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Old Saltyの日々雑感

日々雑感的に思うところを小さなウソと大きな誇張でデフォルメして掲載中!

  




36年前に何があったのか・・


やっぱり面白いのですよ。コメントが書き込めないのが残念なんですね。
以前にも勝手に紹介させていただいた『「固い体の改善日記』のことなんですけどね。

固い体の改善方法に関しては進展がないのか、前回以降1ミリ分の改善方法も書かれておりません。まあそれはいいのです。前にも書きましたが、僕もかなり体が固いので分かるのです。体の硬軟は相対的なものなのでアスリートや中国雑伎団のメンバーでもないかぎり日常生活には格別支障はないということを。
僕の場合、秋の村祭のリンボーダンス大会で毎回初戦敗退して悔しい思いをする程度の支障しかありません。
だから、「固い体の改善日記」の看板に偽りがあっても実害はないと思うのですね。体は固いが頭はかなり柔らかい。それがこの店の主人の特徴です。

ある日の日記の、『悲しみが多いほど』もそんな一つでした。いつものように無断掲載しつつ、感じたところを書いてみたいと思います。

『悲しみが多いほど』に続く書き出しが、

お、
ピンときました?


この軽い出だしの一文で、「悲しみが多い」という深刻そうなテーマが、「違うのかも」と読者に思わせます。正座して拝読するつもりの気分を、漫談の客になったようなリラックス気分にさせてくれました。そして、ピンときました?の続きが、

海援隊の
「贈る言葉」の歌詞の一部。

“人は悲しみが多いほど
人には優しくできるのだから”


僕は正座を崩してリラックスしていますから、即座に、若い頃の武田鉄矢の顔が思い浮かびました。彼はデビュー当時から、数あるフォークユニットの中でも図抜けて顔が大きく老け顔でした。真っ黒のウイックを被ったようなヘアスタイルも含めて、垢抜けしないオッサン顔でございました。
コラッ鉄矢 なんばしようとかねこの子はテレッとして・・・でしたっけ?

あたしが
小学生の時でしょうか、
初めて聞いた時の
衝撃ときたら…

『人には優しくできる』だ??

出来ない。
そんなこと出来ないです、

自分がとても悲しい時に
人には真逆となる優しい対応なんて。
(よっぽどその時、悲しい事があったのね)


当時小学生だった彼女は、この歌を聞いたその日もしくは前日に、とても悲しい出来事があったのです。
小学生の悲しい出来事って何だったのだろうと思ってしまいますが、その悲しみを乗り越えて立派(かどうかは知りません)な大人になっていますから、それほど大した出来事ではなかったのでしょう。本人も何があったのか思い出そうとしますが「よっぽどその時、悲しい事があったのね」と他人事のように言うだけで、思い出せなかったのです。

だから例えば、飼っていたヒヨコが死んだとか、食べようとしていたマーブルチョコの容器を落としてチョコが散乱。運悪く外だったので、転がって溝に落ちたり土にまみれたりで、3分間ルールを最大に適用しても半分しか回収できなかったとか、運動会の徒競走で衆目の中でずっこけて泣いたとか、学芸会の主人公に立候補したのに選ばれなかったといった出来事だったのでしょう。とにかく、そんな時に「贈る言葉」を聞いたのです。
だから自分がとても悲しいときに人に優しくなんて、「出来ない。そんなコト出来ないです」と小学生のミヨちゃん(仮名)は思ったのでした。

「贈る言葉」は1979年にリリースされました。今日は平成27年。
36年も前のことを、彼女は突然思い出したのです。なぜ突然思い出したのかは書かれていませんので推測の域を出ませんが、竹下景子とモト冬樹司会の『名曲ベストヒット歌謡』の再放送で「贈る言葉」を聞いのではないかと思うのですね。片膝立てて、冷え性対策に足首にデカ粒ピップエレキバンを貼りながらテレビを見ていたときに・・・。

当時小学生だった紗理奈ちゃん(仮名)も今は足首にデカ粒ピップエレキバンを貼るアラフォー。彼女とほぼ同じ歳の僕の妻は、体が固い彼女が「出来ない・・」と悩んでいた丁度そのころ、自転車で田圃のあぜ道を走っていて疎水の溝に転落して大怪我をしております。
体が固かったハン・ジミン(仮名)さんはその後、沈思黙考型になって行きますが、妻は頭よりも体を使うアスリート型になりました。人生って、どう転ぶかで、先は分からないものですね。
人は誰でもココロの中に転がる石を持っていると、ミックジャガーも言ってますもんね。
いいえ、胆石のことではございません、ですよ。

