんがスルメをくちゃくちゃやっていたのでは絵にならない。第一僕はあまりスルメは好きではないのだ。繊維が歯に挟まっていけない。
そう、鄙びた漁師町の飲み屋であぶったイカといえば、自家製の一夜干のイカに決まっているのである。

カウンターの向こうでイカをあぶっている女将の菊子は無口なのだ。これがしゃべりの大阪のオバハンだと店はお好み焼き屋にしなければならない。もっとも、関西の飲み屋のママはお好み焼き屋の女将に負けず饒舌ではあるが・・・。
客の心情や空気が読めず下手な駄洒落を連発するママもいただけない。だから無口な女と指定したのだ。無口な女の酌だから、しみじみ飲めばしみじみと想い出だけが通り過ぎるのだ。大阪のオバハンや駄洒落連発のママだと、通り過ぎるのは想い出だけでなく、渋谷ハチ公前のスクランブル交差点のように色んなものが一度に通り過ぎて五月蝿くてしかたがない。当然だが、涙がポロリなんてありえないし、舟歌を歌い出すこともない。

   沖の鴎に 深酒させてヨ
   いとしあの娘とヨ 朝寝する
   ダンチョネ

この歌詞こそが、ケンさんが貨物船の船乗りではなく漁師であることの証だ。
鴎は魚鳥(ゴメ)である。
ゴメが鳴くからニシンが来ると~♪と石狩挽歌でも歌われているように、鴎のいない漁はない。その鴎に深酒させて、つまり魚を呼ばさせずに愛しいあの娘と朝寝しようということなのだ。
愛しいあの娘というのは世間に認められた恋人ではないのだ。ケンさんの愛しいあの娘は宗谷駅の裏の飲み屋街のスナック流氷のちーママの純子なのである。
ちーママを捉まえて“あの娘”はないだろうと思うかも知れないが、純子とケンさんは歳が離れているので“あの娘”でいいのである。歳の差も含めての理由(わけ)ありで、純子とケンさんは一緒になれないのだ。そんな二人のつかの間の逢瀬なのである。
スナック流氷の勤めをおえて居酒屋菊子にやってくる純子を待つケンさんの酒の相手を菊子がしている、そういうことなのである。

想像力豊かな方なら分かるだろうが、朝寝しているのはベッドではない。布団である。ぬるめの燗にあぶったイカに無口な女にぼんやり灯りが点る設定の場合、ビジネスホテルのベッドではないのだ。東映映画株式会社ではそういう決まりになっていたのだ。なぜなら、時々霧笛が鳴ればいいが、非常ベルが鳴ってもらっては困るからだ。和室。飲み屋の、2階の窓の外に朽ち落ちそうな木製の手てすりのある小部屋なのだ。無口な飲み屋の女将菊子と純子は郵便局の向かいにある声間小学校の同級生だったのである。だから融通がきいたのだ。

   沖の鴎に 深酒させてヨ
   いとしあの娘とヨ 朝寝する
   ダンチョネ

布団の温もりまでも感じてしまう歌詞ではないか。
早朝の田園にも合う、と思った。




『その朝のジャズ』はこちら

茶粥を食べながら・・  





茶粥を食べながら・・




どこかに故郷の 香りをのせて
入る列車の なつかしさ
上野は俺らの 心の駅だ・・・


この歌を口ずさめる人はもう、そう多くはないだろうと思う。
かつて日本には中卒者が金の卵と言われた時代があって、春先になると集団就職列車が連日のように大阪駅や上野駅に着いたのである。都会が秘める可能性という希望に胸を膨らませる一方で、それを押し潰すような大きな不安も抱えて、彼、彼女たちは都会の駅に降り立ち、中小企業の工場主や商店主に連れられて町中に散って行った。


ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ・・・


この詩を口ずさめる人も、


ふるさとへ向かう最終に 乗れる人は急ぎなさいと
優しい優しい声の駅長が 町中に叫ぶ・・・


この歌を口ずさめる人も少なくなった。

こうした歌や詩に胸がぎゅっと握り絞められるような気持ちになる人なら、それはきっと、ビロードのような心を持った人だから、僕の同胞、親友、恋人である。

「ああ上野駅」を歌った井沢八郎が亡くなって何年経ったのだろう。彼は家出同然に田舎を出奔して東京へ出て歌手になった。その父を、日本一歌の上手な人だったと涙ながらに語った娘の工藤夕貴もまた、単身日本を出奔して国際的な女優になったわけで、こういうのを親子鷹というのだろう。



冒頭の写真と「ああ上野駅」と何の関係があるのかというと、実のところ何の関係も無いに等しい。僕は女優工藤夕貴の退路を断ったような張り詰めた演技が好きであること、彼女の向うに昔歩いた五番街やブロードウエイが思い浮かんだこと、そういうあれやこれやをこのレコードを聴いていて思い出したただけのことである。

