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Old Saltyの日々雑感

日々雑感的に思うところを小さなウソと大きな誇張でデフォルメして掲載中!

白磁の人  




白磁の人




良書である。“朝鮮の土となった人”と評された浅川巧の生涯を駆け足的に書いた本だ。微に入り細に穿つよりも駆け足的なのがかえっていい。著者の、浅川巧に対する思い入れが強くあるため好意的に書かれ過ぎているが、それを差し引いても良書だと評価できる。「朝鮮の、ことばを 芸術を くらしを そして友を愛した人」と帯に書かれている。浅川巧はそのような人であったらしい。

詳細な書評は省きたい。めったに本を褒めない僕が良書というのだから、興味が湧いた人は黙って読めばよろしい。間違いなくアナタの心を豊かにする一冊だと断言してあげる。

ただ、残念ながら廃版になっていると思うから読みたくても読めないかも知れない。
と、書くとますます読みたくなるでしょ。人の心理ってそういうもの。図書館を探してみましょう。書架に並んでいなくても倉庫に保存されていて取り寄せがきく場合があります。

『白磁の人』は友人が持ってきてくれた30冊ほどの中の1冊だった。どの本もこれといった食指が動かず、唯一手にしたのが『白磁の人』だった。貸与してくれた友人には申し訳ないが、食指が動かなかったということは、たぶん読むに値する(あくまでも僕にとって)本ではないと思う。別段思い上がっているわけではないが、何万冊も本を読んできたからパラパラとページを繰るだけで大凡の内容は掴めてしまうのだ。
暇を持て余している日が多々あるが、だからといって暇つぶしに本を読みたくはないし暇つぶしに音楽を聴きたいとは思わない。繁閑に関係なく読みたいから本を読み聴きたいから音楽を聴きたいと思う。
暇つぶしに読書や音楽を聴くなら、ヨットのコクピットで酒を飲んで微睡んでいる方がよほど得るものが多い。ただし、普通の人がやってもただの惰眠。この域に達するには何万冊も本を読み何万回も音楽を聴く必要があるのさ。
なぁんて偉そうに言っちゃって。



写真で分かるようこの本は貸与してくれた中で唯一無料の本だった。教鞭(死語?教鞭などといったら父兄からバッシングを受ける?)をとっている高校で廃棄処分になったのを貰ってきたという。友人は同じ本をもう1冊購入して蔵書としているそうだ。で、僕には金を出して購入した本ではなく、廃棄になった方を貸与したのである。
新品の本が傷むのを恐れたのではなく、彼からのサインだと思いたい。廃棄の印が押された本を混ぜたところに僕へのアテンションがあるのだ。

ちょっと脱線する。
以前から思っていることなのだが、図書館は本を廃棄するときに廃棄印をベタベタと押す。本に無能の烙印を押しているようで無性に腹が立つのだ。廃棄印を押しているのは図書を扱っている人間である。ベタベタと烙印を押すその愛情の無さは何なんだと思うのだ。しかも裁断して処分する勇気もないのだ。単に、無料で持ち帰った人が古本屋に転売するのを防止したいだけのことなのだ。心が狭すぎる。



この「白磁の人」に至ってはページ中にも印が押されている。陸な学校じゃない。学校の良否は教師が創るものだから、陸な学校じゃないということは、陸でもない教師しかいないということだ。廃棄本を救済してきた友人は少しはマシな方だといえようか。

『白磁の人』にソウルの国立中央博物館の学芸研究室室長の鄭氏(多分当時)の次のような言葉がある。
「青磁にはね、気品があるでしょう。愛情を持っている側に近づいていきます。まるで女性のように。気品があって美しいのでこちらも大切に扱おうとします。
それに対し白磁は静かでおおらかで自己主張をしない。見る側に決して負担を感じさせません。白磁を見ていると、まるで大切な友達に会えたような気持ちになれます」
青磁と白磁の違いを見事に言い表している言葉だと思った。
そして考えてみた。はたして僕は、青磁・白磁のどちらのタイプの人間かと。
しばし沈思黙考の末、つくづく思い至った。どこをどう透かしてみても、そんな上等な器ではないということに。

『白磁の人』(江宮隆之著:河出書房1994年初版 1600円)


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