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Old Saltyの日々雑感

日々雑感的に思うところを小さなウソと大きな誇張でデフォルメして掲載中!

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アジアコーヒ  




アジアコーヒ



アジアコーヒは、半世紀以上前に京阪神エリアで一世を風靡した喫茶チェーン店のことである。
スターバックスやドトールの元祖と言っても過言ではない。だってね、アメリカのスターバックの1971年、日本のドトールの1980年に対し、アジアコーヒは1960年頃なんだから。

二つほど余談を書いておくと、1960年当時の大阪新世界には串カツ店と寿司店が林立していて、串カツの肉はほぼ犬猫メインだった。というのも、新世界界隈で野良猫や野良犬の姿を見ることが無かったからだ。火のないところに煙が立たずというが、残飯が出る繁華街にノラ猫や野良犬がいないはずがないではないか。それを象徴的するように、新世界のジャンジャン横町入り口に三味線屋があった。大阪で最もデンジャラス(今はつまらぬ飲食街になり果てている)な場末の歓楽街に不似合いな三味線屋。ご存じのように三味線の胴の皮は猫の皮。三軒隣が串かつの「八重勝」、その隣が「てんぐ」、スープが冷めない距離ならぬ、剥いだ皮がまだ暖かい距離だと思わない?
今は両店とも串かつの名店になり行列が絶えなくなっているが、いるも言っていいるように、行列の長さに反比例して味は激落ちしている。
ソースの二度漬け禁止だって?馬鹿じゃないか。二度漬けを不衛生というなら真っ黒になったエプロンや煮染めたような雑巾は、あれは何なんだ。
今の、味が劇落ちした新世界の串カツ店の名誉のために書いて置くが、現在の新世界にはちゃんと野良猫や野良犬がいます。天王寺動物園から逃げ出したノラライオンやノラキリンもたまに見かけますね。

この頃、串カツ屋と双璧だったのが寿司店。10円寿司といい、三貫乗った一皿が10円と、超格安だった。新世界界隈にノラマグロやノラ蛸がいなかったのは、マグロや蛸は陸で生活できないからで、10円寿司屋がネタにしたわけではありません、ねんのため。ま、ネタにしても問題はありませんが・・・。
この10円寿司の格安商法が後の回転寿司を生んだ。回転寿司の元祖「元禄寿司」のオーナー白石さんが高騰する人件費の軽減目的で開発したのが回転テーブルなのである。
いま思えば、僕の隣でイカとカッパ巻きを食べていたオッチャンが白石さんだった、のかも知れない。

二つ目の余談は、ドトールの関西の一号店は心斎橋にオープンし、この頃、企画会社を経営していた僕は、雑誌の仕事で取材をしてことがあるのだ。タダでコーヒーとケーキをご馳走になった。もちろん、雑誌にはいい提灯記事を書きましたさ。
ということで、コーヒーブレイクはオシマイ。

冒頭のアジアコーヒの暖簾は昔のものにほぼ沿ったデザインなのだが、少しだけ違う。昔の暖簾は下部に「神戸ー大阪ー京都」と印刷されていた。つまり、白地に赤の日本を中心にした地球のイラストを挟み左にアジア、右にコーヒ、その下に、神戸ー大阪ー京都とシンメトリーに印刷されていたわけである。

大阪人は珈琲をコーヒーではなくコーヒという。聡明な読者なら暖簾の話から、なぜそう言うようになったのかの謎が解けたはずだ。そう、アジアコーヒの影響なのである。
暖簾を作ろうとして、地球のイラストを挟んで左にアジア、右にコーヒーにしたところ、「ー」がバランスを悪くし邪魔だったのだ。まだコーヒーを珈琲と漢字で書いていた時代だったから、コーヒーがコーヒでもいいじゃないかと、暖簾屋のオヤジは思ったのだ。で、コーヒになった。大抵のモノゴトは、いい加減な始まりなのである。

