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Old Saltyの日々雑感

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旅にしあれば(2)  




旅にしあれば(2)


3年前に、20年ぶりに訪れた北京は大きく様変わりしていた。
東京砂漠といったりするが、都会を不毛の砂漠と形容するなら、今の北京はその最たるものといえた。およそ潤いというものがなく、埃とガスで曇った空の下に、殺伐とした無秩序でこけら脅しのように林立する建築群と埃まみれの高級外車が道や歩道を占拠する、昔日の面影がまったく消え失せた品格のない都市に成り下がっていたからである。

日中友好条約が締結されたのは1972年。僕が北京を訪れたのはその4~5年後だったので、初めて北京の土を踏んだのは37~38年ほど前になるが、当時の北京は大きな建物が少なく、下町の風情と喧噪と人々の体温を感じさせる潤いのある清潔な町だった。

3年前、僕たち家族は観光旅行で北京にいて、八達嶺(万里の長城)へ行くべく地下鉄を乗り継いで北京西駅へ向かったのだが、北京西駅に着いて驚かされた。30数年前の北京西駅の姿は欠片も残っておらず巨大なターミナルになっていた。地下鉄から西駅への道程や西駅の構造が大阪梅田の阪急駅構内や阪急三番街と酷似していたのである。



32~33年前の何度目かの北京の極寒の2月の夜。僕は田舎の寂れた終着駅のような駅の改札口で、寒さに耐えながら到着する列車を待っていた。写真は北京南駅だが当時の北京西駅もこんな駅舎で南駅よりも老朽化し煤けており、平屋造りの木造駅舎の軒下に裸電球が灯るだけの小さな駅だった。人の姿もまばらで駅前は街灯もなく真っ暗。本当にこの駅が呼和浩特(フフホト:内蒙古自治区)からの長距離列車が着く終着駅なのか、僕は駅を間違っているのではないかと思いつつ、会いたいと切望していた人の到着を待った。

本来のプランでは僕が空路フフホトに飛び、そこで出迎えてもらうことになっていたのだが、中国旅行社発行の航空券が間違っていて、北京に到着した日にフフホト便が飛んでいなかった。
すでに何度目かの北京だったので旅慣れていると過信していた僕は、普段は慎重なくせに、この時に限りフフホトの連絡先を持たずに来てしまっていた。僕は、北京駅で路頭に迷った。気を静め、まずは宿を確保しようと思った。2月の北京。空港で夜を明かすには寒すぎる。

頑強な共産主義国だった当時の中国は、外国人の個人旅行者は入国すら難しい時代で、ホテルを確保するのも簡単ではなかった。思案した末、外国人の宿泊が可能な国際級のホテルならと思い、空港タクシーで北京飯店に行き交渉し部屋を確保したのだった。
次はフフホトの連絡先の入手方法である。フフホトの連絡先を知っているとすれば、その人の実家である。
国際電話どころか市外電話すらままななら北京。鎖国的な状況の中で国際電話がかけられるのか。ホテルのフロントに相談したところ、北京駅前にある中央電信電話局なら市外電話がかけられるから、もしかすれば外国にもかけられるかも知れないと教えられ電話局に行った。

市外電話を申し込む列に並びそして日本への国際電話を申し込んだ。会話がまったく成り立っていないから受け付けられたかどうか不明のまま、安くない料金を前払いし番号札を貰い待った。不安のまま待った。2時間以上も待っただろうか、呼び出しがあり指定された電話ブースに行き受話器を取ると、ひどい雑音の中から途切れ途切れではあったが先方の声が聞こえたのである。
日本と電話がつながったことの安堵感。そのことを思い出すと今も身体が痺れる。

実家の人に手短に事情を説明し、フフホトの連絡先を聞き出した。そしてホテルに戻り、今度はホテルの交換にフフホトへ市外電話を申し込んだ。交換手の英語は中国語訛りがひどくまったく言葉が聞き取れない。何度もフフホトの電話番号を告げ市外電話の申し込みであることを伝えようとした。電話局同様、こちらの意図が通じたかどうか不明のまま、一度受話器を置き待つこと40分。ようやく電話が鳴り受話器をとると「サインバイノー」とモンゴル語が聞こえる。本人ではない。尋ねると寮の管理人だそうで、本人は空港に僕を迎えに行っているという。管理人に北京飯店の電話番号と部屋番号を伝え電話を切った。あとは先方から連絡が入るかどうかだ。
2時間後に電話が鳴り、懐かしい声が、やはり雑音に混じり途切れ途切れに聞こえた。
「明日の列車で北京まで迎えに行くから。夜の8時に北京西駅に迎えに来て」と言われたのである。

8時5分に列車は到着した。改札口の薄明かりの中から彼女は現れた。Gパンに厚手のフィールド調査用コートとスニーカーとデイバック。内蒙古自治区で遊牧に関するフィールド調査をしている格好そのままの姿だった。
汽車の排煙で汚れた顔は真っ黒。僕を見つけマスクを顎まで下げ笑顔で片手を上げて合図してくれたが、長旅で憔悴しているのが明らかに見て取れた。フフホトから北京西駅まで10時間。急なことだったので寝台席が取れず3等硬座で来たという。かなり厳しい列車の旅だったと思う。
僕に列車でフフホトまで来させる方法もあったと思うが、電話連絡すら簡単ではなかったし、外国人は制約があり簡単に地方へは行けない。切符を買うのも簡単では無い。僕に来させるよりも自分が北京に迎えに行く方が確実で早いと考えたのである。

北京空港で途方に暮れた僕は、紆余曲折・右往左往の末、北京西駅の駅舎の薄暗い電灯の下でようやく、妻(前妻)と会えたのである。

(つづく)





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