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Old Saltの日々雑感

日々雑感的に思うところを小さなウソと大きな誇張でデフォルメして掲載中!

ボブ・ディラン20歳  




ボブ・ディラン20歳




このレコードアルバムの写真はボブ・ディラン20歳、恋人のスーズ・ロトロ17歳のときのものだ。場所はボブが住んでいたニューヨークW 4th Streetのアパートの近く。まだ無名の頃で「朝飯を食べに行こう」と部屋を出て通りを歩いているところだ。(たぶん)

この写真がすごく好きなのは“遠い昔の自分たち”を思い出させてくれるからだ。自分たちというのは自分と恋人だけではなく、自分がコミットしていた時代や友人たちと青春を謳歌し青春を持て余していた頃の自分たちである。

僕がボブ・ディランを知ったのはこの写真から5年後ぐらいの頃で、「Blowin'The Wind (風に吹かれて)」が最初の出会いだった。たぶん数千回は歌っている。主に大阪の街頭や地下街だったが、警察の前や駅の構内、九州大学の講堂、横田基地、新宿西口広場など、様々な場所で歌った。

この頃の“遠い昔の自分たち”は誰もが写真のボブ・ディランと同じ20歳前後で、ユニークでクリエイティブな企画の反戦活動を行っていた。その集大成として企画したのが、1970年に開催された「万国博覧会」に対抗した「反戦のための万国博覧会(略称:ハンパク:1969.年8月7日~11日)」だった。



上の画像は「ハンパク」のシンボルマークなのだが、当時高校生だった(現そば屋の親父)Nが作成したものだ。
「ハンパク」は最終日には御堂筋を5万人のデモ隊が埋め尽くすほどの大規模なイベントだったのだが、未だに事務局も主催者も明確になっていない。
企画も事務局も広報活動も主に僕たちが中心になって行った。大阪市に、アンチ万博のために大阪城公園を貸してもらいたいと交渉したところ、大阪市は万博を主催しているにもかかわらず大阪城公園を無償で貸し出すという懐の深さを示した。大阪はそういう町なのである。
借り主の僕たちはテキ屋的に会場を区分けして参加者希望者に無料で提供。呼びかけに応じた全国の反戦や反公害や反基地や文化活動や音楽活動、前衛演劇活動者たちが自由にレイアウトし使った。
誰が主催者で誰が主役というよりも客も含めた全員が主役のイベントだった。主役だらけだったからこそ、未だに「反戦ための万国博覧会」の詳細は不明のままなのである。

この「ハンパク」の宣伝活動のために僕はAと二人で上京し新宿西口広場で反戦フォークを歌い人を集めて広報活動をした。大阪では当たり前の街頭で歌う行為が東京では珍しかったらしく日ごとに人の輪が広がり、4~5日後には群衆で膨れあがり新宿フォークゲリラと呼ばれるようになり、ついには騒乱罪が適用されるまでに騒動が広がって行った。新宿フォークゲリラでググれば当時の様子が分かる。
この新宿フォークゲリラについては諸説出回っているが、最初の一歩を刻んだ僕とAに辿り着いた者は一人もいない。

話を戻そう。
上の話を書いたのは、“遠い昔の自分たち”にとってボブ・ディランはかなり身近かつクールな存在だったと言いたかったからだ。「風に吹かれて」は僕たちが街頭や地下街やハンパク会場で歌い続けたことで全国に広がって行ったのである。

街頭でフォークソングや反戦歌を歌ったのは自分の歌声をアピールするためではなく、通り過ぎていく人の足を止めさせるためだった。歌集を売り活動費を稼ぐのと、足を止めた人たちと様々な社会問題について対話集会を行う、これが目的で歌った。

「風に吹かれて」はメロディや歌詞だけではなく、誰もが弾けて歌えたという意味でもメッセージ性の高い歌である。なにしろギターコードがG/C/Dの3つしか無い。当時、和製フォークといわれた浜口庫之助が作詞作曲した「バラが咲いた」の、単調でスローな甘ったるい歌でもF/C/G7/D7とコードが4つ使われていて、素人には押さえるのがちょっと難しいFコード入りだった。コード4つでも経文のような歌なら、3つだとさらにリズム感がないと思うだろう。実際、なぜか日本のフォークシンガーが「風に吹かれて」を歌うと平板な歌い方になり、いわゆる4畳半フォーク調になる。だが、次の歌を聴いてもらいたい。




この頃、ボブ・ディランとジョーン・バエズは恋人同士だったのだが、この歌い方はどうだろう。G/C/Dのたった3つのコードの歌とは思えないはずだ。これがホンモノの「Blowin'The Wind」。二人とも格好良すぎると思うのは僕だけではないと思う。

ボブ・ディランのノーベル文学賞の報道が僕の背中を押したような気がする。
楽天時代から約13年間続けてきたブログを終える踏ん切りがついた。前々から考えてきたことだが、今回でブログを終えることにした。まったく持つ気がなかったヨットを20年ぶりに持つことになった奇遇も遠因になっている。
彼女は全長7mの小型ヨットで齢36歳の大年増(船は女性名詞で表現する)なのだ。こつこつと手入れしてやらねばならないのに船主の僕もかなりガタがきている。この2ヶ月ほどで打ち身切り傷は無数、エンジンの手入れ中に左の肋骨を折り、アンカーの調整をしていて右の肋骨も折った。ヨットであり続けたりヨット乗りである続けるにはシンドイお年頃なのである、彼女も僕も。

最後に、ボブ・ディランの曲で終わらせていただく。

みなさんお元気で。bon voyage!




Mr. Tambourine Man : Bob Dylan

  Hey! Mr. Tambourine Man, play a song for me,
  I'm not sleepy and there is no place I'm going to.
  Hey! Mr. Tambourine Man, play a song for me,
  In the jingle jangle morning I'll come followin' you.

  Though I know that evenin's empire has returned into sand,
  Vanished from my hand,
  Left me blindly here to stand but still not sleeping.
  My weariness amazes me, I'm branded on my feet,
  I have no one to meet
  And the ancient empty street's too dead for dreaming.

  Hey! Mr. Tambourine Man, play a song for me,
  I'm not sleepy and there is no place I'm going to.
  Hey! Mr. Tambourine Man, play a song for me,
  In the jingle jangle morning I'll come followin' you.

  Take me on a trip upon your magic swirlin' ship,
  My senses have been stripped, my hands can't feel to grip,
  My toes too numb to step, wait only for my boot heels
  To be wanderin'.
  I'm ready to go anywhere, I'm ready for to fade
  Into my own parade, cast your dancing spell my way,
  I promise to go under it.

  Hey! Mr. Tambourine Man, play a song for me,
  I'm not sleepy and there is no place I'm going to.
  Hey! Mr. Tambourine Man, play a song for me,
  In the jingle jangle morning I'll come followin' you.

  Though you might hear laughin', spinnin', swingin' madly across the sun,
  It's not aimed at anyone, it's just escapin' on the run
  And but for the sky there are no fences facin'.
  And if you hear vague traces of skippin' reels of rhyme
  To your tambourine in time, it's just a ragged clown behind,
  I wouldn't pay it any mind, it's just a shadow you're
  Seein' that he's chasing.

  Hey! Mr. Tambourine Man, play a song for me,
  I'm not sleepy and there is no place I'm going to.
  Hey! Mr. Tambourine Man, play a song for me,
  In the jingle jangle morning I'll come followin' you.

  Then take me disappearin' through the smoke rings of my mind,
  Down the foggy ruins of time, far past the frozen leaves,
  The haunted, frightened trees, out to the windy beach,
  Far from the twisted reach of crazy sorrow.
  Yes, to dance beneath the diamond sky with one hand waving free,
  Silhouetted by the sea, circled by the circus sands,
  With all memory and fate driven deep beneath the waves,
  Let me forget about today until tomorrow.

  Hey! Mr. Tambourine Man, play a song for me,
  I'm not sleepy and there is no place I'm going to.
  Hey! Mr. Tambourine Man, play a song for me,
  In the jingle jangle morning I'll come followin' you.

  ヘイ ミスター・タンバリンマン 歌っておくれよ
  ぼくは眠くもないし でかけるあてもない
  ヘイ ミスター・タンバリンマン 歌っておくれよ
  歌のリズムに乗って ついていくから

  わかったんだよ ぼくは 夕闇の心地よさはぼくに
  縁がないんだって
  それでぼくは立ち尽くしたまま 眠ることもなく
  会う人もなく
  夢にみるような世界も持ってないんだって

  ヘイ ミスター・タンバリンマン 歌っておくれよ
  ぼくは眠くもないし でかけるあてもない
  ヘイ ミスター・タンバリンマン 歌っておくれよ
  歌のリズムに乗って ついていくから

  君のめくるめく船にぼくを乗せておくれよ
  ぼくはすっかり力がなえて 手はつかむことができないし
  つま先はかじかんじまって ブーツが勝手にぼくを運ぶ始末さ
  この際どこへでも行くよ どうでもいいんだ
  だからぼくの行く道を示してくれよ
  そのとおりにいくから

  ヘイ ミスター・タンバリンマン 歌っておくれよ
  ぼくは眠くもないし でかけるあてもない
  ヘイ ミスター・タンバリンマン 歌っておくれよ
  歌のリズムに乗って ついていくから

  もし君が笑い声や金切り声を聞いたとしても
  それにはたいした意味はないんだ とどろいてるだけさ
  太陽にかんかんと照らされながらね
  もし君が調子のよいリズムを聞いたとしても
  それはお調子者がふざけているだけなんだ
  気にすることはないさ つまらないことさ
  ほっといていいよ

  ヘイ ミスター・タンバリンマン 歌っておくれよ
  ぼくは眠くもないし でかけるあてもない
  ヘイ ミスター・タンバリンマン 歌っておくれよ
  歌のリズムに乗って ついていくから

  ぼくはなんだか心が煙の輪のようになって
  たゆたってるように感じるよ 木々の葉っぱの
  あいだをただよいなふがら なぎさのほうへとね
  そこはこの世の馬鹿騒ぎとは無縁だ
  片手を振りながらダンスするのに相応しい場所だ
  海を背景にして 砂に絡まれながら
  思い出も時の運も波にさらわれていく
  明日になるまで今日のことは忘れて

  ヘイ ミスター・タンバリンマン 歌っておくれよ
  ぼくは眠くもないし でかけるあてもない
  ヘイ ミスター・タンバリンマン 歌っておくれよ
  歌のリズムに乗って ついていくから


新米は土鍋で  




新米は土鍋で


新米を食べました。
恵まれたことに、妻の実家は専業農家なので稲刈りの翌日には新米を食べることができるのです。
写真では上手に撮りきれておりませんが、強火で一気に炊き上げたので米粒が立っていて、真っ白な炊き上がりなのです。

刈ってすぐじゃないのって?
それは無理なのです。刈りたての籾は30%以上の水分が含まれています。それを14.5%(理想の水分)ぐらいまで乾燥させて初めて完成なのです。稲を刈った時の水分含有率にもよりますが、機械乾燥で8時間~12時間ほどかかります。だから最速でも翌日なのですね。
妻の実家は農業オペレーターという、人手不足で田の維持管理ができなくなった地主から田を預かり、管理から収穫、JAへの納入、地主の自家米の預かりまでの全てを請けている専業農家なので、ダンプ2杯分の籾が乾燥できる大型乾燥機が3基もあります。
この乾燥機や業務用の籾摺り機や精米機があればこそ、刈り取りの翌日に新米を食べることができるのです。

この、“翌日の新米”は袋詰めされて店頭で売られている新米とちょっと違います。同じ真っ白に炊き上がっても白さが違うのです。それと香り。新米の馥郁たる香りがいたします。米は精米して一週間も経つと一気に風味が色褪せていきます。スーパーの店頭に並ぶ新米は日にちが経っていますから写真の翌日の新米とは新米度が大きく違うのです。

稲刈り翌日の特上の新米に毎年舌鼓を打っているわけですが、年に一度のこの日こそ、百姓の娘と結婚して良かったとつくづく思う日でもあるのですね。残りの364日はといいますと、ここだけの話にしておいていただきたいのですが、つくづくとかしみじみという形容を省いた、単に、結婚して良かったのだろうな、他に選択の道は無かったんだろうなと思う日々なのであります。

ま、とにかく、そんな新米は土鍋で炊く。これが最上の炊き方だと思います。土鍋で炊けば普通の米でもかなり美味しく炊き上がります。わが家は固めのご飯が好きなので水を少なめに炊きますが、強火で一気に炊き上げると、米のネバが一粒一粒をコーティングして旨みを閉じ込め、固いようで柔らかい絶妙の素晴らしい炊き上がりになります。普通の米ですらこれ、昨日収穫したばかりの新米なら・・・♪

鍋の蓋を開けると米粒が立っているのは炊飯中に米が暴れている証拠です。暴れて米の糖分と米粒どうしが擦れた粉が水に溶けて熱せられてネバになります。そのネバが米粒をコーティングし潤滑の役割をしてそれ以上の米の痛みを保護するのです。“始めちょろちょろ中ぱっぱ”の“ぱっぱ”がそれです。コーティングは粒を守り旨味のネバで米の旨味も閉じ込めてくれます。強火で一気に暴れさせてこそ米は生命が吹き込まれるのですね。

写真の土鍋は中蓋付きの三合炊きです。この中蓋が曲者です。吹き零れを防ぐだけでなく、外蓋との間に熱い湯気を循環させることになり、下からだけでなく上からも高熱を加える効果があるのです。下から上から責められて、アチチッチと米が立つのであります。まるで実際に見てきたような書き方をしておりますが、僕は科学者ですから論理的にイメージを膨らませると土鍋の中の米粒の生態が見えてくるのです。

この土鍋、ン万円の高級品ではありません。著名な陶芸家の手になる土鍋ではないということですね。著名な陶芸家というのは、寝食を忘れて作品作りに没頭するのを常とします。毎夜祇園のスナックで飲み潰れる坊主が生臭であるように、三度三度の寝食を忘れない陶芸家はニセモノです。

