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Old Saltの日々雑感

日々雑感的に思うところを小さなウソと大きな誇張でデフォルメして掲載中!

この歌を  




この歌を


久しぶりに別府葉子さんの歌を載せてみました。
YouTubeには沢山のカヴァー(Cover)曲が載せられています。でもCoverの意味を知らないのかと言いたくなるものが多いです。
そんな中で、この歌は間違いなく原曲をCoverしています。自分がフレディで、彼女が、僕もしくはあなたに語りかけてくれているように思えるからです。




もう一曲載せておきましよう。別府さんより20歳ほど年上になるのでしょうか。でも声量も歌唱力も若い頃のまま。少しも衰えていません。
フルスクリーンでどうぞ。ライブの臨場感が味わえます。





24枚のレコード  




24枚のレコード




コルトレーンのバラード集。
先日、わが家でおでんパーティーを催したときに、友人がわが家のプレーヤーに載せたままになっていたものだ。彼は僕にプレゼントとして24枚のレコードを持参してくれたのだが、その中の1枚なのである。24枚の中から選んだ聴いた、彼の最後の1枚ということになるだろうか。

彼はちょっと前まで名器と評判の高いかなり高級なレコードプレーヤーを持っていたのだが売り払ってしまったのである。レコードはプレーヤーが無ければ役目を果たせない。かくして彼の所蔵するレコードが僕のところにやってきたのだ。
彼のレコードたちは僕の所にやってきて、かなり驚いたと思う。



彼らは、ちょっと前までこんなプレーヤーの上で回っていたのである。厄介なことにレコードはプレーヤーだけでは音は出ない。アンプとスピーカーが必要だ。彼のレコードたちは、このプレーヤーに見合うハイレベルのアンプやスピーカーやチューナーやCDプレーヤーなどのオーディオ機器に囲まれての生活だったのだ。



わが家のレコードプレーヤーである。
一体型コンポーネントに付いていたプレーヤーを無理矢理剥がし取って、テレビのホームシアターアンプににつないだものだ。いかにも安っぽそうだが、実際に安物だ。プレーヤーに見合うように、ホームシアターセットも1万円の代物。
スピーカだけはオンキヨーのちょっとまともなものに繋ぎ替えている。だがそれも30年前に持っていたコンポーネントの名残なのだ。わが家の生活環境の劣化によって、安物のプレーヤーの針で引っかかれて悲鳴を上げるレコードたちは気の毒だが、レコードたちよ、二束三文で売り飛ばされず、無償で他者に譲るところにオーナーの愛と思い入れがあると思って欲しい。多少なりとも僕はその意志をきちんと受け継ぐから・・・。

彼がレコードプレーヤーを手放したのはJAZZに飽いたからではない。ヨットのセイル(帆)を買うために手放したのである。中古のセイルなら10万円もしないはずだから、豊かではないが貧乏でもない彼にとってはプレーヤーを売らなくても買えたはずなのだ。にもかかわらずなぜプレーヤーを売ったのか。
趣味に等級をつけたのだと思う。音楽鑑賞もヨット遊びも同じレベルでは身に余る贅沢だと考えたに違いない。一点突破全面展開。そういうメリハリのあるライフスタイルを持とうということなのだろう。

遙か昔、僕が初めてヨットを持った時も同じだった。ヨットを買う段になって乗っていた車を売った。3C (カー・カラーテレビ・ クーラー)の時代だったから、貧乏人がヨットだけでなく車まで持つのは贅沢過ぎると思ったからだ。



24枚のレコード。1枚1枚に彼の想い出が刻まれているはずだ。
彼らの世代が、アナログで音楽を鑑賞する最後の世代らしいのだが、彼や僕たちは、レコード盤の向こうに青春を置いてきた世代でもあるのだ。
24枚の中には独身時代のものもあるだろう。新婚時代に細君と二人で聴いたレコードもあるはずだ。マイホームにオーディオセットをレイアウトした時の浮き立つ気持ち、子供の出産に嬉しさと不安が交錯したこと、そんな想い出のあれこれがレコードの中に息づいているはずなのだ。



右下の水引きの印が分かるだろうか。香典返しを入れる袋である。レコードを手放すことに躊躇し自分の気持ちに引導を渡すつもりだったのか、僕への嫌みなのか、こんな袋に入れられてわが家にやって来たのだった。
・・・合掌

重いプレゼントである。素直に貰うことができない。
「本当に貰っていいの。10年後ぐらい後にきっと後悔すると思う」と言ったら、
「その時はタカさんちへ聴きに行きます」と彼は答えた。
「そんな先まで生きていないと思うけど・・・」と、言っておいた。