当時の日本は、「銀巴里」に代表されるシャンソン喫茶、「ACB(アシベ)」「メグ」「灯」のようなジャズやロックの音楽演奏、ファニーズのボーカルだった沢田研二が出ていた「ナンバ一番」などのジャズ喫茶、「ともしび」などの歌声喫茶、ロック喫茶、ロカビリー喫茶、ゴーゴー喫茶、そしてカテゴリーがよくわからない純喫茶、後年だとノーパン喫茶などなど、多数の業態の喫茶店が花開くわけだが、こうした特化の魁がアジアコーヒだったのだ。
大阪に現在のような喫茶店があまり無い時代に誕生した10円寿司並のコーヒーチェーン店。コーヒが確か1杯15円。トースト付きのモーニングが20円。ゆで卵が付いて30円だったと思う。



当時小学生だった僕は、週に2、3日はアジアコーヒでモーニングを食べ学校へ行った。家業が飛田遊郭の寿司屋だったので夜が遅く朝飯を作って貰えなかったからだ。だから週に何日かはアジアコーヒ、他の日は昨日の残りのネタで自分で寿司を握り朝食にした。

アジアコーヒは最盛期で140店舗ほどあったから関西人は誰もがアジアコーヒを飲んだといっていい。だからコーヒで定着した。
以上が、大阪人がコーヒーをコーヒと言うようになったタカノツメ先生の学説である。眉唾だと思う方は、学を外したただの説と思っていただいてもよろしい。



後のことだが、アジアコーヒ以外に、大衆喫茶「玉一」というのもチェーン展開した。大衆喫茶という表現が笑える。○に玉一の図案(後でいうログマーク)も和風すぎて、大衆酒場や大衆浴場、大衆食堂の延長上の喫茶店かというイメージである。コーヒーだけでなく紅茶やレモンスカッシュなどの飲み物、カレーやオムライスや焼きそばなどの食べ物も大衆価格で売っていたからだと思う。



3つ目の余談だが、写真のマックの所に、かつて「玉一」があった。場所は大阪環状線寺田町駅前のガード下。当時僕は駅から徒歩5分ほどの所にあった2K風呂無しのアパートに住んでいて、よく玉一を利用した。ちなみにアパートからやはり徒歩5分ぐらいのところに小田実の家があって、ベ平連関係で交流があり何度か泊めてもらったことがある。
僕のアパートと小田実のアパートの中間ぐらいの所に銭湯があって同居していた彼女と通ったものだ。だから知っているのさ、石鹸はがタカタ鳴ることを・・・。

1970年のいつのことだったか、ベ平連運動も終息し挫折感の中にあった僕は見えない未来にため息をつき日々を過ごしていて、ある日の朝に玉一でコーヒーのモーニングセットを食べながら道路を挟んだ向かいにあるパチンコ店の開店を待っていたときに、店内に流れていた有線のビートルズの歌に、なぜか涙した。
その時は曲名を知らなかったのだが、レット・イット・ビーだったのである。
だからなのだろう、今もこの歌を聞くと、青春の蹉跌や当時の駅界隈の風景を懐かしく思い出す。

コメント

レイコーよりホット!!

v-273
こんにちは~
コーヒーが腎臓に悪いからと一度は辞めようとして3日で
復活してしまったおばはんです。
話題がコーヒーだったので読ませて頂きました~~。
そこでもしかしての戦中の話ですが務めていた外食産業
のレストラン部で働いていたチーフの方が実際にソーセージ
の材料がゾウの肉を使っていたって言っていたのを思い出しました。
話半分でもこれに近い事は事実なんでしょうね、それにしても
過渡期の日本に懐かしさ感じるのってなんなんだろう。

ゆめこ #GaenHm5U | URL
2016/02/22 10:34 | edit

ゆめこさん

コメントありがとうござます。
象の肉とは豪勢ですね(笑)
でもそのチーフの話はたぶん眉唾です。
だってソーセージは安い食材の魚肉だったでしょ。
豚などの肉が使われるようになったのは昭和40年台になってからだと思いますもん。
何の過渡期を指しているのか分かりませんが、
セピア時代だとすれば、たしかに懐かしいですねー。

#m5nORXto | URL
2016/02/22 18:01 | edit

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