ひとかたまり数百円の土塊(つちくれ)をン万円もする土鍋に変えてしまう錬金術師、自称ホンモノ陶芸家は寝食を忘れて作品作りに没頭します。寝食を忘れているのですよ。“寝”を忘れるのはいいです。本人の自由です。でも“食”を忘れてもらっては困ります。食を知らずして、美味い米の何たるか、美味しい米はどうすれば炊けるかが分かるはずがないと、そう思いませんか?
著名な陶芸家が作る土鍋は芸術的ではあっても美味しいご飯は炊けないのです。料理を盛る器や皿ならともかく、土鍋などの調理器具は芸術的陶芸家の専門外だと思うべしなのですね。

世の中にはこんな簡単な理屈が分からなくて、ン万円もする土鍋を買って喜んでいる人が多いようでありますね。バカですねー。ついでに書けば、ル・クルーゼで湯を沸かしてレトルトパックの芋の煮っ転がしを暖めている奥さんの「鍋が汚れなくていいから」という発想はすごいですねー。アホを超越しております。



写真の土鍋の値段は定価でも2千円ほど。特価だと980円。とても良心的な値段ではないでしょうか。一家に一台の必需品でありましょうね。わが家には3合炊きと5合炊きの2つの土鍋がございます。





新米がメインなのでご飯と喧嘩をしないようにおかずは質素にしました。味も薄め。乾し海老と茄子の煮付けと豚バラ肉と白菜の味噌煮。熱々を食べたくて写真を撮りませんでしたが、薄く衣をまとわせたレンコンと茄子とさつま芋の天ぷらも添えました。

遠い昔の自分たち  




遠い昔の自分たち




このレコードアルバムの写真はボブ・ディラン20歳、恋人のスーズ・ロトロ17歳のときのものだ。場所はボブが住んでいたニューヨークW 4th Streetのアパートの近く。まだ無名の頃で「朝飯を食べに行こう」と部屋を出て通りを歩いているところだ。(たぶん)

この写真がすごく好きなのは“遠い昔の自分たち”を思い出させてくれるからだ。自分たちというのは自分と恋人だけではなく、自分がコミットしていた時代や友人たちと青春を謳歌し青春を持て余していた頃の自分たちである。

僕がボブ・ディランを知ったのはこの写真から5年後ぐらいの頃で、「Blowin'The Wind (風に吹かれて)」が最初の出会いだった。たぶん数千回は歌っている。主に大阪の街頭や地下街だったが、警察の前や駅の構内、九州大学の講堂、横田基地、新宿西口広場など、様々な場所で歌った。

この頃の“遠い昔の自分たち”は誰もが写真のボブ・ディランと同じ20歳前後で、ユニークでクリエイティブな企画の反戦活動を行っていた。その集大成として企画したのが、1970年に開催された「万国博覧会」に対抗した「反戦のための万国博覧会(略称:ハンパク:1969.年8月7日~11日)」だった。



上の画像は「ハンパク」のシンボルマークなのだが、当時高校生だった(現そば屋の親父)Nが作成したものだ。
「ハンパク」は最終日には御堂筋を5万人のデモ隊が埋め尽くすほどの大規模なイベントだったのだが、未だに事務局も主催者も明確になっていない。
企画も事務局も広報活動も主に僕たちが中心になって行った。大阪市に、アンチ万博のために大阪城公園を貸してもらいたいと交渉したところ、大阪市は万博を主催しているにもかかわらず大阪城公園を無償で貸し出すという懐の深さを示した。大阪はそういう町なのである。
借り主の僕たちはテキ屋的に会場を区分けして参加者希望者に無料で提供。呼びかけに応じた全国の反戦や反公害や反基地や文化活動や音楽活動、前衛演劇活動者たちが自由にレイアウトし使った。
誰が主催者で誰が主役というよりも客も含めた全員が主役のイベントだった。主役だらけだったからこそ、未だに「反戦ための万国博覧会」の詳細は不明のままなのである。

この「ハンパク」の宣伝活動のために僕はAと二人で上京し新宿西口広場で反戦フォークを歌い人を集めて広報活動をした。大阪では当たり前の街頭で歌う行為が東京では珍しかったらしく日ごとに人の輪が広がり、4~5日後には群衆で膨れあがり新宿フォークゲリラと呼ばれるようになり、ついには騒乱罪が適用されるまでに騒動が広がって行った。新宿フォークゲリラでググれば当時の様子が分かる。
この新宿フォークゲリラについては諸説出回っているが、最初の一歩を刻んだ僕とAに辿り着いた者は一人もいない。

話を戻そう。
上の話を書いたのは、“遠い昔の自分たち”にとってボブ・ディランはかなり身近かつクールな存在だったと言いたかったからだ。「風に吹かれて」は僕たちが街頭や地下街やハンパク会場で歌い続けたことで全国に広がって行ったのである。

街頭でフォークソングや反戦歌を歌ったのは自分の歌声をアピールするためではなく、通り過ぎていく人の足を止めさせるためだった。歌集を売り活動費を稼ぐのと、足を止めた人たちと様々な社会問題について対話集会を行う、これが目的で歌った。

「風に吹かれて」はメロディや歌詞だけではなく、誰もが弾けて歌えたという意味でもメッセージ性の高い歌である。なにしろギターコードがG/C/Dの3つしか無い。当時、和製フォークといわれた浜口庫之助が作詞作曲した「バラが咲いた」の、単調でスローな甘ったるい歌でもF/C/G7/D7とコードが4つ使われていて、素人には押さえるのがちょっと難しいFコード入りだった。コード4つでも経文のような歌なら、3つだとさらにリズム感がないと思うだろう。実際、なぜか日本のフォークシンガーが「風に吹かれて」を歌うと平板な歌い方になり、いわゆる4畳半フォーク調になる。だが、次の歌を聴いてもらいたい。




この頃、ボブ・ディランとジョーン・バエズは恋人同士だったのだが、この歌い方はどうだろう。G/C/Dのたった3つのコードの歌とは思えないはずだ。これがホンモノの「Blowin'The Wind」。二人とも格好良すぎると思うのは僕だけではないと思う。

ボブ・ディランのノーベル文学賞の報道が僕の背中を押したような気がする。
楽天時代から約13年間続けてきたブログを終える踏ん切りがついた。前々から考えてきたことだが、今回でブログを終えることにした。まったく持つ気がなかったヨットを20年ぶりに持つことになった奇遇も遠因になっている。
彼女は全長7mの小型ヨットで齢36歳の大年増(船は女性名詞で表現する)なのだ。こつこつと手入れしてやらねばならないのに船主の僕もかなりガタがきている。この2ヶ月ほどで打ち身切り傷は無数、エンジンの手入れ中に左の肋骨を折り、アンカーの調整をしていて右の肋骨も折った。ヨットであり続けたりヨット乗りである続けるにはシンドイお年頃なのである、彼女も僕も。

最後に、ボブ・ディランの曲で終わらせていただく。

みなさんお元気で。bon voyage!




Mr. Tambourine Man : Bob Dylan

  Hey! Mr. Tambourine Man, play a song for me,
  I'm not sleepy and there is no place I'm going to.
  Hey! Mr. Tambourine Man, play a song for me,
  In the jingle jangle morning I'll come followin' you.

  Though I know that evenin's empire has returned into sand,
  Vanished from my hand,
  Left me blindly here to stand but still not sleeping.
  My weariness amazes me, I'm branded on my feet,
  I have no one to meet
  And the ancient empty street's too dead for dreaming.

  Hey! Mr. Tambourine Man, play a song for me,
  I'm not sleepy and there is no place I'm going to.
  Hey! Mr. Tambourine Man, play a song for me,
  In the jingle jangle morning I'll come followin' you.

  Take me on a trip upon your magic swirlin' ship,
  My senses have been stripped, my hands can't feel to grip,
  My toes too numb to step, wait only for my boot heels
  To be wanderin'.
  I'm ready to go anywhere, I'm ready for to fade
  Into my own parade, cast your dancing spell my way,
  I promise to go under it.

  Hey! Mr. Tambourine Man, play a song for me,
  I'm not sleepy and there is no place I'm going to.
  Hey! Mr. Tambourine Man, play a song for me,
  In the jingle jangle morning I'll come followin' you.

  Though you might hear laughin', spinnin', swingin' madly across the sun,
  It's not aimed at anyone, it's just escapin' on the run
  And but for the sky there are no fences facin'.
  And if you hear vague traces of skippin' reels of rhyme
  To your tambourine in time, it's just a ragged clown behind,
  I wouldn't pay it any mind, it's just a shadow you're
  Seein' that he's chasing.

  Hey! Mr. Tambourine Man, play a song for me,
  I'm not sleepy and there is no place I'm going to.
  Hey! Mr. Tambourine Man, play a song for me,
  In the jingle jangle morning I'll come followin' you.

  Then take me disappearin' through the smoke rings of my mind,
  Down the foggy ruins of time, far past the frozen leaves,
  The haunted, frightened trees, out to the windy beach,
  Far from the twisted reach of crazy sorrow.
  Yes, to dance beneath the diamond sky with one hand waving free,
  Silhouetted by the sea, circled by the circus sands,
  With all memory and fate driven deep beneath the waves,
  Let me forget about today until tomorrow.

  Hey! Mr. Tambourine Man, play a song for me,
  I'm not sleepy and there is no place I'm going to.
  Hey! Mr. Tambourine Man, play a song for me,
  In the jingle jangle morning I'll come followin' you.

  ヘイ ミスター・タンバリンマン 歌っておくれよ
  ぼくは眠くもないし でかけるあてもない
  ヘイ ミスター・タンバリンマン 歌っておくれよ
  歌のリズムに乗って ついていくから

  わかったんだよ ぼくは 夕闇の心地よさはぼくに
  縁がないんだって
  それでぼくは立ち尽くしたまま 眠ることもなく
  会う人もなく
  夢にみるような世界も持ってないんだって

  ヘイ ミスター・タンバリンマン 歌っておくれよ
  ぼくは眠くもないし でかけるあてもない
  ヘイ ミスター・タンバリンマン 歌っておくれよ
  歌のリズムに乗って ついていくから

  君のめくるめく船にぼくを乗せておくれよ
  ぼくはすっかり力がなえて 手はつかむことができないし
  つま先はかじかんじまって ブーツが勝手にぼくを運ぶ始末さ
  この際どこへでも行くよ どうでもいいんだ
  だからぼくの行く道を示してくれよ
  そのとおりにいくから

  ヘイ ミスター・タンバリンマン 歌っておくれよ
  ぼくは眠くもないし でかけるあてもない
  ヘイ ミスター・タンバリンマン 歌っておくれよ
  歌のリズムに乗って ついていくから

  もし君が笑い声や金切り声を聞いたとしても
  それにはたいした意味はないんだ とどろいてるだけさ
  太陽にかんかんと照らされながらね
  もし君が調子のよいリズムを聞いたとしても
  それはお調子者がふざけているだけなんだ
  気にすることはないさ つまらないことさ
  ほっといていいよ

  ヘイ ミスター・タンバリンマン 歌っておくれよ
  ぼくは眠くもないし でかけるあてもない
  ヘイ ミスター・タンバリンマン 歌っておくれよ
  歌のリズムに乗って ついていくから

  ぼくはなんだか心が煙の輪のようになって
  たゆたってるように感じるよ 木々の葉っぱの
  あいだをただよいなふがら なぎさのほうへとね
  そこはこの世の馬鹿騒ぎとは無縁だ
  片手を振りながらダンスするのに相応しい場所だ
  海を背景にして 砂に絡まれながら
  思い出も時の運も波にさらわれていく
  明日になるまで今日のことは忘れて

  ヘイ ミスター・タンバリンマン 歌っておくれよ
  ぼくは眠くもないし でかけるあてもない
  ヘイ ミスター・タンバリンマン 歌っておくれよ
  歌のリズムに乗って ついていくから

湯船に浸かる幸せ  




湯船に浸かる幸せ


ちょっと文化について語ってみたい。
とはいっても、「文化とは極めて土着性の強いものだから国際的文化などは存在しない」といった形而上学的なことではなく、形而下というか俗なというか、気楽なというか、そんな文化の話である。

まずは文化包丁。
思い切った名称であると思う。なぜ文化包丁というのかというと、これは諸説あるのだ。そもそも、学術的に調査された研究テーマでも諸説紛々なのだから、巷の八っつあん、熊さん的レベルだと人の数の分だけ説があると思っておけば間違いない。

文化包丁の場合、「研がなくていい包丁」だったから。研がなくていい包丁は便利・新しいわけで、文化の定義に合致していたのである。文明の利器だから文化包丁ではなく文明包丁だろうと思った人もいるかも知れない。もう一歩先読みしましょうね。文明の利器が文化生活を豊かにしたのさ。だから文化包丁。なによりも文明包丁ではしっくりしない。文化の香りがしないと・・・。

その文化包丁、今は三徳包丁と名を変えた。通常、ネーミング変更は元の名を超えることが条件になるから、文化よりも三徳の方が上位ということになる。僕は三徳よりも文化の方が懐が深いと思うのだが、庶民の多くは、よく分からない名称よりも具体的かつ現世利益的名称の方を有難がる傾向が強いので三徳が上位になったと思われる。

三徳、この三が絶妙なのである。一石二鳥や一挙両得などはなんだかとても得をしたような感じがするが、これは一と二を足せば三になるからである。鼎の軽重というが、軽重を問う鼎が3本だから含蓄が深いのであって、10本も20本もあれば軽重などどうでもいいやとなってしまう。早起きは三文の得の三文は金銭を超えた有りがたい得をイメージさせるし、水前寺清子の一日一歩三日で三歩♪の歌が国民的流行歌になったのも、三日で三歩という庶民にはとても計算が易しい足し算であるだけでなく、得した気分になれる三が2つも使われていたからなのだ。野球の場合、打率が3割3分3厘と聞くとすごい名選手のように思えるが、4割2分1厘と聞くと、まだ40試合しか消化していないもんねーとか、たまたまだよねーと思ってしまうものだ。
かように、3という数字は摩訶不思議なオーラを発しているのである。