う~ん、
何と言えば伝わるかな~。。


と、アラフォーになった今、「例)※もう小学生の時は忘れて下さいね。」と前置きして、出来ない。そんなこと出来ない理由を、どう説明しようか考えます。
片膝立てて足首にデカ粒ピップエレキバンを貼る姿勢のままだと固い体が辛いので、ノートブックが置かれている机に場所を移し、今度はノートブックに頬杖をついて、どう説明したら伝わるだろうと考えたのです。
そしてモニター画面に向かって独りごちました。

う~ん、何と言えば伝わるかな~。。と独りごちたその時、閃いたのです。
あれだ、パチンコだと。

それは次のようなものでした。

パチンコで開店から閉店まで粘っての大負け。
まだ月初めなのに、
すでに先月の給料を全てつぎ込んでしまった。。

憔悴しきって店を出る時、

店員「(大声で)ありがとうございました!」



そのとき、

店員に優しく出来ますか?

「お仕事、遅くまで大変だね。また来るよ。」

みたいに。

無理。


なんという例でありましょう。パチンコで遊んだ経験のある人なら、心の中を寒風が通り抜け茫然自失の体でパチンコホールのフロアに佇んでいる自分の姿を鳥瞰図アングルで眺めているシーンが目に浮かぶはずです。
「自分がとても悲しい時に、人に真逆となる優しい対応なんてできない」ことの証明に、これほど的確な例がありましょうか。

耳をつんざくBGMや騒音が消えた閉店前の店内は、パチンコに勝っていてもココロ寂しいものです。こんな夜中までオレ(わたし)は何やってんだと・・・。
勝った時でもそうなのに、開店から閉店まで粘っての大負け。その悔恨と悔しさと空しさは体験者でなければ分かりません。篠原涼子も歌っています。

悲しくて 泣きたくて 叫びたくとも 言葉にできない と。
派遣で稼いだ金が消えちゃったじゃないかと。

体の固い彼女もたぶん、2度や3度は同じ体験をしているのです。給料を使い果たしてしまったこともあるのかも知れません。そう思うのは僕にも経験があるからで、閉店前の店内のシーンがリアルの目に浮かびます。

競馬や競艇でオケラになって帰るのはまだいいのです。一攫千金を夢見て行ったのですから。千円が百万円なるかもと思っていたのだから。完敗するかもという予感も財布に詰めて行っているから。
でもパチンコは違います。どう頑張っても千円が百万円に増えることはありません。開店のお座り一発で大当たりし11時間後の閉店まで大当たりが続いても百万円分の玉やコインが出ることはありません。パチスロのART機種のショボさは、まるで封筒貼りの内職のようなもの。物理的に無理です。勝ってもせいぜい数万円。だから小遣い稼ぎのつもりのパチンコです。一攫千金なら完敗しても諦めがつきますが小遣い稼ぎのつもりのお遊びでの大負けは、このショックは、ものすごく大きいのです。ショックが大きすぎて、

憔悴しきって店を出る時、

店員「(大声で)ありがとうございました!」



そのとき、

店員に優しく出来ますか?


と彼女は言います。
できません、と僕は彼女に相づちを打ちました。


「仕事、遅くまで大変だね。また来るよ。」

みたいに。

無理。


僕も無理です。
どれだけ可愛い店員に「ありがとう」と言われても・・・。

ここで場面は暗転します。
耽っていた物思いから醒め、彼女は自分は今、パチンコ台の前に座っているのでも、憎っくき「パーラーおいでやす♪」の閉店前の店内にいるのでもなく、PCの前に座っていることに気づきます。
我に返った彼女は、次のように書いています。

そう、無理なんです。
下手すれば掴みかかるほど憎いでしょ?


「人は悲しみが多いほど 人には優しくできる」という鉄矢に、
なんばいうちょるか!なのであります。強烈なアンチテーでございます。

だが、だがであります。
彼女の傷はまだ浅い信濃路です。あした私は旅に出るのです。

彼女は閉店まで粘っておりました。店員に掴みかかりそうな元気も残っているのです。
閉店まで居座り、店員の「ありがとうございました」の声を聞くということは、道中どれだけ負けていたとしても、最後の最後に大当たり中だったのです。それが投資の見返りとしては焼け石に水程度であったとしてもトータルロスではないのです。帰りに吉野家で牛丼の並に玉子を奮発する程度の金は残ったのです。