彼からプレゼントされたレコードは、ご覧のようにビニールカバーの端にサインを入れておいた。
いつかきっと、
「レコード、返して貰っていい?」と、言うと思うからだ。

Mustang Sally  




Mustang Sally



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映画「The Commitments」の音楽CDの歌詞カードに載せられていた写真である。これがなかなかいい。
歌ももちろん良かったが、この写真があるだけでもCDを購入して良かったと思う。僕にとってはかなり痺れる写真だ。自分自身をこの中に紛れ込ませたいような、つまりは写真の彼らの時代まで遡行したいと切なく切なく思う写真なのである。

写真に写っているのはこの映画の出演者たち。オーディションで採用されたアマ・セミプロミュージシャンたちらしい。意図的にブスとブオトコばかりを集めたように見えるが、それがかえってリアルでいい。映画の中でも彼らは足を地に着けてとっても聴かせるのである。

このCDを聴きながら写真を眺めていると、かつて僕にもGパンが似合っていた時代があったことを思い出す。今はもう精神が弛緩してしまい、その反動で腹や尻から若さが消えた。ジーンズは履けてもGパンは履けない。情けないことである。


追記

「ジーンズとGパンはどう違うの?」という質問をブログ友からもらった。
「おもしろかったぁ♪ でも良くわかんなかった♪」「んーと、長かったぁ、ポッ♪」という感じのローラっぽいコメントだったので、返答すべきかどうか迷ったが、ローラは可愛いいので答えておくことにした。ただし大先生としては、真面目に答える気にはなれないので適当にである。
だってね、「スーパーで特売の290円のメルシャンワインとシャトーマルゴー1848年はどう違うのですか」という質問と同じだから。答えられますか?

そもそもメルシャンとマルゴーがどう違うかと言う質問を投げかけてくること自体が、ワインの知識が無いと白状しているようなもので、そんな人に百万言を費やして説明しても理解できるはずがないのである。
だから例えばだが、シャトーマルゴーはかのヘミングウエイも愛したワインで、あまりにもお気に入りだったので自分の孫娘に“マーゴ”という名を付けた(マーゴ・ヘミングウエイ:女優1996年没)というような薀蓄を述べても、メルシャンとマルゴーの区別もつかない人には「あら、そうポッ♪」的な反応しか期待できないから空しいのである。

ジーンズとGパンの違いも同じだ。
自分の中にワインの歴史を持たない人にワインの区別がつかないように、10代や20代をあまり謳歌してこなかった人にはジーンズとGパンの区別はつかないはずだから、その違いを説明しても理解されることはないのである。
ジェーム・スディーンも僕も、新品のGパンを履いたまま風呂に入って、タワシでごしごしやって、着たまま乾かして自分の身体にフィットさせたなんて書いても、へぇ?程度の反応と、ジェーム・スディーンって誰?と言われるのがおちなのだ。

もっと書けば、GIとはgoverment issue(官給品)のことで、それが米兵を指す言葉になったのだよとか、男の兵士をジーアイ・ジョー、女の兵士をジーアイ・ジェーンと言うのだよ、彼・彼女たちが履いたのでGIパンツ、Gパンになったのだよ、 というふうな説明をしながら「Mary Jane On My Mind♪」と口ずさんであげれば、映画や音楽にジョーやジェーンという名がよく出てくるのもうなずけるのだろうが、そして、そんなあれこれをつなぎ合わせて行けば、ジーンズとGパンの違いが見えてくるはずなのであるが、見えるのと感じるのとでは違うわけで、知識として理解できても、ワインを味わう味覚同様、Gパンに内包される若さを謳歌する感覚は伝えようがないのである。
(句点のない長い文章になりましたw)

以上のことから僕は、「ジーンズとGパンはどう違うのですか?」という質問には、
「アメリカ南西部で作られたのをGパン、北東部で作られたのをジーンズと呼んでいる」とウソを教えることにしているのである。





一年の計は・・・  




一年の計は・・・


新年おめでとうございます。

今年最初の更新をする前に、知人や、足跡を残してくださっている方たちのブログを一回りして参りました。



まずはオセチです。
シャンソン歌手 別府葉子さん宅の煮しめです。例によって無断転載ですが、お正月なのでお許しあれ。勝手に本名を載せてますが、 公式ブログで公開されているので、まあいいだろうと判断いたしました。もしこのブログを読み、ダメということなら申しつけてください。削除いたします。

なぜ余所のオセチを載せたのか。
目が点、もしくはハートになって、思わず「うーん」と唸ってしまった方なら分かっていただけましょう。盛りつけの冴え、美しさが転載の理由です。
見事です。根菜中心の質素な煮しめばかりなのに、ハーモニーし合って、シンフォニックに響き合っています。「春の海」が流れているような感じではありませんか。大晦日に用意したと書かれてありましたからご自分で作られたのでしょう。Jardin d'hiver(冬の庭)などを口ずさみながら飾り包丁を入れているシーンが浮かんできます。