ということで、三徳は文化を越えた名称だったので、この場合のネーミング変更は間違いではなかったということになる。
ただ思うのだが、有名料理人の○某や△某が個人宅で主婦に三徳包丁で食材を切ったりしながら料理を教えている様はなんとも似合わなくて、いくら文化や三徳が便利で新しくても、料理の質の高さは望めないのかもと思ったりするのである。
もし小粋な料理屋のカウンター席で料理を食べていたとして、目の前の、糊がパリッと効いた割烹着の板さんが三徳包丁で刺身や刺身のツマを切っていて、「お客さん。この包丁、モリブデンで錆びませんねん。横に穴があいてるでしょ。胡瓜を切っても張り付かないいのですよ。先日ね、テレビショッピングで買いましてん。洗濯バサミがオマケで貰えて、えらい得した気分ですわ♪」などと言われたら、勘定を何万円請求されたとしても、僕は1500円しか払わない。

文化鍋。
これは鍋の上辺が鍔のような形状になっていて汁の煮こぼれがしない鍋のことだ。確かに吹きこぼれないが汁が鍔のところでジュージューと煩いし、乾いた汁が焼かれてこびりつき洗っても取れにくいのである。ということで、あまり文化的な鍋ではないと僕は思っている。

文化会館。
全国どこにでもある。そのものズバリの直球名の○○町文化会館のことである。「市民や町民や区民の営みの全てが文化」という位置づけなのだろう。何でもOKの多目的ホールということだが、広く浅いから奥行きのない文化といえるかも知れない。
全国どこに行っても同じ名前のホームセンターやファミレス、タイヤ屋やカーショップ、町金の店舗が並ぶ現象の元は、何でも有りの広く浅い文化会館の文化が、換言すれば、クリエイティブ能力が欠如した県や市町村の役人が生み出した文化のせいなのである。自治体の民営化こそが急がれると僕は思っているのだが・・・。
東京には文化放送という名の放送局があるが、自社の事業を“文化”と豪語する自信は大したものだと思う。思うけれども、内容は文化会館的に広く浅いだけという気がしないでもない。

文化人。
変な人種である。知識人も変だ。文化人ですねー、知識人ですねーと言われて喜んでいるとしたら、その人はアホか泥酔しているかのどちらだ。だって、ネオン街の路地裏で「社長ぅ!先生!いい子いるよー♪」と言われているのと同じだもの。



文化住宅。これが一番奥が深い。
この住宅の認識は東西でかなり異なるようなのだ。ほとんどの文化が西日本から生まれている中で、文化住宅に関しては関東生まれなのである。写真のような大正モダン的な洋風の住宅のことを文化住宅と言った。



嵐を呼ぶ男では国分正一(石原裕次郎)が丘の上の洋風住宅に居候し、ドラマーになる練習をしていて、家主のプロモーターの美弥子(北原三枝・後の裕次郎の妻)と陽のあたるダイニングで朝のコーヒーを飲んでいたアレ、アレこそが文化住宅だったのである。
その正一が母と弟の三人で住んでいた木造アパート。小さな流しのある2間造り。風呂無しトイレ共同で、これが映画全盛時代の庶民の住宅だった。

関西で文化住宅の名称が使われるようになったのは戦後からだが、東京の大正モダン的な洒落た住宅ではなく、木造モルタル平屋もしくは2階建ての集合住宅のことを文化住宅とか文化アパートと言った。名前こそ文化がつくが、関東の大正モダン的な洒落た洋風住宅とは雲泥の差があったのである。
同じ文化住宅でも建物がこうも違うと、東京では吉永小百合が「そんなことをおっしゃたら、お母様に言いつけますことよ」なんて話すわけで、関西だと「おっさんオッサンこれなんぼ。わてホンマによう言わんわ」とガラッパチぽくなるのである。

おでんのことを関東煮といったように、住宅も関東で使われていた文化住宅という名称に便乗したのだと思う。関西では「関東」や「東京」と付けておくとなんとなくモダンな味付けになったのである。今の全国津々浦々に「銀座」があるのと同じだ。
いずれにせよ、戦後まもない頃の都会の住人はほとんどが風呂無し、トイレ共同のアパートか長屋に住んでいたわけで、集合住宅とはいえ、各戸にトイレやキッチンのある住居での生活はかなり文化的だったのだ。



関西の文化住宅はご覧のような間取り。今でいうハイツである。ハイツはプレハブだが文化住宅は木造モルタル造り。各戸にキッチンとトイレがあることが文化的生活だったのだ。今のハイツはザインも機能も良くなり昔の文化住宅の面影は無くなったが、唯一、遮音性の悪さだけは文化遺産として今も継承しているようである。

各戸にキッチンとトイレがある文化的生活に慣れると次に欲しいのは風呂だ。
寒い冬の夜に赤い手拭いマフラーにして小さな石鹸をカタカタ鳴らし銭湯に通う生活も毎日となると歌詞を口ずさむ気にもならないわけで、銭湯まで徒歩5分以内の文化住宅は家賃が高かったぐらいなのである。だから、内風呂が欲しいと誰もが思った。



そのニーズに応えたのが上の写真なのだ。これはコラージュ写真ではなく、本物の写真。その名を「ホクサン バスオール」と言った。
タタミ半畳ほどのスペースのプラ製の容器の中に一回り小さな浴槽があるだけの風呂なのである。これだと大掛かりな工事を必要とせずベランダにポンと置けば使えたのだ。



湯は外の給湯器から溜めた。昔の給湯器は給湯能力が低く、冬は50度程度の湯を浴槽に7分目目ぐらいまで溜めるのに2時間ぐらいかかった。50度は入浴には熱過ぎる温度だが2時間もかかるから冷めるのだ。湯が中々溜まらないだけでなく、洗い場がなく浴槽の上に蓋をしてその上に乗って身体を洗わなければならなかったから身体を洗うのが面倒ということで、浴槽に湯を溜めて使ったのは最初の数回で、それ以降はシャワーとして使っている人の方が多かったと思う。
僕はこの風呂すらない文化住宅に住んでいたので、時々、友人の超文化的生活を覗き、このバスに何度か入ったが、このモダンな文化はイカンと思ったものだった。

このようにホクサン・バスオールは浴槽の上で身体を洗うという訳の分からない風呂だったが、これこそ、風呂をバスと洋風に呼んだ走りだったのである。
ベランダの無い文化住宅に住んでいた件の新婚の友人は狭い台所の横にこれを置いていた。脱衣スペースが無いので、友人の嫁が風呂に入る時は僕たちはバスに背を向けて見ないようにしたのだった。けれども浴槽に浸かる、身体を洗う、再度浸かるためにビニールのカーテンを開けて外へ出なければならないわけで、その都度「あっち向いてホイ」と言われた。ジャンケンの“あっち向いてホイ”のルーツは、この文化的行動にあったということを知っている人は、今は少ない。
何かの拍子で、友人の嫁が素っ裸で浴槽の上に板を敷いている後姿をちょっと盗み見してしまったことがあって、そのモダーンな尻の大きさに圧倒された記憶は今も鮮明に残っている。サザンがデビューする5年ぐらい前の話である。


電池交換  




電池交換




iPhoneの電池が・・・。
別府葉子さんのライブコンサートに行ったときのこと。記念写真をお願いした時には電池残量が70%ほどあったのに、2枚撮っただけで電池が無くなりました。もしかしてこの人は電池を吸う魔女なのかとか、日本アパッチ族(小松左京著)もしくは日本三文オペラ(開高健著)の末裔なの?と思ったりしました。予備のバッテリーを持参していなかったので末裔かどうかの確認とその後のライブの写真は撮れずじまいでした。

このときから電池消耗が激しくなり加速度的に悪化の一途。一ヶ月もしないうちに、予備バッテリーなしでは使えなくなりました。

原因を探るためにアプリのバッテリーチェッカーをインストールして電池をチェックしてみると、消耗率が82%と出ました。冒頭は電池交換後の写真なので緑色ですが、その時は真っ赤な画面だったのです。中央の「立派」の文字が「すぐに交換」でした。
数値的データは「257/1430 mA 」というもの。電池容量1430 mAの内、充電できる容量範囲は257mAしかありませんでした。充電すると電池マークが100%になりますが、実際には1430 mA分がフル充電できたのではなく、257mA分がフル充電できたという意味の100%だったのです。そりゃあ、すぐに落ちますね。

ここまで電池が劣化すると交換するしかないわけですが、Appleで交換すると7800円。近くのiPhoneの修理店だと9800円でした。たかが電池交換なのにけっこう高い。
ならばということで、自分で交換することにしました。

ネットで買えばiPhone5の電池は交換作業に必要な工具付きで1500円~3000円ほど。電池単体なら500円と格安なものもあります。いくらなんでも500円は安すぎますからパッチもんの可能性が高い。そこで、口コミでそれほど悪くなかった工具付き1500円の電池を購入しました。
送料無料なので正味1500円。中国から届きました。ついでに別の所に液晶画面保護フィルムも注文しました。今は強化ガラス製が主流なんですね。なんと送料無料で190円。これも中国から送られてきました。これで利益がでるのかと思いました。
アマゾンの配送費無料のカラクリが不思議でなりません。

電池交換はけっこう大変でした。
以前、落として液晶パネルが剥がれた時に筐体とパネルを接着剤で張り付けています。だから簡単には分解できません。
僕はO型に近いA型なので最初は傷めないように丁寧に作業をしたものの、接着剤が良い仕事をしたらしく液晶パネルと筐体がなかなか剥がれてくれません。ついには面倒になり強引にベリッと荒治療。剥がれました。
外科の荒治療もここまでで、この先は臓器交換の手術のようなものなので慎重さが要求されます。配線やコネクターを切断してしまったり壊してしまうと素人では直せません。
極力A型に近いA型に血液を切り替え作業を進めました。慣れないので時間がかかりましたが、細かい作業ではあるものの、慣れれば電池交換はさほど難しくないと思いました。

電池を交換し、外したコネクターを取り付け、コネクターカバーを長さ1.5mmの極小ビスで止め、筐体にはめ込みビスで止め、SIMカードを取り付けて完了しました。

作業過程で困ったのは添付工具にSIMカードを取り外すピンが含まれていなかったこと。SIMカードを取り外す工具はiPhoneを購入したときの付属品で付いているのだという。とっくに捨てているので手元にはありません。歯科用工具を加工して代用品を作りSIMカードを外しました。
このとき思いました。iPhoneの付属品にSIMカードを外すピンが同梱されているということは、海外では個人が自由に、通信料金の安いSIMカードを購入し自分で交換しているのだなと・・・。

なんとかみ立てを終え恐る恐る電源を入れてみると、囓ったリンゴのマークが付くではないですか。成功です。
が、液晶画面がおかしい。太い縞模様が画面一面に入っている。強引に剥がしたので液晶を傷めたのかも知れない。でも、待ち受け画面はちゃんと表示されているから血液をOに近いA型に戻し「まあ、いいか」と、画面ロックを外そうとしたら、タッチパネルが反応しない。何度やっても反応してくれません。

電池を購入する前に妻が申しておりました。
「下手にいじるとかえって高くつくからやめてね」と。
その言葉が脳裏をよぎりました。
妻は過去に、僕が下手にいじってダメにしたアレコレを覚えていたのです。
上手にいじったアレコレの方が下手にいじったアレコレよりも格段に多いいはずなのに、失敗例の方しか覚えていないのです。
その後、面倒な分解組み立て作業を4回繰り返してみました。
でも、ダメでした。

やるだけのことをやると人間って居直れます。ここまでやってダメなら修理に出してもダメに決まっています。修理のプロができないことを素人ができるはずがない。
「電池交換+液晶パネル交換で4万円か、わはは。
こういう心境になると、怖いものなし。買い替えが正当化します。

機種検討をしてみました。iPhone7は8万円以上もします。iPhone7の陰に隠れてと言うか、
6月にiPhoneSEという機種が発売されていました。iPhone5の筐体にiPhone6sで使われているA9チップ組み込まれた機種。価格は4万4千円ほどなのに機能的には高機能の6s。修理費とほぼ同じだから正当性に拍車がかかる。

機種も決まり妻に買換宣言をする覚悟もつき一安心したので、あとは、白鳳のように土俵の外に押し出した相手にトドメの一発を見舞うのが大横綱というもの。最後のもう一発で、5度目の分解組み立てをやってみました。
4回目までは、もし1.5mmの極小ビスをカーペットの上にでも落としでもすれば探し出すのは至難と座卓に大きなパレットを置きその上で作業をしていました。
5回目の今回は自分の中で買換が内定していますから気が抜けております。一応慎重に作業をしていたつもりでしたが、O型に近いA型だったのでしょう。ビスを一つ落としてしまいました。10分ほど探しましたが見つかりません。落とせば探し出すのは至難であることを実証したのでした。

ストーブ・テレビ・掃除機・PCその他あれこれ。僕が分解組み立てした製品は90%以上の確率でなぜかビスが一つ余るのです。余るというのは製品にビスが一つ欠けているということ。今回は余ったのではなく無くしたわけですが、iPhoneにビスが一つ欠けたことに変わりはありません。
無くしたビスはコネクターを固定するカバー用なので重要ビスなのです。
で、腎臓は2個あるから1個外しても大丈夫だろうという視点で内蔵の全体を見直し、これと思えたビスを外して使いました。

そうして組み立てて、恐る恐るではなく、堂々と電源を入れました。見納めになるであろう欠けたリンゴマークが点き、読み込みが始まり待ち受け画面に変わりました。

あら~、不思議。
縞模様が消えていてタッチパネルが反応するではないですか。電池容量が大きいのでもサクサクと動く。検索速度もみd早くなっている。

直っちゃいました。
ビス1個無くしたの良かったのかもしれません。
あるいは無欲の勝利というべきか・・・。


音沙汰あり  




音沙汰あり


気がつくと一ヶ月近くも更新していませんでした。
この間、何も書いていなかったわけではなくて、盗人にも劣る桝添や悪徳弁護士マムシの善三のこと、無罪放免の甘利明や小渕優子のあっせん利得や政治資金不正のあれこれについて何本も原稿を書いておりました。ただ、どう書いてもこのむかっ腹が表現しきれないのと、桝添や都議を選んだ責任は都民にあり、それはつまり全ては、東京都に住む水道屋の親父の責任であって、他の訪問者の方々には何の咎もないないことなので掲載しなかったのでした。

