FC2ブログ

Old Saltyの日々雑感

日々雑感的に思うところを小さなウソと大きな誇張でデフォルメして掲載中!

湯船に浸かる幸せ  




湯船に浸かる幸せ


ちょっと文化について語ってみたい。
とはいっても、「文化とは極めて土着性の強いものだから国際的文化などは存在しない」といった形而上学的なことではなく、形而下というか俗なというか、気楽なというか、そんな文化の話である。

まずは文化包丁。
思い切った名称であると思う。なぜ文化包丁というのかというと、これは諸説あるのだ。そもそも、学術的に調査された研究テーマでも諸説紛々なのだから、巷の八っつあん、熊さん的レベルだと人の数の分だけ説があると思っておけば間違いない。

文化包丁の場合、「研がなくていい包丁」だったから。研がなくていい包丁は便利・新しいわけで、文化の定義に合致していたのである。文明の利器だから文化包丁ではなく文明包丁だろうと思った人もいるかも知れない。もう一歩先読みしましょうね。文明の利器が文化生活を豊かにしたのさ。だから文化包丁。なによりも文明包丁ではしっくりしない。文化の香りがしないと・・・。

その文化包丁、今は三徳包丁と名を変えた。通常、ネーミング変更は元の名を超えることが条件になるから、文化よりも三徳の方が上位ということになる。僕は三徳よりも文化の方が懐が深いと思うのだが、庶民の多くは、よく分からない名称よりも具体的かつ現世利益的名称の方を有難がる傾向が強いので三徳が上位になったと思われる。

三徳、この三が絶妙なのである。一石二鳥や一挙両得などはなんだかとても得をしたような感じがするが、これは一と二を足せば三になるからである。鼎の軽重というが、軽重を問う鼎が3本だから含蓄が深いのであって、10本も20本もあれば軽重などどうでもいいやとなってしまう。早起きは三文の得の三文は金銭を超えた有りがたい得をイメージさせるし、水前寺清子の一日一歩三日で三歩♪の歌が国民的流行歌になったのも、三日で三歩という庶民にはとても計算が易しい足し算であるだけでなく、得した気分になれる三が2つも使われていたからなのだ。野球の場合、打率が3割3分3厘と聞くとすごい名選手のように思えるが、4割2分1厘と聞くと、まだ40試合しか消化していないもんねーとか、たまたまだよねーと思ってしまうものだ。
かように、3という数字は摩訶不思議なオーラを発しているのである。

ということで、三徳は文化を越えた名称だったので、この場合のネーミング変更は間違いではなかったということになる。
ただ思うのだが、有名料理人の○某や△某が個人宅で主婦に三徳包丁で食材を切ったりしながら料理を教えている様はなんとも似合わなくて、いくら文化や三徳が便利で新しくても、料理の質の高さは望めないのかもと思ったりするのである。
もし小粋な料理屋のカウンター席で料理を食べていたとして、目の前の、糊がパリッと効いた割烹着の板さんが三徳包丁で刺身や刺身のツマを切っていて、「お客さん。この包丁、モリブデンで錆びませんねん。横に穴があいてるでしょ。胡瓜を切っても張り付かないいのですよ。先日ね、テレビショッピングで買いましてん。洗濯バサミがオマケで貰えて、えらい得した気分ですわ♪」などと言われたら、勘定を何万円請求されたとしても、僕は1500円しか払わない。

文化鍋。
これは鍋の上辺が鍔のような形状になっていて汁の煮こぼれがしない鍋のことだ。確かに吹きこぼれないが汁が鍔のところでジュージューと煩いし、乾いた汁が焼かれてこびりつき洗っても取れにくいのである。ということで、あまり文化的な鍋ではないと僕は思っている。

文化会館。
全国どこにでもある。そのものズバリの直球名の○○町文化会館のことである。「市民や町民や区民の営みの全てが文化」という位置づけなのだろう。何でもOKの多目的ホールということだが、広く浅いから奥行きのない文化といえるかも知れない。
全国どこに行っても同じ名前のホームセンターやファミレス、タイヤ屋やカーショップ、町金の店舗が並ぶ現象の元は、何でも有りの広く浅い文化会館の文化が、換言すれば、クリエイティブ能力が欠如した県や市町村の役人が生み出した文化のせいなのである。自治体の民営化こそが急がれると僕は思っているのだが・・・。
東京には文化放送という名の放送局があるが、自社の事業を“文化”と豪語する自信は大したものだと思う。思うけれども、内容は文化会館的に広く浅いだけという気がしないでもない。

文化人。
変な人種である。知識人も変だ。文化人ですねー、知識人ですねーと言われて喜んでいるとしたら、その人はアホか泥酔しているかのどちらだ。だって、ネオン街の路地裏で「社長ぅ!先生!いい子いるよー♪」と言われているのと同じだもの。