オセチを大皿に盛りつける。そのセンスに脱帽です。目から鱗でした。
わが家のオセチも煮しめ中心です。独身時代から今まで30年以上、僕が作ってまいりました。豪華な食材を使わず煮しめ中心なのは、飽食と日々贅沢な今の時代だからせめて正月ぐらいは質素にし、食のありがたさや食材に思いを馳せて戒めとしたいからなのです。ただ、そうした思いで作った煮しめを重箱に詰めてきました。重箱に詰めても美しいですが根菜ばかりのお重は華やかさに欠けます。でもこの大皿の、根菜たちのなんと華やかで艶めかしいことか。

あえて注文をつけるとすれば人参。正月の人参は金時人参でありたいなと。白味噌仕立ての雑煮にも映えますしね。
別府さんは讃岐出身だそうで、白味噌仕立ての雑煮に餡入り餅、大福ですね、それを入れるそうです。なんだか胸焼けしそうな雑煮ですが、古くからの友人のよっぱ☆氏も讃岐なので大福を、それも3個も入れると言っておりました。お二人とも自分の故郷を香川といわずに讃岐と言います。きっと、うどんが好きだからなのでしょう。
だとすれば、大晦日は年越蕎麦ではなく風呂に浸かりながらの年越しうどんなのでしょうか。
別府葉子、湯船に浸かりLa Bohemeを歌いながらうどんをすする、ですね。
でもぉ La Boheme(ラ・ポエム)は早口なので忙しいde。うどん、喉に詰めないように気をつけないとね♪


最近お気に入りなのは『固い体の改善日記』というブログです。「1㎜でも体を柔らかくしたい思いで綴ります」ということらしいのですが、固い身体の改善策はほとんど書かれておりません。最近は粒デカ・ピップエレキバンが冷え性に劇的効果があるという話がメインです。身体も固いけど、冷え性もすごいぞという方なんですね。
もう相当なエレキバン中毒のようで、足首に貼っていたエレキバンが紛失して激しく動転する様を次のように書かれておられました。

これでエレキバン中毒になったらそれはそれで業者の思うツボだなって。
これぞ「ツボに始まりツボに終わる」みたいな。

面白いでしょ。TVの前に座って片膝立てて足首に予備の粒デカエレキバンを貼りながら、「ツボに始まり・・・」と駄洒落を飛ばしながらケケケ(たぶん)と自己完結的に笑っている様を想像してみてください。
この方、興味の対象が多様で、その文章がとても面白いのです。

彼女(冷え性に必死になる男は少ないので、たぶん女性だと思う)のブログをつい覗いてしまうのは、僕もかなり身体が固くて、1㎜でも柔らかくしたいと思っている一人でもあるからなのです。でも、人には人の乳酸菌、身体の硬軟は相対的なことですから他者と比較さえしなければ別に不自由はございません。ええ、リンボーダンスをする時以外は・・・。
だから『固い身体の改善日記』のブログなのにエレキバンや恐竜や行く年来る年の話になるのも頷けるわけですね。
彼女に負けないほど固い身体の僕だって、「日々雑感的に思うところを小さなウソと大きな誇張でデフォルメして掲載中!」と書いてはいても、一度も自分の固い身体のことを誇張やデフォルメして書いたことはありませんもんね。固い身体の持ち主は、そういうもんなんですよ。

彼女が会長、僕が副会長になり『固い身体改善者同盟』を作り、『身体が固い党』(固いどぅ)を立ち上げ政界に打って出るのはどうかと思うのですが、身体が固い党員ばかりなので関係はギクシャクするのでしょうね。
ケケケ♪

残念なのは彼女のブログはコメントを受け付けていないこと。同盟や結党の打診ができません。

もう亡くなりましたが桂枝雀がまだ20代の桂小米時代に創作落語に凝った時期があって、赤い同盟という落語を心斎橋の渡辺橋の上で街頭落語で演じていたことがありました。赤ければなんでも同盟にするというもので、ポストも紅ショウガも、赤いものはみーんな同盟なのです。
当時はアカと言えば共産主義者を差しました。蔑称といっていいでしょう。そのことへの痛切なしっぺ返しが「赤い同盟」ではなかったかと、後の、天才的落語家枝雀を見て思ったものでした。