佐々木善三がマムシの善三と言われるようになったのは鈴木宗男を逮捕・有罪に持ち込んだことによる。たかが政治家一人を有罪にしただけでマムシとは大袈裟なと思ってしまうが、真っ黒でも無罪になってしまう政治界で、灰色でしかなかった鈴木宗男を有罪に持ち込み刑務所送りにしたからである。

その佐々木善三はヤメ検弁護士に転身するや、真っ黒だった小渕優子を第三者委員会委員長の衣を着て弁護し不起訴に持ち込む。さらに猪瀬、舛添と続き、今度は東電の第三者委員会の委員である。小渕優子時の第三者委員会のメンバーは委員長が佐々木善三、委員が同じヤメ検の田中康久。東電では委員長が田中康久で佐々木善三は委員。委員会の中身事態自体に癒着構造が見える。名ばかりの第三者委員会なのだ。

こうした経緯を見てくると、佐々木善三は正義に燃えて鈴木宗男を追ったのではなく、鈴木と敵対する誰か、もしくは鈴木を邪魔だとする権力側からの依頼で仕事をしたといえよう。つまり法の番人ではなく権力や利権既得者側の番犬行為だったのだ。
だとすれば、鈴木宗男は無実だったのではないかとの疑念がわく。なぜなら、鈴木宗男が有罪なら二期以上の議員経験者はほぼ全員、何らかの利益供与を受けているからである。細かいことをいえば、議員パスを一度でも私的に使えば汚職になる。それすら無いと胸を張れる議員などいないと思うから。
ああ、またむかっ腹が立ってきたのでもうやめましょう。

ただ、今回のことで一つだけ明確になったことがある。
それは、佐々木善三が登場したときは、彼の依頼者は限りなくクロだということだ。あるいは、相対する側に正義があるということ。われわれは長時間かけて案件を精査し分析しなくても、「担当弁護士は佐々木善三ね。だったら結果はどうあれ依頼者はクロね」と簡単に答えが導き出せる。佐々木善三はそういう物差しで使える。これは我々には大きな収穫だといえよう。

閑話休題。
というか、以下も閑話なんだけど・・・。



これは何か。ポマードか化粧クリームの容器?
僕は銀バエのような人間ですがリーゼントではなく短髪なのでポマードは使いません。



これがクリームね。
カカトとに塗ってラップで巻いて靴下を履いて寝ると、ガサガサだったカカトが朝にはアラッ!つるっつる♪になってます。僕のカカトは大根おろしの代用が出来るほどガサガサになることがあるので重宝してます。



これは何かと申しますと、スピーカーです。Bluetoothで飛ばせます。ご覧のようにものすごく小さいです。でも音はかなりいいのです。というか、2999円という価格にしては上等な音が出ます。



ただ少し高音が勝ちすぎています。楽曲によっては抑えたいときがありますから、このように蓋を乗せて聴いています。蓋は自作です。
ネットの口コミではよく、どうでもいいようなケチ臭いコメントを目にします。やれ高音がどうの低音がどうの。箱が潰れていたとか小さな傷がついていたなどなど。BOSEのBluetooth スピーカーの音とは比較にならないなんてのもあります。3万円のスピーカーと比較してどうするのよ、でしょ。
写真のスピーカーに対しても高音がとか電源ボタンがが見にくいといった文句がついておりました。

僕は足に靴を合わせるのではなく靴に足を合わせてきた世代です。足よりも靴が大きければ詰め物をして履けばいいし、足よりも靴が小さければ指先を切り落として履けばいいのです。今の世代は退化してダメですが、僕の世代は指を切り落としても生えてきたものです。今でも切れば生えてきますが痛いので切りません。

まあつまり、創意工夫するわけですね。僕のような世代だけでなく、僕よりもうんと若い水道屋の親父のような世代でも職人は創意工夫する感性を持ちます。既製品に文句をつける前に、使い勝手がいいようにカスタマイズや応用しとうとするわけです。

音は直進する前方に遮蔽物を置くと角がとれソフトになります。バレンのようなこの蓋の厚みは5mmあります。重すぎない軽い蓋です。密封しすぎるとソフト感ではなくくぐもった音になってしまいます。丁度という案配が難しいです。試行錯誤してこの蓋に落ち着きました。尖っていた高音がバランスの良いソフトな音になりました。



分かりにくかった電源ボタンや操作ボタンも、この写真だと良くわかるでしょ。色づけすれば見やすくなります。これも創意工夫。

で、なぜこのスピーカーを買ったのか。
僕の愛車はスズキのエブリー。軽バンです。自転車が2台詰めるほど広くて娘たちの自転車を運ぶのに重宝しました。義母から無料で貰ったということもあり気に入っています。軽バンなのでエンジンが尻の下なので軽乗用車よりもエンジン音がうるさいですが、これはしかたありません。
ただ、僕は右耳は鼓膜が無くて聞こえないし左耳は難聴なので特にうるさくは感じません。耳が悪くてもマイナス面ばかりではないと、ま、そういうことです。

難点はもう一つあってカーラジオの音が悪すぎること。最近の軽バンは上等なオーディオを積んでいて音もいいですが、僕のエブリーは標準のCDが使えるカーラジオ。iPhoneの音楽をFMリミッターでカーラジオに飛ばしクルマのスピーカーで聴いているのですが聴くに耐えないひどさなのです。
来月の別府葉子さんの名古屋ライブに妻と行く予定ですが、その別府葉子さんの歌がひどい音でしか鳴りません。彼女の場合、ビジュアル的には普通のおばさんなので、歌まで聴くに堪えないと拠り所というか彼女を救おうとも道筋が見えません。軽バン・エブリーの中で、ただただため息をつくだけです。
というようなことから、別府葉子さんの救済目的も含めて、iPhoneに入れてある楽曲救済のためにこのスピーカーを買ったのでした。

軽バンのスピーカーとしては申し分の無い働きをしてくれています。いまは部屋の最も遠い場所に置きPCのiTunesからJAZZを小音量のBGMで流してこの文章を書いていますが、距離を離すほどいい音が出ているような感じがします。

皆さんもお一ついかが?♪

ダルニーの名の向こうに  


ダルニーの名の向こうに




『かつての日本の植民地の中でおそらく最も美しい都会であったにちがいない大連を、もう一度見たいかと尋ねられたら、彼は長い間ためらったあとで、首を静かに横に振るだろう。見たくないのではない。見ることが不安なのである。もしもう一度、あの懐かしい通りの中に立ったら、おろおろして歩くことさえできなくなるのではないかと、密かに自分を怖れるのだ。』

この書き出しで始まる「アカシアの大連」(清岡卓行:1969年芥川賞受賞)は、故郷の大連で出会った亡き妻との思い出を綴った私小説風の作品である。

アカシアの大連というタイトルと、この書き出しの文章だけで、見も知らない大連の情景が目に浮かぶ気になってしまうのは僕だけではないと思う。そして、情景だけでなくその心情にすら同化してしまうのではないだろうか。

想い出は年月とともに不純物が除かれ純化していく。遠い記憶ほど鮮明に覚えているのは、純化された記憶は劣化しないからだ。その純化した記憶のままに想い出の地を訪れてみると、大きく様変わりしていたり、記憶違いだったことに気づいたりする。古墳を発掘し陽に晒したのと同じで、純化していた想い出が瞬時に風化し色褪せ、ときには記憶そのものが消え去る。あれほど鮮明に覚えていたものが思い出そうとしても思い出せなくなるのである。思い出しても、はたしてこの記憶は正しいのかと自問してしまう。

“あの懐かしい通りの中に立ったら、おろおろして歩くことさえできなくなるのではないか”というのは、自分の中で純化し鮮明に残っている亡き妻とのあれこれが実際の通りの中に立ったとたんに風化し、記憶そのものが消え去ったらどうしようという不安からなのである。それは彼にとっては何物にも代え難い喪失なわけで、だからこそ彼にとっての大連は、“かつての日本の植民地の中でおそらく最も美しい都会であったにちがいない”ところなのである。

大連は遼寧半島(中国遼寧省・北朝鮮の少し西)の先端にある。大連はロシアがこの地を中国から租借し作った町で、パリの市街地を真似て作られたといわれている。モスクワから遠くアジアの東の端にあるため『ダーリニー・ヴォストーク』と名付けられた。ダーリニーは遠い、ヴォストークは東。極東という意味だ。
やがて日露戦争が勃発。この戦争に勝利した日本がダーリニーの租借権を得る。ダーリニーの中国語の発音に似た漢字を当てはめ「大連」となった。やがて多くの日本人が住むようになる。「アカシアの大連」の作者清岡卓行はそんなこの地で生まれ育った日本人の一人だった。彼は第二次世界大戦の敗戦で故郷を喪失してしまうわけで、加えて大連で出会った妻も亡くすという喪失感も重なりアカシアの花が香る大連の町を昇華させ作品にした。

この本が発刊された当時、多くの読者が大連に思いを馳せた。誰もが行ってみたいと思ったはずだ。日中友好条約が締結されたのは1972年のことなので、この本が発刊された1969年はまだ国交は途絶えていて中国は近くて遠い国だった。行きたくても行けない国だったからなおさら、作者も読者も大連に思いを馳せたのではあるまいか。

大連(ダイレン)は中国語読みだとダルニー。
繋がりましたね。冒頭のカレーの写真と・・・。

僕のカレーの原点である「ダルニー」の店名は「大連」だったのだ。このことを知ったのはごく最近で、カレーに関する何かをネットで調べていて知った。中学生の頃から気になっていた屋号の謎が解けとても感動したのだが、と同時に、これまではカレーの味だけに拘泥していた目が店主の方に向いた。

店主は敗戦で故郷を追われた大連からの引き揚げ者だったに違いない。「アカシアの大連」の作者同様、故郷を失ったがゆえにいっそう故郷に思いを募らせ、店の名をダルニーとしたのだろう。

僕の記憶の中で年月を重ね昇華し続けているダルニーの“純カレー”は、たぶん、大連仕込みの味なのだ。6人しか座れないカウンターだけの狭い店内で、ゆっくり黙々と大鍋を木べらで混ぜていたのは、ルーを焦がさないための所作ではなく、遠い故郷を思い身を焦がしている自分をなだめていたということなのか。半世紀前の阿倍野区晴明通りの、路面電車が走る風景は大連の町の景色と確かに似ている。だから停車場のそばに店を構えたのかと、今振り返ってそう思う。

彼には遠い遠い大連だが、僕も同じで、何度挑戦しても決して行き着けないダルニー(遠い)のカレーなのである。




おうおうおう、MSさんよ!  




おうおうおう、MSさんよ!


我が愛車、幻の名車といわれる「トヨタ2000GT」。
かなりのおカネをかけてカスタマイズし
メンテナンスを繰り返し、大事に大事に乗っている。

ある朝、車庫のシャッターを開けると
そこに愛車の姿は無く、かわりに新型プリウスが。

…てな感じ。

おう、おう、おう、マイクロソフトさんよ!

頼んでもいないのに、W10にすんじゃねぇよっ!

こんなんサイバーテロと同じじゃねぇかっ!

まん丸師匠のブログの文章だ。
Win10に勝手にアップグレードされた状況をクルマに例えた文章。面白い比喩だなと思った。ドサクサに紛れて自分の愛車をTOYOTA2000GTにしちゃってと思ったりもした。
だって、師匠の愛車は職業仕様のはずだから、トントントントン日野の2トンか、はーしれ走れ~いすゞのトラックだと思うから。
世の女性がご自身の容姿や服装に投資してカスタマイズし日々メンテナンスを続けても決して北川景子にはなれないように、いすゞのトラックがTOYOTA2000GTになるなんてことは決してございません。

僕の場合だと、愛車はスズキ軽のエブリーなので、新型プリウスになっていたら欣喜雀躍し、室内がクソ狭いプリウスは大嫌いなので即座に売り飛ばして新型エブリーを買い、残ったお金で3チャンネル同時録画ができるDVDレコーダーを買っちゃう。いま丁度、時間帯が重なっている韓ドラがあるんだよね。

んーと、クルマではなくWin10の話でした。
師匠の会社のPCはWindows7で、自社の業務に合わせてカスタマイズし業務に支障が出ないようにメンテを繰り返しながら大切に使って来た。それがある日、出社しPCを立ち上げたらオペレーティングシステムがWindows10に勝手にアップグレードされていて色々と不都合が生じたということなのだ。
エブリーがプリウスならまあ許せるが、日野の2トンがプリウスだと水道管やスコップやモルタルや各種工具や飲み物を入れたアイスボックスなどが積めないわけで、即、その日の業務に支障が出る。
師匠のPCはまさにその状態だったに違いなく、受・発注、工事図面作成、役所書類関連、会計処理(裏帳簿も含む)、NHK女子アナプロファイルなどなどの各種ソフトやファイルを新OSに対応させるため躍起になったということなのだ。他人事ながらこれは大変なことで、まさにサイバーテロ的出来事だったに違いない。

状況が想像できるだけに同情しきりだったのだが、なぜか、PCの前で右手にパイプレンチ、左手にシールテープを持ち呆然と佇む師匠の姿をイメージしてしまい、笑えた。
左手にミズノのグローブ、右手にファーストミットのバルタン怪獣姿の時よりも、笑えた。師匠の謎解きネタよりもうんと、笑えた。

通常誰もが、Windowsのアップデートを自動で行うように設定しているはずだから、それに乗じてマイクロソフトが勝手にwin10にアップグレードさせてしまったということなのだと思う。けれどもアップデートは主にバグやセキュリティ対策のためのはずだから、それを利用したこのこのやり方は狡い。

実は僕もWin10でなにかと不自由しているのだが、師匠のように、
おう、おう、おう、マイクロソフトさんよ!とは言えないでいる。
なぜなら僕の場合は、自分の意思でアップグレードしているから・・・。