文化住宅。これが一番奥が深い。
この住宅の認識は東西でかなり異なるようなのだ。ほとんどの文化が西日本から生まれている中で、文化住宅に関しては関東生まれなのである。写真のような大正モダン的な洋風の住宅のことを文化住宅と言った。



嵐を呼ぶ男では国分正一(石原裕次郎)が丘の上の洋風住宅に居候し、ドラマーになる練習をしていて、家主のプロモーターの美弥子(北原三枝・後の裕次郎の妻)と陽のあたるダイニングで朝のコーヒーを飲んでいたアレ、アレこそが文化住宅だったのである。
その正一が母と弟の三人で住んでいた木造アパート。小さな流しのある2間造り。風呂無しトイレ共同で、これが映画全盛時代の庶民の住宅だった。

関西で文化住宅の名称が使われるようになったのは戦後からだが、東京の大正モダン的な洒落た住宅ではなく、木造モルタル平屋もしくは2階建ての集合住宅のことを文化住宅とか文化アパートと言った。名前こそ文化がつくが、関東の大正モダン的な洒落た洋風住宅とは雲泥の差があったのである。
同じ文化住宅でも建物がこうも違うと、東京では吉永小百合が「そんなことをおっしゃたら、お母様に言いつけますことよ」なんて話すわけで、関西だと「おっさんオッサンこれなんぼ。わてホンマによう言わんわ」とガラッパチぽくなるのである。

おでんのことを関東煮といったように、住宅も関東で使われていた文化住宅という名称に便乗したのだと思う。関西では「関東」や「東京」と付けておくとなんとなくモダンな味付けになったのである。今の全国津々浦々に「銀座」があるのと同じだ。
いずれにせよ、戦後まもない頃の都会の住人はほとんどが風呂無し、トイレ共同のアパートか長屋に住んでいたわけで、集合住宅とはいえ、各戸にトイレやキッチンのある住居での生活はかなり文化的だったのだ。



関西の文化住宅はご覧のような間取り。今でいうハイツである。ハイツはプレハブだが文化住宅は木造モルタル造り。各戸にキッチンとトイレがあることが文化的生活だったのだ。今のハイツはザインも機能も良くなり昔の文化住宅の面影は無くなったが、唯一、遮音性の悪さだけは文化遺産として今も継承しているようである。

各戸にキッチンとトイレがある文化的生活に慣れると次に欲しいのは風呂だ。
寒い冬の夜に赤い手拭いマフラーにして小さな石鹸をカタカタ鳴らし銭湯に通う生活も毎日となると歌詞を口ずさむ気にもならないわけで、銭湯まで徒歩5分以内の文化住宅は家賃が高かったぐらいなのである。だから、内風呂が欲しいと誰もが思った。



そのニーズに応えたのが上の写真なのだ。これはコラージュ写真ではなく、本物の写真。その名を「ホクサン バスオール」と言った。
タタミ半畳ほどのスペースのプラ製の容器の中に一回り小さな浴槽があるだけの風呂なのである。これだと大掛かりな工事を必要とせずベランダにポンと置けば使えたのだ。



湯は外の給湯器から溜めた。昔の給湯器は給湯能力が低く、冬は50度程度の湯を浴槽に7分目目ぐらいまで溜めるのに2時間ぐらいかかった。50度は入浴には熱過ぎる温度だが2時間もかかるから冷めるのだ。湯が中々溜まらないだけでなく、洗い場がなく浴槽の上に蓋をしてその上に乗って身体を洗わなければならなかったから身体を洗うのが面倒ということで、浴槽に湯を溜めて使ったのは最初の数回で、それ以降はシャワーとして使っている人の方が多かったと思う。
僕はこの風呂すらない文化住宅に住んでいたので、時々、友人の超文化的生活を覗き、このバスに何度か入ったが、このモダンな文化はイカンと思ったものだった。

このようにホクサン・バスオールは浴槽の上で身体を洗うという訳の分からない風呂だったが、これこそ、風呂をバスと洋風に呼んだ走りだったのである。
ベランダの無い文化住宅に住んでいた件の新婚の友人は狭い台所の横にこれを置いていた。脱衣スペースが無いので、友人の嫁が風呂に入る時は僕たちはバスに背を向けて見ないようにしたのだった。けれども浴槽に浸かる、身体を洗う、再度浸かるためにビニールのカーテンを開けて外へ出なければならないわけで、その都度「あっち向いてホイ」と言われた。ジャンケンの“あっち向いてホイ”のルーツは、この文化的行動にあったということを知っている人は、今は少ない。
何かの拍子で、友人の嫁が素っ裸で浴槽の上に板を敷いている後姿をちょっと盗み見してしまったことがあって、そのモダーンな尻の大きさに圧倒された記憶は今も鮮明に残っている。サザンがデビューする5年ぐらい前の話である。


コメント
コメントの投稿
Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://blogtakanotume.blog98.fc2.com/tb.php/565-0fed214d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

▲Page top