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Old Saltyの日々雑感

日々雑感的に思うところを小さなウソと大きな誇張でデフォルメして掲載中!

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靴を履いて帽子を被る  




靴を履いて帽子を被る


1940年、第二次世界大戦のさ中のこと。
ドイツ機甲師団に退路を絶たれ包囲された連合軍兵士40万人が、何の防護障壁もないダンケルクの海岸に孤立し、全滅か降伏の岐路に立たされていた。
目の前で兵士が斃れ、救援の船舶がメッサーシュミット(ドイツの新鋭戦闘機)に撃沈されてゆく。
海岸に救助を待つ兵士40万人はもはや絶望かと思われた時、イギリスの首相であったチャーチルがラジオを通じ国民に懇請のメッセージを放送した。

『いま、連合軍40万兵士が、ダンケルクの海浜で救出を待っている。大小は問わぬ。如何なる船でもいい。船を持っている国民は、英仏海峡を渡ってダンケルクに赴き、一人でも多くの将兵を英本土に連れ帰ってもらいたい。』

この放送を耳にした英国ドーバー海峡、北海沿岸のヨット・ボートのオーナー達は先を争って英仏海峡を渡り、漁船、貨物船、タグボートの群れや、正規の救出部隊の軍艦、輸送船等の間に混じり、あるものは岸に近づけぬ大型船と砂浜の間の艀(はしけ)の役を務め、あるものは兵員を満載してドーバー海峡を 往復し、跳梁する独機の妨害によって多くの犠牲を出しながら、実に338,226名の英仏軍将兵を英本土に連れ帰った。
人呼んで「ダンケルクの奇蹟」という。』
「キャビン夜話」より。(田邉英蔵著・舵海洋文庫)

突然、何の話だと思われた方もいるかも知れない。疑問を持たずに普通に読み進めてちょっと感動したという方もいらっしゃると思う。
後の伏線として冒頭に置いたわけで、この話は一旦終わり話題を変える。


  不處嫌疑間
  瓜田不納履
  李下不正冠

君子は瓜畑で靴紐を結び直したりスモモの木の下で帽子を被り直すといった、泥棒と間違われるような行いをしてはならないという意味だ。
ついでに書いておくと、君子とは「人格ともにすぐれた、りっぱな人」のこと。

「スイートという言葉だけで『遊び回っている部屋』という誤解があってはいけない」
多額の海外出張費を問題視されたことへの舛添東京都知事の弁である。舛添は過去6回の海外出張で1億5千万円(1回2700万円)も使っているわけで、誰だって追求したくなる、わね。

年間52回の週末の内、48回を湯河原の別荘で過ごした件については「一番静かで仕事ができる。健康を保ち、頭を整理して都民のために働く態勢を整えるのは、知事として重要な役割だ」と説明した。
この人、勘違いをしている。
アナタの健康などどうでもいいのよ。命を賭して都民のために働くことが知事という役職なのだよ。

なぜ突かれるのか。日本の顔である都知事としての成果や実績をあげていないからである。
ことの真偽はともかくとして、瓜畑で靴を直しスモモ畑で平気で帽子をかぶり直す舛添要一が、『君子』でないことだけは明白だ。

東京都知事は単に一地方自治体の首長ではない。日本の政経や文化に多大な影響を与えている首都の首長だ。その首長の絶対条件は「人格ともに優れた人」であること。
舛添要一など、バラエティ番組で名を売り有名になっただけで、掃いて捨てるほどいる政治経済学者の一人でしかない。政治家になる前は自宅前でステテコ姿で取材に応じていた普通のオッサンだった。そのオッサンが東大の教授席の争いに敗れて大学を去る。学閥は一度踏み外すとよほどの奇跡が起きないかぎり二度とその閥に戻れない。かくして舛添は世間に名が売れていることを武器に政治家へ転身した。そして猪瀬の不祥事に便乗して都知事になった。

そんな普通のオッサンが権力を手にするとこうなるという、典型的な例が外遊であり別荘日(週)参なのだ。自民党の重鎮連中には異の一つも言えない小物で、中・長期展望や自身の中に描いているブランもおそらく持たない。そんな、流行りの言葉で言えば、ゲスな首長の一人だといえる。
都民に尋ねたい。都知事になって舛添成果といえるような成果物が何かありますか?