だから、何に例えよう。
そう、舛添に投票した都民の心境なのである。

見えないモノに目を向けないと  




見えないモノに目を向けないと


空前の猫ブームなのだそうだ。経済効果は2兆6千億円にもなるという。空前の犬ブームが右肩下がりに転じる中、ついに猫が抜いた。正しくは猫派が抜いた。

「うーむ。これは由々しきことだ」とソフトバンクの孫正義が嘆息した、かどうか。

空前の犬ブームに便乗し犬をタレントに使ったCMで伸ばしてきた売上が下降線をたどり始めたからである。夢をもう一度、芸能界とCM界は柳の下にドジョウは2匹と、テコ入れに、スピッツ系の小型犬ポメラニアンを起用し、犬派の心情を再び揺さぶる作戦に出たのである。だがこれはマーケティングミスである。目先の効果は期待できても所詮は先細りだ。犬ブームの再現を狙ってもダメなのだ。後述するが犬派はある理由があって市場の拡大は無理なのである。

キャンキャン煩い小型犬のCMというと、思い出すのはサラ金企業アイフルのCMのチワワだ。あの犬、名前はなっだっけ。くうちゃん?
この、犬派を痛く刺激したCMが犬ブームの火付け役になった。われもわれもと犬を飼い始めたのである、アイフルなどのサラ金で金を借りて・・・。

あれから15年。いま、そのおかげてボロ儲けしているのが過払い金請求代行の弁護士事務所や司法書士事務所だ。「昨年度100万円以上の過払い金返金返金があった人は1万人以上!」のCMを垂れ流しているアレだ。1万人以上!が本当なら、司法書士新宿事務所の阿部亮は年間、100万円☓1万人以上☓20%(手数料)=20億円以上も稼いでいるのだ。こういうのを他人のフンドシで相撲を取るという。

大手サラ金業者はサラ金というダーティなイメージを拭うため都市銀行とタイアップし健全経営の体裁を整えた。「無理のない返済計画で借りましょう」と心にもないセリフで健全さを謳う。パチンコ業界の言う「パチンコやスロットは適度に楽しむ遊びです。のめり込みに注意しましょう」と同じだ。これは管轄庁・署からの指導によるもの。サラ金業界は借り過ぎ、パチンコ業界は遊び過ぎこそ大歓迎なのだから自ら自粛を促すようなことは言わない。見て見ぬふりの関係省庁も指導のフリをせざるをえないほど多重債務者が多いということだ。「読書の秋」の逆のケースだ。読書の秋など嘘もいいとこで、秋が最も本の売上が落ちる時期なのである。だから本を売るために「読書の秋」のキャンペーンを張ったのだが、それが定着して読書の秋になったに過ぎない。

サラ金と手を組んだ都市銀行にもメリットがある。堂々とサラ金業者に融資することで大きな利益がでるからだ。つまり汚れ仕事はサラ金まかせという隠れ蓑効果。
ご存知かどうか、是正されたとはいえ銀行金利に比べたらサラ金の金利は暴利以外のなにものでもない。
僕自身、会社を立ち上げた頃に資金繰りに苦労したことがあってサラ金数社から借りたことがある。1社30万円程度で4社だったと思うが、この僅か120万円の金を返すのに四苦八苦した覚えがある。金利が半端ではなく元金が減らず3年ほど金利をだけを払うような状態が続いた。幸い経営が上向き、銀行にからの信用がつき融資が受けられるようになったのと大きな受注があったことからサラ金の借り入れを一括精算することができた。運が良かったとつくづく思っている。運という言葉を使うほど、サラ金地獄からぬけ出すのは苦労するということだ。だからサラ金から借金するのはやめましょう。お気に入りのタレントが甘い言葉で誘っても・・・。

ま、この話はこれぐらいにして、世間には犬派と猫派が存在する。ソフトバンクのCMは犬派に偏ったものなわけで、猫派を捨てる決断をさせたほど犬派市場が大きかったということなのだ。その犬派市場に陰りが出始め柳の下の2匹目のドジョウを狙ってポメラニアンを起用した。起用が功を奏するかどうかだが、ある理由があって市場の拡大は無理だと書いた。



その理由は、猫派よりも犬派の平均寿命の方が短いからなのである。そんな話を酒を飲みながら長男としたのだった。
写真は我が家の長男のポンズ。酒に弱いのでコップに足をかけてだらしなく寝てますが。

なぜ犬派の方が猫派よりも平均寿命が短いのか。
猫を飼っていれば分かるが、体調が不良になると普段呼んでも見向きもしない猫が擦り寄ってくる。先日の、次女が風邪でダウンした時も擦り寄っていた。普段は近づきもしない妻のベッドの上で3日間ほど昼寝をしていたことがあって、4日目に妻がインフルエンザでダウンしたから、猫には体調不良の予知能力もあるのかも知れない。当然だが最も擦り寄って来る相手は僕だ。いつも体調不良だもの。

これはなぜか。猫は陰気の“陰”が好きなのだ。陰を吸い取りるのだ。犬は逆に、陽気の“陽”が好きなのである。だから元気な人の気を吸う。
動物の中で唯一恐ろしい化け方をするのが猫である。化け猫ですね。化け犬って聞きませんでしょ。チワワが化けて出てきても怖くないもんね。でも猫は怖い。なぜなら陰気を吸っているから。

昔から怪談物では必ず猫が登場する。行灯の油を舐めてニヤッと笑うと真っ赤な口が耳まで裂けて、丁度その時、なぜかお寺の鐘がごお~~~んと鳴る。

猫が化けるのは陰気や毒気を吸っているからだが、これはつまり、陰気や毒気を吸い取られた方は健康になるということ。逆に、犬は飼い主の陽気を吸い取る。陽気を吸い取って「元気だぞう。散歩に連れて行けー♪」三昧なので、飼い主は陽気を失い長生きできない。
日本は高齢で少子化。ソフトバンクが犬キャラで携帯を売ろうとしても犬派は短命だし若者市場のパイは少ない。これが犬で売るのは先細りだという理由だ。

犬好きの人と猫好きの人のどちらが長生きしているかというと、猫好きの方が20歳以上長生きするはずなのだ。確証的な裏付けデータは無い。
無いが、縁側で老婆が膝の上に猫を乗せて居眠りをしている光景はよく見かけても、縁側で老婆や老爺が膝の上に土佐犬や秋田犬を乗せて居眠りをしている光景を見かけることって、ありますぅ。無いでしょ。
これぞ犬好きが短命であることの確たる証拠なのである。

えっ、単に重いからだろうって。さあ、ニャンとも言えません。


ニャンとも言えませんが、次のようなことは言えると思う。
見えないモノを見る目を養うことが大切だということを。かつて伊達政宗は言った。
「小十郎よ。わが隻眼はモノを見ることができぬ。だが、人の心が見える」と。

堅い話はこれぐらいにして、見えないモノを見ようとすると、何の変哲もない一枚の写真からでも見えてくるものがあるという例を示しておこう。



女が、海を見つめている。
女は、茫漠と広がる海の彼方を見ている。海の彼方に思いを馳せている。
身体が少し左に傾ているのは撫肩でショルダーバッグがずり落ちやすいのか、骨盤がゆがんでいて体幹が斜めになってしまうのか、重すぎるバッグを支えるために肩に力が入っているかのどれかだと思うが、そういうことに気づかず女は、茫漠と眼下に広がる海の向こうを眺めている。

女が立っているのは沖縄の岬の絶壁なのである。
絶壁の端に立っているから、背中をポンと押してあげたいなと思ったとしても、実行してしまうとサスペンスドラマになり船越英一郎や片平なぎさの登場を待たねばならないので、我慢しなければならない。

女が無防備に背中を晒しているのは背後を心配していないからだ。だって、背後に心配事を山ほど抱えているゴルゴ13は絶対に背中を見せないからね。

この写真は後ろで優しく見守る誰かが撮った。
たぶんそれは恋人か生活を共にしているパートナーなのだろうと思う。もしも女友達だとしたらアート心のある友達である。普通の友達なら旅行のスナップ写真で友の後姿を撮ることなどはまずない。
後ろで見守っているのが男だとすれば、男は海の彼方を眺めている女を愛しく思い、ついシャッターを押してしまったのである。
でなければシャッターではなく背中を押したはずだ。背中を押していれば船越英一郎や片平なぎさが登場するのだが、船越や片平は主に小京都近辺を管轄にしているので沖縄までは出張しない。いや、何作目かの時に来たことがあったかな?あの時は片平ではなく名取裕子だったっけ?

ま、それはよろしい。
女は、絶壁に立ち海風に吹かれながら水平線の彼方に何を見ているのか。過ぎ去った昔の思い出なのか、それとも明日の夢なのか。
服の背中の皴の付き方でその人となりが分かると、さる高名な背中の皴評論家が言ったが、この女の麻70%ポリエステル30%混紡の上着の背中の皴は何を語りかけているのだろうか。

船を見つめていた 浜のキャバレーにいた 上海帰りのリル なのである。
リルは、夢の四馬路(スマロ)の霧降る中で 何も言わずに別れた瞳 なのだ。

女はリルのように、憂いを含んだ表情で海を見つめているのではあるまいか。
どんな表情だろうと、誰もが思うに違いない。そう思わせる後姿である。
だから、振り向いてもらいましたのさ。



「・・・」

別府葉子さんかい?
こんな写真を堂々と晒すあなたは、ほんに心の可愛い女性です。

ちょっと雑談  




ちょっと雑談


妻の同僚が僕のブログを読んでくれているらしい。妻はその人のことをK女史もしくはK先生と呼んでいる。単に年上という理由だけでだと思うが、女史的な雰囲気があるのは確かだ。どことなく掴みどころがない。
わが家にも何度か遊びに来ていてokapi君のヨットにも乗っている。Kさんが遊びに来る時はいつも同僚のSちゃんもやってくる。Sちゃんの口癖は無声音のフンを有声で「フン!」と連発することだ。半日で500~600回も言うものだから耳につく。やめろというと数分はやめるがすぐに再発する。妻のイビキに似ている。夜中に煩いので蹴飛ばすと止むのだがしばらくするとイビクのだ。(“イビク”。これ、いい表現かも)

妻は美人で働き者で性格も良いのだが、ただ一点、イビキがやたら煩い。イビイている途中で突然止まりガハッ!とイビクときがよくあるから、たぶん自分のイビキで窒息しているのだ。それほどのイビキなのである。騒音防止策として耳栓をしているがそれでも防げずかれこれ20年、僕の睡眠不足は続いている。もはや爆睡できるのは永眠のときだと思う。その日が待ち遠しい。

昨年、妻たちは会社の社員旅行でハワイへ行ったのだがその時の同室者がSちゃんだった。Sちゃんにイビキが煩くなかったかと尋ねたら妻の前なので正直に答えられなかったようで、「フン!」と笑って返事を誤魔化した。たぶん、時差ボケと睡眠不足で散々なハワイ旅行だったはずだ。Sちゃん用に耳栓を妻に託したのに妻は持っていくのを忘れたらしい。だからSちゃんはビーチが一望できる高級ホテルの一室で耳なし芳一の悲哀を味わった。気の毒に。

そのSちゃん、娘からオバサン域の分水嶺辺りにいる。山なら分水嶺も風情があるが女性の年齢の場合は分水嶺というよりも交差点で信号待ちをしている様と表現したほうがいいのかも知れない。人生とお肌の曲がり角を右に曲がろうか左に曲がろうかという思案六法・端境期なのである。そんなお年ごろの女性だ。ま、どっちに曲がっても一緒だけど。

初めてのわが家のミニライブの時も二人してやって来た。Sちゃんは「フン!」常習者であるだけでなくエンドレス・イーターでもあるので、「フン!」を言っていないときはひたすら食べている。豪快に食べるのではなく小鳥がエサを突くように羊が草を食むようにコツコツとひたすら食べるのである。箸休めに「フン!」と言いながら・・・。
そのミニライブの時、台所で料理を作っていた僕が居間に来てみると全員立ち上がりフラダンスを踊っていたのである。

妻の職場のある隣町はなぜかハワイが好きみたいで夏になると役場の職員は全員アロハシャツ姿になる。何の変哲もないテトラポットの浜辺に椰子を5~6本植えワイキキビーチと名づけたりしている。その自称ワイキキビーチで毎年フラダンスの催しがあるから、たぶん役場が奨励しているのだと思う。K女史はそんな町の住人なのでフラダンスメンバーの一人なのである。
盆踊りならどんなオバサンでも踊れるように、どんなオバサンでもフラダンスが踊れる町にしたい、というのが役場の住民課フラダンス振興係長山本誠氏の願いなのだと思う。

突然わが家がフラダンス講習会会場になったのは、メンバー一番の仕切り屋のOkapi君がK女史に「踊ろう。教えて!」となったのだと思う。で、突然、ギターライブ会場がフラダンス講習会会場になった。人生、一寸先はワイキキビーチである。

このように書くと、K女史はふっくらした体型の女性と思うかもしれない。だが全然真逆でスレンダーなのである。ならばと、スレンダーとフラダンスの二つのキーワードを重ねて若いころのアグレスラムをイメージするかも知れないが、それも違う。
トランジスタグラマー的に若いころは腰がクネクネと動いたアグネスも晩年は腹がクネクネとなる。これがフラダンス同好会で踊ってらっしやるオバサマたちの現実の光景だと思うが、K女史はそのタイプではない。推測の域を出ないがこれまでの人生で一度もアグネス・ラムになったことはなくビキニが似合うスレンダータイプではではなかったように思える。
そんなK女史が踊るフラダンス姿をなんと表現すればいいのだろう。真夏の青空、遠くに入道雲が見える海辺のおみやげ屋。その軒に吊るされた干物が浜風に吹かれてヒラヒラ舞っている様を想像していただきたい。そんな感じなのだ。
彼女自身そのことを自覚するところがあるのか、2度目のミニライブにもSちゃんとやって来たときに、Sちゃんがひたすら食べて「フン!」を連発する横で「ウクレレを買った」と言ったのだった。踊るよりも演奏方に回ろうということなのだと思う。

そのK女史、「すみません用事があって」とライブ半ばで帰っていった。「恋人が嫉妬深いので長居できないってK先生が言っていた」と妻。
知らなかったが、たぶん50歳を過ぎているはずのK女史には恋人がいたのだ。独身なので不倫ではない。50を過ぎたスレンダーな女史に恋人がいる。しかも孫もいるという。なんとも格好いいではないか。まるでボーボワールである。ならば恋人はサルトルと思いたくなるが、それは僕がフランス文学に精通しすぎていることによる思い違いで、ボーボワールでもサルトルでもないと思う。だって、ボーボワールがフラダンスを踊る横でサルトルがウクレレで伴奏している様をどう頑張ってもイメージ出来ないもの。イメージしたくもないし・・・。

むかし、ツール・ド・フランスの取材でパリにしばらく滞在していた時にサルトルやボーボワールが常連だったというカフェ・ドゥ・マゴに行ったことがある。たしかサンジェルマン通りのどこかの交差点角ではなかったかと思うが記憶は遠い。そんなあれこれを思い出していると、その脳裏を、浜風に吹かれてヒラヒラ舞う干物がよぎるのである。

フン!