ところで、工藤夕貴と妻は共に1971年生まれのB型なのである。だからどうしたと言われたら返答に窮する。ただなんとなく、ちょっと書いてみたかっただけである。

これ以外にあえて共通点を探せば、「ああ上野駅」も写真のレコードも、共に1964年にリリースされたということぐらいだ。むろん僕はまだジャズを聴く年齢に達していないどころか、電信柱に貼られたポールアンカのモノクロポスターに外国の息吹を感じていた程度の少年だった。

ホームにて(中島みゆき)




すまし顔  



すまし顔




「赤提灯」が4畳半フォークだとすれば、「気まぐれ」はワンルームマンションフォークといえようか。フォークという言い方が妥当でないというならJ-POPでもよい。僕はフォークの括りやJ-POPの概念、歌謡曲とJ-POPの違いが分からない。上の2曲は共に自作自演なので、僕の分類箱ではUE歌謡曲系同棲歌の引き出しに入っている。(UEは歌って演じるの略)

音楽通たちのお仲間談義では歌謡曲とポップスは違うとかポップスとJ-POPは違うと定義付けに躍起のようなのだが、定義なんてどうだっていいじゃんという感じだ。JA・JT・JR・Jリーグ・Jビーフ、J沢庵・Jラーメン、何でもJを付ければいいってもんじゃないだろう。ただし、J-POPはジュニアのJ、ガキの歌だと決め付ける団塊世代の評論家たちの言い分には賛同しない。だって、赤ちょうちんだって当時のガキの歌なんだから・・・。

「赤ちょうちん」は昭和49年頃(1974)の世相を映した同棲歌である。「気まぐれ」は平成15年(2003)なのでまさに現在の同棲歌。33年経って、4畳半からワンルームマンションに棲家が変わった。

40年前の住宅事情を知らない人のために少し説明しておこう。あの時代のアパートは木造モルタル二階建てで廊下は土足厳禁。部屋の広さは4畳半か6畳一間。広い部屋の方が人気がありそうに思えるが4畳半の方がニーズが高かった。道具を持たない若者に6畳は広過ぎたのだ。部屋にタイル貼りの小さな流しがあれば上等な部類に入り、窓の外に川が流れ、近くに銭湯があるアパートがトレンディーだったのはいうまでもない。トイレと炊事場は共同というアパートが多かった。内風呂などない。

  愛することに 疲れたみたい
  嫌いになった わけじゃない
  部屋の明かりは つけて行くわ
  鍵はいつもの 下駄箱の中   (松山千春「恋」1980年)

靴を脱いで上がるアパートだから下駄箱があり、スペアキーが簡単に作れる時代ではなかったので下駄箱の中に鍵を置いたりしたのである。

そういうアパートだったから、部屋の中では小さな電気コンロで湯を沸かすぐらいしかできなかったし、共同の炊事場があっても調理器具を持たないから小鍋でインスタントラーメンを作るぐらいだったのである。赤ちょうちんの屋台でおでんを食べたり持ち帰り電気コタツのテーブルを囲んで食べたのも、そうした道具に恵まれない貧しい環境だったからだ。
そういう事情は今のアジアの下町の屋台の繁盛振りにも見て取れる。狭い住宅に大所帯だったり自炊がままならないという住宅事情が背景にある。外食産業が繁盛する日本と外食が盛んなアジアの町々、同じ外食でも似て非なるものだといえよう。
“雨が降ると仕事もせずに”ということは、彼の仕事は土木や運送の肉体労働系だったのだろう。そして正社員ではなくバイトだった。彼はフリーターでもなければプータローでもなく自由業と名乗った。自己を納得させるために駄文を書いては捨てていたからである。世間の目に耐える文章ではなかったので文筆業とは自称できず、自由業なので雨が降るとアパートの管理人室の前の公衆電話で「ちょっと熱がありまして・・・」と連絡を入れサボる特権を持っていた。

こういう風に書くととても怠惰な人間のように思えるが、反戦運動その他で騒然としていた社会が終焉に向かったことで、彼は行動の方向性を見失ない身動きがとれなくなってしまったのだ。目端の利く連中はさっさと髪を切ったり髭を剃ったりし、イチゴ白書をもう一度を口ずさみながら就職活動に出かけて行くが、学業を中途で放棄したヤツやすでに自由業の道を歩み始めた半社会人は、不可避的に冬眠に入らざるを得なかったのである。

けれども、歳を重ねるにつれて不自由になっていくのが自由業という生き方なのだ。山ほどあったバイトが歳を重ねるごとに減って行くのである。25歳を超えてなおバイトだったりすると仕事が減るだけでなく世間体も悪くなっていく。28歳の自由業者が22歳ぐらいの正社員に顎でこき使われるから、ついついぶん殴って泣かせてしまう。あるいはそいつの彼女を横取りする。なんてたって20年先の人生が見える正社員より、先の見えない自由業の方が女にはもてるのだ。いずれにせよ自由業は組織の下では適応しようにもできない。この世代に起業家が多いのはそういう事情による。

