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Old Saltyの日々雑感

日々雑感的に思うところを小さなウソと大きな誇張でデフォルメして掲載中!

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We Shall Overcome(3)  




We Shall Overcome(3)


友人がカナダへ帰った。
ほぼ毎年1か月ほど日本に里帰りし、帰国すると必ず僕に会いに来てくれる。もう何十年も続いているので長く僕を定点観測してきたことになる。だから僕の波乱万丈、紆余曲折、アバウトな生き様、女性遍歴を一冊にまとめて出版でき莫大な印税を手にできるのは彼だけだ。
ただ、残念なことに彼は長くカナダに住むので日本語が拙い。漢字などはほとんど忘れていて時折届くメールもほぼ全文平仮名なのである。しかもその文章は俳句よりは長いが和歌よりも短い。本の体裁を整えるには250ページ、20万字ぐらいは必要なわけだから三十一文字もままならない彼にはとても無理なのだ。

彼は帰国すると日本の彼方此方を旅する。友人や知人に会うための時もあれば観光目的の時もある。その旅の終わりが我が家というのが定番になっている。あれこれ各地の旬の情報をもたらせてくれるから、田舎に引っ込んでいる僕にはこれが都合がいい。
ビール好きの友人が今年も2泊中に缶ビールを32本も飲んだのだが、ビール片手に色んな話をしてくれた。
沖縄と東京に行ってきたそうなのである。辺野古に行ったと。
まさかと思ったが「もしかして抗議集会に?」と尋ねてみると「おう」と言う。「東京も?」と尋ねると「国会前」だったそうな。これは嬉しい気持ちにさせられた。普段はただの酒飲みだが、一朝ことあればアクティブディーモス(志のある人々)の一人になる、いや、戻る姿をみたからである。
僕たちは45年前に大阪にべ平連を立ち上げたメンバーだったから、僕も志のある人々の一人として時代にコミットした体験を持つ。前回掲載した動画のイントレピットの脱走兵の逃亡も彼らの一人が京阪神を経由する時に手伝っている。

べ平連は「ベトナムに平和を市民連合」の略。アメリカのベトナム侵略戦争とそれに加担する日本政府に抗議の声をあげた市民グループだった。作家の小田実が呼びかけ人になり東京べ平連が生まれたのだが、その呼びかけに呼応したというか、ユニークな運動体だと感じた僕たちもべ平連を作った。当時僕たちは大阪の阿倍野界隈が生活の場であったので南大阪べ平連と名付け、通称として「なんだいべ」を名乗った。べ平連って何だいべ?という意味も掛けている。

「なんだいべ」は東京べ平連に次いで2番目に古いべ平連だったはずだ。街頭でフォークソングを最初に歌ったのも、街頭でティーチイン(対話集会)やロールプレイを行ったのも、新宿フォークゲリラの生みの親も「なんだいべ」だし、大阪城公園を借り切って「反戦のための万国博覧会」という万博に対抗する大規模なイベントも開催している。「栄ちゃんのバラード」というヒットソングも作った。新聞や週刊誌、TVにも出演したりしたので、そのユニークさで全国に知られていた。
べ平連は増え続け、1969年ごろには全国で千近いか、千を超えるべ平連があったと思う。

べ平連はアクティブディーモス(志のある人々)が自主的に作った反戦グループだ。バックに政党や労働組合や宗教団体の本部や組織があって、そこから許可を貰って設立するのではなく、市民たちが、学生たちが自分たちで勝手にグループを作りべ平連を名乗った。べ平連は東京べ平連が本部のように思われていてNHKアーカイブ番組を見ても東京べ平連がべ平連の全てのように扱われたりしているのだが、全国にあまた存在したべ平連は、独自に、あるいは他のべ平連と共同で様々な活動を行っていた。

「なんだいべ」は小田実の旅行記「何でも見てやろう」に触発されたメンバーが中心だったので「何でもやってやろう」が活動のスタイルになっていた。上記した様々な活動は「何でもやってやろう」だった。新しい文化を発信し続けたと思っている。

SEALDsもアクティブディーモスな人々の自発的な抗議活動という点ではべ平連と同じだと思う。 そしてメッセージを発信するスタイルも共通している。
45年前の労働組合や全学連はアジテーション(煽動)で人々に訴えようとした。激しいデモやストライキもアジの一つだったのだ。
前回掲載したSEALDs KANSAIの寺田ともかさんのメッセージを読めば分かるように、檄文でもアジブ文でもない。冷静に人々に語りかけているメッセージだ。メッセージで人々の気持ちをこちらに向かせようとしている。
べ平連と異なるのはシュプレヒコールだろうか。身体を前後にクネクネ動かしながらのラップ調スタイルは僕には憑き物がついた巫女が踊っているように見えて馴染めないが、今の若者たちにはこのスタイルの方が馴染んでいるのだろうと思う。
昭和と平成の表現スタイルの違いはともかくとして、SEALDsが今後、どういうメッセージを発信し、どんな文化を生み残してくれるかである。

つづく





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