他のブログはというと、ある知人は、紅白に対し大晦日から元旦まで2年越しで、1900字を超える長文で激怒しておりました。愛が憎悪に変わると倍増するものです。彼の紅白への怒りはそれまでの愛の反動の怒りと申せましょう。特にAKB48系に対する怒りは半端ではありませんでした。「大島なんちゃら」とか「恋するなんちゃら」なんて書いておりました。彼が大島なんちゃらが大島優子で、恋するなんちゃらが恋するフォーチューンクッキーであること、先に引退した前田敦子がキンタローと名を変えお笑い界に転向したことを知らないわけがありません。知っているけどキチンと書いてやらねえぞ、という意味で「なんちゃら」と言っているわけで、怒りの強さの表現なのです。
五木ひろしの「博多ア・ラ・モード」にも激しく怒っていて、「ひろしよ!北島三郎紅白卒業後、日本の演歌界を背負って立ち紅白の顔にならなけらばならない立場にいることを忘れたか!」でございました。いくら怒り心頭とはいえ、どさくさに紛れて勝手に五木ひろしを後継者にしちゃって、もう。
 
それでいて、1900字に及ぶ怒りの文章の〆は、

紅白歌合戦ならば歌をメインにしろ!とこれだけ言っておきながら
結局「あまちゃん」コーナーが一番おもしろかった。

って、あのね。
元旦から怒濤の長い長い怒り文を読まされる身にもなってよ。

演歌歌手のバックにAKB系。行く年来る年を待つための時間潰して紅白を見ている僕は、退屈しのぎに丁度良かったと思いましたけど・・・。
それよりも、水森かおりの2番煎じのただデカイだけの衣装や、深刻なふりをした震災同情復興便乗型NHK定番スタイル演出の方が鼻につきました。

映画が娯楽の主役であった時代の俳優の檜舞台は年末映画の『忠臣蔵』でした。総天然色シネマスコープの画面に登場すること、大判のポスターに名が載ることが映画スターとしてのステータスでした。その映画が娯楽の主役の座から転げ落ちて幾星霜。今の時代に忠臣蔵に憧れる俳優など一人もおりません。
同様に、かつて紅白とレコード大賞は歌手の檜舞台でした。現在は30日がレコード大賞授賞式で大晦日が紅白ですが、昔は大晦日の7時~9時がレコード大賞、9時~11時45分が紅白歌合戦でした。レコード大賞の表彰式に列席した歌手が秒を争いNHKホールへ駆けつけることが歌手のステータスでもありました。

今はもう、紅白もレコード大賞も歌手の檜舞台ではなく過去の遺物。なのに今も在り続けているのは、止めるのが怖いから。ただそれだけの理由で続いていると思えばよろしい。
紅白よりも箱根駅伝の方がよっぽど面白いではありませんか。なにしろ僕のiPhone に付けた名が「山の神様柏原くん。海の神様カムサハムニダ」と長いもので、箱根往路5区を神的に走り抜いた東洋大柏原竜二を讃えたものなのです。海の神様カムサハムニダは、ご存じ浪花の歌姫天童よしみを讃えてのことでございます。海が割れるのよ~♪

ということで、まん丸師匠、2年越しで怒っていずに、得意のお笑いネタで正月を飾ってください幕張メッセ。

あと、熱海の方のことも書いてみようと思っていましたが、長時間PC の前に座り続けていて固い身体がさらにガチガチ、もう疲れ果てました。他の方も含めて次の機会とさせていただきます。

まあ、とにもかくにも、今年もよろしくお願いいたします。



Jardin d'hiver(冬の庭)
  私は緑の太陽と
  レースとティーポットと
  海岸の写真が欲しい
  私の冬の庭に
  (以下略)




La Boheme(ラ・ポエム)
  ある時代のことをあなた方に話そう
  二十歳前の人たちには
  経験しようのない時代のことを
  モンマルトルではその頃
  僕たちの部屋の窓のすぐ下まで
  リラの花が咲いていた
  そして僕たちの愛の巣となった
  つましい家具つきの貸間は
  見ばの悪いものではあったが
  僕たちが知り合ったのはそこだった
  僕のほうは空腹を訴え
  君のほうは裸でポーズをとっていた
  (以下略)

最後はやはり別府葉子さんの歌を載せるべきでしょう。
ただし、たくさん歌っておられて、しかもどれも良くて、最初の一本だけにどれを載せるべきか悩みに悩みました。
フランス語は綺麗だしギターが弾けますので、初めて見る方に彼女の魅力を伝えるにはフランス語で弾き語っている歌がいいと思ったわけですが、これというのが見つからないのです。
さらっと歌っている「ラストダンスは私に」は越路吹雪を超える魅力があります。けれども動画の最初の一枚の絵面(えづら)が悪いのです。
「バラ色の人生」は見事に歌い上げているのですが、いかにもシャンソン歌手でございますという感じが、初めて見る人に通俗的な印象を与えてしまいそうです。本来はそういう雰囲気の人ではないはずなのです。
船乗りと娼婦を歌った「アムステルダム」はとてもいいです。巻舌はジャック・ブレルのアムステルダムよりもすごいです。巻舌の中にもう一枚巻舌があるというか、つまり巻二枚舌(?)ですね。巻舌のビブラートというか、すごいです。でも画像を見ながら聞く者は巻舌の方に気が行ってしまい彼女の歌をちゃんと聞けないような気がするのです。
「リリーマルレン」も秀逸ですが、浴衣姿に見えるドレスにハンチング帽という美は乱調に在り的なファッションが、個人的にはアンバランスに思えてなりませんでした。
「百万本のバラ」も素敵に歌い上げていますが、日本語なんですね。