自由業というのは社会的信用が無いから加齢とともに実生活でも不自由になって行く。例えば14インチのカラーテレビを買おうとしてもカードも無ければローンも無い時代なので買えない。分割払いで買いたくてもまともな会社員でなければ分割払いは不可だったのだ。唯一、丸専手形という個人専用の手形を銀行に振り出してもらい購入する方法があったが、口座が必要だし保証人も必要。自由業の保証人は同業の自由業と相場が決まっていたので、自由業の保証人を何人連ねても信用の担保にならなかったのだった。
そんな現状だから貯金も無いその日暮らしのバイトはテレビもクーラーも買えないわけだ。その代わり今のように借金地獄に落ちることもなかった。
余談になるが、銀行の普通預金の金利が6%や7%という、今では信じられないような時代でもあったのだ。

自由業は不自由だったのでキャベツを齧ることも多かったのだが、加齢とともにキャベツばかりを齧っているわけにはいかなくなる。同棲している女にしても、同棲というトレンドの先端を走ってはいても巣作り本能が無くなったわけではないから、キャベツばかりを齧っている彼を見てほほえましいと笑っていられなくなるのである。いつの時代も、男より女の方が目覚めが良くて夢から醒めるのが早いものなのだ。

わき見やよそ見をする道具や遊びが少なかった時代なので、否応なしに互いを見つめ合うことになる。女にとっては彼はたった一つの拠りどころだったわけで、いくら目覚めの早い女でも“生きてることは ただそれだけで 悲しいこと”と知り、公衆電話の箱の中でさめざめと泣くのである。平成の、金髪に汚ギャル化粧でパチンコ屋のワゴンサービス嬢をしている女も秋になると店のネオンを見てセンチになり涙を流す。あれと同じだ。

女はもう一つ、涙とともに過去を流せる特技を持つから、涙の翌日から速攻で新生活に踏み出せるのである。だから公衆電話の箱の中で泣いた女は「明日私は 旅にでます あなたの知らない人と二人で いつかあなたと行くはずだった 春まだ浅い信濃路へ~♪」と旅立って行ったり、ネオンサインに涙したワゴン嬢は「ゥチだけどさぁ、明日さぁ、六本木へナンパされにイカね?」と携帯ピョコピョコなのだ。

男は寝つきも悪ければ目覚めも悪いからこうはいかない。ぐじぐじと2~3年は赤ちょうちんに通うのである。

  今でもときどき雨の夜 赤ちょうちんも濡れている
  屋台にあなたが いるような気がします

男が作った歌の台詞だから、別れた女はきっとこんな感じで俺のことを懐かしんでいるはずと思っているのである。そして、俺がいるような気がして戻ってくるのではないかと妄想するのである。ところがどっこいうんとこしょ、女はおでんを買ったことどころか、屋台があったことすら忘れ去っているものなのである。
男は過去を重ね塗りするので4畳半襖の下張りには何層もドラマを潜ませているが、女は不要ファイルを削除するだけでは飽き足らず、リカバリーソフトを実行し初期化して次の人生を始める。だから女のハードディスクのどこをどう探しても古いファイルの断片すら残っていないものなのである。

  ちょうどこの寺の山門前で
  きみは突然に泣き出して
  お願いここだけは 止してあなたとの
  糸がもし切れたなら 生きてゆけない (縁切寺 さだまさし)

と言ったくせに、誰の子か知らないが背中に一人おぶり、自転車の前後にさらに二人の子供を乗せ町中を疾走するアイツを見るたびにむかっ腹が立つのである。充分に生きとるやないか!と・・・。

さて、「気まぐれ」はどうなのか。
完成度の高い歌詞である。シロップ漬けで大人になった虚無感と社会への倦怠感がよく出ている。覇気の無さでは天下一品の歌詞ではないか。このままもうすこしぬるま湯の滓の流れの中を流れてくれれば革命だ!と叫ぶようになる、そういう歌詞である。
熟し過ぎて退屈な時代になって40年。そろそろシロップ漬けに飽きる頃なのだ。限界が近づいているな、そう感じさせる歌である。

歌に出てくる彼はニートである。親の脛は齧ってもキャベツを齧ることはない。部屋には小さな電気冷蔵庫があって、コンビニで買い込んだ飲み物や食い物が適当に入っているので飢えることもない。色んなものが麻痺していて、その中に食欲も含まれ、赤ちょうちんの時のような食べ物に対する喜びや嬉しさ、財布が軽くなった不安も無いのである。
  
あとちょっとだけ わがままを
言える事ぐらい 知っているから

ニートはバカではないから、もう少しぐらいは親の脛を齧るわがままが利くことを知っている。世間と面と向かってコミットしなくてすむという甘い環境を享受する一方でこのままでは終われないという前向きな憂鬱も内包させているのだ。諦めていないのだ。

  この世界の憂鬱に
  垂れ流したヒクツに
  いつか捨てた勇気に
  ぼくらが愛した歌に
  同じ朝が来る・・・

そう、だから朝がくると締めくくっているのだ。

「赤ちょうちん」よりも優れてメッセージ性が高い歌であると、「気まぐれ」を聴いていてそう思う。




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