意外すぎた一言  




意外すぎた一言




第二回ミニライブを行った。
妻のギター教室がらみの面々とヨット仲間や娘の学友家族など総勢19人も集まり狭いわが家は満員御礼状態になった。彼らの歌や演奏は格別上手というわけではないのでライブというのもおこがましいが、こういう場というか座というか、仲間で何かを囲めることに意義がありいいと思う。会議は回るだけで何も生まないが、場や座は文化を生むからである。

ギター歴だけをいえば参加者の中で僕が最もキャリアが長いはずで50年を超える。けれども僕は料理作りや接待に徹した。理由は簡単、ギャラの出ないステージで弾き語りはしないのだ。
なにしろ僕は、かつて日本中で大ヒットし、時の政府から放送禁止になった名曲「栄ちゃんのバラード」の作詞者の一人であり、かの新宿西口フォークゲリラ生み出した元祖。街頭でギターを弾き歌集を売りカンパを集め反戦運動の会計を賄っていたわけだから、お駄賃なしでギターは弾かない。
だから僕は、彼・彼女らが飲んで歌って騒ぐ様を優しい眼差しで眺め、かつて僕たちがアパートの一室で毎日のようにこうした光景を繰り広げていたこと懐かしく思い出していたりした。思うのは自由だから思わせていただくが、20歳の頃に戻ってみたいと切に思った。無限の可能性を持っていた頃に・・・。

70歳を目前にすると、振り返る過去のほうが長すぎて未来を考える時間が圧倒的少ない。しかも眼の調子が耳の調子が臭覚が体調が関節痛がなどなど、身体の不調に多くの気が取られて創造的思考が減退の一途。ま、ようするに老いの嘆きを抱える日々なのである。だから公私両面で最も充実し充足し札ビラで人生を謳歌していた40代ではなく、先も見えず不安だらけでも冒険心に溢れ無限の可能性を持ちコインで夢が買えた20歳の頃に戻ってみたいのである。

ショーン・コネリーに似ているそうなのだ。
と、突然、何の話と思うでしょ。僕もそう思った。
ダイニングテーブルを囲み女性たちと話をしていたらヨット仲間のOkapi君が僕の昔の容姿の話を始め、メガネを外せというから外したら、女性たちからショーン・コネリーに似てる♪と音符付きで言われたのである。「ジェームス・ボンド時代じゃないよね」というと「今の」なのだそうだ。
「今の」と言っても2016年のショーン・コネリーのことではないと思う。いや思いたい。
だって現在の彼は85歳だもの。
たぶん「ザ・ロック」や「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」や「エントラップメント」(キャサリン・ゼタ=ジョーンズはどうしているのだろう)の頃の彼だと思うのだ。ならば15~20年前なので辻褄があう。

自薦他薦で色々な人に似ていると言い言われてきたが、ショーン・コネリーに似ていると言われたのは意外すぎた。だから「どこが?」というのが正直な感想だった。



過去、僕が最も意外だったのはコロンビア人に間違われたことだ。どちらかといえばアラブ系だと思っていて、オマー・シャリフやジョージ・ハリソンに似ていたはずなのだ。





ツール・ド・フランスの取材で選手たちを追いかけていて、アルプスの山越えのステージの山頂付近で移動屋台の店先でフランスパンのホットドックを齧っていたら突然観客たちから腕を引っ張られ「急げ急げ!」と言われたのである。「お前の国の選手がトップで登って来たぞ!」と。それがコロンビアチームの選手だったのだ。
さらにボルドーあたりのステージの時だったと思うが、ゴールに向かうために車を飛ばしていたら猛烈な勢いでクルマ追いかけてきて並走し、後部席の窓から女性が半身を乗り出し「ゴールはどこ?!」とスペイン語で叫んだのだ。ゴールに着いてから彼女に聞いたところ、彼女たちはコロンビアのTV局のクルーで、僕をEl Tiempo(新聞社)の記者だと思ったらしい。「僕はコロロンビア人に似ているのか」と聞くと「純粋の」と言われた。
だから僕は後に、高倉方面のケンや渡辺方面のケンにシフトするのに苦労したのである。
乗ったタクシーで山本晋也監督に間違われるという嬉しくない望外の出来事もあった。そんな僕がショーン・コネリーに似ている?

ショーン・コネリーは若い頃よりも60歳過ぎたあたりからの澁さが僕はとても好きなのだが、まさか彼に似ていると言われるとは、これは望外の喜びだった。
色々と不調で自分の身体を持て余して、近年、二流俳優の嫌味ったらしい中尾彬に似ていないかと自分にうんざりしているところがあったので、彼女たちの一言は僕を大いに元気づけてくれた。



だからこれからの僕は、こんな感じで生きていこうと思う。


良いお年を!  




良いお年を!


白菜がグンと美味しくなってきました。
となると、キムチです。



白菜に塩をし重石をして6時間。
その間にヤンニャム(薬味)を作りました。



ヤンニャムは大根の千切りにニンニク、生姜、魚醤、アミの塩辛、刻みリンゴ、青ねぎ、韓国産の甘口の中挽き唐辛子と実家の激辛唐辛子で作りました。一枚一枚に丁寧にヤンニャムを挟み込んで壷へ。



3日後ぐらいにから浅漬けで食べ始め、日を重ねるにつれ発酵して酸味が出てきたものをこの酸味は乳酸菌が発酵し炭酸がシュワッと弾けるような爽やかな酸味です。そののシュワッシュワッ感がたまりません。



どんなキムチができるか楽しみです

今年もあとわずかになりました。
今年はこれでブログ納めとさせていただきます。
良いお年を!


  





Merry Christmas







免許皆伝  




免許皆伝


最近よくヨットに乗っている。で、ふと思った。免許証はどこ、と。
船は船長免許といい、乗船者の一人が免許を持っていれば無免許の人も操船できる。だからオーナーが携帯しているだろうと思い自分の免許に無頓着になってしまっていた。
船舶操縦免許も自動車と同じで有効期間がある。更新しなければ失効してしまう。
長年、ヨットには愛用のセイルバッグを持参する。免許証も入れていたから、セイルバッグの中にあると思い込んでいた。だがセイルバッグの中に無い。ちょっと焦ってしまい、あちこち探し回った挙句、机の引き出しの奥で見つけた。
有効期間は平成30年3月まで。失効していなかった。
免許証が見つかって一安心だったのだが、再び、ふと思ったのである。船舶免許に関して以前に書いたことがあるなと。見つけました。以下はその文章です。



これが小型船舶操縦免許。名刺大で水に濡れてもいいようにプラスチックに印刷されている。右の黄色円内が僕が持つ免許の種類。1級・特殊・特定と印刷されている。
免許は1級・2級と特殊の3タイプがある。「1級」は航海区域無制限なのでこの免許があれば世界のどこへでも航海できる。
「2級」は2タイプあって、海岸から5海里(約9km)以内と、湖川小出力限定、つまり海の航行ができないものの種類。(ただし平水区域といって、大阪湾などの湾内は可能)「特殊」は水上バイク専用免許。「特定」は遊漁船や屋形船などの営業船の操縦ができる。
僕の免許には3つ全て記載されているが、特殊も特定も勝手についてきた免許。遙か昔に1級を取得したので、その後の免許制度の変更で自動的に増えたのである。

この小型船舶操縦免許を見て、ん?と思われた方は鋭い!
これは変な免許なのだ。どう変かというと、「1級」が航海区域を示しているのに、「特殊」と「特定」は乗り物を指定しているから。ね、変でしょ。もう一つ、水上バイクって船なのと思いませんか。どう見たって陸上科・バイク属でしょ。
この変な免許をそのまま解釈すると、僕の免許の場合、水上バイクで屋形船を引っ張って太平洋を横断してもOKになっちゃいます。

さらにもう1つ。世界のどこへでも行ける1級免許を持っていても、特殊を持っていなければ水上バイクに乗れません。水上バイクなんてアクセルさえ吹かせば走る超簡単な乗物。大型2種免許を持っていても三輪車には乗れないといっているようなもの。

でも、もっともっと変なのだ。
小型船舶免許があるのは日本だけなのである。アメリカもオーストラリアもニュージーランドもプレジャーボートを操縦する免許など無いのだ。海外では通用しないからこの免許証は「1級」であっても日本語表記だけなのである。

この、日本だけの免許、携帯風に書くとガラ免(ガラパゴス免許)を作ったのは日本のドンといわれた笹川良一だ。日本船舶振興会を作り小型船舶免許を作った。何もない所に税収源を生み出しのである。そして競艇と船舶免許関連で莫大な資産を手にした。

笹川良一と佐藤栄作は第二次大戦の上海で戦争のどさくさにまぎれて軍需物資の横流しや中国人労働者から暴力的な搾取をして莫大な裏資金を作ったとされ、敗戦後A級戦犯として投獄される。だがGHQ(米国進駐軍)から、傀儡政治をやるという条件で釈放される。佐藤栄作は後にノーベル平和賞を授与されるが、勝てば官軍というか、一将功成りて万骨枯るというか・・・。
ちなみに岸信介は実兄。その岸信介の娘婿が安倍晋太郎、息子が安倍晋三首相である。安倍の妻の昭恵の母恵美子の祖父の森永太一郎が森永製菓の創始者。

ま、笹川・岸・佐藤ラインは限りなく黒いのである。その笹川が金の生む木として誕生させたのが競艇や船舶免許なのである。水上の利権で肥え太った笹川に対し、陸の利権で肥え太ったのが政界の黒幕といわれた児玉誉士夫。笹川と同じ右翼活動家で共にCIAのエージェントだったといわれている。児玉は陸の運輸関連のタクシーやトラックの許認可がらみの利権で莫大な資産を増やした。ちなみに毎年長者番付ベストスリーあたりに名を連ねる自民党の笹川堯はドン笹川良一の次男である。
そんな魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈する自民党に再び政権をまかせているなんて、われわれって無知蒙昧ではございません?

昔の小型船舶免許はA4三つ折りの表彰状のような立派なもので、菊だったか桐だったかの紋章が入っていた。馬鹿らしかったのは4級免許なのに日本語だけでなく英語でも表記されていたことだ。だって、当時の4級は今の2級免許と同じで航行できるのは岸から5海里(約9km)まで。日本のどこを探しても英語圏など無いんだもの。

まだある。小型船舶操縦免許を取得してもヨットには乗れない。いや、乗れるけれども操船ができない。なぜなら、1級免許の筆記や実技試験はかなり難しいのに、ヨット関連の問題が一問も出ないから。つまり、小型船舶操縦免許の取得にヨットの知識もヨット操船技術も必要ないのである。でもヨットを動かすのにヨットと無縁の船舶操縦免許がいる。変でしょ。

最後にもう一つ。
ヨット乗りには許せないこの免許制度。だから腹立ちまぎれに、水上バイクで屋形船を引っ張って太平洋を横断しようとするアホな海の男がいるかも知れない。が、それもできないのである。なぜなら船体にも沿海・近海・遠海仕様があって、外国へ行くには遠海仕様の備品を積まなければならないから。例えば、沿海だと救命浮輪でいいが遠海だと自動膨張式の救命いかだを載せなければならないのだ。

全長10m程度の小型モータークルーザーでも1級免許を持ち、船を遠海仕様にすれば太平洋を横断することが可能だ。だがこれは机上の空論で実際には不可能だ。
横浜~サンフランシスコの直線距離は約8300㎞。時速20㎞で航海できたとしても約20日間かかる。消費燃料を300L/日とすれば最低でも6000L必要になる。ドラム缶換算で30本。タンクローリーを曳航していかないと・・・。

小型船舶で長距離航海できるのはヨットだけなのである。
なのにこのインチキ免許のザマッたら !