悩みに悩んだ末に、初見であろう皆さんに別府葉子の魅力をお伝えする最初の一本は、
The Roseにさせていただきました。
映画「ローズ」で ベット・ミドラーが歌っていましたね。その日本語の歌ですが、別府葉子の歌の素晴らしさ、声の艶やのびが素敵です。歌手としての魅力が見事に表現されている一本だと思います。ギターで弾き語っているしハンチングも被ってませんしね♪




できれば都はるみバージョンの「愛は花、君はその種」のカヴァーで聴いてみたい。詞は圧倒的に高畑勲の意訳の方がエスプリが効いているから。特に2番の歌詞。

  挫けるのを 恐れて
  躍らない きみのこころ
  醒めるのを 恐れて
  チャンス逃す きみの夢
  奪われるのが 嫌さに
  与えない こころ
  死ぬのを 恐れて
  生きることが 出来ない

死ぬのを恐れて 生きることが出来ない
こんな詞はなかなか書けるものではありません。




別府葉子さんの歌をもっと聴きたい方はYouTubeでどうぞ。


きゅーりパクパク  




きゅーりパクパク


4時半に起きた。起きたと書くと自主的にみえるが、実際は目覚めたくもないのに目が覚める。起きる物音を立てるとドアの外でポンズが鳴く。エサの催促だ。うっかりドアを閉め忘れるとと寝ている耳元で起きるまで鳴く。妻の耳元で鳴いても起きないことを知っているので僕のベッドに来て鳴く。朝一番の仕事が猫の餌やりなのである。

ポンズにエサをやり、漬け物のぬか床の手入れをしてからウメの散歩に出かけた。盆を過ぎると稲刈りが始まる。まずは早生(わせ)のコシヒカリ。早生が終わると中(なか)晩(おく)と続く。昨夜の雨で重く頭を下げる稲穂の隣の田圃はすでに刈り入れが終わっていた。

ウメのリードをはずしてやる。外してやると書けば聞こえがいいが、実際は外させていただいている。コイツの引っ張る力は半端じゃないし、歩く速度が速いのでリードをつけたままだと無理矢理競歩をさせられているようで疲労困憊するからだ。
リードを外しても所定のコースを勝手に進んでいく。そして約30分ほどの散歩コースのどこかでトイレをする。2~3日前の夕方は、稲を刈っている田圃の中に入りコンバインのすぐそばで糞をした。僕は大慌てで田圃の中に入り後始末をした。

わが集落には由緒正しいお犬様を飼う家が多い。だが、犬の血筋は立派でも飼い主の血筋は悪いようで糞の後始末をしない人が多い。部落の回覧板の裏表紙に『糞害に憤慨しています』と大書きされているほどなのだ。
由緒正しい室内犬は脳みそが少ないのでバカ犬が多いが、そんな何十万円もする犬を欲しがる飼い主もバカが多い。類は友を呼ぶのである。
バカだから計算ができない。自分の犬がたんぼ道で糞を垂れるのは1回だけではない。年に365回も糞を垂れる。散歩する犬は一匹だけではない。何十匹もの犬が散歩をする。それぞれ365回である。かくして、農道に放置される犬の糞は数千である。そういう計算ができないから、自分一人ぐらいならいいと後始末をしない。

わが家は犬も飼い主の僕もミックスである。と書けば聞こえがいいが、先日、長女にたしなめられた。
「ウメもお父様も単なる雑種です」と。

雑種とミックスは違うらしい。由緒正しい犬同士の掛け合わせをミックスというらしい。
たしかにそうかも知れない。だって、ミックスジュースは氏素性がはっきりしているもんな。青汁は、実際のところ何が入っているか分からんから、あれは雑種ジュースなのだ。

ウメは田圃で拾ってきた出自不明の犬なので単なる由緒正しい雑種なのである。僕の場合は戸籍の父欄が空白なのでウメ同様に雑種に分類される。したがって「ウメもお父様も雑種です」という娘の言は正しい。
だが、なるほど僕は雑種だが、父の欄が空白ということは、母はマリア様だったのかも知れないわけで、僕はイエス・キリストの遠縁にあたる。かどうかは、母マリア、俗名正子はすでにヘブンの人なので確かめようがないのである。
いずれにせよこれからは青汁は鼻を摘み、ミックスジュースは正座して飲もうと思う。