完膚無きまでに一文無しになるとですね、店員に掴みかかる元気すら残っておりません。
世の中には、負けが込んだギャンブラーが掃いて捨てても一向に減らないほどいるのに、せいぜい台を叩いてウサを晴らす程度で焼き打ちなどの暴動が起きないのは、その元気すら残っていないからなのです。

それでも都会はまだいいです。寂しく牛丼を食べたり、金は持っていなくてもツケのきくスナックで憂さ晴らしができますから。田舎のパチンコ屋の場合はそうはいきません。牛丼屋なんて車で20分だぞ。飲酒運転だから飲めないし、運転代行頼む金も無し。
満車だった広大な駐車場にいまは車が2~3台。店の照明も落とされています。そのなんと侘びしいことか。そういうことなので、

作詞した人(鉄也?本当??)は
自分を律して相手を思うことのできる
凄い人なんだなって思うんです。


と、彼女は鉄矢に敬意を表するわけですが、ホントに凄い人なんですよ鉄矢は。
だって「贈る言葉」を歌ったその年に3年B組の教師になり、それから32年間も教職を勤め上げた人なのです。途中、有給をとって幕末時代に旅行し、緒方洪庵になって南方仁に会ったりもしています。偉人です。

“人は悲しみが多いほど
人には優しくできるのだから”

なんて。。
自分がそういう経験をしない限り。

なので、
まあもうあたしも大人ですが
そーゆー、どんな時にも相手を
思いやる余裕を持った心を持ちたいなと
ずっと思ってる訳です。


「まあもうあたしも大人なので」以降の文はなんとなく投げやりな感じがいたします。
なので、「思いやる余裕を持った心を持ちたいなと ずっと思ってる」というのは、文章の〆をどうするか考え、とりあえず適当に書いてみただけだと思うのですね。

固い体を1㎜でも改善したいと思っていても1㎜も改善できていないのは、彼女が飽き性で怠惰だからではなく体の硬軟は相対的なものだから。優しさも同じ。優しさも基準など無く相対的なものなので、鉄矢のように思いやる余裕を持った心を持ちたいなとずっと思ってはいても、思うだけなんですね。

実は僕は、海援隊のデビュー当時から武田鉄矢がどうも肌に合わなかったのです。そのせいかどうか、32年間も放映されていた「3年B組金八先生」を一度も見たことがありません。
固い体の改善日記の『悲しみが多いほど』を読んで、その理由がなんとなく分かったような気がしたのです。あるいは僕も、「人は悲しみが多いほど 人には優しくできるのだから」という、なんとなく納得してしまいそうな美辞麗句的な歌詞に、無意識のうちに胡散臭さや否定的な気持ちを抱き拒絶していたのかも知れないと思ったのでした。だから肌が合わないと・・・。

原文を切り刻んで載せてしまいました。以下に原文を体裁通りに掲載させていただきます。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


『悲しみが多いほど・・・』



お、
ピンときました?


海援隊の
「贈る言葉」の歌詞の一部。


“人は悲しみが多いほど
人には優しくできるのだから”




あたしが
小学生の時でしょうか、
初めて聞いた時の
衝撃ときたら…


『人には優しくできる』だ??

出来ない。
そんなこと出来ないです、

自分がとても悲しい時に
人には真逆となる優しい対応なんて。
(よっぽどその時、悲しい事があったのね)


う~ん、
何と言えば伝わるかな~。。



例)※もう小学生の時は忘れて下さいね。

パチンコで開店から閉店まで粘っての
大負け。
まだ月初めなのに、
すでに先月の給料を全てつぎ込んでしまった。。

憔悴しきって店を出る時、

店員「(大声で)ありがとうございました!」




そのとき、

店員に優しく出来ますか?


「お仕事、遅くまで大変だね。また来るよ。」

みたいに。









無理。

そう、無理なんです。
下手すれば掴みかかるほど憎いでしょ?

どうしても自分の悲しさ優先なんですね。。


なので
作詞した人(鉄也?本当??)は
自分を律して相手を思うことのできる
凄い人なんだなって思うんです。

あんなセリフ出ないですよ、

“人は悲しみが多いほど
人には優しくできるのだから”

なんて。。
自分がそういう経験をしない限り。


なので、
まあもうあたしも大人ですが
そーゆー、どんな時にも相手を
思いやる余裕を持った心を持ちたいなと
ずっと思ってる訳です。





決して
武田鉄矢氏を過剰にリスペクトしてる訳ではない点、補足。


以上。全文です。



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