と、毎回、更新のたびに文句たらたらなのであります。


あなた変わりはないですか  




あなた変わりはないですか


昨日までの中途半端な天候から、まるでスイッチで季節を切り替えたように冬の天候になった。風も強く北西の10m近い冷たい風が吹いている。
日曜日にヨットに忘れ物を取りに行ったのだが、常夜灯の灯る桟橋に舫われたヨットと風に吹かれて鳴るリギンの音にしばし瞑目し冷たい風と桟橋の揺れを身体で味わった。 夜のヨットハーバーは心地よい。
そして、明日から冬支度だなと思いつつ帰宅した。
昨日こたつを出し今日は5の扇風機を分解掃除し押し入れに仕舞い代わりにストーブを出した。
ここから先は昨年12月に掲載した文章です。

  雪の降る夜は 楽しいペチカ
  ペチカ燃えろよ お話しましょ
  昔むかしよ 燃えろよペチカ

北原白秋の詩に出てくるペチカは暖炉の一種。ロシア語のペーチカ(печка)のこと。親戚筋にトーチカがいらっしゃる。要塞というか、コンクリートや土嚢で作った軍事施設のことで、ロシア語だとточка。構造的に暖炉と似ているかも。
さもロシア語が分かっているように書いているが、ロシア語はできません。少し学んだことがあるモンゴル語がロシア文字(キリル文字)なので読めるだけのこと。読めても意味は分かっていない。挨拶程度はできますが・・・。
「オバちゃん。その、揚げたての熱々のピロシキ3個頂戴!♪」って、ロシア語でどう言ったっけ。忘れました。

わが家にはペチカはないのでストーブ。長い間灯油温風ヒータータイプのストーブを使っていたのだが、3年前から普通の灯油ストーブになった。温風ヒーターのストーブは幼かった娘たちの安全を考えてのこと。娘たちも大きくなりその心配が無くなったのと、わが家は温風ヒーターストーブと相性が悪いのか、15年間で4台も買い換えさせられたのが、普通の灯油ストーブに切り替えた理由だ。

石油温風ストーブの買い換え原因はいずれも故障。最初の時は修理に出したのだが原因はヒューズ切れだった。その、たかがヒューズの交換に1万3千円もかかったのである。本体が4万円ぐらいだったから修理費比率33%。異常に高すぎた。
最近は分解してみないと故障の原因が分からない器機が多い。温風ストーブも分解して初めてヒューズ切れが原因と判明。ヒューズの値段などしれているから、修理費のほとんどは分解と組み立て、原因検査費なのである。300万円の車がエンストしたので車を解体して調べたら原因は点火プラグの不良。点火プラグは1本千円だったが、分解したエンジン、解体した車を現状に戻す費用に100万円かかったみたいなものなのだ。バカらしいでしょ。
このことがあってから、故障すると新品に買い換えることにしたのだが、わが家の場合、1台の寿命が3~4年だったのだ。コストパフォーマンスの悪さもさることながら、自分で修理できない構造なのが歯がゆい。
昔のストーブは調子よく使うために自分で手入れしたものだ。分解掃除はもちろん、芯やバーナーの取替えも自分でやったし、個人でも出来る構造になっていた。





そんなストーブの一つに英国製のアラジンがあった。デザインは英国っぽく無骨だが、小さな窓の向こうで綺麗なブルーの炎で燃えた。芯にタールや煤がつきだすとブルーの炎の先端が不完全燃焼で赤くなる。それが芯の掃除をする目安で、こまめに手入れをしたものだ。芯が綺麗なのにブルーの炎に赤い色が混じると、それは室内の空気が汚れているというサイン。入り込む冷気を我慢して窓を開け放ったものだ。



もう一つ、米国製のパーフェクションというストーブもあった。こちらはホーローびきで、胴のところが全面ガラスになっていてオレンジ色の炎で燃えた。熱効率はアラジンと同じようなものだったが全面ガラスやアールデコっぽい柔らかいデザインだったので、アラジンよりも暖かい感じがしたものだ。
どちらも使ったが、パーフェクションの方が好きだった。ただ、アラジンは上にケトルを乗せたりできたが、パーフェクションはトップ部分がドーム型(平らなタイプもあった)だったので天板で湯を沸かすというようなことができずそれが少し不満ではあった。パーフェクションも分解が可能で、ガラスの胴の部分が煤けてくると定期的に分解しては芯の掃除やガラスを磨いてやったものである。

アラジンもパーフェクションも、当時の日本ではちょっと洒落たストーブで、置いているだけで洋風の香りがしたものだ。価格も高かった。4~5万円はしたのではなかったか。国産品の3倍以上の値段だったと記憶している。当時住んでいた公団住宅の1DKの家賃が1万3千円。家賃の3か月分を超えた。アラジンは自前で買ったが、パーフェクションは競馬で勝った金で買った。その頃は競馬で勝つとモノを買いその馬の名前を書いて貼ったりしたものだ。パーフェクションを買ってくれた馬はなんという名だったか、古い話なので忘れてしまった。
エアコンもカラーテレビも馬が買ってくれた。アメリカのシアーズから取り寄せた40万円もする600L入りの大型冷凍冷蔵庫は出版した競馬本の印税で買った。
1週間分の食料を買い込み、たっぷりの冷凍食品を詰め込んでお洒落に生活しましょ♪のつもりだったのだが、アメリカ製のこの方、図体がデガイだけでなく音もデカクて建物の棟全体がブルブル震えるほど。日本のウサギ小屋には不向きで、夜は眠れないし苦情は出るしで、半年待たずに祖国に帰国していただいたのだった。

パーフェクションは丈夫で長持ちした。結婚直前まで前まで使っていただろうか。
アラジンもパーフェクションも引越しを重ねるうちにどこかへ消えた。誰か友人にあげたと思うのだが、さて、誰だったのだろう。



今使っているストーブは国産のコロナ製の反射型。何の変哲もないというか、面白味のないデザインのストーブだ。けれども天板で芋や餅が焼ける。焼きおにぎりも、シチューも仕込める。熱燗とっくりの首つまんで、ということもできる。毎日何杯もコーヒーを飲むから、注ぎ口が細いケトルを乗せておけば、いつでも美味いコーヒーをいれることができる。温風ヒータのように電源不要なので停電でも使える。

だから、まあ、気に入っている。



でも、次はレインボーのリング炎が幻想的なトヨトミのこれかなと・・・。




なんだぁこりゃあ!?  




なんだぁこりゃあ!?




驕る平家は久しからず ゆるむ身体は止め難し と申します。
ご本人の名は伏せます。関西在住のシャンソン歌手とだけ書いておきましょう。

どこの誰かは知らないけれど 誰もがみんな知っている と歌にあります。
この強烈なインパクトったら!
疾風のように現われて疾風のように去っていくのです。忙しい人なのです。
誰かというと月光仮面。
 月光仮面のオジサンは
 正義の味方だよい人だ
 月光仮面は誰でしょう 
 月光仮面は誰でしょう~~♪

この歌を作った人はすごいです。なにしろ歌が出来た当初の月光仮面の世間の認知度は、関係者ですらどこの誰かなのか知らない人がいたぐらいだったのです。それにもかかわらず誰もがみんな知っていると断言したところに作詞者の優れたマーケティング能力が見て取れます。月光仮面は超メジャーな存在になりますもんね。

脱線いたしました。
関西在住のシャンソン歌手の彼女も誰もがみんな知っている存在だといいのですが、残念ながら鋭意活躍中なれどまだその域に達しておりません。
その彼女が「どうも最近ゆるんできたな」と思ったのでした。ご本人は最近のことと思われているようですが、実はゆるんできたのは昨日今日のことではないのです。
1年以上前のユーチューブに掲載された動画で、時間に追われステージに向かって廊下を走る彼女の姿が映っていたのですが、たっぷんたっぷんと豊満な胸だけでなく全身が波打っていたのでした。その時点でもう、一朝一夕で完成したたっぷんたっぷんではございませんでした。
彼女はブログで次のように述べていました。
「体力維持、体型保持のための努力というのは、やっているわけですよ、いろいろ。」と。
それでそのたっぷん?と言ってはなりません。いろいろとやって来たおかげで現状が維持できていると思ってあげなければならないのです。もし何もやってこなければ床に落としたソフトクリームのような身体になっていたのですから。

今のそのたっぷんぶりをなんと表現すればいいのでしょう。ゼラチンの少ないゼリーというか、なめ茸の瓶詰の80%なめ茸瓶ではなく60%なめ茸瓶というか、自然薯ではなくハウス山芋というか、木綿ではなく絹ごし豆腐というか、そういう緩さなのです。多少の衝撃なら吸収しちゃうもんね♪といった衝撃吸収たっぷんぶりと申せましょうか。

そんな彼女が湯船に浸かりながら二の腕を見、次いで三段のお腹をみたのです。
そして一人ごちます。
この三段腹に縦に一筋入れば腹筋6分割のイシンバエワなのに、と。



無理でしょ。
腹直筋や外腹斜筋や内腹斜筋を鍛えることで6分割になるのであって、ぷよんぷよんのお腹に縦に一筋入ってもみそ汁の具にいれるために絹ごし豆腐を6分割にしたにすぎません。なによりも、イシンバエワとは脚の長さが違います。
ま、彼女の場合、腹筋を鍛えて重いバンジョーを弾きこなそうという意思はあっても棒高跳びをしようとは思っていないでしょうから脚の長さは関係ありませんが・・・。



で、購入されたたのです。ワンダーコア・スマート。
見た目がかわいい腹筋マシーンです。剛力彩芽が笑顔でキャッ!的なCMをやってますから、イージーな感じがしますが、あれはオトリです。関西在住のシャンソン歌手さんも自身のブログで書いていますが、実際はけっこう厳しくキツイです。僕も家電量販店で体験しましたが、僕のお腹にはかなりきつかったです。

正直に申し上げましょう。
このマシーンで腹筋運動が続けられる人は、このマシーンがなくても腹筋運動を続けられる人です。かなり忍耐と根性を必要とするマシーンなのです。恐るべし剛力彩芽!



わが家のワンダーコアです。僕は剛力彩芽よりも神戸出身の北川景子の方が好みなのでこちらにしました、ウイッシュ!
※北川景子がこのCMに出ているわけではありません。

このマシーンを購入したのは腹筋を鍛えるためではありませんでした。家電量販店で体験してみて、背筋をエビ反りする心地よさに惹かれたのでした。簡単にぎゅーとエビぞりができます。普段あまり背筋を伸ばしたり反らせたりしないだけに気持ちいいのです。

腹筋運動は足首を押さえてもらってやると楽です。ワンダーコア・スマートは足首が押さえられないのでキツイです。でもこちらのワンダーコアは足首が掛けられますから起き上がるのが楽にできます。スプリングが背中を後押ししてくれますからより簡単に起き上がれます。腹筋に負担がかかりません、って、腹筋強化にならんじゃん!

そうなのです。スプリング3本では楽すぎて、つまり腹筋にあまり負担がかかりませんから効果もさほど見込めません。でもまったく効果がないわけではありません。慣れてくればスプリングを減らして2本、1本にすれば運動がきつくなります。
昨日まで何の運動もしていなかった人が突然しゃかしゃか腹筋運動なんて無理に決まっているではないですか。水前寺清子も1日一歩3日で三歩と言っておりますでしょ。しかも三歩歩いて二歩下がる、人生はワンツーパンチだと。人生も腹筋も行きつ戻りつなのでありますね。

ワンダーコア・スマートは座部が回転して腰のツイスト運動ができるようですがワンダーコアも座部が回転します。両足を上げてツイスト運動するだけでなく足首を固定してツイスト運動ができますのでかなり効きます。

関西在住のシャンソン歌手さんはブログの最後で「さっそくやってみたけど、思ったよりキツイです。さて、どうなることでしょうかね…」と申されておりました。
購入したその日にすでに後ろ向き発言。一芸に秀でた方なので根気や忍耐力のある方だと思うのですが、そんな人に「さて、どうなることか」と言わせてしまうほどキツイ腹筋マシーンということなのでしょう。

では僕の方のワンダーコアはどうなのか。ひょこひょこやりながら松竹新喜劇を見て笑い、CMタイムは背筋を伸ばしてあくびをしていますから気楽気楽。椅子代わりです。
そんな僕も申しておきましょう。
「さて、どうなることでしょうかね…」と。
僕の場合はキツイから継続できるのかではなく、これで腹筋運動になるの?という意味ですが・・・。

ちなみに僕は2週間ほど前から週に3回ほどプールで1時間ほど泳いでいます。泳ぐのは全身運動だし身体が浮くので気分もいいからです。今シーズンはかなりヨットに乗りました。体力の無さを痛感したのでした。デッキの上でヨタヨタしていてはみっともない。Old Saityの名が泣きます。
なにもしないと身体が固くなります。それをほぐすだけでも身体の動きがよくなります。ワンダーコアもプールも体力保持が目的なのです。
階段の上り下りが少し楽になってきています。


  




36年前に何があったのか・・


やっぱり面白いのですよ。コメントが書き込めないのが残念なんですね。
以前にも勝手に紹介させていただいた『「固い体の改善日記』のことなんですけどね。

固い体の改善方法に関しては進展がないのか、前回以降1ミリ分の改善方法も書かれておりません。まあそれはいいのです。前にも書きましたが、僕もかなり体が固いので分かるのです。体の硬軟は相対的なものなのでアスリートや中国雑伎団のメンバーでもないかぎり日常生活には格別支障はないということを。
僕の場合、秋の村祭のリンボーダンス大会で毎回初戦敗退して悔しい思いをする程度の支障しかありません。
だから、「固い体の改善日記」の看板に偽りがあっても実害はないと思うのですね。体は固いが頭はかなり柔らかい。それがこの店の主人の特徴です。

ある日の日記の、『悲しみが多いほど』もそんな一つでした。いつものように無断掲載しつつ、感じたところを書いてみたいと思います。

『悲しみが多いほど』に続く書き出しが、

お、
ピンときました?


この軽い出だしの一文で、「悲しみが多い」という深刻そうなテーマが、「違うのかも」と読者に思わせます。正座して拝読するつもりの気分を、漫談の客になったようなリラックス気分にさせてくれました。そして、ピンときました?の続きが、

海援隊の
「贈る言葉」の歌詞の一部。

“人は悲しみが多いほど
人には優しくできるのだから”


僕は正座を崩してリラックスしていますから、即座に、若い頃の武田鉄矢の顔が思い浮かびました。彼はデビュー当時から、数あるフォークユニットの中でも図抜けて顔が大きく老け顔でした。真っ黒のウイックを被ったようなヘアスタイルも含めて、垢抜けしないオッサン顔でございました。
コラッ鉄矢 なんばしようとかねこの子はテレッとして・・・でしたっけ?

あたしが
小学生の時でしょうか、
初めて聞いた時の
衝撃ときたら…

『人には優しくできる』だ??