そんなあれこれを思いながら遠くを飛び回るウメの追っていたら、ふと、別れの朝 二人は~♪のフレーズが口をついて出た。



誰コレ?と思う人がいるかも知れない。(CMの後に歌)
前野曜子。ペドロ&カプリシャスの初代ボーカルで、この人が最初に『別れの朝』を歌い大ヒットした。高橋まり(後の高橋真梨子)は二代目ボーカルだ。



アップの横顔がとてもよく似ている。前野曜子はわずか2年でグループから去り高橋になるのだが、芸能人はヘアーメイクや化粧や時に整形などで容姿を変えるから、僕はしばらくの間、ボーカルが変わったことに気づかなかった。違いに気づいたのは、歌唱力と歌の表現力でである。
前野はただ歌っているだけだが、高橋の歌には情景が見える。情景の向こうに時系列が見える。聞き手が情景の中に身を置くことができる。
この歌がヒットした頃は、世は同棲時代だった。僕もそうだったが、若者の多くが同棲していた時代で、品の悪い赤い手ぬぐいこそ持たなかったが、チビた石鹸をカタカタさせ銭湯に行ったのものだ。

高橋の歌は、そんな若い男女の脆い関係をしみじみと感じさせたのである。だから必然的に『ジョニーへの伝言』や『五番街のマリー』へ続いたと言えようか。高橋は本名もmり子だったし、長い髪をしていたから歌詞そのものだった。この歌い方を見て心を惹かれるオトコが多かったが、ジョニーへ伝言を残して五番街へ行っちゃったのである。

総じてオンナは過去を引きずらない。だから2時間待っただけで去っていった。けれども過去を引きずるオトコのジェニーは五番街のマリーを想い続けるのである。で、「今がとても幸せなら、寄らずに欲しい」と気弱なことを言うのだ。幸せだったら尻尾を巻き退散し、不幸せだったらスキにつけ込もうというのか。バカタレめ。

ジョニー君、生憎だがマリーこと高橋真梨子はとても幸せなのだ。デビュー当時の直立不動で歌うスタイルを保持したまま毎年アルバムを出し、そのアルバムにう沿ったコンサートツアーを行っている。『for you』のような、身を捩るようなサビの部分も不動の姿勢で顔の表現だけで歌う。まるでアカデミックな声楽家のようだ。幸せな家庭を築いていて、判を押したような規則正し人生を送っている。

高橋真梨子の歌は好きなのだが、オトコとオンナの哀歌を歌う歌手の日常が、ごく普通に清く正しく規則正しい夫婦生活を営んでいるのは欺瞞的だなと思ったりする。声楽家はいわば小説を朗読しているようなものだから公私の区別があってもいいが、歌謡歌手は歌詞と私生活がリンクしているのが真っ当なわけで、コマドリ姉妹のように70歳を過ぎてもなお振り袖姿に厚化粧の妖怪姿で業界に棲み続けたり、スナックのママやマスターに転身したりレストランやブティックを経営して失敗したり美味い出資話に騙されて借金を抱えるのが王道の生き方で、健康的な家庭を築いてはいけないのである。

脈絡もなく突然話が飛ぶが、サザンの桑田佳祐がデビューしたときは鮮烈だった。誰だったか忘れたが、当時の著名な音楽解説者が、まだデビューシングルの『勝手にシンドバット』の段階で天才だと高く評価し、その先見の明は的中するのだが、僕も同じように感じ、ファーストアルバムの楽曲はカセットのテープがすり切れるほど聴いたものだ。
でも天才だったのは10年ほどだったように思う。だって何十年経っても宿はパシフィックホテルだし烏帽子岩でしょ。楽曲はどれも似ているし。江ノ島界隈から出ないんだよね。湘南の海水浴場で海の家を経営しトッピングだけを変えたメニューで数百億も財を溜め込んだわけで、彼のライブに浮かれた連中は「帰りにラーメンでも食って帰るか」や「なあなあ、明日A店に新台のAKB48が入るらしいぜ。打ちにいかねえか」と早朝からパチンコ屋の前に並ぶ程度の影響しかサザンから受けていない。ライブが賑やかなわりにはスケールが小さい。
とまあ、最近とみに風貌がゲゲゲの鬼太郎の子泣き爺に酷似してきた桑田佳祐が出ているTVCMを見て思うのである。
そして、40年後もきゃりーぱみゅぱみゅが健在とは思えないが、もし健在で、あのファッションでPONPONうぇいうぇいうぇい♪と歌っていたら妖怪だなと思うのだが、僕はとっくに死んで天使になっているので残念ながら見ることができない。ま、人生ってそんなもんです。


レモンつながりで  




レモンつながりで




アイスレモンティ。次女がコツコツとレモンを消費しています。
父の大好物のレモンタルトはいつ作ってくれるのじゃ!