では、歴代都知事がどれだけ清廉潔白だったかというと、どの知事も似たり寄ったりだったはずである。だが、李下に冠的指摘を受けたのは舛添と前都知事の猪瀬ぐらいのものだ。

何かと話題を振りまいた石原慎太郎はどうだったのか。
たぶん、舛添よりも金遣いは荒かったはずだ。ただしほぼ自腹で。
週末の多くは湘南の海でヨットに乗り年に何度かは海外のヨットレースに参戦したはずだから、公私の公も私も多忙を極めたはずだ。舛添への「別荘で過ごしていて、東京都に災害が起きたら対処できるのか」といった質問は石原にも当てはまるはずだが、石原にはそうした質問はなかった。
なぜか、石原は極めつきのワンマンだったが、君子だったからである。この点で猪瀬や舛添とは大きく器が違った。公私にグレーゾーンを作らず、本の印税や給与でヨット遊びをした。公用車でハーバーに乗り付けることなどなかった。だから突かれることもなかった。
あまり知られていないが、石原は外交に強かったから縁の下で政府にかなり貢献にしてきたはずだ。その外交力の強さは、ヨットで培われた。

で、冒頭の話に繋がる。
名宰相と言われたウィンストン・チャーチルはヨット愛好家としても知られている。かつて彼の愛艇だったシナーラ(Synara)はいま、三浦のシーボニアヨットクラブが所有している。
チャーチルは優れたヨット乗りだった。 日頃から海に親しんでいたから船乗りの気質を知っていた。だから冒頭のような国民への呼びかけができたのだ。
ヒース元首相もモーニングクラウドという名のヨットを持っていて毎週末はヨットで遊んだ。240年間アメリカが守り続けたアメリカズカップヨットレースで初めてアメリカを破ったのはオーストラリアだが、当時の首相はその日を休日にしてしまったことは以前にも書いた。

石原慎太郎もコンテッサ(貴婦人)という名のヨットを持ち代を何代も重ね、過去何度も参戦したハワイのパンナムカップ(パンナム航空が倒産後ケンウッドがスポンサーになりケンウッドカップに名称を変える)も多くの著名な政財界人のヨットが参戦している。
ファストネットレース、シドニー・ホーバートレースなどなど、世界の名だたるヨットレースも同じである。石原はそうしたレースに参戦する中で多くのトップクラスの政財界人と人脈を持った。ゆえに外交に強いのである。またグローバルにモノを見る目を養ってきたから思い切ったことや骨のある行政を行った。銀行など失敗もあるが都政に大きな貢献をしたはずだ。

ちょっと脱線して70回目を迎えたシドニー・ホーバートレースのことを少し。
今から半世紀以上も前の話になるが、日本の日立の本社総務に1本の国際電話がかかってきた。オーストラリア支所からだった。
「地元のヨットレースの主催者からスポンサードして欲しいという要請があるのですが」
という内容だった。
「幾らの寄付?」と尋ねると50万円ほどだという。「いいよ」ということになり、スポンサードすることになる。この時、シドニーの会場周辺の道路に日立のバナー(立て看板)が並んだのだが、これが日立の名を有名にし、家電やモーター(当時はモータの日立と言われていた)の売上が急上昇した。
後のハワイのケンウッドカップのスポンサードはこの前例があったからだ。ヨットのステータスは非常に高いのでケンウッドのブランド名が、海外ではパナソニックよりも高いのはこのためだ。
ソフトバンクがようやく世界の一流企業の仲間入りを果たした。今年開催される4年に一度のヨットレースの最高峰と言われているアメリカスカップレースに参戦したからだ。

ま、とにかく、湯河原の温泉に浸かり「ぷはぁ~」と言っているだけでは外交に強くならないし、飛行機のファーストクラスからレンタルリムジンでホテルのスイートルームという、一歩も足が地に着かない贅沢三昧の外遊では外交など成し得ない。

都民のみなさーん、次回は金と権力に弱い人材ではなく、『君子』を選びましょうね。





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