出来ない。
そんなこと出来ないです、

自分がとても悲しい時に
人には真逆となる優しい対応なんて。
(よっぽどその時、悲しい事があったのね)


当時小学生だった彼女は、この歌を聞いたその日もしくは前日に、とても悲しい出来事があったのです。
小学生の悲しい出来事って何だったのだろうと思ってしまいますが、その悲しみを乗り越えて立派(かどうかは知りません)な大人になっていますから、それほど大した出来事ではなかったのでしょう。本人も何があったのか思い出そうとしますが「よっぽどその時、悲しい事があったのね」と他人事のように言うだけで、思い出せなかったのです。

だから例えば、飼っていたヒヨコが死んだとか、食べようとしていたマーブルチョコの容器を落としてチョコが散乱。運悪く外だったので、転がって溝に落ちたり土にまみれたりで、3分間ルールを最大に適用しても半分しか回収できなかったとか、運動会の徒競走で衆目の中でずっこけて泣いたとか、学芸会の主人公に立候補したのに選ばれなかったといった出来事だったのでしょう。とにかく、そんな時に「贈る言葉」を聞いたのです。
だから自分がとても悲しいときに人に優しくなんて、「出来ない。そんなコト出来ないです」と小学生のミヨちゃん(仮名)は思ったのでした。

「贈る言葉」は1979年にリリースされました。今日は平成27年。
36年も前のことを、彼女は突然思い出したのです。なぜ突然思い出したのかは書かれていませんので推測の域を出ませんが、竹下景子とモト冬樹司会の『名曲ベストヒット歌謡』の再放送で「贈る言葉」を聞いのではないかと思うのですね。片膝立てて、冷え性対策に足首にデカ粒ピップエレキバンを貼りながらテレビを見ていたときに・・・。

当時小学生だった紗理奈ちゃん(仮名)も今は足首にデカ粒ピップエレキバンを貼るアラフォー。彼女とほぼ同じ歳の僕の妻は、体が固い彼女が「出来ない・・」と悩んでいた丁度そのころ、自転車で田圃のあぜ道を走っていて疎水の溝に転落して大怪我をしております。
体が固かったハン・ジミン(仮名)さんはその後、沈思黙考型になって行きますが、妻は頭よりも体を使うアスリート型になりました。人生って、どう転ぶかで、先は分からないものですね。
人は誰でもココロの中に転がる石を持っていると、ミックジャガーも言ってますもんね。
いいえ、胆石のことではございません、ですよ。

う~ん、
何と言えば伝わるかな~。。


と、アラフォーになった今、「例)※もう小学生の時は忘れて下さいね。」と前置きして、出来ない。そんなこと出来ない理由を、どう説明しようか考えます。
片膝立てて足首にデカ粒ピップエレキバンを貼る姿勢のままだと固い体が辛いので、ノートブックが置かれている机に場所を移し、今度はノートブックに頬杖をついて、どう説明したら伝わるだろうと考えたのです。
そしてモニター画面に向かって独りごちました。

う~ん、何と言えば伝わるかな~。。と独りごちたその時、閃いたのです。
あれだ、パチンコだと。

それは次のようなものでした。

パチンコで開店から閉店まで粘っての大負け。
まだ月初めなのに、
すでに先月の給料を全てつぎ込んでしまった。。

憔悴しきって店を出る時、

店員「(大声で)ありがとうございました!」



そのとき、

店員に優しく出来ますか?

「お仕事、遅くまで大変だね。また来るよ。」

みたいに。

無理。


なんという例でありましょう。パチンコで遊んだ経験のある人なら、心の中を寒風が通り抜け茫然自失の体でパチンコホールのフロアに佇んでいる自分の姿を鳥瞰図アングルで眺めているシーンが目に浮かぶはずです。
「自分がとても悲しい時に、人に真逆となる優しい対応なんてできない」ことの証明に、これほど的確な例がありましょうか。

耳をつんざくBGMや騒音が消えた閉店前の店内は、パチンコに勝っていてもココロ寂しいものです。こんな夜中までオレ(わたし)は何やってんだと・・・。
勝った時でもそうなのに、開店から閉店まで粘っての大負け。その悔恨と悔しさと空しさは体験者でなければ分かりません。篠原涼子も歌っています。

悲しくて 泣きたくて 叫びたくとも 言葉にできない と。
派遣で稼いだ金が消えちゃったじゃないかと。

体の固い彼女もたぶん、2度や3度は同じ体験をしているのです。給料を使い果たしてしまったこともあるのかも知れません。そう思うのは僕にも経験があるからで、閉店前の店内のシーンがリアルの目に浮かびます。

競馬や競艇でオケラになって帰るのはまだいいのです。一攫千金を夢見て行ったのですから。千円が百万円なるかもと思っていたのだから。完敗するかもという予感も財布に詰めて行っているから。
でもパチンコは違います。どう頑張っても千円が百万円に増えることはありません。開店のお座り一発で大当たりし11時間後の閉店まで大当たりが続いても百万円分の玉やコインが出ることはありません。パチスロのART機種のショボさは、まるで封筒貼りの内職のようなもの。物理的に無理です。勝ってもせいぜい数万円。だから小遣い稼ぎのつもりのパチンコです。一攫千金なら完敗しても諦めがつきますが小遣い稼ぎのつもりのお遊びでの大負けは、このショックは、ものすごく大きいのです。ショックが大きすぎて、

憔悴しきって店を出る時、

店員「(大声で)ありがとうございました!」



そのとき、

店員に優しく出来ますか?


と彼女は言います。
できません、と僕は彼女に相づちを打ちました。


「仕事、遅くまで大変だね。また来るよ。」

みたいに。

無理。


僕も無理です。
どれだけ可愛い店員に「ありがとう」と言われても・・・。

ここで場面は暗転します。
耽っていた物思いから醒め、彼女は自分は今、パチンコ台の前に座っているのでも、憎っくき「パーラーおいでやす♪」の閉店前の店内にいるのでもなく、PCの前に座っていることに気づきます。
我に返った彼女は、次のように書いています。

そう、無理なんです。
下手すれば掴みかかるほど憎いでしょ?


「人は悲しみが多いほど 人には優しくできる」という鉄矢に、
なんばいうちょるか!なのであります。強烈なアンチテーでございます。

だが、だがであります。
彼女の傷はまだ浅い信濃路です。あした私は旅に出るのです。

彼女は閉店まで粘っておりました。店員に掴みかかりそうな元気も残っているのです。
閉店まで居座り、店員の「ありがとうございました」の声を聞くということは、道中どれだけ負けていたとしても、最後の最後に大当たり中だったのです。それが投資の見返りとしては焼け石に水程度であったとしてもトータルロスではないのです。帰りに吉野家で牛丼の並に玉子を奮発する程度の金は残ったのです。

完膚無きまでに一文無しになるとですね、店員に掴みかかる元気すら残っておりません。
世の中には、負けが込んだギャンブラーが掃いて捨てても一向に減らないほどいるのに、せいぜい台を叩いてウサを晴らす程度で焼き打ちなどの暴動が起きないのは、その元気すら残っていないからなのです。

それでも都会はまだいいです。寂しく牛丼を食べたり、金は持っていなくてもツケのきくスナックで憂さ晴らしができますから。田舎のパチンコ屋の場合はそうはいきません。牛丼屋なんて車で20分だぞ。飲酒運転だから飲めないし、運転代行頼む金も無し。
満車だった広大な駐車場にいまは車が2~3台。店の照明も落とされています。そのなんと侘びしいことか。そういうことなので、

作詞した人(鉄也?本当??)は
自分を律して相手を思うことのできる
凄い人なんだなって思うんです。


と、彼女は鉄矢に敬意を表するわけですが、ホントに凄い人なんですよ鉄矢は。
だって「贈る言葉」を歌ったその年に3年B組の教師になり、それから32年間も教職を勤め上げた人なのです。途中、有給をとって幕末時代に旅行し、緒方洪庵になって南方仁に会ったりもしています。偉人です。

“人は悲しみが多いほど
人には優しくできるのだから”

なんて。。
自分がそういう経験をしない限り。

なので、
まあもうあたしも大人ですが
そーゆー、どんな時にも相手を
思いやる余裕を持った心を持ちたいなと
ずっと思ってる訳です。


「まあもうあたしも大人なので」以降の文はなんとなく投げやりな感じがいたします。
なので、「思いやる余裕を持った心を持ちたいなと ずっと思ってる」というのは、文章の〆をどうするか考え、とりあえず適当に書いてみただけだと思うのですね。

固い体を1㎜でも改善したいと思っていても1㎜も改善できていないのは、彼女が飽き性で怠惰だからではなく体の硬軟は相対的なものだから。優しさも同じ。優しさも基準など無く相対的なものなので、鉄矢のように思いやる余裕を持った心を持ちたいなとずっと思ってはいても、思うだけなんですね。

実は僕は、海援隊のデビュー当時から武田鉄矢がどうも肌に合わなかったのです。そのせいかどうか、32年間も放映されていた「3年B組金八先生」を一度も見たことがありません。
固い体の改善日記の『悲しみが多いほど』を読んで、その理由がなんとなく分かったような気がしたのです。あるいは僕も、「人は悲しみが多いほど 人には優しくできるのだから」という、なんとなく納得してしまいそうな美辞麗句的な歌詞に、無意識のうちに胡散臭さや否定的な気持ちを抱き拒絶していたのかも知れないと思ったのでした。だから肌が合わないと・・・。

原文を切り刻んで載せてしまいました。以下に原文を体裁通りに掲載させていただきます。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


『悲しみが多いほど・・・』



お、
ピンときました?


海援隊の
「贈る言葉」の歌詞の一部。


“人は悲しみが多いほど
人には優しくできるのだから”




あたしが
小学生の時でしょうか、
初めて聞いた時の
衝撃ときたら…


『人には優しくできる』だ??

出来ない。
そんなこと出来ないです、

自分がとても悲しい時に
人には真逆となる優しい対応なんて。
(よっぽどその時、悲しい事があったのね)


う~ん、
何と言えば伝わるかな~。。



例)※もう小学生の時は忘れて下さいね。

パチンコで開店から閉店まで粘っての
大負け。
まだ月初めなのに、
すでに先月の給料を全てつぎ込んでしまった。。

憔悴しきって店を出る時、

店員「(大声で)ありがとうございました!」




そのとき、

店員に優しく出来ますか?


「お仕事、遅くまで大変だね。また来るよ。」

みたいに。









無理。

そう、無理なんです。
下手すれば掴みかかるほど憎いでしょ?

どうしても自分の悲しさ優先なんですね。。


なので
作詞した人(鉄也?本当??)は
自分を律して相手を思うことのできる
凄い人なんだなって思うんです。

あんなセリフ出ないですよ、

“人は悲しみが多いほど
人には優しくできるのだから”

なんて。。
自分がそういう経験をしない限り。


なので、
まあもうあたしも大人ですが
そーゆー、どんな時にも相手を
思いやる余裕を持った心を持ちたいなと
ずっと思ってる訳です。





決して
武田鉄矢氏を過剰にリスペクトしてる訳ではない点、補足。


以上。全文です。



やっと  




やっと


ようやくPCが届いた。1か月以上を要した。サポート窓口とあれこれあって、かなりうんざりさせられた。気が短い僕としてはよく耐えた方だと思う。返品し他機種、あるいは他メーカーのPCを購入する方法をとらなかったのは、注文したPCのスペックと価格が魅力的だったからに他ならない。

まだ使い始めて数時間だが、新しいPCはすべての動作が快適で満足している。
あとはwin8のメニュー(チャーム)と、テンキー付きキーボードに早く慣れることだができるかどうか。
足のサイズに合わせて靴を選ぶのではなく、靴のサイズに足を合わせてきた世代である。あなたの色に染まってみせますさ。


海を見つめていた  





海を見つめていた




女が、海を見つめている。
女は、茫漠と広がる海の彼方を見ている。海の彼方に思いを馳せている。
身体が少し左に傾ているのは撫肩のためショルダーバッグがずり落ちやすいのか、骨盤がゆがんでいて体幹が斜めになってしまうのか、重すぎるバッグを支えるために肩に力が入っているかのどれかだと思うが、そういうこととは無縁に、女は茫漠と眼下に広がる海の向こうを眺めている。

女が立っているのは沖縄の岸壁の上なのである。
岸壁の上に立っているから、背中をポンと押してあげたいなと思ったとしても、実行してしまうとサスペンスドラマになり船越英一郎や片平なぎさの登場を待たねばならないので、我慢しなければならない。

女が無防備に背中を晒しているのは背後を心配していないからだ。だって、背後に心配事を山ほど抱えているゴルゴ13は絶対に背中を見せないからね。

この写真は後ろで優しく見守る誰かが撮った。
たぶんそれは恋人か生活を共にしているパートナーなのだろうと思う。もしも女友達だとしたらアート心のある友達である。普通の友達なら旅行のスナップ写真で友の後姿を撮ることはまずない。
後ろで見守っているのが男だとすれば、男は海の彼方を眺めている女を愛しく思い、ついシャッターを押してしまったのである。
でなければシャッターではなく背中を押したはずだ。背中を押していれば船越英一郎や片平なぎさが登場するのだが、二人は主に小京都近辺を管轄にしているので沖縄までは来ない。いや、何作目かの時に来たことがあったかな?あの時は名取裕子だったっけ?

ま、それはよろしい。
女は、岸壁に立ち海風に吹かれながら水平線の彼方に何を見ているのか。過ぎ去った昔の思い出なのか、それとも明日の夢なのか。
服の背中の皴の付き方でその人となりが分かると、さる高名な背中の皴評論家が言ったが、この女の服の背中の皴は何を語りかけているのだろうか。

おそらく、憂いを含んだ表情で海を見つめているのではあるまいか。
どんな表情だろうと、誰もが思うに違いない。そう思わせる後姿である。
だから、振り向いてもらいましたのさ。



「・・・」

別府葉子さんかい?
こんな写真を堂々と晒すあなたは、ほんに心の可愛い女性です。

まだまだ  




まだまだ先


PCが不良品と確認され交換が決まりました。
けれども納品は遅れに遅れて22日になるとか。
在庫がないというのがその理由らしいのですが、HP社は新品を購入すると最長でも7日間営業以内に届けられます。つまり在庫は有る。けれども、交換のための在庫はないということなのでしょう。
だったらクレームの申し立てをせず、クーリングオフ期間内なので黙って返品すべきでた。そして再度新品を購入すればよかった。そうしていたら、とっくにPCが届いておりました。

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