昨日は久しぶりに長男と酒を飲みました。も
ちろんレモン果汁100%のレモンハイです。



ただ、うちの長男は酒に弱く、ご覧のようにコップに足を掛けて泥酔しておりました。

珍しく妻が「今の時期ってカラオケは高いの?」と言うではありませんか。こういう時の妻はカラオケに行きたいと思っているのです。「カラオケに行こう!」と明確に言うことはありません。「この時期の京都の鱧づくしは高いかな」とか、「へぇ。韓国って安いんだ」といった言い方になります。他者に振って置いて、僕が「いいね」と言ったり娘が「行きた~い」と言おうものなら、この時点から家族が行きたがっているから。しかたないかというスタンスになります。

次のようなケースもあります。
家族で外食に出ると、、クルマを走らせながら妻が必ず
「何が食べたい?」と僕や娘たちに聞きます。
娘が「選択肢は?」と問うと、「何でもいいよ」と言うのです。
で、僕が
「ステーキ!♪」というと、「♪」の余韻が消えない0.5秒後に、世間ではこれを間髪をいれずと表現しますが、
「却下!!」と言われてしまいます。
つまり「何でもいい」わけではないのです。

そんな可愛い妻です。

結局カラオケには行きませんでしたが、妻は有言実行型なのでおそらく年内には行くことになると思います。
前回カラオケに行ったのはいつだったか調べてみると約1年前でした。中学の文化祭の振り替え休日の時に次女と二人で行っておりました。その時のブログ記事がありました。載せておきましょう。




町一番だったそうじゃない


昨日は次女の学校が文化祭の代休日でした。わが町の平日はカラオケが安いのです。終日歌っても1500円。次女と二人カラオケでした。
午前10時から午後3時までの5時間で次女33曲、僕32曲の計65曲でした。

僕の成績を載せておきます。
32曲のうち、全国カラオケランキング20位以内が12曲ありました。最も悪かったのはエバンゲリオン「残酷な天使のテーゼ」の3180位でした。この曲を除けば13曲以下31曲まで、それほど悪い成績ではありませんでした。

ご覧のように「小心者」は全国1位でした。カラオケに行くのは年に1度か2度ですが、行けば1曲は必ず全国1位を獲ります。

1 位 小心者 (梓みちよ)
3位 コイン ランドリー ブルース (柳ジョージ)
4位 TAKAKO (上田正樹)
5位 サライ (加山雄三/谷村新司)
6位 池上線 (チェウニ)
8位 愛のくらし (加藤登紀子)
9位 新しいラプソディー (井上陽水)
10位 ダンスはうまく踊れない (井上陽水)
11位 すずめの涙  (桂銀淑)
12位 帰らざる日々 (アリス)
18位 大阪暮色 (桂銀淑)
20位 珍島物語 (天童よしみ)
3180位 残酷な天使のテーゼ(高橋洋子)

歌い過ぎて喉の調子が悪いので今日はこれでおしましです。

今日載せる曲は当然、全国1位を獲った「小心者」でしょう。







にじむ町の灯を・・・


昨日のカラオケから、音楽をキーワードに話を繋げて行きたいと思う。
僕の昔話にはBGMが欠かせない。いや逆に、昔の楽曲を思い出してその時代の出来事を思い出すというか・・・。
振り付きで「め組の人」を歌える人は少なくなったと思うが、僕はそれが出来ちゃうのである。なんて書くと、「20代はそんな歌を知らんぞ!」という声が聞こえてきそうだが、うるせいやい!!♪

祇園や先斗町のスナックやクラブで夜な夜な「めっ!♪」と訓練していたのである。夜の蝶君たちの義理のパラパラ拍手が「タカさん上手♪」に変わるまでにどれだけの投資と艱難辛苦があったことか。そいうえば、切々とラブイズオーバーを歌った3歳の子持ちの宮崎から来たというあの娘も今は45歳ぐらいか。今頃どこでどうしていることだろう。

どういうわけか僕はママやホステスたちから家庭の事情を打ち明けられてしまうのである。下心見え見えの客への対策なのか、それともその逆の下心が無さそうに見えるのか、あるいは僕にオトコとしての色気を感じないのか、僕としては2番目の理由と思いたいが、とにかく2~3度も店に通うと「ダンナがね」とか「母子家庭なのよ」などと告白されるのである。窮鼠猫を噛むじゃなかった、虎穴に入らずんば虎児を得ずでもないな、窮鳥懐に入る、これだな・・・。

こうなると下心を封印して清く正しいお付き合いをしなければならず、自ら「そっとおやすみ」をリクエストして歌い(大抵の店はこの曲か蛍の光が流れると営業終了)、ママやホステスと夜食に行くか朝までやっている店をハシゴし、彼女たちをアパートに送り届けて帰宅するというプラトニックラブな日々だったのである。それでもいつだったか一度だけ「上がってお茶でも飲んでいかない?」と誘われてワンルームマンションの部屋でビールを飲み始めたら、彼女は上田正樹の「悲しい色やね」をかけ「いい歌やと思えへん?」と誰に問いかけるともなく問い、ベッドにもたれ膝を抱えて黙ってぽろぽろと泣き出したのである。つまりは失恋したところだったのだ。僕は話しかける言葉が見つからず、同じようにベッドにもたれて「悲しい色やね」を5回も聴いて「じゃあ」と言って部屋を出たのだった。



この時から「悲しい色やね」は僕の持ち歌になったのだが、膝を抱えて泣く彼女を思い浮かべて歌うと、どうやらネオン街の蝶々の胸琴に触れるらしく店が深と静まりかえったものなのである。ヒゲを生やし彼と同じようなメガネをかけていたので風貌まで似ていると言われていたのである。
あるときの夏のこと。僕は出張帰りにアパートへ戻り、短パンにポロシャツ、キャップを被ってセールバッグを肩にヨットハーバーへ向かうタクシーに乗った時のことだ。運転手が言ったのである。
「えーと、知ってますよ。芸能関係の人ですよね、うーん、ほら、あの人・・・」
「・・・(上田正樹でしょ♪)」
「えーと、顔はね思い浮かぶねんけど・・・あっ、監督や。ほらアダルトの・・山・・。山本!山本晋也監督!!でしょ♪」






「あれぇ分かりましたぁ♪(誰が山本晋也やねん!)」
「そら有名人やもん。もしかしてハーバーでロケ?」
「そう。ヘミングウエイ(ハーバーのレストラン)で食事をしたカップルがヨットで絡むというシーンの撮影ですねん(どついたろか、この運転手!)」
「うわっ、よろしいなぁ♪」
「見たい?♪」
「そら、見たいですぅ♪」
「残念。関係者以外立ち入り禁止ですねん」
「そうですか・・。それにしても監督、大阪弁が上手やね」
「ええ、まあ・・・」



この日を境に、僕は上田正樹改め、渡辺謙となったのである。

本日の歌♪

茶粥を食べながら・・  





茶粥を食べながら・・




どこかに故郷の 香りをのせて
入る列車の なつかしさ
上野は俺らの 心の駅だ・・・


この歌を口ずさめる人はもう、そう多くはないだろうと思う。
かつて日本には中卒者が金の卵と言われた時代があって、春先になると集団就職列車が連日のように大阪駅や上野駅に着いたのである。都会が秘める可能性という希望に胸を膨らませる一方で、それを押し潰すような大きな不安も抱えて、彼、彼女たちは都会の駅に降り立ち、中小企業の工場主や商店主に連れられて町中に散って行った。


ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ・・・


この詩を口ずさめる人も、


ふるさとへ向かう最終に 乗れる人は急ぎなさいと
優しい優しい声の駅長が 町中に叫ぶ・・・


この歌を口ずさめる人も少なくなった。

こうした歌や詩に胸がぎゅっと握り絞められるような気持ちになる人なら、それはきっと、ビロードのような心を持った人だから、僕の同胞、親友、恋人である。

「ああ上野駅」を歌った井沢八郎が亡くなって何年経ったのだろう。彼は家出同然に田舎を出奔して東京へ出て歌手になった。その父を、日本一歌の上手な人だったと涙ながらに語った娘の工藤夕貴もまた、単身日本を出奔して国際的な女優になったわけで、こういうのを親子鷹というのだろう。



冒頭の写真と「ああ上野駅」と何の関係があるのかというと、実のところ何の関係も無いに等しい。僕は女優工藤夕貴の退路を断ったような張り詰めた演技が好きであること、彼女の向うに昔歩いた五番街やブロードウエイが思い浮かんだこと、そういうあれやこれやをこのレコードを聴いていて思い出したただけのことである。

ところで、工藤夕貴と妻は共に1971年生まれのB型なのである。だからどうしたと言われたら返答に窮する。ただなんとなく、ちょっと書いてみたかっただけである。

これ以外にあえて共通点を探せば、「ああ上野駅」も写真のレコードも、共に1964年にリリースされたということぐらいだ。むろん僕はまだジャズを聴く年齢に達していないどころか、電信柱に貼られたポールアンカのモノクロポスターに外国の息吹を感じていた程度の少年だった。

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